第27話 天国と地獄

 鈴木さんとさかえ先輩が掘り起こした苗たちを俺と白崎しろさき先輩が育苗ポットに移していく。


【……ぷはー、ひどい目に遭ったよー】

【ぐらぐら地震みたいに揺らされたのよ……】

 ロベリアとニチニチソウたちも無事に土の中から救出され、ひとまずは声も確認できた。榮先輩がすぐに知らせに来てくれたのが幸いしたのだろう。


 育苗ポットをいったんトレーに並べて用務員倉庫の側に避難させ、

「泥だらけになってしまったね彩子あやこくん。ひとまず今日のところはここまでにして、プランターを元に戻すのは明日の朝にしよう」

 苗たちを救出し終わった頃にはすっかり陽は傾いていた。


 暗くなってしまう前に全て掘り返せただけでも良かった。さすがに一晩中、土の中に埋まってしまっていてはダメになってしまうだろう。


「さあ彩子くん、着替えて今日はもうゆっくり休むんだ」

「………………はい」

 白崎先輩に連れ添われて部室へと向かう鈴木さんの後ろ姿は、見ていて痛々しいほどに落胆の色を滲ませていた。


 そんな鈴木さんの背中にかける言葉が思い浮かばず、ただただ黙って見送ることしか出来ない。

 なぜなら、その原因を作ったのは俺だからだ。


 そんなつもりなどあるはずがなかったが、俺がこんな見た目をしているせいで、やっぱりまた関係のない他人に迷惑をかけてしまった。そんなつもりがあろうがなかろうが、迷惑を被って傷付いてしまった人がいるのだ。


