第12話 太陽の子
「ほら、とっても喜んでくれてる感じがするね! ひひっ!」
【ああああぁぁっ! あ、熱いっ!】
ついさっき俺をからかってきたネモフィラが、鈴木さんの手が近付くにつれ小刻みに葉を揺らして叫ぶ。
それに対して鈴木さんは満面の笑み、慈愛さえ感じさせる微笑みを湛えている。
なんだこれは、いったい何が起こっているんだ……?
獰猛な極道顔のくせに他人の表情をとやかく言える立場にあるとは思えないが、鈴木さんのその様子はまるで、ホラーミステリーに登場しそうな快楽殺人犯が愉悦の笑みを湛えているかのようだった。それほどまでにネモフィラたちの悲鳴がこだましている。
「え、っと、鈴木さん……、ちょっと――」
【ああ、熱いっ! わああぁぁっ!】
そっと育苗ポットを持ち上げられたネモフィラが一段と高い叫び声をあげる。
……どういうことだ、何が起こってここまで叫んでいるんだ? やたらと熱い熱いと言っているが何がどうなっているんだ?
「ほら見て
【う、うう、うわああああぁぁっ!】
歌っているみたい……?
俺には堪えきれない阿鼻叫喚みたいに聞こえるんだが……?
そんな嵐のように渦巻く叫びなどものともせずに、鈴木さんは鼻先を花びらにそうっと近付け深呼吸するみたいに香りを嗅ぐ。
「すー……、うん、ほんのり甘い香り。この子も嬉しいみたいっ!」
【ああああぁぁぁぁ、あ――】
鈴木さんの鼻先がちょこんとネモフィラの花びらに触れ、同時に切り裂くような叫び声が途絶えた。
ぐったりと気を失ったその様はまさしく断末魔と呼ぶに相応しい。
「……」
その一連の様子を眺めていた育苗トレーの中のネモフィラたちが、鈴木さんの笑顔を愕然とした様子で眺めているように見えた。
実際には、俺は声が聞こえるだけで植物たちの表情などはわからない。わからないのだが、もはや雰囲気だけで感じ取れるくらいネモフィラたちの動揺が痛いほど伝わってくるのだ。
いや、本当になんなんだ、何事なんだこれは……?
鈴木さんがふわりと浮かべる眼鏡越しの柔らかく愛らしいはずの笑顔が、ネモフィラたちの折り重なるような叫びのせいで狂気の沙汰に見えてしまう。とんだ地獄絵図だ。
「もうっ、順番だから待っててね。次はこの子を植え込んであげるね、ひひっ!」
【――ひぃっ!?】
鈴木さんの流し目を受けたネモフィラが死の宣告を受けたかのように息を飲む。
そこでやっと俺は確信した。
……鈴木さん、植物の声がまったく聞こえていないんだ。
けれど嘘や冗談を口にしている風には見えないし、ましてやお花とお話し出来るキャラを演じている不思議ちゃんというやつでもないだろう。ネモフィラに向けられる鈴木さんの態度や接し方に嘘偽りがあるようには感じられない。
――おそらく聞こえていないのではなく、聞こえているつもりでいるのだ。
それがいわゆる幻聴と呼ばれるものなのかは定かではないが、仮に幻聴だったとしても完全にネモフィラたちの声を聞き間違えている。
【あ、熱い……っ!】
【太陽よ……、太陽の子よ……っ!】
【ああ、太陽が落ちてきたみたいなすごいプレッシャーだぜ……】
挙げ句の果てに太陽の子だのと呼ばれて必要以上の緊張感を与えている鈴木さんは、自分では植物の声が聞こえているつもりでいるのだ。
「は、早く、植え込みましょう!」
「うん、そうだね!」
ひとまず鈴木さんの手の中で気を失ったみたいにぐったりしているネモフィラを、一刻も早く植え込んでやった方が良い気がして慌てて促す。
意気揚々と移植ごてを手に鼻歌交じりで植え込み始めるのだが、どうしても気になって仕方ない。
鼻歌が微妙に音を外していることではなく、水やりでさえままならなかったのだ。苗の植え込みもきっと……、と思っていると案の定、育苗ポットから苗を強引に引き抜こうとしているではないか。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「うん?」
「育苗ポットから抜き出す時はこうやってですね、人差し指と中指の間に茎を挟み込んで、逆さにしてポットから優しく抜き出してやります。この時に少し土の角を落とす感じでほぐしてから植え付けてやると、新しい根が生えやすくなって花壇へとしっかり根付いてくれます」
【はあぁぁ~……、そうそう、優しくも艶めかしい手付きで惚れちゃいそう~】
手本代わりに俺が植え付けたネモフィラが感嘆の息を漏らし、誰かに聞かれると誤解されそうなことを口走る。まあ、俺にしか聞こえはしないのだが。
当然ながら、隣で俺のお手本をまじまじと見つめている鈴木さんにも聞こえている様子はまったくない。
やはり植物の声が聞こえているつもりでしかないのだ。
どうやら、聞こえているつもりの声を信じ切っているらしい。
「……鮫島くん、ほんとになんでも知ってて詳しいね?」
「あ、いや、そんなことは……」
声をかけられ、不躾にまじまじと見つめてしまっていたことに気が付きハッとする。
聞かれてもいないのに育苗ポットから苗を抜く手解きをするなんて、偉そうと思われてしまったのでは……?
