第4話



*********



『おかえり、由香ちゃん』


「ただいま。でも今日は仕事に行ってないの」


『え?』


「というか数日前から会社行ってない。

あ、辞めたんじゃないの。

一応今週末まで休みにしたの」


『何か、あったのかい?』


本当に心配している声に、久しぶりに緊張感が緩む。

こんなにも自分を大人が心配してくれる、それはとても私の心を落ち着かせてくれた。



私はお局に言われたこと、それを言い返せなかったこと、会社で倒れて検査入院したこと、上司から少し休むように言われたことなどを話した。


話しながらヒロさんは、優しい声で相づちを打ってくれた。





『そうか・・・・・・。検査結果は?』


「一応大丈夫だったよ。

血圧低いとか、貧血気味だから食生活きちんとしなさいって言われたけど」


『それは良かった。

食生活に関しては私もメタボだと会社の健康診断で言われたばかりだよ』


「ヒロさんってお腹出てるの?」


『出てるよ。おもいきりおじさんだと思うよ?

由香ちゃん、もしかして何か勝手に格好いいと想像していたんじゃないかい?』


「うん、ダンディーな感じかなって」


『きっと由香ちゃんの想像と現実は相当に乖離していると思うね。

いやぁ想像って良いように変換してくれるものだ、ありがたい』


真面目な声でそんな事を言うヒロさんに、私は笑ってしまった。


あぁ、ヒロさんと話し始めてから私、ちゃんと笑えている。

私はヒロさんに聞いてみることにした。



「疑問なんだけど」


『うん』


「お局は何でわからないのかな。

どうしてあんな酷い事、言うのかな。

きちんと考えてみれば、相手がどう思うかなんて分かると思うのに」



疑問だ。

なんであんなにも身勝手な人間がいるのだろう。



私の投げた質問から少し間があって、そうだなぁ、とヘッドフォンからヒロさんの声がする。


『簡単にいってしまえば可哀想な人、なんだよね』


「可哀想な人・・・・・・」


『想像力、共感力っていうのかな、そういうのが欠落しているんだろう。

彼女の中では彼女の考えが正義で、彼女が自分の言動や行動をおかしいと思う事はまず無いんだ。

由香ちゃんは彼女からすれば、その、こういう言い方は良くないとは思うんだが、見下しやすい便利な相手だったんだよ』


少し躊躇したようなヒロさんの声に、私は、気にしないで話して、と伝える。

それは薄々というか分かっていたけれど気づき無かったことだから。


『彼女としては、自分は他の人より大変で辛い状況にいる、と言って他の人より上の立場になりたいんだ。

ところが由香ちゃんが予想外に苦労している事を知ってしまった。

それでは自分より上になってしまう。

だから、あの子は悲劇のヒロインぶってる、とか言って下になるように誹謗中傷しだすんだよ。

そうしないと彼女のプライドが傷つくからね』


「・・・・・・あぁ、うん、ほんとそうだと思う」


『そういう人間はね?

例えば家族を亡くしたばかりの人間に、早く立ち上がれ、弱い人間だとか平然と言う。

でもいざ自分がそういう立場になれば、それはもうこの世の終わりのように叫んで回るのさ。

何でだと思う?』


「初めて苦しみを知ったから?」


『そうだね、それもある。

でもそういう人間はそういう事があると、自分は特別な人間になれた気がするんだ』


「どういうこと?」


『こういう悲劇をうけた自分は特別なんだと、錯覚するんだよ。

だって、みんな優しくなるからね。

ある意味一気に注目を浴びる。

だから何をしても、何を言ってもいい、と思いやすいんだ。


そしてそれを周囲に当然のように振りかざす』


「身勝手じゃない、そんなの」


身勝手すぎる。

私はそんな事で注目を浴びたいなどと思った事は一度も無い。

むしろ目立ちたくなくてひっそりとしているつもりだ。


『ようはね、元々自分に自信が無いんだよ、彼女は』


「私だって無いよ?」


『由香ちゃんは自分の足でしっかり人生を歩いている。

その歳で色々な事を抱えているのに。


でもそういう人間は何か他人に胸を張っていられる事が無いから、自分に悲劇が起きた時、自分はとても可哀想な人であることが、自信になるんだよ』


「そんなの」


馬鹿馬鹿しい。


私は言葉を続けた。

なんで悲劇や悲しみが、自分に自信を持たせることになるのだろう。




「悲劇や悲しみで得る自信なんていらない」



周囲に言われるのだ、21歳とは思えない、しっかりしてるって。


自分で好きでこうなった訳じゃ無い。


生きて行くにはそうするしか無かっただけだ。


だから同じ歳の子が脳天気に遊んで、親のことを馬鹿にしたり、それでいて親の拗ねかじって生きている姿を見ると、自分は必死に生活をやりくりして、周囲の冷たい目にも耐えて生きているのが馬鹿馬鹿しくなる時だってある。



私だって、そちら側に行きたかった。



『本当だね・・・・・・』



これは経験したことのある人しか分からない事なのだろう。

ヒロさんの声はそういう雰囲気を感じさせた。





「お局、変わることは無いのかな」


『無理だと思うよ。

それにね、こういう時は相手を変えようではなくて、自分が変わる方が早い』


「だってむかつくんだもの」


『うん、むかつくね』


「それでも私が変わらないといけないの?