 それが全てであり、その揺るぎない事実だけがべったりと寝そべって、俺に目を背けることを許さない現実を否応なしに突き付けてくる。


 やりきれない気持ちを抱えて当て所もなくグラウンドに戻り、倒されたままのプランターを見つめる。


「ねえ」

 ふいに声をかけられ振り返ると、俺の顔を見てビクッと肩を竦める榮先輩が立っていた。


 睨み付けたつもりではないが、思い詰めていたせいで気が回らなかった。


「あ、すみません……、ちょっと、ぼーっとしていて……」

「いい、いいのよ、こっちこそいきなり声かけてごめんね。それより――」


 肩は竦めたまま両手を振る榮先輩がジャージのポケットからスマホを取り出し、

「あたし、屋上からぜんぶ見てたのよ。ほらこれ」

 おずおずと俺に近寄りながら画面を見せてくれる。


「ちょうど屋上で作業し終わって、たまたまグラウンドを眺めてたらこれが見えて、慌てて撮影したのよ」

 全力で俺たちが作業していた裏庭まで走ってきてくれた直前まで、榮先輩は屋上菜園にいたようだ。


 示してくれた動画を食い入るように確認すると、確かに数人がかりでプランターを押して横倒しにしている様子が映っていた。


 しかし、屋上からはあまりにも遠すぎて動画に映っている生徒が陸上部員たちと判別できるかと言われると正直微妙だった。

 さらに榮先輩自身も突然の出来事で慌てていたのだろう、画面は常に手ブレで小刻みに揺れ続け、じっと凝視していると気持ち悪くなってしまいそうな動画だった。


 それでも一連のやり取りと状況証拠的に陸上部員以外にはあり得ないのだが、この動画だけではいかんせん決め手に欠けると言わざるを得ない。


華蓮かれんに見せたらその場で暴れ出しそうだったから黙ってたけど、明日にでもこの動画を突き付けてとっちめてやればいいわ! あたしもあの先輩のこと嫌いなのよ!」

「はい、ですが……」

 息巻いてみせる榮先輩には申し訳ないのだが、きっと犯人捜しは重要ではないのだ。


 たぶん、決め手には欠けるものの榮先輩の動画を提示してやれば、場合によっては石中部長と陸上部員たちを追い詰めることが出来るかもしれない。

 ただ、そうすることが正解なのだとしたら、プランターを蹴飛ばされて俺がカッとなってしまった時に白崎先輩は止めたりしなかったはずなのだ。

 部としての備品を乱雑に扱われたのだから。土に埋まってしまった陸上部の備品と立場は同じだ。


 冷静になった今ならわかる。

 真っ向から俺が動くと、言い掛かりをつけられていると言い返されるだけなのだ。

 どんなにそれが取って付けたような言い分だったとしても、プランターが倒れて怪我人が出るかもしれないという陸上部の主張は的を射ている。

 その主張が正当なものとみなされる理由として、管理が行き届いていない現状は紛れもない事実なのだ。


 なにより、白崎先輩が俺を止めた最大の理由はプランターを蹴飛ばされたとはいえ、荒事では根本的な解決に繋がらないとわかっていたからだ。唇を噛み締めるほどの悔しさを必死で堪えていた姿がそれを物語っていた。


 さらに言ってしまえば、荒事だろうとこの動画だろうと、石中部長たちを徹底的に追い詰めてやれば最終的に謝罪の一言くらいは引き出せるかもしれない。けれど、それでは遺恨は残ったまま、むしろさらに強い遺恨を生み出してしまい何も解決はしない。


 そしてきっと、またやられるだろう。

 次はもっと巧妙な手段で仕返しをしてくるだろう。


 しかも、それは全て俺に対する当てつけなのだ。俺に対する当てつけであるにもかかわらず、結果として傷付いてしまうのは俺ではないのだ。


 今回のように鈴木さんであり、白崎先輩であり、まるで罪のない花たちなのだ。


 しかも次の仕返しの矛先がどのプランターになるか、はたまた別の花壇になるのか、今度はそこでどんなことをしでかされるのかはわからない。未然に防ぐ手立てがないのだ。


 鈴木さんの落胆具合が物語る通り、そうすることがガーデニング部、ひいては俺に対して最も効果的だとわかっているからプランターを倒したのだ。

 そのうえ、常々邪魔だと思っていたプランター撤去の話まで持ち出せる。石中部長にしてみれば怪我の功名とも言えるだろう。


「ありがとうございます榮先輩。必要になった時には連絡するので、その時にこの動画データを貰ってもいいですか?」

「ええ、もちろん。いつでも言って。畑とかハーブとか、いろいろなお礼だから。こんなことくらいしか出来ないけど……」

 榮先輩にきっちり頭を下げて部室へと戻っていく後ろ姿を見送る。


 改めて倒されたプランターを見下ろしながら、どうしたものかと考えを巡らせてみる。しかし、完全に打つ手なしだった。


 ただ、一つだけ一番簡単な手段があることだけは初めからわかっている。どうと言うことはない、俺がガーデニング部を辞めてしまえばいいのだ。


 石中部長は俺への当てつけとして嫌がらせをしているのだから、それを終了させるだけならば嫌がらせをする対象であるところの俺がいなくなればそれまでなのだ。

 しかも俺が事前に仮入部という形を取っていたのは、こういった不測の事態を見越していたからだ。はからずも想定した通りの事態に陥ってしまったが、当てつける対象がいなくなってまでガーデニング部の何かを標的にすることはなくなるだろう。


