第26話 地上げ
鈴木さんを追ってたどり着いたグラウンドでは、無惨に横倒しとなったプランターの側に石中部長と数人の陸上部員たちが立ちはだかっていた。
「おお園芸部、いや園芸部じゃなくって、なんだったかな? まあいいや。これ見てみろよ」
横倒しになったプランターからは当然ながら土砂崩れのように土が流れ出し、立て掛けていたのだろう陸上部の練習用具が埋まってしまっていた。
「……これは、どういうことなんだ?」
つい先ほどまで軽口を叩いていたとは思えない、低く唸るような詰問口調で
「風でも吹いて倒れたんじゃね? ほら、さっきの突風でよ」
「あーあ、この用具高いのになあー。いくらすると思ってるんだよ」
「邪魔だ邪魔だと思ってたらこれだよ。危ねえよなマジで」
口元にニヤついた笑みを浮かべて、陸上部員たちが取って付けたようなことを言ってのける。表情を取り繕わせたり隠そうという気はまるでない様子だ。
「風だと……?」
こちらも負けじと潜めた眉根を隠そうともせずに白崎先輩が聞き返す。
俺たちが作業していた裏庭には突風など吹いていない。
もし仮に、グラウンドにだけ局地的な突風が吹いたのだとしても、しっかり土の入っているこの大型プランターが倒れるなんてことは物理的にあり得ない。
その証拠に、倒れているのは土の入れ替えを終えたこのプランターだけなのだ。
「どいてくださいっ!」
「いってえな、何だよコイツ」
ニヤつきながら倒れたプランターを見下ろしていた陸上部員を猛然と押し退けて、跪いた鈴木さんは土に埋もれてしまった苗たちを素手で掘り出し始める。
「ごめんね、ごめんね……」
押し退けられた部員が苦言を口にするが、一切取り合うこともなく取り憑かれたみたいに小声で苗に謝りながら懸命に土を掘り返す。
見れば、流れ出した土に向かってわざわざ踏みつけた足跡までしっかり残っている。
「まだ助かる苗だけでも急いで育苗ポットに移しましょう!」
鈴木さんが一心不乱に掘り返してしまうことで踏みつけた足跡が消えてしまうが、今は一刻も早く苗を助け出さないとまずいだろう。
育苗ポットは用務員倉庫に保管してある。急いで取ってこようと踵を返した俺に、
「やはりうちの部の顧問に相談して撤去してもらうことにしよう」
これ見よがしに腕組みをして、顎をしゃくりながら石中部長が言い放った。
そう、睨み付けている白崎先輩でも、素手で土を掘り返している鈴木さんにでもなく、まっすぐ俺に向かって。
「……」
「今回は用具が埋まるだけで済んだが、こんな事故で万が一怪我人でも出たらどうするつもりなんだ? 管理も行き届かないんだから安全を考慮して撤去するのが妥当だろう?」
首を傾げて斜に構え、勝ち誇ったように片眉を持ち上げて俺を見下してくる。
――ああ、なるほど。俺に対する当てつけなのか。
今朝、朝練にやって来た大勢の運動部員たちの前で尻餅をついて恥をかかされた、これは仕返しなのだ。
【……この人、たちが、プランターを揺らして、……倒したのよ。……怖かったわ】
鈴木さんが掘り返した、土まみれになり茎が折れかけてしまったサフィニアの苗が切れ切れに声をあげて教えてくれる。
「ごめんね、本当にごめんね……」
プランターを倒された憤りよりも、ぐったりと弱っている苗をそっと両手で掬い上げる鈴木さんの姿にやるせなさを感じてしまった。
悲愴と言うより他なかった。
「待ちたまえ。常識的に考えて風が吹いた程度でこのプランターが倒れるはずないだろう?」
俺への視線を遮るように白崎先輩が小さな身体で石中部長に詰め寄る。
「倒れるはずがあるかないかを議論することに意味があるのか? 現に今、倒れている事実がここにあるんだぞ?」
「くっ、しかし…………っ」
ぐうの音も出ないまま口籠もってしまう白崎先輩に、優等生じみた正論を並べ立てて含み笑いする石中部長と、威光を笠に着てニヤけ面を浮かべている陸上部員たちこそが犯人なのだ。
この場の誰にもわからない犯人が、俺にだけはわかる。
しかし、それをどうやっても証明出来ない。
サフィニアがそう言っています。なぜなら俺は植物の声が聞こえます。
そんなことを口走っていったい誰が納得してくれるだろう。荒唐無稽すぎてまるで証拠にならない。
――俺は、なんて役に立たないんだろう。
他の誰でもない、俺に対する当てつけのせいでこんなことになってしまっているのに。
「では、邪魔だから明日の朝練までに撤去の準備だけでもしておけよ?」
「やれやれ、これでやっとグラウンド広く使えるわー」
「撤去する時くらいは面倒は見ろよなー、園芸部の持ち物なんだからよー」
話は終わりとばかりに石中部長が言い残し、陸上部員たちがヘラヘラと笑いながら立ち去っていく。
そのうちの一人が去り際に倒れたプランターをわざわざ蹴っ飛ばした。
「ッ!! ちょっと待――」
瞬間、ガラにもなくカッとなって頭に血が昇り大きく一歩踏み出した俺は、――不意に引っ張られる抵抗を受けてその場に留められた。
振り返った視線の先には、握りつぶしそうなほどの握力で俺の腕を掴んだ白崎先輩が無言で俺を見つめ首を左右に振っていた。
その信じられないほどの握力以上に、唇を噛み締めて感情を抑え込んでいる姿を目の当たりにして、俺は冷水を浴びせられたみたいに頭に昇った血が冷めていった。
……そうだ。ここで事を荒立てては相手の思うつぼだ。
問題行動を起こしてしまえば、相手に有利に働く材料を提供するだけだ。むしろそれこそが本来の狙いという可能性だってある。
「――お、おー怖い怖い。ぼ、暴力に訴えるとか考えられねえな」
「か、花壇の管理も出来なきゃ、部員の教育も出来ねえのかよ」
踏み出そうとして思い留まった俺を前にして、明らかに怖じ気づいて後退りかけていた陸上部員たちが、ここぞとばかりに捨て台詞を吐きながら早足で逃げるように去って行く。
「すみませんでした……」
「……構わないよ。さあ鮫島くん、急いで育苗ポットを取りに行こう」
ポンポンと俺の背中を叩いて、白崎先輩が無理やり笑顔を貼り付ける。
誰よりも一番、怒りに我を忘れそうだったのは先輩の方に違いないのに。俺はいったい何をやっているんだ、迷惑しかかけていないじゃないか。
「
そんな俺たちのやり取りになど目もくれず、一心不乱に苗を掘り返している鈴木さんの隣に
ほんの少し前まで裏庭で、しんどいながらも土起こしに汗を流していたあの時間がまるで幻だったとしか思えない、我が目を疑ってしまう光景だった。
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