第15話



利用するのにヘッドセットがあると良いと書いてあったので、安いものを買って準備した。


どきどきしつつ、宿り木カフェから連絡のあったスタートの時間になった。

パソコン画面に着信を知らせる表示が出る。

私は何か悪いことでも今から始めるかのような気持ちになりながら、びくびくと通話ボタンを押した。


『こんばんは』


「こ、こんばんは」


そこから聞こえたのは、低めの落ち着いた声だった。


『あはは、緊張してるね?

先に自己紹介を。

僕の事はリュウと呼んで下さい。

会社を経営している30代後半の既婚者です。

希望には30代半ばとあったけど、まぁ35歳は超えてるから後半ということで。

まずは大丈夫かな?』


「あっ、はい!」


ゆっくり、でもしっかりと耳に届く言葉。

私は何故か彼の雰囲気に圧倒されて、慌てて返事をした。


『急に知らない男性と話すんだ、緊張しない方が無理ってものだよ。

何か飲み物は近くにあるのかな?』


「あ、はい!コーヒーを用意してます!」


思わずびしっと返事をしたら、ヘッドセットから、くくく、という押し殺したような笑い声が聞こえた。

どうしよう、色々変な子に思われたのかもしれない。


『緊張させてごめんね?

実は僕もコーヒーを横に置いていてるんだ。

まずはお互い少し喉を潤そうか』


リュウさんはそういうと、少しして向こうから喉をならす音がしっかりと聞こえた。

私も慌ててコーヒーを飲む。


「・・・・・・はぁ」


思わず息を吐くと、また耳元に笑い声が聞こえた。


「す、すみません・・・・・・」


何だかもの凄く恥ずかしい。

さっきから空回りばかりしている気がする。


『いや、こちらこそ笑ってごめんね、面白い子だなって思って』


楽しそうにそう言うリュウさんに、何故か一気に彼が重なった。

声は全く違うのに、顔も見えない相手で通話しているだけなのに。

そうだ、先に大切な事を話さなければならない。


「あ、あの!」


『なにかな?』


「私、不倫してるんです」


『うん』


勢いで言ったはいいが、普通にうん、と返されると、その先どういうべきなのか言葉が出てこなかった。


少ししてまたリュウさんの笑い声が聞こえ、どう続けたらいいのか頭がまっ白になった。

何か喋ろうとするけれど上手く言葉に出来ない。

彼は、大丈夫、ゆっくりで良いよと優しく声をかけてくれ、それでも私が恥ずかしさとか戸惑いで言葉に詰まると、彼は今日は何を食べたの?などと答えやすい質問をしてきてくれ私はただそれに答えるだけで精一杯だった。


『そろそろ無料分の自己紹介タイムが終了するね』


「ほんとだ!」


『さて、もし僕で大丈夫なら日程はサイトに表示してあるから。

ご予約、お待ちしています』


何だかいたずらっぽい声で言われ、私は恥ずかしい気分に襲われた。


「今度からよろしくお願いします!」


私は思わず頭を下げた。

やはりくすくすと笑い声が聞こえる。


『うん、こちらこそ』


初めての通話が終わり、私は緊張の糸が切れたように机に突っ伏した。

初めての通話は緊張のせいかあっという間で、他にも会話があったはずなのに、まともに話した記憶が思い出せない。


今度こそ、今の気持ちを聞いてもらわなければ。

三十分で何を話したかわからないのならこの時間じゃ足りない。

私は早々に二回分、1時間で予約してしまった。



*********



『こんばんは』


「こっ、こんばんは!」


緊張で思わず声が裏返った。

ちょっとした間の後、ぶはっ!と大きな笑い声が聞こえた。


「すみません・・・・・・」


『笑ってごめんね?

