第11話 声が聞こえる
すでに苗が届いてしまっている以上ぼやぼやはしていられない。
とりあえず中庭花壇にネモフィラを植え込める面積分だけ土起こしをすることとなった。
始業時間ギリギリまで土を掘り返す作業を続け、昼休憩にも鍬で土をならし、放課後やっと植え込みが出来る形までこぎ着けた。
中庭花壇はそもそも去年まで使われていたらしいので、ひとまず土を掘り返して軟らかくしてやるだけで済んで助かった。万が一、土壌改善などが必要だったら苗を植え込める場所が無かったところだ。
さらに植えるのがネモフィラという点も助かった。ネモフィラの中でも特にペニーブラックはとても生命力が強い丈夫な品種なのだ。
【早くー!】【狭いよー!】【萌えっ】【急いで急いでー!】【萌え萌えっ!】
育苗ポットに入ったままのネモフィラたちから催促の声が響く。
「よーし、そろそろ植え込みを始めようじゃないか! 私はあっちの端から植えていくから、君たち二人はこちら側から植え込んでくれたまえ」
小さな身体を跳ねさせるみたいにぴょんぴょん身振りで指示を飛ばして、白崎先輩がウキウキで花壇の端へと向かっていく。
「それじゃあ、始めましょう」
「うんっ、始めようー!」
土起こしは、身も蓋もない言い方をしてしまえば面白さも何もない地道な体力勝負でしかない。
しかし、その地味でしんどい作業の果てに、それまでの疲れを忘れさせてくれる綺麗な花たちを植え込む一番楽しい時間が始まるのだ。
【わー、ふかふかねー! いい土だわー】
移植ごてで土を掘り返し、ネモフィラの苗をポットから抜いてそっと植え込む。
葉と花びらを小さく震わせるみたいな歓声が届けられ、
「そうかそうか、しっかり耕したからな」
「……
ついいつもの癖でネモフィラの声に返事をしながらニヤリとしてしまい、すぐ隣で俺の作業を見ていた鈴木さんが不思議そうに見つめてきた。
――しまった。
これは完全に、花に向かって独り言を呟く気持ち悪いやつだと思われてしまう。
花たちの方から饒舌に話しかけまくってくるものだから、気が緩むと返事をしてしまうのが癖になっているのだ。
特に世話をしている最中に話しかけられてしまうと反射的に返事をしてしまうのがちっとも治らない。
「あっ………………、えっと……、はい。どうしました?」
瞬時に思考をめぐらせて、よりにもよって素知らぬふりをすることにした。
かなり無理があるが、頬を引き攣らせつつもなんとか渾身の笑顔を浮かべてやり過ごせることを祈る。
しかし、これはこれで笑顔が凶悪すぎて怯えさせてしまうパターンだ……。
「んー……、もしかしてだけど、ネモフィラに話しかけてた……?」
俺の笑顔が怖くないのか、ぐいっと顔を近付けて分厚い眼鏡の奥からまじまじと目を凝らして見つめてくる。むしろ俺の方が睨まれているみたいだ。
「え、いや、そっ、そんなことないですよ?」
「……嘘をついてる顔してる」
「えっ」
「すっごく優しい顔して話しかけてたでしょ?」
「や、優しい? 凶悪な薄ら笑い、ではなく……?」
「……ぷっ、なにそれー! もー、鮫島くんってときどき面白いこと言うね、ひひっ」
至って真剣に訊ねたつもりだったのだが、堪えきれずに吹き出して俺の肩をばしばし叩きながら白い歯をニッと見せて独特な笑い方をする。
いっこうに治らない俺のものと同じで、きっと鈴木さんの癖なのだろう。ただ、ちっとも気にしている様子はない。
「でも、ほんとにお花とお話ししてて、お花たちが植えられて嬉しい場所に植え込んでるみたいに見えたんだよー」
「……いや、た、たまたまですよ」
「………………嘘をついてる顔してる」
じっとりと見据えてくる視線が痛い。