部署も私だけが変えられるんだって。

お局はそのままなのに」


『そりゃぁ会社としては移動して間違いなく文句を言う彼女より、若い由香ちゃんの方が変えやすいよね』


「あの人、仕事が凄く出来る人では無いのに、会社からすれば私より少し長く居るってだけで私は下になるんだね」


『よほど人を切ることに慣れてる会社じゃなければ、どの会社でも無理だよ』



「結局私が変わらないとダメなんだ。

なんか納得いかない」


間違いなく彼女の方が間違っているのに。


お局のことを本当は嫌がっている人も多い。

でも誰も何も言わない。

波風をこれ以上立てないように、やはり自分が変わるしかないのだろうか。


『例としてはあまりよくないけど、この道を進みたいのに目の前に大きな穴がある。

向こうに行くには遠回りの道しかない。

由香ちゃんは目の前の穴を埋める方を選ぶ?

それとも遠回りになるけど穴の空いていない他の道に行く?』


「そりゃ他の道行くけど・・・・・・」


『納得出来ないのはわかるよ。

でもね?先に進むには、そういう相手をかわすことも必要なんだ』


「結構色々頑張ってるけどな」


『そうだね由香ちゃんは頑張ってる、十分なくらいに』


わかっている。

今までそうして生きてきたのだ。

正面から訳の分からない人間にぶつかっても意味が無いことぐらい。

でも何度も何度もこちらが耐えたり頑張って道を変えれば、愚痴くらい言いたい。



「こういうのをね、友達には話せないの」


『うん』


「最初はあんなに何でも話してって言ってたのに、しばらくするとまだ落ち込んでるの、って面倒そうなのがわかりやすく伝わってきて」


『私の時もそうだったよ』


「やっぱり?」


『入院先に会社の人事部の担当者が、ところでいつ復帰ですか?って聞きに来たよ、体重が落ちて点滴でなんとか生きてた私を見ながらね』


「殴ってやりたい、そいつ」


『ありがとう』


はは、という笑い声に、どれだけの苦しみをヒロさんは一人で乗り越えて来たのだろうと思った。


「きっと会社に戻っても、またお局、私の悪口を言いふらしていそう」


『うん、その可能性は高いね』


「どうしたらいいかなぁ」


『どうもしなくて良いよ。

あぁいう人間とは関わるべきじゃない。

ひたすら接触は最小限に。

せっかく部署も変わるんだし。

嫌な話が聞こえてきたら、可哀想な人だなって心底哀れめばいい』


「そっかぁ、それしかないのかぁ」


結局私がまた我慢し、かわす日々が始まる。


でも今の会社は私の学歴にしては給料は悪くない。


これがせめて短大でも出られていたら違ったのだろうが、うちの財政状況では諦めざるをえなかった。


ふと入院するときのことを思い出した。


「そうそう、入院した時、身元保証人書けって言われたの。

家族も親戚も誰も居ないって言ったら、看護師さんがかけあってくれたみたいで無しで済んだよ。

今度入院する時も言われるのかな、ダメだと入院できないのかな」


『あぁ、昔よりは厳しくなくなったなんていうけど、病院も金を取りっぱぐれたくないから、保険が欲しいのはわかるんだけどね』


「その人が払うとは限らないじゃない」


『書かせることに意味があるんだよ』


「変なの」


『昔からのやり方をそう簡単には変えられないからね』


私は側に置いていたコーヒーを飲みながら、その後もひたすらヒロさんとしゃべった。


今日は一時間だから沢山話せるなんて始まる時は思ったけれどあっという間。

結局終わりに感じる、この寂しさはいつでも一緒だ。

むしろ回数を重ねるにつれて大きくなっている。




『そろそろ時間だね』


「うん・・・・・・」


『そろそろ残り回数もわずかだよね』


「うん。またヒロさんを指名出来れば良いのに」


『ここは同じ人間は二度とスタッフとして対応しないようになってるけど、それが良いんだよ。

あくまでここはお茶でも飲みながらスタッフと話して一休みする場所だからね』


「うん・・・・・・」


『ほらほら、これが終わったら早く寝るんだよ?』


お父さんがいたらこうやって注意してくれるものなのだろうか。


「寝る、多分」


『困った子だね』


こうやって困ったような声が聞けるのが嬉しい。

親を困らせたい子供というのはこんな感じなのだろうか。

困らせて、それでも構ってくれるとその愛情を感じるために。


だけれどここは金銭で成り立つ場。

親が子に示す愛情では無い。

わかっているからこそ、その優しさが寂しい。


「なるべく早く寝るよ。

じゃぁまたね、お父さん」


『あぁ、お腹を出さないで寝るんだよ。

風邪なんて引いたら心配で眠れなくなるからね』


少し笑いを含んだ声で、通話は切れた。




私はヘッドセットを頭から外し、コーヒーの入ったマグカップを持ち、一口飲んだ。


終わった後は満足感と、そして寂しさがいつも襲ってくる。


あくまでここはカフェ、休憩する場所。

ずっと居座る場所では無い。


わかっていても、この寂しさは簡単に消えなかった。


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