 けれど、俺が辞めてしまったところで片付かない問題がある。

 グラウンドに設置されたプランターの撤去だ。


 俺への当てつけとは別件で、常々邪魔だと思っていたプランターをまとめて撤去するチャンスを窺っていたのだから、何から何まで完全に渡りに船なのだ。

 こちらの件は、俺にはどうすることも出来ない。きっと、石中部長の目の前で土下座して見せたところで無駄だろう。


 陽の暮れ始めたグラウンドで大きなため息を吐き、倒されたままのプランターを撫でる。


 白崎先輩は明日の朝、元に戻そうと言ってはいたが俺のせいで倒されたのだ。

 なんとか元に戻すため動かないものかと強く押してみるが、零れたとはいえ中に土が残ったままでは一人で動かすのはさすがに難しい。

 榮先輩の動画には三人がかりでプランターを押す様子が辛うじて見て取れたが、よくもまあ頑張って押したものだと感心してしまった。


 呆れ含みのため息とともに諦めて手を離すと、押すために触れていた底面にこびり付いていた土の塊がぼろりと剥がれ落ちた。


 そもそも地面にずっと触れていた底面なので風雨に晒され続けた汚れもなく、土が剥がれ落ちた部分はプランター本来の色がわかるくらいだった。

 元々はこんなに綺麗な白い色で上品な風合いだったのに、本当に見るも無惨だな――と、そこで俺は改めて底面に触れていた指先にわずかな違和感を覚えた。


 すっかり陽が暮れて薄暗くなりはっきり見えないため、急いでスマホを取り出しライト機能を使って照らしてみる。


「……これは、もしかして」


 誰にともなく呟いておぼろげな記憶の糸をゆっくりと引いていく。


 わずかばかりの点と点が頼りなさげに繋がっていき、ついに一本の線で結ばれた瞬間の衝撃は凄まじく、人気のなくなったグラウンドで一人声を上げてしまった。


 俺は倒されたプランターの表面の汚れを手当たり次第に擦り落としながら、きっとあるはずのを暗がりの中で辛うじて見つけ出した。


 これは、なんとかなるかもしれない――

 そう思うが早いか、取るものも取りあえず駆け出して学校を飛び出していた。


 

「いらっしゃいませ~、って、あら? 鮫島さめじまくんじゃない。彩子だったらさっき帰ってきてたと思うけど呼んでこようか? 裏から勝手に入ってくれても良いけど~?」


 息を切らせてフラワーショップ咲彩さあやを訪れた頃にはすっかり夜の帳が下りていた。きっともうすぐ閉店時間なのだろう、軒先に並べていた鉢植えを店内に片付けていた咲子さきこさんがふわりとした笑顔で出迎えてくれた。


 暗がりの中から泥だらけのジャージ姿で現れた、どう見ても抗争に敗れて逃げてきた鉄砲玉のようにしか見えないであろう俺を前にしても、物怖じしないどころか眉一つ動かさない。

 咲子さんの接客能力の高さは尋常ではないようで心の底から尊敬してしまう。


「いえ、今日はお店に、咲子さんにお願いがあって来ました」

「私に? あらあら、お願いってなに~? あっ、もしかして……、ついに彩子に告白する気になったの~!? その根回しのお願いかしら~?」

 にまにまと目を細めて、そんな冗談なのか本気なのかわからないことを口元を押さえながら言ってくる。


「いえ、違います」

「な~んだ、違うのか~。あまじょっぱい青春の1ページに関われると思ったのにな~。じゃあ、告白じゃなかったら何のお願いなの~? ……まさか、夜這いの手筈を整えるお願い、とかかしら? さすがにそれはちょっと感心しないなあ~。物事には順序ってものが――」

「違います」

「え~、告白でも夜這いでもなかったら、……他になにがあるの?」

「どうしてその二択しか出てこないんですか……?」

「高校生の男の子にそれ以外の何かあるの~?」

 ひどい偏見だな……。しかし、いまはそんな冗談を言い合っている場合じゃない。


「――お花を、とにかく目一杯、たくさん売って欲しいんです!」


 俺のせいで、ただ普通にしているだけなのに周りに威圧感を与えてしまうこんな見た目のせいで起こってしまった問題なのだ。


 いつもはつらつとして元気な笑顔を浮かべて、込み上げる嬉しさを抑えきれずに変な笑い方をしていた鈴木さんを、あんな絶望の淵に立たせてしまったような表情をさせて笑顔を奪ってしまったのだ。


 店の前から、二階の鈴木さんの部屋を見上げてみる。

 窓にはカーテンが引かれて明かりは落とされているようだった。咲子さんの話ではすでに帰宅しているはずだが今は自室にいないのか、それとも暗い部屋の中で一人落ち込んでいるのだろうか。


 倒されたプランターの土の中から必死に苗を助け出そうとしていた姿を思い出し、俺は改めて唇を引き結んで固く誓う。


 もう二度と鈴木さんにあんな顔はさせない、絶対にあんな目に遭わないで、悲しい思いをしないで済むようにしてやる。


 そのために、これからすぐに学校に取って返して大仕事に取り掛かるのだ。


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