どうしてあんなに大雑把な性格のはずなのに、そんなところだけは引き下がらない性格なんだろう……。
「そ、そそ、そう見えただけですよ……?」
「ふーん……、そっか。けど、わたしはお花たちもお話ししてて、意思をもってたりするんじゃないかなって思うんだ。……変だよね?」
ふっと口元でだけわずかに微笑みを浮かべるその口調は、適当な冗談を言ってからかおうとしているようには見えない。
「いえ、変じゃないですよ。こいつらだって生きていますし、生きているんですから会話くらいしてると思います。たぶん、ですけど……」
【なになに~? 可愛い子の前で良いカッコしようとしてるの~? 変なの~】
植え込みを待つネモフィラの方がクスクス笑ってそんな風にからかってくる。
うっかり声を上げそうになってしまったが寸前で堪え、鈴木さんに気付かれないように眉だけひそめて聞こえないふりをする。
「だ、だよねっ! ……えっとね、じつはわたし、聞こえるんだよ。……この子たちの、声」
「――――――えっ?」
瞬間、耳を疑ってしまった。
鈴木さんからのあまりにも突然すぎる、予想もしていなかった告白に心臓が跳ねた。
植物の声が聞こえる人が、俺以外にもいるだなんて。
世界でたった一人、俺だけがおかしいわけじゃなかったんだ……!
「あっ、聞こえるっていっても、はっきり言葉がわかるわけじゃなくって肌で感じるっていえばいいのかな……? ご、ごめんね、いきなり変なこと言っちゃって! わ、忘れてっ!」
「ぜ、ぜんぜん変じゃないです! ……えっと、その、じつは俺も、似た感じっていいますか、言葉が伝わるっていうか、その――」
「ほんとにっ!? やっぱりそうなんだっ! だって鮫島くん、お花の気持ちがわかってる人の表情だったもん! わたしにはわかる、ひひっ!」
もごもごと口の中で言い淀む俺の視界いっぱいに鈴木さんが興奮しながら顔を近付けてくる。
この不意打ちみたいな、近すぎる距離感の詰め方は一度指摘した方がいいのだろうか。
怪訝な表情ばかりを向けられて距離を取られ続けて、免疫のない俺はいちいちみっともなく狼狽えてしまう。
「でも良かった。わたしだけじゃなかったんだ。すっごく嬉しい。わたしずっと、自分が変なのかなって思って悩んでて……」
ふいに視線を落として安堵の息をつきながら鈴木さんが零す。
その気持ちは痛いほど伝わってきた。俺だって同じことで悩んでいたのだから。
それにしてもこんな偶然があるだなんて。
たまたま同じ環境委員になり、そこでガーデニング部に誘われて、お互いにこれまでずっと抱えていた悩みを共有出来る相手と巡り会えるなんて。
【ねえねえ早く早くー、陽が暮れちゃうよー】
「鈴木さんは変じゃないです。さあ、一緒に植え込みましょう」
「ひひひっ! そうだね、早く植え込んであげないとね。ネモフィラたちが待ちくたびれちゃってるね!」
ネモフィラからの催促を受けて二人揃って微笑み合う。
照れ隠しなのだろう頬を赤く染めて視線を逸らし、それでも上機嫌に鈴木さんがネモフィラの苗に手を伸ばす。
すると――
【……えっ、な、なに、この子っ、なんなの? あ、熱いっ……!?】
【え、え、なに、熱いっ!? ああっ、あっつ……っ!】
【うわっ、なんだっ!? この圧迫感はっ!? 熱い……!】
ネモフィラたちが一斉にざわめきはじめ、熱い熱いと動揺の叫びが響き渡る。
突然の異変を前に瞬きも忘れて鈴木さんを仰ぎ見るが、にこやかに幸せそうな笑顔を浮かべているだけだ。
他に変わった様子なんて微塵も感じ取れない。
それなのにネモフィラたちの様子が尋常ではないのだ。
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