いやいや初々しくて良いよ。

さて、今日は前回聞けなかった、君の彼氏のことでも聞かせてもらおうかな?』


まるで私の気持ちを知っているかのように何やら楽しそうな声で話題をふられ、うっと言葉に詰まる。

話そうと思ってこのサイトに登録したはずなのに、いざ話そうと思うと不倫なんて話してはいけないという今までのストッパーが邪魔をしてしまう。

そんな私を見通してか、


『そうだなぁ、相手はどんな人なのか、君との馴れ初めとか、Hは上手かとか?』


ぶはっ!と思わず今度は私が吹き出すと、ごめんごめんと笑い声で謝られた。


『君が好きな人はどんな人なのか、僕に教えて?』


遅くもなく早くもないのに、しっかり相手の心を掴むようなリュウさんの声が、私を話しやすいようにと手を差し伸べている。


私は、今日も横に置いているコーヒーの入ったマグカップをとり、ぐいと飲むと、意を決して話し始めた。



彼との出会い、相手は尊敬した上司であること、遙に年上なのに可愛いと思ってしまったこと、恋に落ちてしまったこと。

そんな人に認められたくて必死に仕事を頑張ったこと、そして、酒の勢いを借りて彼に迫ったこと。


それを彼は上手く短い質問をし、私が話せばうん、ほぅ、それで?と話すことを促すように心地良い相づちを打ってくれた。


リュウさんからすれば仕事で当然のことなのかも知れないが、こんなにも気持ち良く彼のことを他人に話せたのは初めてで、私は妙な高揚感に包まれていた。


『こんなに奥手そうなお嬢さんが、酒の勢いとは言え迫ったんだねぇ。

迫られた男は果報者だ』


「そ、その点は私もあの時の自分は、本当に自分だったのかと思うくらいで。

今思い返すと何でそんな凄いことが出来たのかと、ふと思い出しては恥ずかしさで穴に入りたいと思う事すらあります」


『それだけ必死だったんでしょ?』


「多分・・・・・・。

彼も、凄く途惑ったと思います。

仕事先で、それもただの部下と思っていた相手に。

こんなことに彼を引き込んだことは、本当に申し訳無いと思っていて」


『引き込んだ?』


「普通の家庭を持つ人に、不倫させてしまったことです」


『彼が、君が不倫に引き込んだって言ったの?』


「いえ、そんな事は一度も。

私を気遣っているのかと」


『うーん』


「あの、何か?」


『彼は相当仕事できる人なんだね』


なんとなく話題をかわされたような気がしたけれど、彼のことを話せるのがとにかく嬉しくて私は続けた。


「はい!

中途採用なのにもう既に幹部候補として、次は花形部署に異動じゃないかって言われてます」


『へぇ、そんなに仕事出来るならうちに欲しいなぁ』


「そういえばリュウさんは社長さんなんですよね?」


『そうだね』


「ベンチャーとかITとかですか?」


『まぁそういう系統かな』


「その、リュウさんは不倫したことありますか?」


『ん?今してるけど?』


「えっ?!」


私が思い切って質問したことが簡単に返されて驚く。

それも今不倫してるって。


『あれ?意外かな?』


「い、いえ、社長さんとか忙しいのにどうやってそんな時間をと。

ご家族も居るんですよね?」


『居るよ。子供も居る』


「お子さんも居るんですか?!」


『おや、彼は子供は居ないのかな?』


「はい、共働きでそういう余裕は無いとかで」


『ふーん、それは飢えていたでしょうに』


「はい?」


『仕事の出来る男はね、往々にして性欲が強いんだよ』


「そ、そうなんですか?!」


『割と常識だと思うけどな。

経営者とかまぁバリバリ仕事してる男は、相手にする女性が一人じゃ足りないよね』


「足りないんですか?!」


『いちいち驚いてて新鮮だねぇ』


確かに驚きすぎてしまっていた。

だって驚く内容ばかりで。

私は、すみません、と謝ると、可愛くて良いよなんて言われ、顔が熱くなった。


「リュウさんはその、不倫してどれくらいですか?」


『きっと君は僕のしている不倫が最近で、相手も一人とか思っているだろうけど、僕は結婚前からそういう女の子は数名いるし、今も進行形で二人いるよ?』


「えぇっ?!

トラブルにならないんですか?!そんな同時になんて」


既婚者と不倫した、その事にただ負い目を感じて孤独にすら思っていた私に、突然遙かに上級者が現れて驚いた。

まさかこんな人が本当に居るだなんて。


『全員、僕が既婚者で妻を愛していて妻と別れるつもりは無いということを、みな理解した上で僕の猫になった子達だからトラブルは起きないよ。

そもそも僕も相手は選ぶからね』


猫・・・・・・。


紳士そうに思えるリュウさんが話すことは驚く内容ばかりなのに、それに何故か嫌悪感は抱かなかった。

それは私も不倫をしているからかも知れないが、なんとなくそれとは違うような気がした。


「相手の女性は全員独身ですか?」


『そうだね』


「みなさん美人ですか?」


『僕は皆を可愛いと思っているよ』


「やはりモデルとかアナウンサー的なお仕事の女性ですか?」


私の質問に、耐えきれないかのようにリュウさんは笑い出した。


『きっとドラマとかそういうの影響で、僕が美人達をはべらせてるイメージを持ってる?』


「そうです」


そういうとリュウさんはまた笑い出した。

その声は楽しそうで聞いていて嫌な気分には一つもならない。

最初から彼は、私を馬鹿にするような雰囲気を感じなかった。

声だけだからなのか、余計にそういう物を感じ取れる気がする。


『おっと、そろそろ時間だね』


「ずるい!」


『逃げる気は無いよ。

聞きたいならまた今度質問においで。

でも本来君がこのカフェに来た目的である、自分の事を話すのも忘れないようにね?』


楽しそうな声で言われ、気がつけばリュウさんが知りたくて話がしたかったことに気がついた。


「はい、また1時間で予約します」


『えぇ、どうぞ』


まるで爽やかな笑顔が思い浮かぶような声で通話は終わった。


彼と食事に行く時にはいつもとてもスマートに対応してくれるけれど、なんだかそれよりもリュウさんは遙かに手練手管を知り尽くした人のようで、話しながらドキドキしてしてしまう。


「やっぱり社長さんなんだもん、お仕事出来ると女性の扱いも慣れているんだろうなぁ」


私は感心しつつ、ドキドキしている気持ちがなかなか抑えられないまま次の予定を入れた。


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