第15話 姉妹

 気持ちを入れ替え、ひとまず土を優しく落として根の状態をじっくり見てみると、幸いにもそこまで致命的な状態ではなさそうだった。


 話しかけてくるパキラの声からも絶望的ではないことはわかる。これならきちんと植え替えて二週間程度乾燥させればまた元気になってくれるはずだ。


「じゃあ、お水持ってくるね!」


 一回り大きな鉢へと植え替えを終えてウッドデッキの半日陰に置いてやると、やにわに鈴木さんが立ち上がって流し台へ向かおうとしたため慌てて手を掴んで止め、

「鈴木さん、水は与えなくてもだいじょ――」

「あら~? あらあらなぁに彩子あやこったら~。友達が来るって言ってたからてっきり女の子かと思ってたら、あらあらあら~……」

 と、背後からいきなり声をかけられ飛び上がって驚いてしまう。


 さながら眉間にチャカを押し付けられた極道のような血の気の引いた表情だっただろう。

「ど、どうもっ、お邪魔していますっ! す、鈴木さんと同じクラスの鮫島さめじまといいます!」

「は~い、いらっしゃ~い。彩子のお姉ちゃんの咲子さきこで~す、うふふ~。それにしても彩子が男の子をねえ~……、手なんて繋いじゃって~、ふ~ん……」

 振り返りながらくの字に腰を折って挨拶をする。

 それはもう組長を出迎える構成員も顔負けな挨拶だ。


 しかし、慌てすぎたせいで鈴木さんを止めるために掴んだ手がそのままだった。指摘されてすぐにカチコミ先で追い詰められた鉄砲玉のように両手を挙げる。


 鈴木さんより少し背が高い、長い髪をゆるく一つ結びの三つ編みにしてフラワーショップ咲彩さあやのロゴが入ったエプロンのポケットに両手を突っ込んで、にまにまと悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「ほうほう~、精悍な面構えな男の子じゃないの~。ふふ~」

 値踏みされるみたいに上から下へとじっくり見つめられ身動きが取れなくなる。


 細い顎に手を添えて興味深そうに俺の観察を続けるこの綺麗な人を、俺はすでに見たことがあった。

 咲彩のレジで何度か対応してもらったことがあったからだ。大学生のアルバイトかと思っていたのだがまさか鈴木さんのお姉さんだったとは。


「もうっ、咲子お姉ちゃん! 来ないでって言ったでしょ! それに男の子とか関係ないし、お客さんに失礼だよ!」

 鈴木さんが肩を怒らせながら歩み寄りぷうっと頬を膨らませて抗議する。


「あら、そんなこと言うなら彩子だって、その大事なお客さんにお茶くらい出したの~?」

「――あっ」

「いえ鈴木さんっ、その、お構いなく……」

「ほぉら彩子、ぐずぐずしないで早くキッチン行きなさ~い」

「ごめんね鮫島くん、ちょっとだけ待ってて!」

「鈴木さん、ほんとにお構いなく……」

「彩子~? 紅茶は戸棚の三番目の引き出しに入ってるからねぇ~」

 俺の遠慮などまるで聞き入れずに慌ててリビングを抜けていく鈴木さんの背中にお姉さんが声をかけ、改めて俺に向き直り上目遣いでにんまりと笑みを浮かべる。


 ……じつに気まずい。ケジメの付け方を迫られる下っ端ヤクザみたいな気分だ。いや、俺は顔がそっち寄りなだけでぜんぜん知らないのだが。


「ねえ、彩子と付き合ってるの~?」

「い、いえっそんなっ! 自分は鈴木さんとは本当に同じクラスで、鈴木さんに誘われてガーデニング部の――」

「鮫島くん、わたしも『鈴木さん』なんだよね~。紛らわしいから彩子のことは彩子って名前で呼んで~?」

「えっ!? い、いやっ、それはその……」

「じゃあ、わたしを咲子って呼んでよ。わかりにくいから~」

「ええっ!? さ、ささ、咲子、さん……?」

「そうそう、よく出来ました~。それはそうと、何度かお店に来てくれてるよね~?」

「あ、……はい」

 完全に咲子さんのペースにはめられてしどろもどろになってしまう。完璧な証拠を突き付けられて自白を迫られるチンピラみたいだ。


 俺は見た瞬間から気が付いたのだが、咲子さんのほうも俺のことを覚えていたようだ。まあ、インパクトしかないこんな見た目なのだから記憶にこびり付くくらい当然といえば当然だろう。


 しかしそういえば、咲子さんは俺を見た時に驚いている様子はなかった。

 確か、お店で初めてレジ対応をしてもらった時も俺の見た目に怯えることもなければ眉をひそめさえしなかった記憶がある。よほど肝が据わっているか、接客業の賜ってやつなのだろう。


