【File2】黒津神社①

 【00】折れた翼


 二年前の事だった。

 茅野循が病室に入ると、窓際のベッドに横たわる桜井梨沙の姿があった。

 そのせつこうで固められた右足が、カーテンの隙間から射し込む夕陽によって真っ赤に染めあげられていた。

 桜井は首をひねると、近寄ってくる茅野の方を見て力なく笑った。そして、ベッドを少しだけ起こす。

 茅野は軽く右手をあげて、ひらひらと指先を動かした。

「思ったより、元気そうね」

 その言葉は本気でそう思った訳ではなく、そうあって欲しいという願望に近かった。茅野はベッドの脇のパイプ椅子に腰をかける。

 すると、桜井が寂しそうに微笑んだあとで口を開いた。

「まあ、命が助かっただけうれしいよ」

 そのときの、まるでこの世が終わったかのような彼女の表情を、茅野は今でも忘れる事ができない。


     ◇ ◇ ◇


 梅雨らしからぬ晴れ間がのぞいたある日の事だった。

 桜井と茅野は部の会報を制作するに当たり、近隣にある心霊スポットを探索する事にした。二人が住む藤見市から在来線で五駅ほど行ったくろ市に所在する、黒津神社という場所である。

 この神社は田園と古びた町並みに囲まれた小高い丘の上にあり、打ち捨てられて立ち寄る者はあまりいない。

 境内へ続く石段は両脇からはみ出た雑草に埋もれており、周囲には背の高い木々が生い茂っている。

 階段を登り、石造りの鳥居を潜ると杉や松などの針葉樹に囲まれた円形の境内があった。そのほぼ中央にくすんだ茶色の社殿が鎮座している。

 鳥居の横にあるちようこけむしてれ、こまいぬの片方は台座ごと倒れていた。

 ふたりは鳥居から荒れ果てた境内を見渡し、しばし佇む。木漏れ日の網の目模様が、その陰気な空間をカラフルに染めあげていた。

「……ここで呪いの儀式が行われているんだよね?」

「そうね。うしの刻参り……いにしえの時代から存在する呪術儀式よ。この境内では、今でも夜な夜な行われているらしいわ」

 今は昔。

 大型匿名掲示板で、様々なネット怪談が夜毎に生み出されていた頃、オカルト板にて一つのスレッドが立てられた。

 タイトルは『すげー効くぞwwww』

 このスレッドを立てたスレ主によれば、ある場所で丑の刻参りをしたところ、そのターゲットとなった人物が次々と死んだのだという。

 その証拠としてわら人形が写された五枚の画像がアップされた。

 いずれも、おびただしい数の五寸くぎで木に打ちつけられており、別々の名前が記された布の名札がつけられていた。

 それを見たスレ民が当然の流れとして、この五人の名前について調べ始める。すると、いずれも数日から数ヶ月の範囲で同姓同名の人物が死亡している事が確認された。

 そこでスレ主が『俺はもう七人呪い殺している』とうそぶき、スレ民たちの好奇心に火をつける。結果、この丑の刻参りが行われた現場の特定祭りとなった。

 しかしそのまま、何の進展もなく数日が経過する。

 そして、とうとうスレ民の誰もが飽き始めた頃だった。

 くだんの丑の刻参りが行われた場所は黒津神社であるという情報が、スレッドに書き込まれる。同時に情報提供者のID付きの証拠写真が何枚かアップされた。

 そこには以前にアップされたものと同一だと思われる藁人形が写り込んでいたのだという。

 その情報提供者は『この神社はじゆの力が非常に強いのでみだりに近寄らない方がいい』と忠告し、それっきり沈黙した。

「……その後のスレにあがった報告では、最初にアップされていた藁人形は現在、何者かによって撤去されており、存在していないらしいわ」

「ふうん……」

「以降、この神社では、丑の刻参りが盛んに行われるようになったそうよ」

「そりゃ、効くって解っていれば、誰だってやるよねえ」

「この話の不気味なところはそこよ。最後に現れた情報提供者は、なぜ、わざわざ、スレッドに投下された画像の場所が、黒津神社である事を明かしたのかしら? 更に念を押すような警告までして」

「まるで、丑の刻参りをやって欲しいみたいだよね」

 茅野はうなずく。

も角、それ以来、この場所ではその手のエピソードに事欠かないわ。肝試しに訪れた者が鬼のような顔をした白装束に追い掛け回されたり、鉢合わせた白装束同士がけんをしていた、なんていう話もあるそうよ」

