第17話 魔王
「鮫島くん、土曜日はありがとうー!」
朝の作業を終えてHR前の教室にやって来たところで鈴木さんが声をかけてくる。
「これは、お礼のブツだよー」
鞄の中を雑にごそごそと引っかき回し、一枚の小さな厚紙を手渡してきた。
四つ葉のクローバーの押し花が細長い手すき和紙の台紙に貼り付けられ、栞として使えるようにふちに青いリボンが付けられていた。
「鈴木さんが作ったんですか?」
「そう、わたしの手作りだよー! ……だから、うちのお店で売ってるみたいに綺麗に出来上がってないんだけどねー」
ぽりぽりと頬を掻きながら照れ笑いを浮かべる。
そういえばフラワーショップ
定期的に手作り教室も開催しているらしく参加してみたい欲求に駆られはするのだが、なにぶん俺はこの見た目だ。場違いにも程がある俺がその場にいることで、他の参加者に迷惑がかかっても申し訳ないためいまだに踏み込めないでいるのだ。
「そんなことないですよ、十分綺麗に出来上がっています。ドライな風合いが和紙と合ってて味があります」
「ほんとにー? じつはちょっぴりだけ自信作だったんだよー、ひひっ!」
ニカッと歯を見せてはにかむ。
不器用で大雑把な印象だったが、こういった部分はやっぱり女の子らしさが感じられる。いくら何でも失礼極まりないので口には絶対に出さないが。
それにしても青いリボンか。
図らずも、鈴木さんから青い色のものを手渡されると、否が応でも部屋で目撃してしまった女性用の下着を思い出してしまう。……青色、好きなのだろうか?
「あっ、ベゴニアにお水あげなきゃ」
冷静に思い返すと高校生男子にとって刺激的すぎだったのではと頭を抱えかけていると、パンと手を叩いて鈴木さんがずんずんベゴニアに近付いていく。
【ひぃっ! 太陽の子が来たわ! 太陽の子が見えないの? おとうさん!】
魔王が来たみたいに言うな。
なんでベゴニアがシューベルトなんて知ってるんだよ。
もしかしてここが学校だからか? だとしたらすごいな、音楽室でもないのに……。
「待ってください」
慌てて呼び止め、ひとまずベゴニアの鉢の土に指先で触れてみる。
学校が休みの間の土日は水やりがされていないはずだが、普段から鈴木さんがたくさん与えているせいだろう、二日経っているにもかかわらず指先に湿り気が感じられた。
「鉢植えの場合は、土の表面が乾くまで水やりは必要ありません。この様子だと、明日か明後日くらいまでこのままでも平気です」
「ええっ、でも土日のお休みの間ずっとお水もらえてなかったんだよ?」
「水を与える目安は基本的に日数ではなく、植え込まれた土の状態で判断しましょう」
「でもでも、さすがに三日以上もお水無しってかわいそうじゃない……?」
「うーん……、例えばですが、鈴木さんがお昼ご飯をたくさん食べたとします」
「うんうん」
「そして晩ご飯の時間になったんですが、お昼ご飯を食べ過ぎたせいでお腹が空いていない。こんな時に無理やり口に料理を詰め込まれると想像してみてください」
「…………うん、うん」
顎先に指を添えて中空を見つめるみたいに想像を膨らませている。
「どうですか?」
「うんっ、それでもミノ大好きっ! 焼き肉美味しいーっ!」
ああ、焼き肉で想像しちゃったかー……。
うん、確かに焼き肉美味しいからな。
俺でも多少無理してでも食べるだろう。なにしろ焼き肉だ。焼き肉は全てに勝る。そして好きな部位がミノか。カルビやロースとか選ばないあたりいやに通っぽいな……。
「……えーと、焼き肉以外でお願いします」
「ええーっ、じゃあ、…………うん、うん。わたしお寿司だったらエンガワはすごいいっぱい食べれるよー!」
焼き肉の次はお寿司かー……。
言うまでもなくお寿司美味しいからな。
俺でももう入らなくても口に詰め込んで食べるだろう。なんてったってお寿司だ。回転しててもまだまだ強い。そして好きなネタがエンガワか。焼き肉のミノといいコリコリした食感が好みなのだろうか。
「あの、寿司も禁止で」
「ええーっ、じゃあ……、回転寿司なら炙りサーモン――」
「いや回転してても寿司ですよ? ていうか、エンガワって回転してないお寿司屋さんでの話だったんですか……?」
驚いた。回転していないお寿司屋さんなんてテレビでしか見たことがない。俺の知っているお寿司はいついかなる時だって軽快に回っている。
「うーん、じゃあ中華――」
「おにぎりっ! 具無しのおにぎりを口に詰め込まれたら! これでいきましょう!」
雑魚飯の代表みたいな扱いになってしまったが致し方ない。おにぎりに罪はないのだが、鈴木さんへの喩えのためだ。
「うーん、おにぎりかー。……三個までなら、……四個は多いし」
「三個でも多過ぎですよ!? 無理して食べないでください……」
「………………そう? だったらさすがにお腹いっぱいの時にはしんどいかなー」
「ですよね? 花たちも同じなんですよ」
やっと本筋に戻ってこられた。どうしてこんなに遠回りになってしまったんだ?
そんな風には見えなかったが鈴木さんはこう見えて食いしん坊なのかもしれない。そうじゃなければ、朝から焼き肉だのお寿司だのを思い浮かべてとろけるような微笑みを浮かべたりするはずがない。
「ああ、お腹いっぱいってことかー……」
「そういうことです。十分足りている時に水を与えすぎるのは、満腹時に口におにぎりを詰め込まれているのと同じなんです。花たちも体調崩してしまうんですよ」
「ふむふむー……」
【そうよ、だから今日はお水はだいじょ――】
それでも気が済まないのだろう、本当に水を与えないでも平気なのか気になって鈴木さんがベゴニアに顔を近付け葉をそっと撫でる。
【あっ、ああ、あちっ! お、お父さん! 太陽の子があっちちちちちちちっ!?】
途端にベゴニアが驚いたみたいに叫び始める。
やはりだ。鈴木さんにほんの少し触れられただけで熱がって悲鳴をあげはじめる。
あと誰がお父さんだ。魔王に寄せようとするのやめろ。
「お腹空いてない? 大丈夫……?」
【だ、だだっ、大丈夫よっ! あちっ! 本当に平気だからっ!! あちちちちっ!!】
薄い赤色の花を小さく揺らしてベゴニアが必死に訴えているが、眼鏡越しに目を細めてじっと見つめている鈴木さんにはまるで聞こえていない。
やはり預かったパキラが言っていた太陽の子の話は本当で間違いないのだろう。
しかし、見た限りにおいては鈴木さんの手から何かが放出されているようには見えない。良からぬ物質的な何かが出ていればわかりやすいのだが……。
「ねえ、ちょっと! 鈴木さんのことすごい睨んでるわよ……!」
「あれ完全にイッちゃってる視線よっ! ヤバいわよ絶対……!!」
「だ、だれか鈴木さん助けた方がいいんじゃない!? ちょっと男子……!?」
太陽の子について探るために鈴木さんの手元をジッと見つめていたのが良くなかったのだろう、遠巻きに眺めていたクラスメイトたちのひそめられた不穏な声が漏れ聞こえ、いつの間にか教室内に緊張が張り詰めていた。
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