「鮫島くん――」
「は、はい」
「わたしの部屋に来てくれない?」
「――――――はい?」
ゆるゆると俯きかけた俺の視線を追って、鈴木さんはわざわざ覗き込んできながらそんな提案を持ち掛けてきた。
分厚い眼鏡に遮られ鈴木さんの視線ははっきりとは見えないが、その表情にまとわせた雰囲気に冗談を言っている様子はなくむしろ真剣そのものに感じられた。
「観葉植物、パキラなんだけど、詳しかったりする?」
「……パキラは俺の部屋にもあるので、ちょっとくらいでしたら」
「ほんとにー!? ……あのね、お願いがあるんだけど、わたしに教えてくれないかな? パキラの上手な育て方」
「上手な育て方、ですか?」
パキラは観葉植物の中でもかなり丈夫で初心者でも育てやすい。パキラを枯らせるやつは植物に触るなと言われるほどだ。正直なところ、上手な育て方と問われても的確な返答に困ってしまう。
「ほら、わたしお花は得意なんだけど観葉植物はどうも上手くいかなくって……」
え、お花は得意……?
【え、お花は得意……?】
俺の心の声とネモフィラの声がハモった。偶然とはいえ植物と意見を同じくしてハモってしまうなんて世界初なのではなかろうか。
「つ、次の土曜日なんてどうかな?」
もじもじと指を絡ませながら提案しつつちょっぴり照れ混じりに頬を赤く染める。
……これは「お花は得意」とギャグのつもりで言ったのにちっともウケなかったからなのか、パキラを上手く育てられないと告白したことに赤くなっているのかどっちなのだろう?
「は、はい、土曜日ですね、大丈夫です」
「良かった! じゃあじゃあ、また連絡するね? うちの場所とか! あ、うちってじつはお花屋さんなのー!」
若干の不安を感じていたのだろう、俺の返事にぱあっと笑顔を咲かせてみせた。どうやら後者の、パキラを上手く育てられない告白に照れを感じていたようだ。
嬉々としながらネモフィラの苗を手に取り、不器用ながらも俺が教えた通りにポットから抜き出して植え付けていく。
【あ、熱っ! あっつぁぁぁぁ!】
【た、太陽の子だー! 熱いーっ!】
あいかわらず鈴木さんが触れていく端からネモフィラたちは熱がって叫び続け、その叫び声はやっぱり俺にしか聞こえていない。
まるで原因はわからないのだが、何か良からぬ電波か波動みたいなものでも放出されているだろうか……?
一見すると、灼熱地獄の鬼が亡者を苦しめているような構図に見えなくもないが、鈴木さんは嘘偽りなく純粋にネモフィラを愛でている。不器用で大雑把とはいえ、愛情を持って扱おうとしている姿は見ればわかる。
まさか悲鳴を上げているだなんて微塵も想像せず、ネモフィラたちが喜んでくれていると思い込んで、一心に愛情を注ぎながら植え込んでいるのだ。
熱いとはどういうことなのか? 太陽の子とはどういう意味なのか?
いくら考えを巡らせたところで何もわからない。
そしてなにより、ネモフィラたちの反応が気にはなるのだが、どんなに悪党面だろうと俺も一人の高校生男子なのだ。
あまりにも突然、同級生の女子の部屋に招待された事実の方に気持ちのウエイトを持って行かれるくらい普通ではないだろうか?
そんな風に申し訳ない気持ちと葛藤しながら、俺は俺で平静を装うことに必死だった。
しかし、図らずも鈴木さんの部屋に招待されたことによって、一連の謎の悲鳴、太陽の子と呼ばれて恐れられる真相を知ることとなるのだった。
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