第3話


*********



「渡辺さん、今度の会社のイベント、参加で良いのよね?」


仕事中、お局さんが私のデスクにやってくると、にこにこと話しかけてきた。


「すみません、その日は休みを頂いていて不参加なんです」


そう私が答えると、あからさまに不愉快そうな顔をした。


「え?不参加?

せっかく社内の交流を円満にしようという部長からの提案なのに不参加なの?」


知っていますよ、人を集められなかったら貴女の評価が落ちるから、それを怯えて必至に人を集めていることくらい。


そんな気持ちを押し殺し、私は静かに答える。


「その日は墓参りなんです」


「あら、どなたの?」


そんなこと聞かないで、そうなの、とか言ってやめておけば良いのに。


でも、答えたら彼女がどんな反応をするのだろうか。

私は答えを返してみることにした。


「母と姉の、です」


「あ、あら・・・・・・」



わかりやすいほどに、お局の顔が困惑の色を浮かべている。



「で、でも、お父様がいるんでしょう?」


「父は私の物心付く前に離婚したのでいませんし、どこにいるのかも知りません」


お局の表情が凍り付いている。

私はただ淡々と話した。

もしかしたら睨んでいたのか、それとも笑みでも浮かべていたのか。


そんなことまで、この人に気を使う必要も無いと思っていた。



「そうそう、次の人に確認取らないといけないから!

お仕事邪魔してごめんなさい!」


そう一気にまくしたてると、お局様は足早に立ち去った。



いい気味だ。

これで少しは自分の考えが浅はかだと思い知ればいい。

私は彼女がこれで少しは良い方向に変わるのではと、淡い期待を持っていた。










「渡辺さんの、私不幸なんですって雰囲気、あまり良くないんじゃない?」



数日後、昼休憩も残り時間もわずかなので歯を磨こうとトイレに入ると、鏡を陣取っていたお局に開口一番そんな事を言われた。


私は突然訳の分からない事を言われ、その場に立ちすくむ。



「家族いません、アピール、同情を買いたいのもわかるけど、それじゃ人として成長しないわよ?

きっと天国のお母様達も嘆かれているわ」


彼女の顔は、心底私を哀れんでいた。


私は呆然としたまま、彼女が取り巻きと一緒に私の横を通って立ち去ろうとしているのに、何かを言い返すことも出来なかった。



苦しい。



どくどくどく、と酷い心臓の音が身体中に響き渡り、腹の奥底から何かが沸き上がり、吐きそうになる。





・・・・・・何も、何も知らない癖に!!!!!





私の中の何かが切れた。



必死に、必死に我慢してここに勤めてきた。

姉が、母が亡くなってもしがみついていた正社員というこの仕事に。


でも、もう無理だ。





私はトイレを出ると、もの凄い足音を立てて席に座って隣の同僚としゃべっているお局の側に行き、鬼の形相で見下ろした。


「あなたに何がわかるんですか?

家族を殺されたことでもあるんですか?

血まみれの親の遺体を見たことがあるんですか?

私が墓参りで行けないと言ったら、貴女がしつこく聞いてきたから答えただけでしょう?


つい数日前まで私を苦労知らずだって笑ってて、家族が居ない事を知った途端、私は不幸面してるって何ですか!

一体どんな頭してるんですか、貴女!?


