【File1】五十嵐脳病院⑥

     ◇ ◇ ◇


「……俺も詳しくは知らんし、又聞きの話でいいなら話せるが……」

 と言って、職員室でキャスターつきのオフィスチェアにだらしなく座るのは、物理教師の戸田じゆんぺいであった。オカルト研究会の顧問である。

 その日の帰り際、桜井と茅野は部室のかぎを返却しに行くついでに、郷土史研究会と牧田圭織について戸田に尋ねてみた。

 ちなみに戸田はいつも眠そうな目をしたビール腹の小汚ない中年で、生徒からの人望はゴキブリレベルである。

 しかし、実際はそれほど悪い教師ではないというのが、桜井と茅野の評価であった。

「……その郷土史研究会だが、四年前に廃部となっている。実はほとんど、まともに活動していなかったらしい」

「あー……」

 あたしたちと同じだ……桜井は得心した様子で声をあげた。

「ただ、部長の牧田圭織だけは、かなり真面目に活動していたんだそうな。ひとりで会報を発行したりな」

 牧田は休日には単独で地元の史跡や名所を訪ねたり、市の多目的ホールで行われる郷土史をテーマにしたシンポジウムなどにも参加していたらしい。

「……で、彼女が死の直前に興味を持って取り組んでいた研究テーマが、あの五十嵐脳病院……お前らも聞いた事があるだろ?」

 桜井と茅野は微妙な表情で首肯する。

「彼女は、その病院へ向かう途中の道で、交通事故に遭って亡くなった。翌年、部員のほとんどが卒業し、新入部員もいなかった事から郷土史研究会は廃部となったらしい。で、けっきょく、会報に載せる予定だった五十嵐脳病院に関する研究レポートは日の目を見る事がなかったんだと」

 茅野は大きく目を見開いて言葉を発した。

「じゃあ、あの十二番目の会報は……」

「十二番目の会報……?」

 げんな顔で問う戸田に、茅野は「いえ、何でもありません」と誤魔化した。

 すると、そこで戸田はいったん話を区切り、鳥の巣のような頭をボリボリと右手でいた。

 そして、どこかばつが悪そうに、その質問を切り出す。

「もしかして、お前ら、何かあったのか?」

「何か……?」と、桜井が首を傾げる。

「あったといえば、ありましたけれど、どういう事です?」

 茅野が戸田を促す。すると、彼は更に質問を重ねてきた。

「何で、郷土史研究会と牧田圭織の事を俺に聞きに来た?」

「あの部室を掃除している時に郷土史研究会の会報を見つけたので、少し興味を持っただけです。牧田圭織さんの名前はその会報の奥付で知りました」

 その茅野の言葉を耳にした戸田は、どこかほっとした表情で再び頭を搔いた。

「そうか……俺はまた、あの部屋で何かあったのかと思ったが、そうじゃないんだな?」

「あの部屋がどうかしたの? 何かあったって?」

 桜井が怪訝そうに問いただす。

「あそこ、元々は郷土史研究会の部室だったらしい」

 その戸田の言葉に桜井と茅野は絶句する。

「……で、郷土史研究会が廃部になった後、あの部屋を他の部が使っていたらしいんだが、その……おかしな事が起こるってんでな……。そんな事が続くうちに、誰も立ち入らなくなって、いらない物をぶちこんでおく倉庫になっちまったという訳なんだが」

「おかしな事って?」

 桜井が食い気味に問う。

「おかしな事って、そりゃ……アレだよ。誰もいないはずの部室の中から声がしたり、物の位置が知らないうちに変わっていたりっていう、お決まりのやつだ。俺は物理教師だから、幽霊だとか、そんな非科学的なモンは信じねえけどなぁ……」

