第24話 寄せ植え
鈴木さんのリクエストに応えながら、発注のためにスマホを難しい顔で睨み付ける
これでもかと先輩がドヤ顔に腕組みでふんぞり返ってみせるので、心ゆくまで頭をなでなでしてあげると猫みたいに目を細めていた。
この人、本当に先輩なのだろうか……?
【あら、見晴らしの良いところね。気に入ったわ】
翌日届けられた、まだ蕾を付けたばかりのサフィニアがグラウンドを一望してそんな気取ったことを言ってのける。
気に入ってもらえて何よりだ。プランターの準備も整って培養土もふかふかだから期待してろよな。
植え込みは興奮冷めやらぬ鈴木さんに任せて、プランターから運び出した古い土のリサイクルを始めることにする。
土を荒目のふるいにかけてゴミを取り除く地道な作業だ。
量が量だけにテキパキ済ませていかないと、いつまで経っても次のプランターの入れ替えに取りかかれない。
「
黙々と作業していた俺の元に駆け寄ってきて、嬉しさが隠しきれずに笑みを零す鈴木さんが手を引いてくる。
その気持ち、わかるよ。
植え込み終わったプランターは誰かに見せたくなるものだ。寄せ植えともなればひとしおだ。
「あのね、ロベリアとニチニチソウをこの辺に並べてみたの! そしてこの苗がリーダーのサフィニア! 青い花が咲くんだよー。わたし青色が大好きなの! ひひひっ!」
意気揚々と花の配置を早口に説明しながら、咲き誇った時の様子を想像して我慢しきれずに笑みを零し続ける。
青色か。
……鈴木さんの自宅で目撃してしまったパジャマは濃い青だったし、畳まれた洗濯物の上に鎮座していたブラジャーも淡いブルーだった。
なるほど、確かに好きなんだな。
「ん、鮫島くん――」
迂闊にも不純なことを思い出してしまった俺に向かって、ぐいっと顔を近付け覗き込んできたかと思うと、ふいに伸ばした手で俺の頬に触れてくる。
「え……」
「取れたー、土汚れ!」
気付かないうちに付いていたのだろう、そっと指で拭い取ってニッと口元をほころばせる。
不誠実な記憶に狼狽えていた俺を見透かしているのだろうか、夕日を反射する眼鏡のせいで鈴木さんの表情までは見えない。
けれど、その顔はやけに赤く火照っているように見えた。
「……わたしにはね、この子たちが喜んでくれてるみたいに感じたんだけど、やっぱりちょっと不安で……。綺麗に、咲いてくれるかな……?」
手を出し過ぎて自室でいくつも枯らしてしまったパキラのことを思い出しているのだろう、不意に視線を落として弱々しく呟く。
まだまだ小さな蕾を付けただけの、鈴木さんがリーダーだと言っていたサフィニアの苗に耳を澄ませてみる。
【……この子の手、灼熱みたいに熱を持ってて、植え込まれている間は熱くて仕方なかったけれど今は平気よ。それにこの土、とても心地よくて落ち着くわ】
やはり熱かったようだが、前にアドバイスした通りに丁寧に植え込まれていることは見ればわかる。なによりサフィニア自身がこう言っているのだ。
「ええ、大丈夫ですよ。こいつらも喜んでます。綺麗に咲いてくれますよ」
「ほんと? よかったー、ひひっ、ひひひっ!」
俺の言葉を受けて、鈴木さんが堪えきれずに一層にまにまと微笑みを零す。
【変な笑い方ねー、ひひー!】
【ほんとほんと! うひひっ!】
本当に、心の底から花が大好きなんだな。
きっと植えられている最中は熱い熱いと阿鼻叫喚だったろうに、今はもう時折吹き抜ける風に葉を揺らしながらロベリアとニチニチソウが笑い方を真似して面白がっている。
ひひひ、うひひっ、と調和するみたいに耳に届く柔らかな声にこっちまで笑みが零れてしまうのだった。
「鈴木さんの水やりは上手になったか?」
【うむ。最初に比べればずいぶんとマシになったぞ】
ここのチューリップは頑固親父みたいな喋り方だが、見た目はかわいらしいピンク色だ。
