第19話 堆肥
「ここの花壇は去年までも花壇として使われていたし、土壌改善する必要もないから土起こしさえ済ませば夏に向かっての種まきから球根の植え付け等、手っ取り早く行える! ……で、間違っていないのだよね
放課後、着替えを終えて中庭花壇前に向かうとすでに
不遜な腕組みの姿勢で鈴木さんに向かって花壇を指し示しながら高らかに宣言し、直後に俺の耳元に小声で確認を求めてくる。
「はい、ラインで提案した通りです」
朝のHR前にメッセージで『少し厄介なデカい仕事』と、やたら遠回しに提案されたのは中庭花壇の手入れだった。
厄介な仕事とはいえ、白崎先輩に確認したところ去年まで花壇として使っていたということなので、土起こしを済ませるだけならばむしろ楽な部類だろう。
「そういうわけで、申し訳ないのだがしばらくは辛い力仕事になってしまうのだよ
「なに言ってるんですか、大丈夫ですよ先輩! むしろ望むところですよー。わたし、見ての通りけっこう力持ちなんです! むんっ!」
鈴木さんが拳を握り締めてニカッと笑顔にガッツポーズを添えてみせる。
見ての通りと言ったものの、鈴木さんは白崎先輩ほどではないが小柄な方で特別に体格が良いわけではない。
おそらく身長150センチはないと思われる白崎先輩と並ぶと、相対的に大きく見えなくもないがたぶん160センチもないだろう。体格も極めて標準的で、ガッツポーズを決めている腕だって力こぶがあるとはとても思えない。
「おおっ、すごいじゃないか彩子くん! それだけの肉体を手に入れるには眠れない夜もあっただろう……!」
「毎晩、二の腕ぷにぷに解消ストレッチしてますからー!」
「ほほーう、何を隠そうこの私も毎晩、二の腕とわき肉をかき集めるストレッチを欠かしたことはないからね」
「あ、知ってます。それってバストアップストレッチですよねー?」
「……彩子くん、やけに詳しいじゃないか。さては――」
「ぃや、やってないですよー!? やってないです! 貧乳万歳っ!!」
「貧しくなんてないのだよ! 慎み深いと言いたまえ!」
「御意っ!」
なにやら先輩の地雷を踏み抜きかけたようだが、どうして力持ちの話からそうなってしまったんだろう……。
その力持ち発言についても、先週ネモフィラを植え付けるために急遽、部分的に大急ぎで土起こしをした時の様子を思い出すと頭痛がしてくるのだ。
白崎先輩は鍬を振り上げるだけでよろよろとふらついていた。まあバストアップストレッチでは仕方ないだろう。
鈴木さんは、初めて扱う鍬に興奮して「とぉー!」「たぁー!」と気合いの雄叫びとともに軽快に振り下ろしていたがすぐに疲れてぐったりしていた。ぷにぷに解消ストレッチなのだから当然だろう。
「では、倉庫から道具と堆肥を運んできますね」
「あ、わたしも行くよ鮫島くんっ!」
白崎先輩からの執拗なお小言から逃れるように、鈴木さんが脇目も振らずに俺を追いかけて来る。俺もうっかりな失言には細心の注意を払うことにしよう……。
用務員倉庫へ向かいながら、今朝うやむやになってしまった太陽の子と呼ばれる原因について鈴木さんに質問してみることにした。
「あの、鈴木さんは、……体温が高かったりしますか?」
「体温? んー……、36.5くらいかなー?」
おかしな聞き方になってしまったかと思ったが、特段いぶかしがることもなく顎に指を添えて答えてくれた。そして当たり前だが極めて平熱だ。平熱過ぎるくらいだ。
やはり、体温が高いといったような数値的なものではなく、植物たちだけが感じることの出来る紫外線みたいなものなのだろうか?
「あっ、そうそう、中学の頃に友達からよく言われてたのはねぇ……、えいっ!」
何か思い当たる節があったのだろう、鈴木さんはそう言うなり隣を歩く俺の手をぎゅっと握り締めてくる。
「えっ、と――」
「どうどう? どんな感じー?」
「ど、どんな…………………………、や、柔らかい、ですね……」
突然の行動の意図がわからないまま、ぎゅうっと俺の手を握ってくる鈴木さんの柔らかい手の感触をそのまま伝える。
「えー、あったかくない? わたしの手のひらって、なんだかあったかいらしくてよく冬になると友達が握ってきて暖を取ってたんだよー」
そう言われてみれば、鈴木さんの手のひらから伝わる温もりがだんだんとぽかぽかしてきている、ような気が、しなくもない……。
確かに温かいは温かいと思うが、あくまで人間の体温の範疇での温かさだ。熱いというほどではない。
それよりも、いきなり手を握り締められてドギマギしてしまい、緊張とドキドキで手汗が気になるくらいに俺の方がよっぽど熱を発している気がする。
「……へえー、鮫島くんの手、意外とおっきいんだねー」
「そ、そうですか? 普通ですよ……?」
「えー、おっきいよ、ほらー。思ったよりゴツゴツして固いしー」
言いながら、指を互い違いに絡ませてぎゅーっと握ってくる。
「ほら、わたしの第一関節しか投げられないでしょー?」
鈴木さんのしなやかな白い指が俺の指の股でにぎにぎ動かされ、いわゆる恋人繋ぎみたいな状況に身動きが取れなくなってしまう。
なにがどうなっているんだこの距離感の詰め方は!?
