第21話 ぶるんぶるん
鈴木さんがコツを覚えてくれたおかげで花壇への水やりも一人で問題なく出来るようになり、翌朝からは三人がそれぞれ持ち場を分担して作業をすることになった。
そして俺は、昨日のうちに終わらなかった中庭花壇のすき込み作業だ。
昨日のうちに終わらなかった原因は言うまでもなく先輩二人がじゃれ合っていたせいだったが、分担してやり始めてしまえば余計な邪魔が入らない分、予定していた面積はすぐに片付いてしまった。
「………………こ、これは、あなたがやったの?」
背後からの震える声に振り返ると、かわいそうなほどにへっぴり腰で膝を震わせながら綺麗に整えられた畝を指差す
「はい。ついでだったので」
予定していた分がすぐに片付いて手持ち無沙汰だったので、昨日ずっと気になっていたいびつな形の畝を均一に整えておいたのだ。
白崎先輩が花壇と畑の境界線を口うるさく言っているわりに明確な線引きもされていなかったので、わかりやすい境界となる淵に深めの溝も作っておいた。
「…………はっ、わかったわ、
初めてスケートリンクに立った初心者みたいにガクガク膝を震わせながら、見よう見まねで両手を構えて抗戦の姿勢を取る。
よかれと思って勝手にやったことだったが裏目に出てしまった。
「いや、俺が勝手にやっただけでそういうことじゃないですから……」
「…………ひぃっ、だ、だったら、あたしの身体が目当てなのね!? う、裏社会に沈めて身体で稼がせるつもりでしょう!? ひどいっ!!」
「いや、本当に違いますし裏社会に繋がりとかないですから……」
頭上に手を挙げて無抵抗を示すのだが、両手で胸を覆い隠して青ざめながら唇を震わせる先輩には俺の言葉は一切届いていない様子だ。
それにしてもすごく具体的な被害妄想だな、あれだけ執拗に胸を鷲掴みにされ続けるとこんなに疑心暗鬼になってしまうのか……。
「…………だ、だったら、どんな見返りを要求するつもりなの!? お、お金なんて持ってないわよっ!?」
口元を引き攣らせて、お金はないと言いながらジャージの上着ポケットをぎゅっと押さえる。きっとそこに財布でも入れているのだろうが行動が素直すぎる。
するとポケットの中から汗拭き用であろうタオル生地のハンカチがぽろりと地面に落ちた。
しかし俺から怯えた視線を逸らさない先輩は気が付いていない。
「あの、落ちま――」
「ひいぃぃぃぃっ! 犯されるぅぅぅぅっ!!」
「いや落ち着いてくだ――」
「あ、あああ、あたしっ、こんな胸だけどみんなが勝手に言ってるみたいな経験豊富じゃないし彼氏もいたことないから許してええぇぇぇぇっ!!」
「そのハンカチが――」
「Hもないからっ! ギリギリGだからあぁぁぁぁっ! にゃああぁぁぁぁっ!!」
落ちたハンカチを指差そうと一歩踏み出した瞬間、切り裂くみたいな悲鳴を上げて取り乱し始めた榮先輩は、聞いてもいないことを泣き叫びながら一目散に走って逃げ去ってしまった。
まるで為す術もなく一方的で怒濤の展開を前に言葉を失ってしまい、取り残されたハンカチを拾い上げて余計なことをしてしまったかとため息を零したところに、
「鮫島くん、今そこで榮先輩が叫びながらダッシュしてたんだけどぶるんぶるん凄かったんだよー! こう、ぶるんぶるんって!」
水やりを終えてこちらに合流してきた鈴木さんが、体操着の上から自分の胸をぐいぐい持ち上げて見せながら興奮気味に説明してくる。
「あの、えっと、わかりましたから……」
榮先輩と比べてしまえば鈴木さんの胸はおとなしめに見えてしまうのだが、それでもそんな風に持ち上げて揺らされると目のやり場に困ってしまう。
いや、本人がやって見せているのだからマジマジと見つめても問題はないのか?
……いやいや、ダメだろう。鈴木さんが無頓着なのをいいことにいかがわしい視線を向けて良いはずがない。
「あんなの見ちゃったら白崎先輩が毎日揉みしだいちゃうのも頷けるよー」
「……そういうものなんですか?」
「だってこう、ぶるんぶるんだったんだよー? ぶるんぶるんって!」
「わ、わかりましたから!」
どうしてそんなにしてまで揺れを再現しようとするのだろう。なにが鈴木さんをそこまで駆り立てるのかまるでわからない。
「わたしもボタニカルクローを教わろうかなー」
「やめてあげましょう?」
執拗に鷲掴みしようとしてくる輩が増殖していくなんて気の毒でしかない。
それにしても良かれと思って畝を整えただけなのだが悪いことをしてしまった。ハンカチを届けるついでにきちんと謝らなければ……。
我が校は学年ごとに校舎が別になっており渡り廊下で行き来できるようになっている。
HR前に榮先輩の教室にハンカチを届けようと二年生校舎への渡り廊下を歩いていると、
「おいっ、一年の鮫島がカチコミにやって来たぞっ!」
「鮫島って、あの暴力団の一人息子の!?」
「せ、先生を呼んできて誰かっ!? 誰かあぁぁっ!!」
「大声を出すな……、目線も合わせるな。覚えられたら終わりだぞ……!」
「けど見ろ、丸腰だぞ……?」
「バカッ、全身にエモノ仕込んでるに決まってるだろ!」
などと、二年生校舎全体が一瞬で騒然とし始めたので諦めた。
もっと単純に、同じクラスだと言っていた白崎先輩に手渡してもらう手もあったが、
「なに、
と、あくどい笑みを湛えてイタズラの範疇で収まらないことをやらかすのが目に見えるようだったので即刻却下となった。
そうこうしているうちにあっという間に昼休憩になってしまった。
どうしたものかと考えていたところで、屋上菜園を手に入れた榮先輩がいつも昼休憩は自由気ままに屋上を独り占めしていると白崎先輩が憎々しそうに話していたことを思い出した。
そこなら先輩も一人きりでちょうど良い。他に邪魔も入らないだろうしハンカチを届けに行こう。
「ここは関係者以外立ち入り禁止――」
階段を昇りきって屋上へと続く重いドアを開けると、降り注ぐ陽射しの中で小さなプランターの前にしゃがみ込んでいた榮先輩と目が合い、
「にゃああぁぁぁぁっ!? こっ、ここ、こんな人気のないところにまで追い詰めて……!」
ホラー映画の被害者みたいに表情を歪めて恐れ戦かれてしまった。
語弊しかなかったのであえて訂正させてもらうと、人気のないところに来ているのは榮先輩の方で間違っても俺が追い詰めたわけではない。
ただまあ、それを言ったところで詮無いだけだしこうなるであろうことは予想していた。
なので、ポケットからハンカチを取り出して差し出しながら、
「今朝、中庭で先輩が落としたハンカチです。どうぞ」
必要なことだけを手短に伝える。
腰をくの字に折り頭を下げたまま両手を添えて差し出す様は、さながら上納金を差し出す若い衆みたいに見えているだろう。幸い屋上には榮先輩しかいないので助かった。
「……あたしの?」
「押忍」
「…………なくしたと思ってたハンカチ?」
「押忍っ」
「…………………………盗ったの?」
「お――、違います」
「…………………………………………………………あ、ありがとう」
たっぷりと間を置いて、おずおずと俺の手からハンカチを受け取ってくれた。
ずっと頑なに警戒し続けていた保護猫が、恐る恐るながらも初めて手ずから餌を食べてくれたみたいな感動を覚えてしまう。
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