鈴木さんが嬉々として寄せ植えを見せてくれた翌日、正門花壇の朝の水やりは俺が行い、鈴木さんはグラウンドのプランターへと向かってもらった。植え込みからそれ以降の管理まで、花が咲くまでは鈴木さん一人でやってもらうためだ。
【まだちょっぴり水の勢いが強い時もあるよねー?】
【そうそう、鼻歌フンフン歌い始めると勢いが増すのよね】
パンジーの指摘にアネモネが頷く。
実際に頷いているわけではないが、そんな調子で同意を示して葉を揺らすのだ。
しかしまあ、上達はしているようなのでひとまずは問題ないだろう。鼻歌が出るほどルンルン気分で踊るように水やりをしている姿が目に浮かぶようだ。
手早く水やりを終えホースリールを戻した俺は、土のリサイクルをしている白崎先輩を手伝うために用務員倉庫へと向かう。
今日中に土をふるいにかける作業を終えて、明日にでも次のプランターに取り掛かりたいところだ。
用務員倉庫に向かって歩いている途中、グラウンドの側を通りがかったところで朝練にやって来た陸上部員の男子数名と鈴木さんの姿が見えた。
昨日、植え付けたばかりのプランターの側で何事か話をしているようだ。
俺にしてくれたみたいに喜び勇んで花の説明でもしているのだろうかと思った矢先、
「だから、このプランターを荷物置き場にしないでくださいっ!」
鈴木さんのひときわ大きな声が響いてきた。
声の調子から疑いようもなく剣呑な雰囲気が伝わってくる。
「はあ? 今までずっとここは荷物置き場だったんだぞ? いきなりなに言ってんだよ?」
「てか、この邪魔なだけの石の箱ってプランターって名前なんだ。へえー」
「ほらほら、練習の邪魔だからあっち行けよ」
鈴木さんにさらさら取り合う気もない陸上部員たちが、口々にそんな調子であしらいながら練習で使う大小さまざまなハードルだったり、何に使うのかわからない縄梯子みたいな用具をガチャガチャとプランターに立て掛けていく。
「おーい一年、スターティングブロックは今日はこっちなー」
そのうち一人の陸上部員が間延びした声でそんなことを言いながら、肩にかけていたスポーツバッグをプランターの土の上に放り出す。
言うまでもなくそこは昨日、鈴木さんがサフィニアの苗たちを植え付けていた場所だ。
「――やめてくださいっ!」
悲鳴めいた声をあげてスポーツバッグを持ち上げるなり足元に叩き付ける。何が入っているのかはわからないがガシャンと不穏な音が響き渡る。
「おいっ、なにやってんだ!」
「ここには花が植えてあるんです! 物を置いたりしないでっ!」
スポーツバッグを叩き付けられた部員が怒声を上げるが、鈴木さんは怯むこともなく食ってかかる。
普段はふわふわした明るい性格なのに、じつはああ見えて土壇場ではけっこう気が強いのかもしれない。
しかし、そんな悠長なことを考えている場合ではない。
これ以上大事になってしまう前に仲裁に入らなければ。
「あの、ちょっとすいません」
「あぁ!? なんだよ――」
背後から声をかけられた陸上部員が冷めやらぬ怒りを露わにしながら俺に振り返り、
「――――――――っ!!」
表情を一瞬で引き攣らせて、気圧されたみたいに尻餅をついてへたり込んでしまった。
白崎先輩や
しかもこの人、白崎先輩に言いくるめられて舌打ちしてた陸上部部長で三年生の、確か石中先輩じゃないか。
まあ、相手が誰であれ関係はない。
なぜか状況の緊迫感が一気に増してしまったように感じるが、これでも俺は仲裁にやって来たのだ。一方的に威圧するために来たわけではない。
「あー……、この苗なんですが、これから花が咲くんです。えー……、なので、その、上に物を置いたりはやめてもらえると助かります」
花に詳しくない人にはまだ蕾の苗と雑草の違いはわからないだろう。
どう説明するのが手っ取り早いだろうか考えながら喋ってみるが、いまいちうまくいかない。案の定、
