第2話
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「ポンポンポン!」
パソコンから音がして、私は我に返ると慌ててそちらに向かう。
この音は相手がログインして待機しているのを知らせる音だ。
今日は夜の9時から30分間の予定。
これが今、私の唯一の支えになっていた。
『宿り木カフェ』
-「このカフェで少し心を休めてみませんか?」-
というキャッチフレーズの書かれたサイトを見つけたのは、一ヶ月ほど前のことだった。
心が辛い、心を休めたい、愚痴を聞いて欲しい、そんな言葉をネットの検索欄で打ち込んでいたら、このサイトに行き着いた。
『宿り木カフェ』なんて名前がついているが、ようは話を聞いてもらう『客』と話を聞く『スタッフ』を繋ぐ変わったサイトだ。
それも、客は女性のみ、スタッフは男性のみという事で、一瞬怪しいサイトなのではと思ったけれど、色々注意書きを読んで気がつけばお試し通話をしてしまっていた。
本来の私なら怪しくて踏み出さなかったかも知れない。
でも、何かにすがりたい、聞いて欲しいと必至に思っていた。
それほどに私は疲れていたのだ。
そのカフェを使うにはまず会員登録が必要で、何を話したいか、どういう現状なのかという事を記入し、どのようなスタッフを希望するのか記入する。
サイトの注意書きには、スタッフは必ずしもご希望に添えるわけではありません、との注意書きがあったのだが、
『50代くらいの人、家族を事故か事件で無くしているけど穏やかな人』というリクエストをつけた。
そして今、私はネットの向こうにいるこの人と話すのを心待ちにしている。
私は時計を見て、昔から使っているお気に入りのマグカップに入れたコーヒーをパソコンの横に用意し、ヘッドセットをつけた。
『お帰り、由香ちゃん』
「ただいま~」
9時のスタートと同時に、優しい声が私の耳に届く。
私はその声にホッとしてようやく力が抜けた。
本来ここではニックネームでも良いのだが、話すうちに本名で呼んで欲しくなって本名に変更した。
今ヘッドセットの向こうから聞こえる声の主は50代会社員の人で、奥さんを数年前交通事故で亡くしたのだと最初の自己紹介で聞いた。
子供はおらず、一人暮らしとの事だった。
この『宿り木カフェ』の利用には色々なルールがある。
①利用は一回30分を20回まで。
初回は30分自己紹介として無料分がついてくる。
20回以降の利用は新たな申請となり、同じスタッフを指名することは絶対に出来ない。
②お互いのプライベートな連絡先の交換、及び会う等のこのサイト以外での接触行為は禁止
あくまで一時やすらぐだけの場所、このカフェに、そしてスタッフに依存させないようにする為との事だった。
『さて、今日は会社で何かあったのかな?』
「え?わかるの?」
『うん。ただいま、の声の雰囲気が凹んでいる時のだった』
ははは、という笑い声に、私の心がほわっと温かくなる。
いまこの向こうには、私の事を心配してくれる人が居るなんて不思議だ。
会ったことも無い人なのに。
「昼休み、うちは同じ部署の女性全員でご飯を食べるんだけど、そこでお局さんが私のことを平和そうだの、苦労してないよね、とか一方的に言ってきて」
『それはまた、おつむの弱そうな女性だねぇ』
心底呆れたような声に思わず笑いがこみ上げた。
「自分は不幸、苦労してるってのをアピールするの。
でもノロケを言いたいんでしょ?って思う事も多くて」
『うん』
「私の事、何にも知らないのに。
不幸自慢なら私、あの会社の誰にも負けないと思う」
『不幸自慢大会か、殺伐としそうだなぁ』
だよねーと返し、私は続ける。
「私の事情を話したら、知らない人は絶対みんな引くと思うの。
別にどうして欲しいわけでも無ければ、同情が欲しいわけでも無いし。
暗い顔してても仕方ないから普通に振る舞ってるだけなのに、なんでこんな言われかたをしないといけないんだろう。