「けど、あの彩子が植物の世話の手伝いをお願いするとはね~。彩子と付き合ってるんじゃないとしたら、観葉植物生産農家の息子さんとかなの~?」

 鈴木さんから分厚い眼鏡と幼さを抜いて、ちょっぴり大人な色っぽさを足したみたいに見える咲子さんが真正面からまじまじと俺を見つめてくる。


 遠慮もなくぐいっと顔を近付けてくる様はさすが姉妹と言わんばかりにそっくりだった。

 たぶん鈴木姉妹の車間距離を測る装置は深刻な故障に見舞われているか、おそらく遺伝的なものなのだろう。


「いえ、違います、普通の善良な一般市民です」

 見た目は極悪なスジ者ですが……。


「そっか~。どうすれば良いか聞いてくればいいのに、彩子はわたしにだけは絶対に手を出させないのよ。自分だけで育てる! って言って聞かなくってさ~。……たぶん対抗意識なんだろうけど」

 咲子さんがウッドデッキでそよ風に葉を揺らすパキラを仰ぎ見ながら、ため息交じりの小声で付け足すみたいに零す。


 確かにその通りだ。

 鈴木さんの自宅がお花屋さんだと聞いた時から正直ずっと思っていたのだ。


 学校でたまたま仲良くなったちょっと植物に詳しいだけの凶悪犯みたいな顔した俺に、自室のパキラの元気がないと相談するくらいなら、まずは一番身近な家族に聞けば良いのだ。なにしろ自宅が立派なフラワーショップなのだから。


 にもかかわらず、白羽の矢が立ったのは俺だった。咲子さんがぽつりと呟いた対抗意識という言葉にその理由が含まれているのだろうか。


 いずれにしろ、俺がどんなに頭を捻ったところで答えなどわかるはずがない。

 それ以前に咲子さんの呟きに対してどう反応するのが正解かもわからず、曖昧な愛想笑いを浮かべることしか出来ない。


 そんな俺の様子を知ってか知らずか、今度はパキラの植え替えを終えて土で汚れたままの俺の手に視線を落としてふっと微笑み、

「……土いじり、好きなのね~?」

「いえ、そんな……、世話の仕方を知ってるだけで……」

 そこまで答えて、自宅がフラワーショップでそのうえ店員でもある咲子さん向かってなにを偉そうに言っているんだ俺は。


 自己嫌悪に陥りかけたところに、

「お、おお……、おま、おまっ、おまたせー…………」

 紅茶を入れたカップをトレーに乗せて、こぼさないように慎重になりすぎてぶるぶる震わせながら鈴木さんが戻ってきた。見るからによろよろでじつに危なっかしい。


「もう、ほんっとに不器用ね~……」

「ちょっと……、いま手を出さないで……! わたしがやるから! 零れちゃうから!」

 見かねた咲子さんがトレーを受け取ろうと手を伸ばすのだが、鈴木さんは頑なに拒否しつつ紅茶の入っているカップをカチャカチャ震わせる。警戒心剥き出しの子猫みたいだ。


「よしっ、それじゃあ邪魔者は退散しますか~。鮫島くん、ゆっくりしていってね~」

 俺にばちんとウインクを寄越しながら咲子さんが冷やかしてくる。


「もうっ、さっさとお店戻ってよっ!」

「あ~、懐かしいなあ~。高校生っていいなあ~、青春だなあ~、あまじょっぱいなあ~!」

 そんな軽口を残しながら、鈴木さんに背中を押されて追い払われるように咲子さんはお店へと戻っていった。


「ごめんね鮫島くん、咲子お姉ちゃんいつもあんな感じなの」

「あ、いや、平気です。仲良しなんですね?」

「……うん。あんなだけど、自慢のお姉ちゃんなんだ。わたしたちの高校の卒業生でちょっとだけ有名人だったの」


 有名人とはどういう意味なのだろう?

 ミスコン的なイベントで校内1位になったとか、器量の良さで校内でも一目置かれていた姐さん的な存在だったのだろうか。

 人好きのする性格なうえに美人の咲子さんであればどちらも十分にあり得る。


 流し台を借りて手を洗い二人並んでウッドデッキに腰を下ろして、手渡された紅茶に口を付ける。


 ………………うん、濃いな。


 吹き出してしまうような不味さってことはないのだが、普通に茶葉の分量を間違えている感じだ。


「うえっ、濃いねこれ、ごめんね……」

「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ、濃くても平気ですから!」

 包み込むように両手でカップを持ったまましょげ返る鈴木さんに慌ててフォローを入れるが、大丈夫だの平気だのと言ってしまっている時点でフォロー出来ていないことに気が付き俺までしょげ返ってしまう。


