第25話 白い粉

 今日の放課後からは、プランターの中にあった古い土の再利用と並行して、裏庭花壇の土壌改善作業を行うことになった。


 すぐに次のプランターの土を入れ替えても良いのだが、そうしてしまうと古い土の処理が追いつかなくなってしまう。用務員倉庫の培養土を全て使ったとしてもグラウンドのプランター全部の土を入れ替えるにはとても足りないのだ。

 そこで、手入れがされていなかった期間が一番長いらしい裏庭花壇に処理しきれない土を戻し、土起こしと同時に土壌改善してしまおうという作戦だ。


 コツコツと除草作業を進めていたおかげでさっそく土起こしを始められそうなのだが、改めて見渡してみると本当に手付かずで土も硬くなってしまっている。

 去年、白崎しろさき先輩が植え付けたムスカリの球根がよく芽を出して元気に花を咲かせたものだ。


 植物の生命力の強さには感心させられてしまう。俺も自分のひどい見た目を嘆いてばかりいないで強く生きていこう。


「……ふっふっふ、見たまえ鮫島さめじまくん。事前に用意しておいたブツだよ」

 ショベルを突き立てて作業を始めようとしていた俺に、白崎先輩がジャージのポケットから小さなビニール袋に入った粉末をチラリと見せてくる。


「いや、ブツって……」

「何なんですか、その白い粉?」

「シッ! 彩子あやこくん、声が大きいぞ……!」

「えっ、ヤバい代物なんですか……!?」

「ああ、そうだね……、これは上等なブツでね。末端価格でおよそ――」

「あの白崎先輩? 消石灰ですよね?」

 興が乗ってきたのだろう、鈴木さんに身を寄せてコソコソと耳打ちする白崎先輩には申し訳ないのだが、普通に土壌改善で使う消石灰だ。用務員倉庫に置いてあった。


「声を出すんじゃない鮫島くん! あと目線も外すんだ、取引を勘付かれてしまうからね」

「いや、ただの消石灰――」

「少しだけど彩子くんにも分けてあげよう。周りに注意してすぐに隠すんだよ……!」

 ぐいっとしな垂れかかるように身を預け、白崎先輩が白い粉の入ったビニール袋を取り出すなり鈴木さんのポケットの中にねじ込む。


「……す、すごい。とってもさらさらで、一目で上質ってわかりますね!」

「ふっ、うちのブツは上物だからね」

「この白い粉はどこで……?」

「……彩子くん、首を突っ込みすぎるのは感心しないよ?」

「あの白崎先輩? 鈴木さんも、消石灰なら用務員倉庫にたくさんありますよ……?」

 神妙な面持ちでブツとやらのやり取りを続ける二人に水を差すみたいで申し訳ないが、さっさと土起こしを始めて消石灰を蒔いて土壌改善と消毒に取り掛かりたい。


「た、足らなくなった時は……?」

「その時はまた私が手配しよう。ただし、使いすぎには十分に気を付けるんだよ?」

 ゴクリと生唾を飲み込む鈴木さん。確かに消石灰の使いすぎは土壌改善とはいえ悪影響を及ぼすので注意が必要だが、言い方をどうにか出来ないだろうか。


「えーと、そろそろ土起こし始めませんか……?」

「……鮫島くん、こういうのは雰囲気が大切なんだよ?」

「これ、わざわざ小袋に小分けしたんですか?」

「そうだとも。事前にグラム単位で分けておけば使いやすいし、せっかく白い粉なんだから雰囲気が出るだろう?」

「……俺が持ってると洒落にならなくなりそうなので止めてもらっていいですか? あと、白い粉って言わずにちゃんと消石灰って言いましょう?」

「この白い粉は今からさっそくキメるんですかー?」

 消石灰をポケットから取り出して鈴木さんが撒こうとする。


「土起こしをしてからなのでまだしまっておいてください。あと、言い方……」

「よーし、それじゃあ作業を始めようか!」

「ラジャー!」

 どこまで真面目に取り合えば良いのかさっぱりわからないまま、作業前からぐったり疲れてしまった。


 土が硬くなってしまっている分、中庭花壇の土起こしよりも重労働になるのは間違いないので、白崎先輩なりの気晴らしを兼ねた寸劇なのだろうと思うことにした。


 細かく休憩を挟み、白崎先輩の軽口に笑顔で応じる鈴木さんを見ながら着々と土起こしを進めるが、何しろ面積が広い。


「ここは元々は作物用の畑だったらしい。去年、私が入部した時にはすでに手付かずの状態だったから、何かが育っているのは見たことはないけれどね」

 白崎先輩が広い敷地を見渡しながらため息を零す。


 裏庭花壇とは言っているものの、確かに花壇の作りにはなっていない。広く奥行きのある敷地は作物を育てるための畑そのものだ。

 そしてさかえ先輩の園芸部と半分ずつ管理することになっていると聞いていたが、そちら側も当然ながら手付かずで辛うじて雑草防除がされているだけだ。

 俺たち三人がかりでもまだ半分も土起こしが済まないのに、榮先輩が一人でどうにか出来る面積とは思えない。


「まあ、陽和ひよりのやつが地面にデカ乳擦り付けて泣きながら助けを請うのであれば、手伝ってやらないこともないけれどね……。さあ、やれるところまでやってしまおうじゃないか!」

 俺の視線に気が付いたのか、白崎先輩がぷいっとそっぽを向きながらボソッと呟く。


 どうして素直に手伝うって言えないだろう。しかも、地面にデカ乳を擦り付けるってどんな状態なんだ? 土下座より難易度高そうだな……。


「そうですね! 半分だけ手付かずって変ですからね!」

「ええ、そうですね――」

 元気に答えながら鈴木さんが体操服の胸元を引っ張って汗を拭う。おかげで裾がめくれ上がりお腹が見えてしまって咄嗟に顔を背ける。

 鈴木さんの無頓着には本当に困る。こればっかりはどうにも慣れないせいで狼狽えてしまう。


「はあはあ……っ、ちょっと! 大変よっ!」

 気にしていないふりで改めてショベルを土に差し込んで作業を再開したところに、たったいま話をしていた榮先輩が息を切らせながら慌てた様子で走って来た。


「……チッ、なんだ? 性懲りもなくデカ乳ぶりんぶりん振り乱しながら走ったりして。クーパー靱帯にトドメでも刺すつもりなのか?」

 心の底から忌々しそうに舌打ちをして白崎先輩がジト目を投げかける。


 うん。確かに見ているこっちの頭がつられてしまいそうなくらい縦横無尽に揺れていた。その点については完全に同意するしかない。


「う、うるさいっ、はあはあっ……、大変なのよ、グラウンドのプランターが――」

 よほど全力で駆けてきたのだろう、榮先輩が息も切れ切れに膝に手を付いて言葉を紡ぐ。


 それを聞き終わるより早く、今度は鈴木さんが手にしていた鍬を放り投げて猛然と走り出していた。


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