第16話 光合成

【あら、新入りじゃーん! アンタもほんっとに好きよねー、マジウケるー】

【ほう、我と同胞ではないか。……お主もしや、我に愛想を尽かしたわけではあるまいな?】

【おかえり~。ねえ、味気ない格好で問題なかった? やっぱりもっと色鮮やかな方が良かったんじゃない?】


 自室に戻り、鈴木さんのパキラを窓際にそっと置いて一息つく。


 俺が大事にパキラの鉢を抱えて戻ったことで、元々室内にいた三つの観葉植物たちが色めき立ってやいのやいのと軽口を叩き始める。


 やけに耳につく甲高いギャル口調なのがポトス。白い覆輪斑と呼ばれる縁取りになる斑が個性的なポトス・エンジョイという品種だ。

 なぜか太くダンディな低音の声を響かせ武士みたいな口調で喋るのがパキラ。まっすぐに伸びた太い幹から葉茎を多く伸ばしている俺の部屋で一番の古株だ。

 そしていつも俺のネクタイや格好を気にしてくる、穏やかでしっとりとした声質なのがアグラオネマ。大きな楕円形の葉を茂らせている、昔大ヒットした映画の孤独な殺し屋が育てていた観葉植物として有名になった品種だ。


 このお喋りな三つの観葉植物たちは全て、何を隠そうフラワーショップ咲彩さあやで買ってきたものなのだ。


 小学生の時のアサガオで植物を育てる喜びに目覚めてから、いろいろな花たちの苗や種を買っては育ててきたが、購入する店舗は決まって近所のホームセンターだった。

 ホームセンターだけあって品揃えが多岐にわたり、俺がふらりと園芸コーナーにいても目立たずに済むのだ。


 これがフラワーショップとなると、そうはいかない。男の一人客がふらりと立ち寄るにはハードルが高く、何しろ俺の見た目がさらにハードルをぐんと高くしてしまうのだ。


 それが三年前、中学一年の時に偶然フラワーショップ咲彩を知ったのだ。

 自宅の近所にも生花店はあったがホームセンターで事足りていたし、やはりハードルの高さに尻込みしてしまいわざわざ出向いたりすることはなかった。


 それなのに咲彩の外観が目に留まってからは完全に心を奪われてしまった。その日から用事もないのに、自分の理想そのものな店構えを遠く眺めるためだけに通い始めた。


 地上げ屋に雇われたチンピラが物件を下調べしているみたいに疑われるのが嫌で、通行人を装いながら横目でちらりと仰ぎ見ては通り過ぎるという、余計に不審者まがいなことを一年ほど続けた。


 一年越しに意を決して初めて咲彩の店内に入った時のことは今でも覚えている。

 店舗の入り口に立ち尽くし、爽やかに澄んだ生花の香りを胸いっぱいに吸い込んでより一層の不審者感を醸し出していたに違いなかっただろう。


 ただ、それと同時にほんのわずかな異変に気が付いた。


 植物を取り扱うプロであるはずのフラワーショップなのに、どういうわけかやけに元気のない鉢植えがあったのだ。


【……お主、我の声が聞こえるのか? 我は太陽に当たりすぎて、少々具合が悪い。……他の健康なものを選べ】

 少し葉が少なく感じる程度で見た目には問題ないのだが、植物の声が聞こえる俺にだからわかってしまった。


 それが俺の部屋で一番の古株となるパキラとの出会いだった。


 一度、パキラを購入したことで格段にハードルが下がり、ちょくちょく立ち寄っては店内を物色するみたいに見て回るようになった。そして時折見かける、咲彩で極端に元気のない鉢の声に耳を傾けては気になってしまい部屋に迎え入れた。