 きっと鈴木さんの固有スキルである不器用か大雑把、それか単純に慌てていてきちんと茶葉を計らなかったのだろう。


 弱々しくため息を吐きカップを置いて、憂いを滲ませる横顔でパキラのわずかに残った葉をそっと撫でながら鈴木さんが口を開く。


「……当たり前だけど子供の頃からずっと完璧超人の咲子お姉ちゃんが側にいて、ぜんぜん普通のわたしは運動も勉強も何一つ咲子お姉ちゃんに勝てるところがなかったの。うち、お花屋さんだから、せめて植物を大好きって気持ちだけは絶対に負けたくなくって。咲子お姉ちゃんにも、お母さんにもお父さんにも頼らずに一人できちんと育ててみせるって始めたんだけど、どうしても上手く育ってくれなくって……」


 咲子さんが言っていた対抗意識というのはそういうことか。


 誰が悪いというわけではない。咲子さんが優秀なのは、妹の鈴木さんを負かしてやろうとしているわけではないし、鈴木さんが不器用なのは咲子さんのせいではない。


 俺は一人っ子だから本質的には理解は出来ないのかもしれないが、一番近くにいる兄弟姉妹が極端に優秀だった時の、自分だけが取り残されてしまうみたいな焦燥感はきっと並大抵ではないのだろう。とんでもなく高くそそり立つ比較対象が常に隣にいてしまうのだから。


【……わたしは、枯れないわ。……絶対に】

 鈴木さんの呟きを受けてなのか、パキラが細いながらも決意めいた声を響かせる。


「ごめんね、変な話しちゃって」

「いえ……、鈴木さんだったらきっと育てられますよ。大丈夫です、俺が教えます」

「――うんっ、ありがとう鮫島くんっ!」

「……っ!」

 眼鏡の奥で大きな目をぱちぱちと瞬かせ、ふるふる震えて感極まったのだろう、抱き付く勢いで俺の手を取り握り締めてくる。


「よしっ、それじゃあ植え替えも済んだことだし、お次は栄養剤かな?」

「いや、待ってください。栄養剤は今はまだ大丈夫です」

 水を与えようとした鈴木さんを止めた時に咲子さんが現れ、そのままうやむやになってしまった説明を続ける。


「根腐れしかけていたパキラには水も栄養剤も必要ありません。いまはゆっくり休ませることが大切です」

「そうなの? ……で、でも、お水あげなくってお腹が空いたりしない?」

「大丈夫です。なにもしなくていいです」

「…………で、でも、弱ってたわけだから、栄養剤はお薬みたいな感じだったりしない?」

「大丈夫です。本当になにもしなくていいです」

「………………で、でも、でもね? ほんとのほんとにちょっぴりくらいはお水とか……」


 これはいよいよ予想通りかもしれない……。


 あなたはもう、なにもしないで。と蔑む視線で見下ろしたり出来れば、大人しくさせれるのかもしれないが、まさか言えるはずもない。


 何かをしたくて、何かをしてあげないといけない気持ちが抑えきれないのだろう。鈴木さんは居ても立ってもいられない風にうずうずそわそわと肩を揺らす。


「あの鈴木さん、ちょっと話は変わるんですが、教室のベゴニアに水をあげていますか?」

「え、教壇の鉢植えだよね? うん、あげてるよ」


 やはりか……。

 根腐れを起こしかけてしまった原因は水の与えすぎなのだが、そもそもどうして水を与えすぎるのかがわかってしまった。


 教室のベゴニアの鉢受け皿にひたひたになっていた水。正門の花壇での水やり。そしてこの、根腐れしかけていたパキラ。


 間違いない。

 鈴木さんは典型的な、手を出し過ぎて植物を枯らしてしまうタイプだ。


 良かれと思って水を与えすぎ、必要だろうと陽に当てすぎ、少しでも異変を感じると栄養剤を使いすぎ、結果的に植物を弱らせてしまうのだ。

 これは初心者が最も陥りがちな考え方で、本人にとってはどこまでも善意でしかない分、なかなかに難しい問題だったりする。


【………………ねえ救世主、わたしは絶対に枯れるわけにいかないの。……お願い、聞いてくれないかしら?】


 こうしているいまも気になって気になって仕方ないのだろう、鈴木さんはそわそわと落ち着かない様子でパキラの葉を撫で続ける。

 本当はそんな風に触りすぎるのも良くはないのだ。


 ひとまずの解決策として、俺は提案を持ち掛けることにする。


「――鈴木さん。このパキラなんですが、俺の部屋に持ち帰らせてもらっていいですか?」


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