第22話 合法ハーブ
【わぁー、怖い顔の人間ーっ!】
【きゃあーっ、わたしたちまだ食べられないよー!】
怯えさせてしまうので
導かれるみたいに近付いてみると、並べられたプランターにトマトの苗が植えられ、きちんと誘引用の支柱も立てられていた。
【わぁー、まだ食べれないってばー!】
プランターの土に触れようと手を伸ばすと苗が必死に訴えてくる。そんなに食らい付きそうな顔に見えるのだろうか?
トマトの訴えを聞き流しながら土の状態を確認してみると湿っていた。
「このトマトには、水はどれくらい与えていますか?」
「え……、う、植え付けてから毎日だけど……、その苗を見てトマトってわかるの?」
「はい、うちのベランダでも育てているので。それで水やりなんですが、トマトは毎日水やりをする必要はありません。最悪、根腐れを起こします」
「え、そ、そうなの……?」
「はい。プランターで育てる場合は土が乾燥してもまだ早いくらいです。土よりも葉の状態を見て、葉が萎れ始めてきたくらいでちょうど良いです」
おそらく植え付けられたのも最近なのだろう、苗たちの声の調子もまだまだ元気そうなので今から水を控えれば問題なく育つはずだ。
「詳しいのね……」
「いえ、そんなことないです。トマトは水の緩急で実の甘みが増してきます。あとはバジルを一緒に植えると余分な水分を吸収してくれますし害虫を遠ざけてくれます。コンパニオンプランツとしてトマトとバジルは食べる時の相性も最高です」
「ちょ、ちょっと待って、メモするから。えっと、バジルってハーブよね? 一緒に植えると良いのね……」
榮先輩がメモを取るためだろう、スマホを取り出してスイスイ操作し始める。
畑の畝の作り方やトマトのための支柱もそうだが、野菜を育てるための知識はしっかり持っているようだ。
スマホの操作を苦手にしていて、怒濤の行動力でとりあえず前へ前へと進もうとする
「バジルの苗、持ってきましょうか? 自宅のベランダで育てているので株分けして持ってきますよ。……その、変に怯えさせてしまったお詫びと言ってはなんですが」
「え、いいの……? ――はっ! もしかして
ビクンと思い出したように戦慄して胸を隠しながら後ずさる。
ひとまず胸元を隠してガードする癖は、白崎先輩のボタニカルクローで執拗に狙われすぎた条件反射なのだろう。じつに痛ましい……。
「違います、本当に。……あの、どうしてそんなに白崎先輩と諍いが絶えないのか聞いても良いですか?」
「………………諍いっていうか、華蓮が一方的に……」
「去年の夏に何か問題が起こって、元々一つの部活だった園芸部が分裂することになったということだけは聞いています」
俺の言葉にしばしの思案顔で腕組みしていた榮先輩だったが、やがてぽつぽつと語り始めてくれた。
「……去年の夏に緑のカーテンを作ることになって、華蓮はアサガオであたしはゴーヤを主張したのよ。最後までお互いに譲らなくって、だったら両方育てようってなったの。それでゴーヤは苗を買ってきて華蓮は自宅からアサガオの種を持ってきたの」
「あの、まさか混植したんですか?」
「…………ええ、しちゃったのよ、知らなかったから。しかも同じプランターで」
きっと去年の様子を思い出しているのだろう、ため息交じりに榮先輩が渋い顔をする。
先ほどのトマトとバジルのようにお互いの生育を助ける相乗効果のある組み合わせをコンパニオンプランツ、混植という。
そして当然ながら、なんでもかんでも混植すれば良いわけではなく、逆に混植に向かない組み合わせも存在する。
夏の強い日差しを遮ってくれる緑のカーテンはエコの観点から取り入れている人も多く、野菜ではゴーヤやヘチマなどが一般的で、花だとやはりアサガオが有名だろう。しかし、ゴーヤとアサガオの混植にはかなりコツが必要なのだ。
先輩の話だと同じプランターに植え付けたそうだが、これだと苗で植え付けたゴーヤが土の栄養をたくさん吸い上げてしまい、種で植え付けたアサガオに栄養が残らなくなってしまう。
二つのプランターでそれぞれ別に育てるのが理想なのだが、隣り合って蔓を這わせると今度は双方が葉を広げて日光の奪い合いになるのだ。
生育のタイミングをずらしたりすることでお互いを綺麗に混植させて彩りのある緑のカーテンを作っているものも見かけるが、考えなしに混植しても良い結果にはならないことがほとんどなのだ。
「同じプランターで、ですか……。それで、どうなったんですか……?」
「……あたしのゴーヤがみるみる育って、華蓮のアサガオはうまく育たなかったの」
「土の栄養を持って行かれて、日光まで遮られますからね……」
「結局、アサガオは少ししか咲かなくて、それから華蓮があたしのことを目の敵にするようになったのよ……」
「白崎先輩は自宅から種を持ってきたくらいですから、アサガオに強い思い入れでもあったんでしょうか?」
アサガオへの思い入れは俺にもある。
なにしろ初めて植物の声が聞こえたのがアサガオだったのだから。
「……わからないわ。少ししか咲かなかった白いアサガオを指差して『私のアサガオの養分を吸い取ってまで太らせたゴーヤをデカ乳の栄養にするつもりだろう! なんて節操の無さなんだ! 許されない暴挙だ!』って事あるごとに難癖付け始めて……」
「本当に難癖ですね……」
「それで、収穫する時期になってもヘソを曲げっぱなしで華蓮だけゴーヤを収穫せずに放っていたのよ」
「え、まさか……」
収穫時期を極端に過ぎてしまったゴーヤは熟しすぎて、みるみるうちに緑から黄色になり最終的にオレンジ色へとなって――、
「爆発したの」
