第5話
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週が開けて月曜日、私は違うフロアの違う部署に異動した。
そこは初めて移動した部署で男性が多く女性の人数は少ないのだが、男性と肩を並べバリバリ仕事をしていた。
以前の妙にだらけモードで女性ばかりでつるんでいた部署とは違いすぎて驚く。
でもこの新しい部署は変な女性同士の気遣いが不要で仕事に打ち込めば良いので、本当に気が楽だった。
しばらくして残業のあったある日、部署に残っている人達にお茶でも出そうかと他の残業している数名にリクエストを聞いて給湯室に向かっていた時のことだった。
「渡辺さんって子、そっちの部署にいるんでしょ?」
突然耳に飛び込んできたのは、あのお局の声だった。
なんで前の部署とは全くフロアの違うここにいるのだろうか。
私は慌てて、声だけ聞ける場所に身を隠した。
「あの人、私に酷い事して飛ばされたのよ、聞かされてる?
聞かされてないわよね、そっち大丈夫なの?」
呆然とした。
お局が話しかけている相手は同じ部署の女性だった。
新しくこの部署でやっていけるかと思ったのに、こんな事が起きていたなんて。
「大丈夫って何が?」
部署の女性が不思議そうに返している。
私は怖くて仕方なかった。
どうしよう、お局のせいで誤解されてしまうのでは無いだろうか。
自然と身体ががたがたと震えていた。
「なんていうの?あざといじゃない、あの子」
その言葉に、私は手を握りしめ、給湯室の外で固まった。
何もあざといことなんてしたことないのに!
どうして、どうしてあの人は私をそんな風に嫌うの?!
苦しさで俯いた時、目の前に男性の靴が見え、私は驚き顔を上げた。
そこには同じ部署で私より年齢が上の男性が人差し指を口に当て、給湯室の入り口から死角になっているこの場所で給湯室に視線を向けた。
私は怖くなった。
お前の事は知っているぞ、酷いヤツなのだろう、という証拠でも押さえたいのだろうか。
もうこの会社にいる人全てが私の敵、私の事を嫌っているように思える。
だって、私を守って得する人はきっと誰もいないのだから。
「あざとくなんかないわよ、ほんと素直で良い子よ?渡辺さん」
私は顔を上げた。
同じ部署の女性の言葉が私には信じられなくて、聞き間違いかと思った。
「まだ移動してきたばかりだもの、あの子の本質はわからないわよね。
騙されないでって言いたかっただけ、心配だから」
「あら、私、人を見る目はあるのよ?
ところで何の用事でわざわざこのフロアに来たの?」
「え、あぁ、あの子が私の悪口を勝手に言いふらしているじゃないかと気になって。
言ったでしょ?あざとい子だから。
親に捨てられて、家族もいないってお涙頂戴の迫り方してたら困るでしょ?」
「ふぅん、何も聞いてないわよ。
それに彼女のプライバシーを簡単に話すのもどうなのかしら。
で、用が終わったんならもういい?
私飲み物作りに来たんだけど」
「え、えぇ。
とにかく気をつけてね」
呆然としていたらその男性につつかれ、給湯室から出てくるお局に会わないように一歩下がった。
顔は見えなかったが、遠ざかる彼女の足音から非常に不機嫌だということがわかった。
「渡辺さん」
「あっ、はい!」
未だ起きたことが信じられなくて途惑っていると、その男性から声をかけられた。
「ごめんね、僕の分のお茶もお願い出来る?」
そう言って彼は笑った。
「・・・・・・はい」
私は何故か涙が溢れていた。
あのお局に酷い事を言われても泣かなかったのに。
そこに給湯室から先ほどお局と話していた女性が出てきて、私が泣いているの見ると驚き、男性に泣かせたのかと問い詰めだした。
私は慌てて理由を話した。
何もその男性は悪くないと。
そして二人に向き合うと、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
だって嬉しかったのだ。
「お礼言われることなんてしてないわよ?」
そういって軽快に笑う女性を見て、私はまた涙が溢れてきた。
それを見て、その女性が苦笑いして私の背中を撫でてくれた。
その手は服越しなのに温かさが伝わるようで、私は泣きそうになりながらまたお礼を言った。
まさかこんな事が起きるなんて思わなかった。
