後半〜人生からのおくりもの〜

 それから1週間は、案外問題もなく進んだ。時々、75歳の知恵を披露しそうになったが、両親の親バカ火山が噴火すると危険なので、丁寧にあどけない2歳児を演じた。

 長い間忘れていた、誰かに守られるという感覚。漠然とした不安や焦燥感とは無縁のこの瞬間が、ずっと続けば良いのに・・・今の俺が体験しているものが本物の人生であって、今まで過ごしてきた75年間の人生は、実は夢だったのではないのだろうか・・・。


 そしてその日は訪れた。遊園地など、久しぶりだ。英語で言うところの、ロングタイムノーシーだ。

「さぁ、まずは何に乗ろうか」

「あれが良いんじゃない?」

 母が指差したのは、定番中の定番、メリーゴーランドである。面白い。メリーゴーランドで、精神年齢75歳の俺を楽しませられるものなら、楽しませてみろ。

「遼一、あれでいい?」

 俺は、二つ返事で快諾した。

 母に促され、メリーゴーランドへ乗る。父は外でカメラマンとなるようだ。

 ガタン。ゆっくり動き出したソレは、徐々にスピードを上げ、心地よいリズムで揺れる。

 前へ、前へ。遠くにあるものが近くなり、また遠ざかる。幼稚な乗り物だと思っていたが、こんなにも爽快感を味わえる乗り物だったとは。

 俺には、メリーゴーランドに乗った記憶がなかった。きっとチャンスはあったのだろうが、俺自身が拒否反応を示していたのだろう。恥ずかしいと。

 成功者がよく口にする、“世界は可能性に満ちている”という言葉は、割と的を得ているのかもしれない。死後に世界の真理に気づくとは、なんとも皮肉な話ではあるが・・・。

 そんなことを考えていると、あっという間に俺の乗馬タイムは終わりを迎えた。

「遼一〜楽しかったか?」

「うん!」

 俺は、素直に首を縦に振った。

「さぁ、次は何にする?」

 母は俺にそう問いかけると、周囲を見渡した。俺も母に倣う。

(宝探しゲーム)

 煌びやかに飾られた看板の向こう側で、俺より一回りくらい大きな子ども達が、何やら水に手を突っ込んではしゃいでいた。

「あれがいい」

 俺が指差し、両親と共に看板へと向かう。

 近づいてみると、水中の砂利に隠れている宝石(もちろん偽物)を探すゲームだった。要は水遊びだ。真夏ではないが、今日は太陽に照らされてかなり暑い。そんな中での水遊びは、心地良い事この上ないだろう。

「楽しそうだなぁ。よし!お父さんも参加しよう」 

 と言いながら、父は勢いよく腕まくりをした。

「あなた、参加できるのは小学生までよ」

 受けつけの案内板を見て、母が言う。

「はは、冗談に決まっているじゃないか〜僕はもう大人なんだから。ほら遼一、行っておいで」

 嘘だろう。明らかに声のトーンが低くなった。

 まあ俺は3歳なので、遠慮なく参加させてもらおう。

「あら、遼一。ちょっと待って。4歳未満は参加できません、だって・・・」

 俺は泣かない。75歳の大人だから。


 その後、遊園地を半周くらいしたところでお昼時に差し掛かった。

「みんな、そろそろお腹空かないか?」

 父よ、ジャストタイミングだ。俺は即座に返事をした。

「空いた〜」

「私も。あのレストランでお昼にしましょうか」

 母が言う方向へ目を向けると、かなり大きめのレストランが鎮座していた。

「よーし。あのお店に行こう。遼一の好きなお子様ランチがあるといいな」 

 そうして俺たちはレストランへ向かった。


 内装はかなり立派なレストランだ。

「はい、メニューね。ここにお子様ランチのページがあるわよ」

「どれにしようかな」

 俺は、お子様ランチをチラリと拝見したが、はっきり言って物足りない。プレート上の小さなハンバーグより、ガッツリと揚げ物を

食べたい気分だ。ん〜どれも捨てがたいが・・・。

 よし、これにしよう。

「ミックスフライ定食にする」

「お子様ランチじゃなくていいの!?」

 母は驚きを隠せていないようだ。

「そうか〜良一も大人になったな」

 含みのある笑みで父が言った。

「じゃあ、飲み物はどれにする?」

「生で」

「「生!?」」

 両親が一斉に反応する。しまった、俺としたことが気が緩みすぎていた。どう撤回すべきか・・・よし。

「生レモンジュース」

 俺は、ドリンクページの端にひっそりと載っているソイツを発見した。

「なんだ〜生レモンのことか〜」

「びっくりしちゃったわよ〜」

 なんとか事なきを得た。我ながら、広い視野を持っている。

 程なくして、ドリンクが運ばれてきた。

「お待たせいたしましたー。こちら、生レモンジュースです」

 まったく、生という言葉は人騒がせなものだ。俺は到着したジュースをごくりと飲んだ。

・・・酸っぱすぎるだろ。こいつ。


「料理、なかなか来ないわね〜」

「忙しそうだな」

 周りを見渡すと、俺たちのような家族連れで賑わっていた。仕事に追われ、一人で食事をとる事が多かった俺には、やや賑やかすぎる店だ。だが、こういうのも悪くはない気がする。