 そいつらも今はすっかり元気になって口達者に軽口を叩くのだ。


「心配しなくてもこのパキラは鈴木さんから預かってきただけだ」

【…………この方たちも、太陽の子のお店から連れ戻ってきたのかしら?】

【――太陽の子?】

【……】

 鈴木さんのパキラが控え目な細い声でそう訊ねた途端、やかましいほど饒舌に軽口を飛ばしていたポトスたちが一斉に黙り込んでしまった。


「……なあ、太陽の子って、なんなんだよ?」

 俺の質問に対して一様に言葉を濁らせて顔を伏せる。

 こいつらの顔がどこなのかは俺にもわからないがそんな風に感じるのだ。


【………………あの子は、一途すぎて、愛が重いのよ】

 よほど振り返りたくない出来事なのか、それでも鈴木さんのパキラが途切れ途切れに重い口を開いてこれまでの出来事を教えてくれた。


 要約すると俺が予想した通り、鈴木さんは手を出し過ぎて枯らしてしまうタイプで間違いなかった。


 ただ、その度合いが相当ひどいようなのだ。


 愛が重いとはよく言ったものだと思う。愛しすぎて過剰に手を出し、いつ如何なる時も気になって気になって仕方ないらしい。

 愛ゆえにじゃぶじゃぶ水を注ぎ、弱ってしまったら心配になり栄養剤をじゃんじゃん投入する。やることなすこと全てが逆効果なのだ。


「学校で鈴木さんに触れられたネモフィラも『太陽の子』って言って変に熱がってたんだが、あれはどういうことなんだ?」

【……わたしたちが生長するために太陽の光が必要なのは知っているわよね?】

「ああ、光合成のことだろ?」

【その太陽の光と同じか、それ以上の光を発している人間が、ごくごく稀にいるのよ……】

「鈴木さんがそうだってのか? でも、鈴木さんは発光してるようには見えないんだが……」

【あの子の愛情が増すほどに、どんどん光の強さが増していって、太陽の光の強さ以上になるのよ……。簡単に言えば、空の上の太陽がすぐ目の前で、熱線を発して炙ってきているって言えばわかるかしら……?】


 要するに、俺にはそんな風には見えないが、鈴木さんは太陽と同等の光エネルギーを発生させていて、その威力が愛情の増減によって変化しているということか。


 ふと思い出したのだが、植物の光合成について調べた時にそのような記事を読んだことがあった。

 植物にとって水不足のまま多すぎる光エネルギーを受けると光合成で使い切れずに余ってしまい、余ったエネルギーが有害な活性酸素を生成させて代謝が間に合わなくなり、やがて枯れてしまうのだ。

 簡単に言ってしまえば、人間の日焼けと同じ理屈だ。肌にダメージを受けているのだ。


 その光エネルギーが鈴木さんからは猛烈な勢いで発生して、愛情を注げば注ぐほど太陽光以上の熱量で植物たちを炙っているということだ。


 ……なるほど。だからネモフィラたちがみんな、熱い熱いと叫んでいたのか。


【……ウチらもさ、お店のお手伝いってことで張り切ってたあの子に、ね……】

【ええ、本当に、焼き尽くされそうな輝きだったわ……】

 ポトスとアグラオネマが苦虫を噛み潰したように呟く。

 だからフラワーショップで管理されていたはずなのに元気がなかったのか。


【我らは、あのように輝いている人間のことを太陽の子と呼んでおるのだ】

 古株パキラが重々しいため息とともに吐き出す。


「……それで、絶対に枯れるわけにいかないから連れて帰ってくれってお願いを聞いたわけだが、枯れるわけにいかないってのはどういうことなんだ?」

 鈴木さんに水も栄養剤もしばらくは必要ないと話していた時に、パキラが俺にお願いしてきたのだ。

 ――連れて帰ってくれと。


【……あの子、わたし以外に仲間を三株、ダメにしているのよ。……わたしは太陽の子にとって最後の一株なのよ】

「ダメにしている、か……」

 それはつまり、枯らしてしまっているということだ。


【……そのたびにね、仲間がダメになるたびに、あの子は泣いていたわ】

「泣いて……」

【だんだん、自分に自信がなくなっていってるんでしょうね、……太陽が陰るみたいに、光が弱まっていってね。……それで、最後のわたしは辛うじて枯れずに持ち堪えていたのよ】


 それで、パキラの世話の仕方を俺に頼ってきたのか。


 咲子さんに対する対抗意識のせいで身内に相談は出来ず、かといってこのままでは最後のパキラも弱ってきてしまっている。


 そんな態度は欠片も覗かせなかったけれど、本当はパキラのことが心配で心配で仕方なくて、自分の部屋の洗濯物にまで気が回らなかったのだろう。


【だから、最後のわたしは、……絶対に枯れるわけにいかないのよ】


 太陽をこれ以上、陰らせないために。


「ああ、わかった。元気になったら必ずお前のあるべき場所に帰してやるからな」

【……ええ、お願いするわ】


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