 ガハハハと笑う戸田。

 桜井と茅野は渋い表情で再び顔を見合わせる。

「でも、オカルト研究会にはぴったりな部屋だろ? だろ?」

 どや顔をする戸田。どうやら気を利かせたつもりらしい。こういった気を利かせるポイントがずれているところも彼の悪評の原因であった。

 桜井と茅野は、一応礼を述べて職員室を後にしようとする。

 すると、戸田に呼び止められた。

「あ、そうだ。お前ら」

 桜井と茅野は、立ち止まって振り返る。

「……俺はいちいち部の活動に口を出すような事はしないが、ちゃんと部室を持ったからには真面目に活動しろよ?」

 その戸田の言葉に、二人は何とも言えない表情で顔を見合わせる。

「それは、もちろん」

「任せてください。先生」

 桜井と茅野は、しれっとした顔で心にもない事を口にした。

 すると、戸田はなおも真面目な調子で話を続けた。

「学期ごとに、何か目に見える形で活動実績を残さないと、部室は使用停止になるからな」

 二人はぎょっとして大きく目を見開いた。

 その顔を見て、戸田はにやりと笑う。

「何の活動もしていない部に、部室を使わせる訳がないだろう。下手すりゃ、廃部もあるからな?」

 このまま、苦労して手に入れた部室を何もせずに手放すのはしのびない。桜井が唇をとがらせる。

「でも、そんな事を言っても、オカルト研究会なんて、何をすればいいのさ?」

 その問いかけに、戸田は苦笑する。

「俺に聞くなよ」

 そして、天井を見あげながら、しばらく考え込んだ後、戸田は一つの提案を打ち出してきた。

「……じゃあ、お前らも部の会報でも作ったらどうだ?」

 桜井と茅野は何とも言えない表情で顔を見合わせる。

「どうするかはお前らに任せるから、ちょっと、考えてみろ。まだ一学期の終わりまでは時間がある」

 そう言って、戸田は事務机に向き直った。

 それから、桜井と茅野は礼をして、職員室を後にすると、帰路に就く事にした。


     ◇ ◇ ◇


「結局さ。どこまでが偶然なんだろうね」

 生徒玄関で靴を履き替えながら、桜井がぽつりとつぶやく。

「例の冊子を拾って……あの病院へ行って……スマホを拾って……そもそも、何であの病院に行きたくなったのか、よく解らないんだよね。今考えると」

「そうね。けっきょく、どこまでが彼女の意思だったのかしら?」

 履き替えたばかりのスニーカーのつまさきでとんとんと床をたたきながら茅野は思う。

 部室を作ろうと思い立ち戸田に相談したのも、五十嵐脳病院へ行くと決めたのも自分たちのはずだった。

 しかし、もしも、そこに誰かの意思が介在していたのだとしたら……。

「そんなに、あのスマホが惜しかったのかな? 牧田さんは、スマホを落として取りに戻る途中でトラックにかれたとか?」

 その桜井の言葉に首を傾げる茅野。

「それは何とも言えないけれど」

 二人並んで生徒玄関を後にする。

 そして、まぶしい夕暮れの中、テニスコートの方から聞こえる部活の音に耳をかたむけながら、茅野は己の見解を口にした。

「……でも、スマホって、もうその人の脳の一部みたいなものでしょう? とてもプライベートな情報がたくさん詰まっているわ。もちろん、大切な思い出もね。きっと、牧田圭織さんにとって、死んでも忘れがたい何かが、あのスマホにはあったのよ」

「あー、循みたいにBL漫画をたくさんダウンロードしていたなんて知られたら、成仏できないよね」

「なっ……あ、貴女あなた……なぜ、それを」

「今の循、裏庭に埋めた死体を発見されたときの殺人鬼みたいな顔をしているよ」

 桜井の意地悪な指摘に茅野は頰を赤らめながら、こほんとせきばらいをひとつして誤魔化す。

「……取りえず、戸田先生の言う通り会報でも作ってみましょう。あまりサボってばかりいると牧田さんにもたたられそうだし」

「そだね。でも内容はどうする?」

「今回みたいに近くの心霊スポットを回って、そのレポートを書くというのは?」

「いいねえ」

 そう言いながら、楽しそうに笑う桜井の横顔をうかがい、満足げにうなずく茅野。

 二人は肩を並べて駐輪場へと向かう。

 このあと、二人は牧田圭織の家族に連絡を取り、彼女の家へとスマホを返しに行く事にした。


 そして、後日。

 どういう訳か、あの『郷土史研究会報12』は部室の本棚からこつぜんと消えせていた。

 まるで、最初から存在していなかったかのように……。


 ■ report 五十嵐脳病院


 県北の黒谷地区の山間にひっそりとたたずむ大正時代に建てられた擬洋風建築の精神科病院である。

 黒谷岳の登山口付近の山深い森に所在するためか、立ち寄る者はあまりいない。

 インターネット上に投稿された体験談を見るに、ここで目撃されるのは白衣姿の医師や看護師の霊なのだという。

 この手の心霊スポットで出現するのは大抵、不慮の死を遂げた患者の霊というのが定番であるので、これは珍しい事例である。

 更に噂によれば、この病院に遺されている当時の医療器具のいずれかを持ち帰ると、五十嵐脳病院の者を名乗る男から、返却を求める電話が毎晩掛かってくるようになるらしい。持ってきたものを元の場所に戻せば、電話は掛かってこなくなるのだという。

 それほど知名度は高くはないがはいきよマニア、オカルトマニアの間では知る人ぞ知る名所という評価を受けている。 


 危険度ランク【C】


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