第20話 二人の相性

「次はその顔に糞パックしてやろうじゃないか……!」

「やってみなさいよ、アンタの身長伸ばすために頭に糞を盛ってやるわよ……!」


 お互いに間合いを計って身構える。


 剣の達人が研ぎ澄まされた緊張感の中で相対しているかのようだが、白崎しろさき先輩とさかえ先輩の二人が握り締めているのは糞だと勘違いしている堆肥だ。あまりに落差がひどすぎる。


「先輩っ、落ち着いてくださいっ! 良いこと教えてあげます! さっき知ったんですけど、鮫島さめじまくんって思ったより固くておっきかったんですよー! すごくないですか? 先輩も握らせてもらえばわかりますよー!」

 相対する先輩二人の間に割って入るなり、鈴木さんが話題を変えて剣呑な雰囲気を払拭しようとそんなことを叫ぶ。


「……君たち、私が害虫デカチチムシと遭遇していた最中に倉庫で何をしてたんだね……?」

「か、固くて……、おっきい…………って誰が害虫よっ!?」

「いや、違いますから! 手ですよ、手っ!」

 あえてなのかうっかりなのか、鈴木さんが主語をぶっ飛ばしたせいであらぬ誤解を招きかける。

 俺は慌てて手のひらをかざして先輩二人に大きく示す。


「――な、なんだ……、手ね……。もうっ、びっくりさせないでよ彩子あやこちゃん」

「隙ありっ! デカ乳にダイレクト糞アタッーーーーク!!」

「にゃああぁぁああぁぁぁぁっ!!」

 白崎先輩がキラリと目元を輝かせ、うっかり気を逸らしたほんのわずかな隙を見逃さず、榮先輩の体操着の首元を強引に引っ張り大きな胸の谷間にズボッと堆肥をねじ込む。


 堪らず断末魔の叫びを上げた榮先輩が足をもつれさせて、さっきまで自分たちが蒔き散らかした堆肥の上に倒れ込む。見ていてかわいそうなくらいに踏んだり蹴ったりだ……。


「なにすんのよ!? 中まで堆肥まみれじゃないっ!!」

「ふはははっ! デカ乳の白いブラが堆肥色に染まったぞ! ざまあないなっ!!」

 不遜な腕組みに高笑いで見下ろす白崎先輩を、体操着の裾から堆肥をぼろぼろ零しながら榮先輩が忌々しそうに睨み付ける。堆肥色というか、それはもうただの泥汚れだ。


「……あの、土起こし始めたいので、着替えるなり洗ってくるなりしてもらえますか?」

「「……………………ひぃっ、ごめんなさい」」

 いつまで経っても終わりそうにない無益な争いに、極めて冷静に正論を突き付けて大人しくしてもらう。


 白崎先輩は叱られた犬みたいにしゅんと頭を下げ、榮先輩はガクガク恐怖に怯えながらとぼとぼと二人並んで校舎へと歩いて行く。


 慣れているとはいえ、軽く窘めただけでそこまで怯えられると傷付いてしまう……。


 しかし――、

「牛から排泄されたものが牛女のデカ乳に戻ったんだ。リサイクルじゃないか、喜べ」

「どこに喜ぶ要素があるのよ! あー、もうっ! ブラの中まで入ってんだからね!?」

「デカ乳に栄養を回してこれ以上まだデカくする気か? まったく、節度ってものを知らないのか……?」

「アンタが入れたんでしょうがっ!!」

 三歩ほど歩いただけでまたすぐに不毛な口論が始まり、校舎の中に見えなくなるまで言い争いは続いていた。


 ……本当はめちゃくちゃ仲良しだろ、あの二人。


「俺が深く掘り起こしますから、白崎先輩と鈴木さんは俺が掘り起こした土を砕いてください。せっかくですから耕土を深くしましょう」

 先輩二人が体操着からジャージの上着に着替えて戻ってきたところで、土起こしの開始とともに提案してみる。


「こうど?」

「耕された土の層のことです。耕土が深いほど植物の根が広がりやすくなって、養分や水分をしっかり吸収してすくすく育ってくれます。最低でも20センチは欲しいですね」

 首をかしげて見せる鈴木さんに説明する。そんな鈴木さんのすぐ後ろで白崎先輩も同じように首をかしげている。


 俺の記憶が確かだったら白崎先輩は部長だったはずなのだが……。うん、見なかったことにしよう……。


 俺は手にしていた剣先ショベルに片脚を乗せてグッと花壇に差し込み、テコの原理で土を掘り起こし、

「こうやってどんどん掘り起こしていくので、この起こした土を鍬で砕いて細かくしながら堆肥をすき込んでいってください」

「ラジャー!」

「任されたっ!」

 鈴木さんが敬礼のポーズを決め、白崎先輩はニッと口の端を持ち上げて親指を立てて見せる。


