あぁ、これが走馬灯か。・・・え!?
白野 ふでばこ
前半〜あの日〜
茹るような暑さが去り、木々が秋の片鱗を覗かせ始めた日の夕暮れ、東の空で星が一つ堕ちた。
俺は中川遼一75歳。現在、今際の際に立っている(正確にはベッドで寝ている)。3年前に患った大腸癌が、身体中あちこちに転移し、去年の終わりに余命1年を宣告された。今年の前半は、穏やかに過ごせていたものの、6月の終わりから体調が崩れ、入院生活が続く。
そんな入院生活も。今日で締めとなるだろう。実は先ほどから、身体の感覚がほとんど無い。驚くべきことに、聴覚だけは残っているようで、看護師が慌ただしく動いている音が聞こえる。その中に、俺の家族らしき人からの声かけは無い。間に合わなかったのだろうか。だが、これも仕方のないことだ。
人生とは、マラソンだという言葉をよく耳にする。だが、死の直前となった俺に言わせれば、人生は普通電車の旅だ。どこかで降りるわけでもなく、ただ終着駅まで座っているだけの旅。時間という電車は、勝手に俺を運んだ。
俺の人生はなんだったのか。考えても答えは見つかりそうもない。地球という星に生まれ、時間と共に死んでいく。ただ、それだけのこと。
もう時期、終着駅に着くようだ。周りの音も小さくなり・・・暖かい何かに包まれるような・・・感覚が生まれてきた。
きっと今、俺は死んだのだ。
俺という存在が無になるのも、時間の問題だろう・・・ん?
なんだか、懐かしい風景が目の前に現れた。これは幼年期のものか。俺は家の中にいる。
あぁ、これが走馬灯か。・・・え!?
なんと、身体が動くのだ!やや、物足りない感覚はあるが、間違いなく手足が動く。走馬灯、すごいな、おい。なんだか、楽しくなってきた。
「てんうら!!」俺は、生前好物だった料理の名前を叫んだが、舌がうまく回らない。そうか、俺は幼年期の走馬灯を見ているから、動きに制限がかかっているのだ。
「あら、どうしたの〜遼一。お腹空いちゃった?」
奥の部屋から、若い女性が出てきた。
なんてことだ・・・。彼女は俺の母親だ。しかも。若き日の。
もう二度と会えないと思っていた。その母が、目の前で微笑んでいる。俺は、溢れる涙を止めることができなかった。
「くぅっ、うっ」
大の大人が、声を上げて大泣きするのはみっともないが、俺は今小さな子どもなので、その定義には当てはまらない。思う存分、泣かせてもらおう。
「わぁぁぁぁ」
「よしよし」
母は、泣きじゃくる俺を優しく抱き寄せ、背中を摩り続けてくれた。
ひとしきり泣いた後、母は俺に「もう少し待っててね」と声をかけ、元いた部屋へ戻った。ほのかに醤油の良い香りがする。きっと料理中なのだろう。せっかくなので、部屋を散策してみよう。
部屋の隅にポツンと玩具箱のようなものが置かれている。中を覗くと、人形やらブロックやらが無造作に入れられていた。中でも、箱の奥に入っていた本に目を奪われた。
(たのしいめいろ)
懐かしい。俺は小さい頃、この迷路が好きだった。ただ線を引いて、ゴールまで向かう。クリアしたら次の迷路へ。あの達成感が俺は好きだった。
「えんぴちゅ」
「鉛筆?あぁ、迷路用のね」
俺は母から鉛筆(迷路用?)を借り、迷路を始めた。最初の数ページは、ぐちゃぐちゃに線が引かれていたものの、それから後は真っ白だった。きっと買って間もないのだろう。どれ、久しぶりに解いてみるか。
初めはやや苦戦したが、すぐに慣れた。それもそのはず、対象年齢3〜4歳だ。
俺を誰だと思っているんだ。こちとら75の人生経験豊富な爺さんだぞ。と、心の中で威張った。大の大人がみっともないと思われるかもしれないが、今の俺はせいぜい3歳程度なので、その定義には当てはまらない。
ものの15分ほどで、俺は(たのしいめいろ)を完封した。
「はい、えんぴちゅ」俺は母に鉛筆を返した。
「今日は早いね〜難しかったのかな?お母さん、遼一がどこまで進めたのか見ちゃお〜」と言って母は料理を止め、俺が完封した迷路を見た。
「うそ、でしょ・・・」母は絶句し、突然部屋を飛び出した。どうやら、電話をかけているようだ。
「突然失礼します。私、中川一希の妻です。夫に代わっていただけますか?」
まさか、と俺は思った。
「あなた、大変なのよ!遼一が・・・」
俺は絶句した。母は仕事中の父へ電話をかけていたのだ。母よ、今話す必要ある?
電話を終え、母は俺に声をかけてきた。
「遼一はすごいねぇ〜将来はラマヌジャンを超えちゃうね〜」
母は、3歳児が知っているはずのない、天才数学者の名前を口に出した。当然、精神年齢75歳の俺はインドの魔術師ことラマヌジャンを知っているが、あえて首をかしげ、麗しい3歳児に徹した。
「ただいま〜!」
料理を終えた母と寛いでいた俺は、聞き慣れた声を聞いて駆け出した。
「お、遼一〜お出迎えしてくれるのか〜」
やはり父だ。懐かしさと嬉しさが込み上げてくるが、母と再開した時の衝撃が強すぎて、泣くまでには至らなかった。
しかし、なんだろう。父が両手に重そうな紙袋を持っているような・・・。
「遼一〜聞いたぞ〜迷路を一瞬で解いたんだってな。お父さん、遼一のためにこんなに本を買っちゃったよ」
と言って、父は大量の本を俺に見せてきた。迷路をはじめとして数字の本やら宇宙の本やら、この世の真理が詰め込まれていた。分厚い国語辞典まで買って、父は俺をどうするつもりなのだろう。
「どの本だって読んでいいぞ〜遼一は将来、ラマヌジャンより偉くなるからな〜」
父よ、あんたもか。
その後、両親と数十年ぶりの夕食をとった。今日のメインは手作りのコロッケである。
「おぉ〜コロッケか。母さんのコロッケは美味いんだよなぁ。なぁ、遼一」
全くその通りである。どうしてこんなにも、サクサクに仕上がるのだろうか。俺が一人暮らしを始めてすぐにコロッケに挑戦した時には、黒い塊が誕生した。
「嬉しいこと言ってくれるわね〜たくさん食べてね」
母は食卓の真ん中に盛られてある、ミニトマトを手に取りながら、嬉しそうに言った。
「それはそうと、来週は遼一の3歳の誕生日だな」
「あら、そうだったわね。良一もついに3歳かぁ〜」
予想は大体合っていた。俺は現在2歳児らしい。
「せっかくだし、みんなで遊園地にでも行こうか」
「いいわね、それ!行きましょ」
遊園地か、悪くない。年老いてからは恥ずかしくてできなかったが、幾つになっても人は、はしゃぎたい生き物なのだ。
「遼一〜遊園地行きたいか?」
俺は縦に大きく頭を振って、コロッケに齧り付いた。サクっ。うまっ。
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