その時の様子を思い出しているのだろう、榮先輩が肩を竦めて身震いする。
そう、ゴーヤの実は爆発するのだ。
正確には、熟し切ったゴーヤの実は自ら割れて種を外に出すことによって動物たちを誘い、その動物たちの糞から新しい土地へと運ばれて土に帰り次の芽を出すのだ。
そのゴーヤの実の割れ方がまるで爆発したかのような反り返り方をして、知らずに初めて見た人には微妙にグロく映ってしまうのだ。
……もしググって確認するつもりなら、自己責任でお願いする。
「……災難でしたね」
「それを見て失神しかけてから『このデカ乳! アサガオの養分を奪っただけでは飽き足らず何の嫌がらせだ!?』って攻撃的になって……」
それで榮先輩の胸に対して執着するようになったのか。不幸の連鎖って恐ろしいな。
「ですが、アサガオは白い花だったんですね?」
「ええ、ほんとに少しだったけどゴーヤの根元辺りに白い花を咲かせてたわ。……それで、花が少なかったのがよっぽど気に入らなかったみたいだから、こっそり種を取っておいたのを増やして返してやろうと思って……」
屋上にやって来た時に先輩がしゃがみ込んで作業していたプランターを見つめる。
よく見ると、側に数粒のアサガオの種が用意されている。
あれだけ胸を揉みしだかれる等の嫌がらせを受けながら、けなげに屋上でこっそりアサガオを育てようとしているなんて、榮先輩すごくいい人なんだな……。
「わかりました。話してくれてありがとうございます」
「アサガオのこと華蓮には内緒にしてね……? それと……、あたしも、ありがとう。……畑の畝もだし、ハンカチも」
「いえ、ぜんぜん。ついでだっただけですから。それでは――」
「ちょっと待って。ほら、ここから見てみて」
礼を述べて立ち去ろうとする俺を、榮先輩が戸惑いがちに呼び止めて屋上のフェンスを指し示す。
そこからは屋上だけあって遮るものもなく広いグラウンドが見渡せた。
「良い景色でしょ。だから……、中庭の花壇もいいけど、グラウンドのプランターを先にどうにかしなさいよ」
見下ろすグラウンドには手付かずの大型プランターが並んでいる様も当然一望できる。
確かに、ここから見下ろしたプランターに花が咲き誇っていたら景色もきっと華やぐだろう。
「わかりました、白崎先輩に提案しておきます。それとアサガオの種の植え付けはもう少し暖かくなってからの方がいいです。五月の連休明けくらいが良いと思います」
「そう、連休明けね、わかったわ」
俺は会釈を返して屋上をあとにした。
たぶん榮先輩は気が付いていないのだろうが、こっそりアサガオを育てようとしているのだから黙っておくことにした。
アサガオの花言葉は結束。
さらに白いアサガオにはもう一つ、――固い絆。
どんなにいがみ合っていても本当は通じ合ってるらしい先輩たちに、俺みたいな極道面が花言葉なんて口にして薄気味悪いと思われるのは嫌だからな。
「……え、ほんとうに貰っていいの?」
「はい。トマトの苗の側に植えてやってください」
翌日、朝の中庭にやって来た榮先輩に自宅から株分けして持ってきたバジルの苗を手渡す。
【ねえねえ、この人間は胸に何を隠してるの? メロンかしら?】
手渡したバジルの苗が、体操着を押し上げる榮先輩の膨らみに興味津々な様子だ。
ただ、それはメロンじゃない。
メロンくらいのサイズはあるが、メロンじゃないんだ。察してくれ。
「あ、ありがとう……」
【ねえねえ、何なのこのでっかいの? 何くっつけてるの? 重くないの?】
榮先輩が受け取ったバジルに視線を落とすが、バジルは榮先輩の胸部に釘付けになっている。
重いだろうよ、きっとな。
詳しくは俺にだってわからない。俺だって気になっているんだからもう黙ってろ。
そうやって、笑顔で踵を返して屋上菜園へと向かう先輩の後ろ姿を微笑ましく見送った。
……ところまでは良かったのだが、俺と榮先輩は昼休憩に生徒指導室に呼び出された。
中庭でバジルの苗を手渡していたところを朝練にやって来た別の生徒に目撃されたらしく、
「一年の鮫島が二年の榮に怪しい葉っぱを手渡していた!」
「ブツの取引現場だったに違いない……」
「榮って、鮫島からのブツを横流しする売人だったのか!?」
「オレ、榮のことちょっといいなって思ってたけど関わるのよそう……」
などと瞬く間に噂になって、二人揃って真偽を確かめるために呼び出しを受けたのだ。
「違いますっ! そんなヤバいブツの取引なんてするわけないじゃないですか!」
「先輩落ち着いて、ブツとか言うのやめましょう?」
「あれは普通に合法のハーブですから!」
「いや先輩、言い方が――」
「正真正銘、純度100%のハーブです!」
「純度とか言わないでください……」
「おハーブですわ――」
「言わせねえよっ!?」
必死に釈明する榮先輩を落ち着かせながら、語弊のないように先生を納得させるのに無駄に時間がかかってしまった。
やっと生徒指導室から解放され教室に戻ろうとしたところに、
「………………鮫島くん。
「いや、それはですね――」
「ずばり、胸を大きくする秘薬の原料だろう? ……ズルいじゃないか! どうして私には融通してくれないんだい!? 可能性か? もはや可能性がないとでも言いたいのかい!? それともすでに手遅れで、秘薬を使ったところでもうどうにもならないとでも!?」
待ち構えていた白崎先輩からあらぬ言いがかりをかけられて、こちらの釈明にまで時間を取られ敢えなく昼飯を食べる時間がなくなってしまったのだった。
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