少しでも・・・・・・私の苦しみを味わってみろ!!!!」


泣きながら私は喚いた。



・・・・・・そう、叫びたかった。



そんな風に、あの女に言えたのならどんなに良かっただろう。





必死に今まで我慢していたことが、あんな女のために全てを失うなんて馬鹿な事、してはいけないと、もう一人の私が必死に引き留めた。



なんで私はこんなに苦しまなくてはいけないのだろう。


神様、私は何かそんなに悪いことをしたのでしょうか。


楽しい事なんて、幸せな事なんて私には何も無い。




私は呼吸が苦しくなり、段々息を吸い込めず、意識が朦朧としてきた。


誰か助けを呼ばなければ。


だけれどその意識を保つことも出来ず、そのまま気を失った。



*********



目が覚めたのは病院のベットの上だった。

あぁそういえば先日ヒロさんも話していたな、気がつけば病院のベットだったって。

ぼんやりと思い出すのはそんな事。


そして先ほどまで起きていた事を段々と思いだし、涙でも出るのかと思ったけれど、やはり涙が出ることもなく、私はただぼおっと天井を見ていた。



「渡辺さん入りますよ」


女性の声がしてゆっくり視線をそちらに向けると、看護師がカーテンを開けて入ってきた。

看護師は何かを手に持ったまま、


「会社で倒れられたのでこちらに搬送されました。

診察した医師が、頭を打っているようなので検査入院して欲しいとのことなのですがどうされますか?」


「・・・・・・明日、退院出来ますか?」


「はい」


「ならお願いします」


そういえば会社でいつも簡単な健康診断をするだけだ。


脳なんて見てみてもらった事も無いし、きちんとみてもらうのもいいかもしれない。

健康保険がきくといってもそれなりの出費は出るだろう。

予想外の出費は正直痛い。

だが、あまりに疲労していて、このまま家に帰ってもまた倒れそうで怖かった。

帰っても一人だけ。

きっと会社の人が心配して警察に連絡してくれるなんて事は期待できそうに無い。



「では入院の手続き書類にご記入をお願い致します」


私はだるい身体を起こし、目の前に差し出されたその書面を見て、渡されたボールペンを持つとゆっくりと記入し始めた。


しかしある場所で書くのが止まった。

そこは身元保証人という欄だった。


「あの、ここに書かないと入院できませんか?」


「・・・・・・もし一人暮らしでしたら、ご実家でも構いませんよ?」


「いえ、家族が誰もいないんです」


そう返しても看護師は特に表情も声も変えなかった。


「ではご親戚を」


「いえ、いません、誰も」


私の言葉に、看護師が黙る。

彼女は特に眉間に皺を寄せることもなかった。


「わかりました。

検査入院ですし、この書類で大丈夫か入院窓口とかけあってみます」


「お手数かけます」



淡々と看護師はそう言うと、書類を持って出て行った。


「家族や親戚が居ないと入院すら出来ないなんて、世知辛い世の中だなぁ」


家族がいないことでの不利益は沢山受けてきた。

今の会社に入る時に、身元保証人を書かされた。

その頃は母が生きていたので良かったが、会社もその後を知って特に何も言ってこない。

もしも誰もいなかったとしたら、どうなっていたのだろう。




「ヒロさんと話すのが今日や明日じゃなくて良かった。

連絡しないで出なかったら、心配してくれたかな」


私はそう呟いて毛布を頭まで被った。

泣きたいのに、やはり涙は出なかった。






翌日、事情を知っている上司が見舞いに来て私から事情を聞くと、少し黙った後、数日休んではどうかと提案された。


無給になるのに会社側から休めなんておかしな話だ。

その間に会社側があのお局に説教をするなんて事はありえないだろう。


上司は居心地悪そうに私と会話をするのを悩んでいたようだが、部署を移動して心機一転するといいと言い出した。


なんでお局が移動するんじゃなくて、私が移動なの?

なんで私だけが悪いみたいな感じなの?

そう思うのに抵抗する気力は失せ、二度と顔を見たくなかったので私は、上司の提案をどちらも承諾した。


もう心から疲れていて、何かを深く考えることなんて出来なかった。




私は家に戻り、早々に『宿り木カフェ』の予約変更手続きをした。

明日の30分の予定を二回分合計一時間に出来ないかと。

本来こんな直前の変更は出来ないが、相手のスタッフがOKすれば可能になる。

私はダメ元で返信を待った。



朝起きるとメールボックスには『宿り木カフェ』からのメール。

中を見れば、一時間に変更できました、との内容を見て安堵した。



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