「大変お待たせいたしましたーこちら、ハンバーグ定食と、ミックスフライ定食でございます」

 作りたての、胃を挑発するような良い香りが漂う。

「母さんの分、まだ来ないみたいだね」

「気にしなくていいわよ。ニ人とも暖かいうちに食べて」

 では、遠慮なくいただくか。俺は箸を手に取り、揚げたての豚カツを口に運んだ。

「うまい・・・」

「それは良かった!どんどん食べろよ、遼一」

 溢れる肉汁に食欲を止められず、すぐさま白米を頬張る。

「うまい・・・」

 俺はただの、うまい製造機へと成り代わった。やはり、濃い味付けは素晴らしい。この1週間で、さまざまな料理を食べた。しかし1週間そこらでは、長い間薄味生活を余儀なくされた、俺の感動を抑えることは不可能だった。レストランでこんなにも美味いものを味わえるとは・・・サクっ うま ゴクっ すっぱ。


 どんな事にも、必ず始まりがあり、終わりがある。俺の有意義な食事も、ついにこの一口を持って終了する。

「美味しかった〜」

「良かった良かった。遼一、たくさん食べたわね〜」

「あれ?遼一お皿にトマトが残ってるぞ」

 俺はトマトが大の苦手だ。火を通したものならかろうじていける。だが、生のトマトは・・・最悪だ。これには深い事情がある。

 あれは、俺が幼稚園に入学して間もない頃だった。俺の通っていた幼稚園では、庭にミニトマトを栽培していたのだ。ある日、先生がおやつの時間に、ミニトマトを出してくれた。

 俺の周りの園児は、我先にと、トマトに手を伸ばしていく。園児一人につき一個だったので、もちろん俺の分もあった。最後に残った自分のトマトに戦慄していると、友人が声をかけてきた。

「ミニトマト、おいしいよ」今振り返ると、それが悪魔の囁きだったのだ。

 俺は友人を、そして幼稚園を信頼していた。食卓にもよく鎮座してたこの赤い果実は、きっと熟したイチゴのように甘くてフルーティーなのだろう。そう確信し、俺は口の中にミニトマトを放り込んだ。

 勢いよく噛んだ瞬間、飛び出してきたのはフルーティーな甘味、、、ではなく、野菜独特の臭み、そしてトマトの酸味だった。当時、野菜が大の苦手だった俺は、口から溢れるトマトを飲み込むことができなかった。盛大にリバースしてしまったのだ。瞬時に注目の的となり、恥ずかしがり屋だった俺のプライドが、砕け散った。俺は大泣きした。

 母が迎えにきた時、先生と園長に平謝りされた。先生たちは悪くない。悪いのは、あの赤い果実だ。事情を聞いた母も、先生たちに謝り始め、謝り役のオーディションのような状況となった。

 俺はこの出来事がトラウマとなり、数週間ほど幼稚園に通えなくなってしまった。


 あの日の思い出がフラッシュバックする。俺は全力で拒否反応を示した。

「そうか〜残念だな〜」

「まぁ、仕方ないわよ。まだ3歳なんだから」

“まだ3歳”その言葉に75歳の俺が拒否反応を示した。謎のプライドを刺激された俺は、75歳の意地でミニトマトを口へ放り込んだ。

「おぉ!どうしたんだ。遼一!」

「あらまぁ!」

 水で押し込めばなんとかなると踏んだ俺は、最高速度でそれを噛み砕く。ん?ん〜? 

 間違ってもリバースしないように身構えていた俺は、拍子抜けした。生のトマトってこんなに美味かったのか。ツンとした臭みは、味に奥行きを加え、トマト独特の酸味は爽やかで心地よい。

 70年という年月は、どうやら俺の味覚を大きく変えていたようだ・・・。


 その後俺たちは、足取り軽くレストランを後にし、残りの園内を散策した。コーヒーカップの乗り物やら、射的ゲームやら、とても充実した散策だった。残念なことに、俺の歳では絶叫系の乗り物には乗れないらしい。だが、絶叫系を抜きにしても、ここまで遊園地が満足できる場所だったとは・・・。

「遼一〜、次で最後の乗り物になるけど、何がいい?」

 気づけばもう、夕暮れ時だ。俺は周囲を見渡した。あれだ!

「あれ、乗りたい」

 俺は観覧車を指差した。この時間帯の観覧車は格別だろう。

「いいわね!私も乗りたい」

 母が同調する。

「実は、僕も乗りたかったんだ〜。遼一、グッド!」

 父はそう言うと、俺を肩に乗せ観覧車へと向かった。

 遠くほのかに残った記憶が蘇る。俺は父に、よく肩車をしてもらっていた。

 程なくして、観覧車に到着した。

「よし。はぁ。ついたぞ・・・はぁ」

 あの頃は気づかなかったが、父は体力が少ないタイプの父親だったのだろう。我が子に悟られまいとする父の心意気はあっぱれだ。

 ゴンドラに乗り込むと、思いの外、広々としていた。

 ガタンッ。

 初めに大きく揺れ、地面から徐々に遠ざかる。大空へと昇っていく俺たちを、夕陽が優しく包み込む。

「わぁ〜綺麗〜!」

「そうだな。君と二人でデートしてた時を思い出すよ」

「あら、お父さんったら」

 目の前には、おしどり夫婦を披露する若き日の両親がいる。

 俺には、妻と娘がいた。果たして俺は、目の前の彼らのように、家族を愛せていたのだろうか。俺は家族を、幸せにできたのだろうか。

「大丈夫。遼一は精一杯、人の幸せを願って、生き抜いたよ」

 父は優しく、俺に声をかけた。

「頑張りすぎな時もあったけどね〜」

 続けて母が言った。そうか、この人たちは・・・。

「さぁ、行こうか」

 父の声に、俺は頷いた。

 微笑む両親の手を、ギュッと握る。

 俺たちを乗せたゴンドラは、遠い大空へと昇っていった。


 

 ある夏の終わりの夕暮れ時、東の空で星々が輝いていた。

 その輝きは、どこか切なげだが、凛として美しかったという。


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あぁ、これが走馬灯か。・・・え!? 白野 ふでばこ @sirohude

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