第6話



『由香ちゃんは私が妻以外の他の人と結婚するのは反対なんだね?』


「当たり前じゃない!」


『それは私が幸せになることに、怒りを覚えているって事かな?』


ゆっくりというヒロさんの言葉に、私の思考が止まる。


ヒロさんが幸せになることに私が怒りを覚えている?

まさかそんな。

私が怒りを覚えているのは、あんなに大切だった奥さんを捨てることだ。


「違う!

ヒロさんが奥さんを捨てることだよ!」


『捨てるなんて事は無い。

私は亡くなった妻だって今も愛しているよ』


「そんなの嘘!」


『私はずっと亡くなった妻を抱えたまま、一人で生きていかないといけないのかい?』


その言葉にはっとする。


混乱している頭を必至に落ち着かせ、ヒロさんの言葉を考える。


あぁそうか、私はヒロさんには亡くなった奥さんだけを思って生きて欲しかったんだ・・・・・・。


ずっと苦しみを、悲しみを抱えたままで。


私を理解してくれる、私の理想の人のままで。



そんなことを言われるまで、私が深いところでそう思っていたなんて気がつかなかっただろう。



『由香ちゃん。

君は、私がずっと妻だけを思い、悲しく生きて、それでも前を向いて歩く人であって欲しいのだと思う。

それは理解出来る。

私も妻を亡くした後は、もう誰も愛せないと思っていた。

けど時間が経つに連れ、妻を忘れるのではなく、覚えたままでも進めたんだ。

だがこれは私が妻を交通事故で亡くしたからかもしれない。


由香ちゃんのように、お姉さんを殺されたり、お母さんが自殺したりという、私より遙かに若い時に遙かに大きなものを味わった君とは比べることは出来ない』


静かに話すヒロさんの声を、私は少しぼんやりと聞いていた。


『実は友人の一人にこの事を打ち明けたんだ』


「・・・・・・うん」


『同じように、裏切られた、と言われたよ』


「え?」


『お前はずっと彼女だけ思って必死に頑張ってると思っていたから、助けようと思えた。

でもその端では他の女を考えていたんだな、自分だけ幸せになるつもりだったんだなって』


言葉がない。


しかしそれはさっき私によぎったものと同じだ。

そう、なんでヒロさんだけ幸せになるの?と思ったのだ。


『彼からすれば、可哀想な私が良かったんだ。

それを助けている自分が良かったんだろう。

もちろんそれが全てだとは思っていないんだけどね。

遺族ならずっと悲しんでいるべきだという固定概念もきっとあったのだろう。

まぁ仕方のないことだ』


その声はとても寂しそうだった。

きっと、ちゃんと進めているのだと、ただ喜んで欲しかったのに、そんな風に返されて、ヒロさんはどんなに傷ついただろう。

私も先ほど言ってしまった、同じような事を。


お祝いすべきなんだろう、でもそう簡単には気持ちが切り替えられない。



『由香ちゃん』


「・・・・・・うん」


『君はまだ若い。本当に若い。

なのに他の人が味わわないほどの悲しみと苦労を経験してきた』


「うん」


『でもね、自分で悲劇のヒロインになってはいけない』


「そんなつもりないよ!」


『自分ではね。

でもね、自分で幸せになるのが怖い、今までの自分が変わるようで怖い、というのはあると思うよ』


どうなんだろう。

そんな事を考えた事が無かった。

ずっと私はこれ、だったのだから。


『きっと部署も移動して君には新しい風が吹き出した。

それをただそうなのだ、で済ましてははいけない。

もっと良い方向へ、君自身からも歩いて行かないと。

これまで、生きていくのにただ必至だったと思う。

でもこれからは自分を大切にして、幸せになる道を頑張って探して歩き出して良い頃だと思うよ』


「そんな」


『怖がってはいけないよ、由香』


少しだけ厳しい声。

私は初めて聞くヒロさんの声にびくりした。



『いいかい?

こんなネットの世界で少しの時間だけ巡り会ったけど、もしかしたら、私は君の背中を後押しするために、お母さんやお姉さんから託されたのかも知れない。

お父さんの代わりに叱って欲しいと。

そういう風に考える事は出来ないだろうか』


「お母さんと、お姉ちゃんが?」


『心配するのは当然だ、大切な娘、妹のことが。

こんなにも由香は良い子なんだから』


段々いつもの優しいヒロさんの声が耳に届き、私は涙が出てきた。


「私のせいで成仏できてないのかな」


『そういう訳じゃ無い。

私なら家族として心配で仕方ないだろうと思ったんだ』


「心配されてるのかな」


『もちろん』


間髪入れず、自信を持ったヒロさんの声に、何故か笑ってしまった。


「私、自分の幸せとかあまり考えたこと無かったの。

むしろ幸せなんて無いと思ってた。

辛いことばかりだし、なんか一杯一杯で」


『そうだよね』


「でも・・・・・ヒロさんですら若い彼女が見つかるのなら、私も誰か、見つかるのかな」


『何気に酷い事を言われてるねぇ。

でもね?案外人は見てる。

この私にも由香ちゃんは本当に良い子だとわかる。

だから、せめて一歩、自分だけのために、我が儘だなと思う事をしてごらん。

由香ちゃんはきっとそれくらいでも足りないくらいだ』


「そんなに褒めても何も出てこないよ?」


『私は正直に言っているだけだよ』


笑いを含んだ声に、私は何だかさっきわだかまっていた気持ちが少しずつ和らいでいた。


『これで由香ちゃんともおしゃべりも終わりだね』


時計を見ればあとわずか。

これで私はもう二度とヒロさんと言葉を交わせなくなる。

苦しいけど、後悔しないようにしなきゃいけない。

ヒロさんが進むその背中を少しで追いかけられるように。


「私、ヒロさんに出逢えて良かった」


ただ素直な気持ちを伝えた。


『私もだよ。

娘がこんなに可愛かったら、正直、結婚して欲しくはないな』


ため息混じりに言われ、私は笑う。


「ヒロさん」


『うん、ありがとう』


「幸せになってね」



『うん。

由香ちゃんも幸せになるんだよ』


「あのね」


『ん?』


「最後はいつもの親子ごっこじゃなくて、普通に終わりたいの。

良いかな」


『うん・・・・・そうだね、そうしよう』


「・・・・・・ヒロさん、お休みなさい」


『うん、お休み。

由香ちゃん、幸せになるんだよ、目一杯ね』


「・・・・・・はい!」


少し震える手でマウスを握ると、私から通話終了ボタンを押した。


名残惜しい気持ちでヘッドフォンを外すと、少しだけ目が潤んで画面がぼやけてきた。

もうあの人と話すことは二度と出来ない。

母と姉がきっと巡り合わせてくれた人。

その人が幸せになれという言葉は、母と姉の願いなのかも知れない。


「とりあえず、今度のお休みにウィンドーショッピングでもしてみようかな」


私は、母と姉の仏壇に今日の出来事を報告に行こうとパソコンの電源を切り、椅子から立ち上がった。


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