「……おい、コイツ一年の鮫島だぞ。……父親が暴力団の組長って噂の」
「それって次期組長ってことだろ……!? ホンモノじゃねえか……」
「中庭の花壇に死体埋めるために穴を掘ってたって噂になってた鮫島か……!?」
尻餅をついたまま愕然とした表情で俺を見上げて身動き取れずにいる石中部長の後ろで、取り巻きの陸上部員たちが俺から視線を逸らしてヒソヒソと耳打ちを始める。
なんだよ、死体埋めるために穴を掘ってたって……。花壇の土起こしがそんな噂になっていたのか、むしろすごいな……。
「えっと、そういうわけなんで、ここに物を置かないでもらえますか?」
なるべくやんわりと言葉に気を付けながら、尻餅をついた石中部長にそっと手を差し伸べる。すると、辺りから息を飲むようなか細い悲鳴が聞こえて気が付いた。
朝練のために集まってきたのだろう、いつの間にか俺たちを他の運動部の部員たちが遠巻きに囲んで事の成り行きを見守っていた。
手を差し伸べた俺の行動を、今まさに暴力でも振るおうとしたみたいに勘違いしての悲鳴だったのだろう。
慌てて手を引っ込め、自宅の鏡の前で何度も練習した笑顔を浮かべて見せる。
「――――――ヒッ! 殺られるっ!!」
「お、おいっ、目を合わせるなっ……!」
「ちょ、ちょっと! ユミが失神したわ! 誰か手を貸してっ!!」
周りを取り囲んでいた人の輪が、あれよあれよという間に蜘蛛の子を散らす勢いで騒然と引いていく。もはやパニック映画のワンシーンみたいだ。
咄嗟に浮かべた笑顔だったのにまんまと逆効果だったみたいだ。今さら気が付いても手遅れのようだが。そろそろ本気で傷付くぞ?
「うっ……、くっ……」
辛うじて膝に手を付いて石中部長がよろよろと立ち上がり、忌々しそうに、けれども直視はしない程度にチラリチラリと俺を睨み付けてくる。
「あ、大丈夫ですか――」
「なに見てるんだっ! さ、ささっ、さっさと練習を始めるぞ!」
改めて声をかけた俺を遮って、石中部長は取り巻きの部員たちを怒鳴りつけながらくるりと背を向けてしまう。
それを合図とばかりに、先ほどよりもさらに遠巻きに取り囲んで見ていた他の運動部員たちもそれぞれの練習場所へと散り散りになっていった。
あくまで穏便に仲裁に入ったつもりだったのだが、はたしてこれで良かったのだろうか? なにはともあれ、ひとまずは事なきを得たと思いたい。
すぐ側にいた鈴木さんは、スポーツバッグを投げ込まれた苗たちの葉に付いた土を優しく払って落としていた。
【熱っ、……あっつ!】
【わたしたちは平気よ、熱っ!】
懸命に土を払い落とす鈴木さんに触れられるたびに、苗たちから悲鳴じみた声が聞こえてくる。思ったよりも元気そうで一安心だ。
「おっと、どうなったんだい? もう騒ぎは終わったのかい? チッ、一足遅かったみたいだね。あのいけ好かない石中が恥をかいてるところを見逃してしまったよ!」
騒ぎを聞きつけてなのか、用務員倉庫で作業をしていたはずの白崎先輩が俺の隣に駆け寄ってきて悔しそうに地団駄を踏みながら吐き捨てる。
「いや、恥をかかせていたわけじゃないですから……」
俺としてはこの上ないほど温厚に、極めて平和的な仲裁に入っただけなのだ。周りを取り囲んでいた人たちにそう見えていたかどうかは甚だ疑わしいのだが。
しかし、やはり俺の取った行動は平和的な仲裁とは受け止められなかったようだった。
何事も楽観視しすぎは油断を招いてしまうこととなるのだ。
これまでに幾度となく経験してきたはずなのに、どうしてこれでお咎めなく丸く収まってくれるだなんて胸をなで下ろしてしまったのか。
――俺の気掛かりは最悪な形で的中してしまうことになるのだ。
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