いや、鈴木さんには他意の欠片もないのだ。まったくの完全なる無自覚で、無邪気に手の大きさを比べようとしているだけなのだ。
わかっている。わかってはいるのだが、こちらも無自覚を貫き通せるほど悟りを開いてなどいないのだ。
そもそも修行僧ではない、ごく一般的な高校生男子だ。年相応の煩悩にまみれていて当然じゃないか。
「あ、えっと、はっ、早く倉庫に道具を取りに行きましょう!」
「ん? あ、そうだったね。先輩にも教えてあげよう、ひひっ!」
パッとにぎにぎを繰り返していた手を離して笑い、倉庫に向かって歩き始める。
結局、太陽の子と呼ばれる鈴木さんの体質については何一つわからずじまいで、ただ俺の手が弄ばれただけで終わってしまった。
直接触れてみて、明らかに熱を感じるのであれば幾分かは話が早かったのかもしれない。しかし当然ながらそんなことはなく、やはり植物にしか感じられない圧縮された熱線のようなものが放出されているとしか思えない。だからといって、それはそれで対処の仕方などわかるはずがないのだ。
さて、どうしたものだろうか。
考えながら用務員倉庫から剣先ショベルと鍬、そして堆肥の袋を担いで中庭へと戻る。
すると、中庭花壇の前では先ほどの俺たちよろしく、白崎先輩と
……いや、言い直そう。
プロレスのリング上でレスラーが取っ組み合いをするみたいに、先輩二人が今まさにゴングが鳴ったとばかりに何やらぎゃいぎゃい言い争っていた。
「た、大変だよ鮫島くん! きっと先輩たちがシマをめぐって争ってるんだよっ!」
「あー……、確かに花壇の縄張り争いかもしれませんが、その言い方はやめましょう……」
倉庫から戻ってきた俺たちの姿に気が付いた白崎先輩が、
「ちょうど良かった二人とも! この傲慢なデカ乳め、君たちが持って戻った堆肥をかすめ取る魂胆なのだよっ!」
「かすめ取ったりなんてしないわよ! 堆肥持ってくるならあたしも使いたいから少し分けてって言っただけでしょう!」
「そう言って油断した隙に堆肥をふんだくるつもりなのだろう! 卑しい強欲さがそのデカ乳に表れているんだ! キーッ!!」
「いちいちあたしの胸に当たってこないでよ!?」
予想はしていたが、予想していた以上にしょうもないことで揉めていた。
「……足らなくなったらまた取りに行きますから一緒に使えば良いじゃないですか? ここ置いておきますよ?」
取っ組み合ってガンの飛ばし合いを続ける先輩二人の足元に、担いで戻った堆肥の袋を置きながら宥めようと試みる。
しかし白崎先輩は投げ捨てるように取っ組み合っていた手を離すと堆肥の袋にしがみ付き、
「そんなに堆肥が必要なら自分の糞でもまき散らせばいいだろう! ほら、見ててやるから盛大にぶっ放せっ!!」
「嫌よっ!? なに言ってんの、バカじゃないのっ!?」
意地でも堆肥は渡さないつもりなのだろう、タイヤに抱き付くパンダみたいに袋にしがみ付いたまま糞をまき散らせとJKらしからぬことを叫ぶ。
「いまさら脱糞くらいで何を恥ずかしがるんだ、そのいびつなデカ乳だけで十分すぎるほど恥ずかしいだろうに!」
「いびつじゃないわよ! いまさらも何も脱糞はいついかなる時でも恥ずかしいに決まってるでしょ!?」
うら若き乙女が脱糞だのと大声で叫ぶ光景に眩暈を覚えてしまう。
ごく限られた歪んだ性癖の持ち主にはご褒美なのかもしれないが、俺にはその域に達することは出来そうにない。
ちなみに、この堆肥はバーク堆肥といって広葉樹の樹皮を熟成発酵させたものだ。
おそらくだが、先輩たちが言っている糞をまき散らすというのは牛糞を発酵させた堆肥のことでバーク堆肥とは成分が全く違う。つまりこの堆肥は糞ではない。
「そうか。では仕方ないが便意を促進するために少しだけ堆肥をくれてやる。……くらえ、オーガニックフラッシュ!」
「――にゃああぁぁぁぁっ!!」
白崎先輩はしがみ付いていた袋を力尽くで引き裂き、中身の堆肥をおもむろに掴んで榮先輩に向かって投げつける。
完全に動物園で糞を投げつけてくるゴリラそのものだ。いや、白崎先輩の体格的にはチンパンジーだろうか。リスザルのサイズ感の方がもっと近いな。……うん、ものすごくどうでもいい。
「あっはっはっはっ! いいざまだな! じつに愉快だぞ! その目障りなデカ乳にもっと糞を塗りつけてぎゃあぁぁぁぁっ!!」
胸を反らして高笑いしていた白崎先輩に、お返しとばかりに榮先輩が堆肥を掴んで投げ返す。
「はんっ、ちょうど良かったじゃない。アンタのやたらと足りない胸の養分になるんじゃないかしら?」
お互いに体操着の胸元を堆肥で汚してジリジリと睨み合う。
バーク堆肥のことを勘違いして牛糞だと思い込んでいるようだが、そもそも糞だと思い込んでいるものをお互いに素手で掴んでいるのは構わないのだろうか……?
「鮫島くん! このままだと先輩たちの青春の思い出が糞まみれになっちゃうよ!」
堆肥を掴んで投げ合う地獄のような状況を戦々恐々と眺めていた鈴木さんだったが、こっちもやっぱりバーク堆肥のことを牛糞だと勘違いしているようだ。
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