「あははは。それ、ウケるねー」

 桜井はスマホのシャッターを切り、茅野はデジタル一眼カメラで動画撮影しながら鳥居を潜る。二人は境内へと足を踏み入れた。

 まずは真っ直ぐに社殿へと向かう。御扉は固く閉ざされており、さいせん箱も鈴も見当たらない。

「それじゃあ梨沙さんは、右回りで。私は左回り。藁人形があったら全部写真に収めて。会報に載せるわよ」

「りょうかーい」

 桜井と茅野は、境内をつぶさに見て回った。


     ◇ ◇ ◇


 茅野循がその藁人形を見つけたのは社殿の左側の大きな杉の裏側だった。

「これは……」

「循、どしたの? 突っ立ったままで」

 突然、背後から桜井に声を掛けられ、茅野は背筋を震わせた。すぐに表情を取り繕うと振り返る。

「あ……ああ、梨沙さん。あっちの方はどうだった?」

「ん? ああ。名前が書いてるやつが三つもあった」

「そう。それは良かったわ」

 茅野は心ここに有らずといった調子で答える。すると、そこで、桜井が彼女の背後にある杉の幹を何気なく覗き込んだ。

「……何これ? 打ち間違い?」

「え、ええ……そうね」

 茅野はいまだに冷めやらぬ動揺を抑えつけながら、背後の杉の幹に打たれた藁人形をもう一度見た。

 その人形はなぜか右足だけに五寸釘が打たれており、そのせいで反転し、逆さりになっていた。

 茅野は一つ短く深呼吸をして言う。

「こっちには、これだけしかなかったわ」

「そなんだ。でも全部で四体って、けっこう多いね」

「そうね。それより、少し気分が優れないから、もう帰りましょう」

「あれあれー? 呪われたのー? もしかすると」

 桜井が、いたずらっぽい微笑みを浮かべる。すると、茅野は冷や汗でれた前髪を左手で払った。

「そうかもしれないわね。兎も角、どこかで休んで冷たい物でも飲みたいわ」

 茅野は鳥居の方へと歩き出す。

「あ……待って。あたしはフランクフルト!」

 桜井も後を追う。

 この時、茅野の右手には、桜井に話しかけられて振り向く直前に、藁人形からむしり取った布の名札が握り込まれていた。

 そこに記された名前は――


『桜井梨沙』


 彼女は二年前の春先に、交通事故でみぎひざに大怪我を負った。そのせいで小さな頃から打ち込んでいた柔道を引退せざるを得なくなった。

 その出来事と、黒津神社で発見された藁人形。

 茅野には、とても偶然だとは思えなかった。


     ◇ ◇ ◇


 すべてが赤と緑に彩られた悪趣味な部屋だった。

 サイコサスペンスに登場する連続殺人鬼の部屋だと言っても信じる人は多いであろう。

 部屋の片側の壁を覆う棚には古めかしい書物と、ベクシンスキーのレプリカ、ちようや甲虫の標本が飾られている。

 ドレッサーやメイク道具など女性らしいものも置いてあるが、何に使うのか解らない薬瓶や器具、怪しげな香炉なども散見された。

 その部屋の奥だった。

 それは、窓際のベッドの隣。

 書斎机の上に置かれたノートパソコンの画面を見つめながら、この部屋の主である茅野循は小さくうなり声をあげた。

 あの黒津神社の藁人形の名札に記されていた桜井梨沙以外の名前。


しらはまごんぞう

すずさと

かぶらかつ


 茅野はネットを見て回り、その名前の主が現在どうしているのかを調査した。

 一人目の白浜権蔵に関しては、大手新聞社サイトのほう一覧にて同姓同名の人物が掲載されていた。どこかの企業の創業者であったらしい。

 二人目の鈴木美里は、去年の十二月頃に交通事故で死亡していた。ブログもやっており、専業主婦だったようだ。

 三人目の鏑木克己は元ホストで、女性を食い物にする、呪われるのもさもありなんといった男だった。

 しかし、彼が現在どうしているのかは、結局解らなかった。

 これに加えて、二年前の桜井梨沙が大怪我を負った交通事故。

 藁人形に名前のあった四人は、三人が不幸な目に遇い、一人は不明。七割五分の高確率で呪いが発動していると言えなくもない。

 しかし、白浜権蔵はいつ死んでもおかしくはない高齢だった。

 鈴木美里は姓名に使われている漢字がありきたりで、わら人形の名前と同一人物かどうか解らない。

 けっきょく、あの神社の呪いが本物であるか否かの確証は持てなかった。

 しかし、茅野は悪魔のように微笑む。

「……そんなの関係ないわ」

 すると、その直後、部屋の扉がノックされた。

「姉さん、ご飯できたよ」

 実弟のかおるである。

「今、行くわ」

 茅野は身をゆだねていたゲーミングチェアから腰を浮かせ、自室を後にした。

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