たった部署が移動したくらいで何かが変わるなんて。
私はようやく何かが動き出した気がした。
*********
『良かったねぇ』
「うん」
私はあの奇跡のような話をヒロさんに真っ先に報告した。
かなり熱っぽく話してしまい、喉が渇いてしまうのも忘れて話した。
宿り木カフェの回数券は残り2回。
せっかくなので1時間にして今日で最後にすることにした。
二回会えるチャンスを一回に決められたのも、会社での出来事が大きかっただろう。
「他の部署に異動したことは以前もあったし、別に部署が移動してどうこうなるなんて思ってなかった」
『それは珍しい方かもね』
「あの後も、部署の人優しいの。
怖いなって思った男性も、話すと優しくて」
『おや、気になる人でもできたかな?』
からかうような声に、私は本音を言った。
「気になる人はできたけど、でもね、やっぱり怖いの」
『怖い?』
「お姉ちゃんの事があったから」
『あぁ、そうか・・・・・・』
姉のことがあってから、男性というものが正直言えば信用出来なくなっていた。
姉も最初は優しい人だと言っていたし、法廷で見た最初の印象はとても暴力をふるいそうな男には思えなかった。
優しい人だと信じても、急に変わることだってあるのかもしれない。
そう思うと、結婚、いやそもそも彼氏を作ることも怖くなっていた。
『由香ちゃんは私をどう思う?』
「どうって?」
『優しい?怖い?』
「もちろん優しいよ!」
断言した。
こんなにもわかり合えた人は初めてだ。
そしてこんなに気持ち良く話せた人は初めてだった。
『もしかしたら、これは全て演技だと思った事は無いの?』
「えっ?」
急に思っていないことを言われビクリとする。
声がいつになく低く、冷たいように聞こえ、私は不安になった。
だってそんなこと思いもしなかったから。
こんなに何度も話したんだ、ヒロさんが演技をしている訳が無い。
そう思うのに、そんな風に言われたら自信が無くなってきてしまう。
だって私には人を見る目なんてものを持っているかなんてわからない。
『由香ちゃんはまだ若い。
お父さんもいなかったし、お姉さんの事もあるから、あまりに男性を見る目というか判断する材料や経験が少なかったり偏ったりしすぎていると思う』
「うん・・・・・・自分でもそう思う。
なんかもう私、一生一人で過ごしてもいいや」
あんな怖い人にひっかかる可能性があるのなら一人の方が良いと思う。
あのしっかりしていた姉ですらあんな酷い男を選んでしまったんだ、私にはまともに選べる自信が無かった。
『・・・・・・私はね、再婚しようと思っているんだ』
「えっ・・・・・・」
突然の話に私は言葉を失う。
再婚?
それってあんなに大切だと言っていた亡くなった奥さんを捨てるってこと?
『会社で知り合った人なんだけどね。
彼女は中途採用で私よりかなり若いけど、彼女のひたむきさに気がつけば心を動かされてしまって。
以前から交際を申し込んでいて、やっと少し前にOKをもらって交際を始めたんだ』
さっきからヒロさんは何を言っているの?
そんな事をして、奥さんの記憶は、奥さんへの愛はどうなるの?
『もう年齢も年齢だし、彼女との事は曖昧にせずに早くきちんと結婚について話をしようと思ってる』
「・・・・・・奥さんは?亡くなった奥さんは?
あんなに素敵な人はいないって私に話していたのは嘘だったの?!」
『いや、本当だよ』
「なんでそんなに大切だった人を忘れて他の女性を好きになれるの?!
おかしいよ!奥さんが可哀想だよ!!!」
「由香ちゃん・・・・・・」
裏切られた。
裏切られたんだ、私は。
同じ苦しみを味わって、そして私の事を理解してくれる人に出逢えたと心を許していたのに。
しかしヒロさんは私に妻のことが大切だと言いつつ、裏では他の女性を愛していたなんて。
本当だ、私に男性を見る目なんて全くないじゃない。
信用して心を開いていた相手からの裏切りにあうだなんて。
ここは心を休める場所じゃなかったの?
酷い。
ヒロさんも私を本当は見下したりしていたの?
人を愛せない可哀想な子だって。
私はそんな気持ちが溢れて飲み込まれそうだった。
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