仕方なく話す時もあるけど、みんな聞かなきゃ良かったって顔するよ」
そうなのだ。
興味本位なのか、何があったのかとか、ご両親は?とかしつこく聞いてくる人がいる。
だから仕方なく事情を話したというのに、話してその後に広がる空気の重いこと。
そんな重い話を聞くつもりじゃなかった、そうなら話してくれなければ良かったのにと責任転嫁するような言葉すら言われたこともある。
別に私はあなた達に、何も望んではいないのに。
『無理だよ、大抵の人は特殊な不幸に慣れていないから』
「年とってる人でもだよ?」
『もしもそういう経験があったとしても、同じような境遇の人に上手く対応出来るかは別だからね』
「情けないな、それ。
空気読んでそれ以上突っ込まないで欲しいのに、聞くだけ勝手に聞いておいて、言わないで欲しかった、みたいにされるの腹が立つよ」
『よくあるよねぇ』
「ヒロさんにもやっぱりあるの?そういうの」
今相手をしてくれている人は、ヒロさんというニックネームだった。
本名から取っていると教えてくれたけれど、名字からか、名前からはわからない。
『それはあるよ。
今でも仕事の相手先とかで、ご家族は?奥さんはこの飲み会怒りませんか?とか。
そもそも無理矢理誘っておいて奥さん怒りませんかって質問も意味が分からないけど。
知ってる部下があわあわしていて申し訳ないくらいだよ』
「どう返すの?」
『妻は事故で亡くなって今は独り身なのでって言うよ。
だいたいへらへらしてた相手の顔が凍り付くね。
今はそれを苦笑いしながら言えるだけの余裕は出来たけど』
「・・・・・・奥さんが亡くなった当時はどうだったの?」
『そうだなぁ・・・・・・いわゆる抜け殻、だったよ。
なんせ目の前で妻が轢かれたからね。
今でもその時のことは鮮明に思い出せる。
事故の後、妻の葬式とか色々自分が一人で動いてこなしたんだけど記憶にないんだよね。
会社も葬儀の翌日何故か普通に行っちゃったけど、少ししてからガツンと落ちて、食事もせずまともに寝ることもせずに過ごしてしまって。
気がつけば病院のベットの上だったよ。
会社が私の無断欠勤を心配して警察に連絡して、警官が家で倒れている私を見つけてくれてねぇ』
「うわぁ・・・・・・。
会社の人が連絡してくれて良かった。
確かに私の時もとりあえず仕事は行ったけど、当時のことはあまり記憶無いなぁ」
『普通に過ごしてしまったりするから、周囲は割と平気なんだ、大丈夫なんだと誤解しやすいよね』
「そうそう!
後で友人達にも、お葬式でもしっかりしてたよ、なんて言われたけどあまり記憶無いし。
色々な事があったその時は友人も優しいけど、段々私がどういう状態になったのか、本当はみんな忘れている気がする」
『むしろ、いつまで過去を引きずっているんだ、なんて言われたり』
「そうなの!」
このやりとりが本当に嬉しい。
こんなこと、誰にも話せなかった。
それを理解して、同じ苦しみや切ない思いを味わい、同じ感覚を持った人と話せている、それがただ嬉しかった。
『そろそろ時間だね』
気がつけば9時半まであともう少し。
スタッフとの都合が合えば一時間というのも出来るが、それは事前予約が必要だ。
もう少し話したい。
いや、もっと話したい。
30分なんてあっという間だ。
「また次の予約入れるね」
『うん、さっき日程を更新したからサイトを確認してね』
「じゃぁ、お休みなさい、お父さん」
『あぁ、ゆっくりお休み、由香』
画面に通話終了の文字が出る。
通話が終わる時はいつもこうやりとりをする。
父にお休みを言った記憶も、言われた記憶もない私には、こうやっておままごとをするだけでも嬉しかった。
私は『宿り木カフェ』のスタッフ一覧からヒロさんのページを出し、日程をチェックする。
「もうそんなに残りの回数無いし、一週間後かな」
私は予約ボタンを押した後、表示された残り回数を見てため息をついた。
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