 俺たちがやっと作業を開始した隣の畑では榮先輩が、結局のところ一緒に使うことで納得した堆肥をすき込みながらすでに畝を作っていた。


 こちらものんびりしていないで手を動かすことにしよう。

 俺がどんどん掘り起こした土を鈴木さんが鍬で砕き白崎先輩が堆肥をすき込んでいく。


 それ以上に説明することなどない、はっきり言って地味な作業だ。

 しかし、地味で単調な力仕事とはいえ、一番最初にこうやってふかふかの土にしてやることで花たちが元気に育ってくれるのだ。俺はこの作業を苦痛に感じる人には植物を育てる権利はないとまで考えている。


「先輩、次は何を植える予定なんですかー?」

 コツを掴んできたのか、鍬で土を突き崩しながら鈴木さんが白崎先輩に問い掛ける。


「そうだねえ、時期的にインパチェンスあたりを植えてみたいね」

「ゲラニウムとかペチュニアもいいですよね! わくわくが止まりませんねっ! ひひっ!」

「よーし! そうと決まれば、さっそく私の懇意にしている花苗生産直売店にスマホでちょいちょいっと……」

「待ってください先輩、まだ早いですよ!?」

 鍬を突き動かしながらニヨニヨ笑う鈴木さんの影で、白崎先輩がスマホを取り出しおぼつかない手付きで操作しようとするのを慌てて止める。


「なんだい鮫島くん、善は急げと言ってだね――」

「いや、土起こし後は二週間くらいはそのまま放置です。注文はそれからにしましょう……」

 発注ミスでネモフィラが大量に届けられたことをもう忘れてしまったのだろうか?


「よーし、じゃんじゃん耕すぞー! うおー! とりゃーっ!」

「鈴木さんも落ち着いてやりましょう……」

 急激にテンションが上がりきってしまったのか、叫びながら振り上げた鍬を豪快に振り下ろし始める。


 隙あらば無駄に行動力を発揮する白崎先輩と、不器用ながらに一生懸命な鈴木さん。この二人はちょっとでも目を離すと、いつかきっと大変なことをやらかす予感しかしない……。


 それに引き換え榮先輩の方はというと、意外というと失礼かもしれないが平鍬を使って黙々と畝立てを続けていた。


 瞬発力の白崎先輩とは違って、榮先輩は最低限の知識や手順などをきちんと知っているようだった。……もしかして、榮先輩はこの中で一番まともなんじゃないだろうか?


 そんな誰に対しても失礼なことを考えながらぼんやり見つめていたのだが、そこはやはり非力であることと不慣れであろう二点が合わさって、頑張って作っている畝は残念ながらいびつな形になっている。


「……ッ!?」

 手伝いましょうか? と声をかけるよりも早く、俺の視線に気が付いた榮先輩と目が合う。


 途端にビクッと首を竦めて表情を歪め、キョロキョロと視線だけで逃げ道を確認しつつ、へっぴり腰で前屈みになりながらジリジリと後ずさる。


 普通に目が合っただけなのだが、きっと榮先輩のシマにカチコミかけようとギラついた視線で睨みを効かせているように見えているのだろう。たぶん今の状態で話しかけてもろくなことにならない。


「……何を前屈みでデカ乳アピールしてるんだこの汚れブラジャーめ!」

「にゃああぁぁぁぁっ!?」

 まったくそんなつもりのない俺の威圧感に竦んでしまい気が付かなかったのだろう、こっそり背後に忍び寄った白崎先輩がジャージの裾を掴んで一気にたくし上げる。


「――――――ッ!?」

 あられもなく大きな胸がボロンと飛び出して――、しまうかと思われたが辛うじて踏み留まった。


 白崎先輩の身長が低すぎるせいと榮先輩の胸が大きすぎたため、いわゆる下乳に裾が引っかかってお腹が剥き出しになっただけで済んでいた。


「ちっ、しくじった!」

「――なにすんのよこのバカ! アンタいい加減にしなさいよっ!?」

 すぐさまダッシュで逃走する白崎先輩を、裾をぐいぐい引っ張って直しながら榮先輩が追いかける。


「先輩たち、ほんとに仲良しでバラとかすみ草みたいな相性だよねー」

「……それ絶対に二人に言わないでくださいね?」

 どこをどう切り取って解釈しているのか、二人の諍いを見ながら鈴木さんがほがらかな笑顔を浮かべつつ、そんな火に油を注ぐようなことを言ってのける。


 私がバラだ、いいえあたしよ! と、いがみ合う二人の姿が容易に想像できて、起こる前から頭痛に苛まれてしまいそうだ。


 まあ、なんだかんだで相性が良いことには俺も同感だった。

 

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