第7話

 久紀子がすがるように夫の顔を見ると、ただじっと黙って、見つめ返された。その瞳からは、何を考えているのか全く読み取れない。

「誰の名前なら思い出せる?」

 真意はよくわからなかったが、久紀子は言われるがまま、名前を挙げていった。

「母は、佐(さ)弥子(やこ)。父は、雄二。おばちゃんは、佳代子でしょ、おばあちゃんは、福代。

おじいちゃんが、勇(いさむ)。由美ちゃんに、亡くなったレオ……」

「何か気づかないか?」

「何かって……そんなの、わからないわよ。知っていることがあるなら、ちゃんと教えて。私、頭がおかしくなりそう。何か大事なことを忘れているの。ううん、それどころか、何もかも分からないのよ」

 実家に帰ってから、ずっと違和感を覚えてきた。まるで、現実とは少しだけずれた世界に来てしまったみたいに、ちょっとずつ何かが変なのだ。

 言いようのない不安に襲われて、目が潤む。

すると夫が、久紀子の震える指を覆うように手を重ねて、言った。

「子どもたちの名前はどうだい?」

 そう問われて、久紀子は呆然とするしかなかった。

「……わからない」

 息子と娘の顔を、たしかに思い浮かべられるのに、どうやっても名前がわからない。こんなことってあるだろうか。

 命より大切だと思ってきた子どもたちの名が言えない、なんてことが。

久紀子の命より、ずっと……。

 そう心に思い浮かんだ瞬間、辺りの雪がいっせいに輝きを増した。公園一帯がまぶしいほどの光に包まれて、頭の中にごうごうと映像が流れてくる。大量のスライドみたいに、次々と記憶がよみがえる。

 息子の産声、赤ちゃんだった娘の笑顔、初めてママと呼ばれた日、運動会、卒業式、夫が記念日にくれた花、子供たちの反抗期に夫の無関心が重なって家出した夜、弱っていく母を見るのが辛かった日々、もう久紀子のことがわからないおばちゃんのお見舞い、父が倒れて、あっという間に衰弱して亡くなって、ぼんやりする母を横目に、ただ必死で葬式の準備をして……。

 それから、またあの血の映像が浮かんだ。血だまりの中に、だらりと投げ出された腕が見える。その指には、見覚えのある結婚指輪がはまっている。

 あれは、私の──

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