第3話 ガーデニング部
「ええっと、……まあ、そういったわけで環境委員は花壇の管理をする園芸的側面と校内の環境を整える仕事をしているじつに誇り高い委員活動なのさ」
気を取り直して話を再開したジャージ姿の先輩が辛うじて饒舌さを取り戻し笑顔を浮かべる。
「……けどそれって要するに、花壇の手入れと校内の掃除ってことでしょ?」
誰かがぼそりとそんなことを呟き、それを皮切りに重いため息が混じり始める。
「雑草抜きとか水やりとかでしょ? 正直めんどいよねえ……」
「掃除時間だけで十分じゃね? オレら掃除しに学校来てるわけじゃねえし……」
まあそれがごくごく自然な反応に違いない。
整えて何ら得なんてない花壇の手入れをさせられて、決められた掃除時間があるにもかかわらず、委員会活動と称して追加で校内の清掃作業を負担させられるのだ。
俺が環境委員になったのも他になり手がいないからくじ引きで決まったくらいなのだ、おそらくは自主的に立候補した精鋭でもない者たちが喜んで引き受けるような仕事ではない。
そんな風に思いながら周りを見回しただけなのに、
「――ひっ、こ、こっち睨んでるっ!」
「あ、あんたの声が大きいからでしょっ!? なんとかしてよっ……」
「ちょちょ、押すなよっ? 俺じゃねえって……!?」
俺と視線が交わるなり表情を凍り付かせて俯きながら、小声で押し合いへし合いし始めながらジリジリと距離を取っていく。
「まあまあ、落ち着きたまえ諸君。委員活動はなるべく持ち回りで各々が負担を減らせるようにスケジュールを組むつもりだから安心してくれたまえ」
先輩もこの反応は想定の範囲内なのだろう、湧き上がるざわめきにうろたえることもなくひょうひょうと言ってのける。
ただ残念ながら、負担を減らしたそのスケジュールに素直に従っている生徒はほとんどいないのだろう。
その良い証拠が、いま代表として話をしているこの先輩が着ているジャージはよく見れば二年生のものだ。校内放送では学年に関係なく環境委員が集まるように呼びかけられていたにもかかわらず、この場にいるのは一年生のみだ。
ジャージの先輩以外の二年生が一人も来ていないうえに、三年生に至ってはただの一人も集まっていない。
「環境委員はこれでなかなか重労働だったりするからね。私は無理強いはしない主義なんだ。なるべく放課後に作業を行うスケジュールは組まないようにするし、どうしても優先するべき用事がある場合には委員活動は休んでもらって構わないよ」
一年生たちのわかりやすい反応に対して先回りするみたいに、高らかな口調に笑顔を添えて理解を示してみせる。
しかし、そんなことを言ってしまって本当に大丈夫なのだろうか?
その方針の結果が、いままさに先輩一人きりでここにやって来ている結果に見えるのだが。
「ではまた後日、各クラスの担当配分を決めさせてもらうよ。それと、これは余談なのだけれど、じつは環境委員とは別に部活動としてガーデニング部があってね、私はそこの部長もしているんだ。ほんのちょっとでも興味のある子は是非とも私に声をかけてくれたまえ!」
先輩の解散の合図とともに、開放感をあらわにしながら一年たちが裏庭を後にする。もちろん俺と視線は合わせず距離を取るように足早に立ち去っていった。
「あれ、鮫島くん残ってくれたの? ……もしかして入部っ!?」
隣に並んでいた眼鏡女子が俺を見上げて声をかけてきた。
俺の見た目に物怖じしないどころか、欠片も抵抗感を匂わせることもなく極めて普通に話しかけられて面食らってしまう。
「ああ、その……、入部ではなくて集合に遅れてしまって話を全部聞けていないので」
「えっ、鮫島くん真面目だねー?」
「いや真面目だなんてそんなぜんぜん……」
こんな見た目の俺が真面目なんて言葉を投げかけられたのは初めてかもしれない。なにしろ不真面目の代表選手みたいな顔をしているのだから。
それに集合時間に遅れてしまったのは紛れもない事実なのだ。おかげで、初見で俺と目が合い尻餅をついてしまったジャージ姿の小柄な先輩の名前さえ聞けていないのだ。
「じゃあ、最初から全部話してもらう?」
「あ、そうですね、お願いします鈴木さん」
「――え、わたしの名前……」
ピクリと反射的に俺を見つめてきた視線に戦慄してしまう。
……しまった、またやってしまった。
ついさっき教室でクラス委員の藤井さんを怯えさせてしまったばかりだというのに。
もしかするといくらクラスメイトとはいえ入学式の日にクラス全員の名前を覚えるのは、仮に俺の見た目が極めて普通だったとしてもものすごく気持ち悪いことなのだろうか……?
良かれと思って頑張って暗記したつもりだったが、今日初めて会話した相手から自分の名前をいきなり呼ばれるなんて恐怖でしかないのかもしれない。
「あの、えっとですね――」
「もう覚えてくれたんだ、すごい! わたしって地味で目立たないうえに名前も平凡だからなかなか覚えてもらえないんだよー。なんか照れちゃうなあ、ひひっ」
瞬時に脳裏をよぎった俺の懸念とは正反対に、怯えられることも気味悪がられることもなく、鈴木さんは興奮気味に眼鏡を曇らせながらニッと白い歯を見せて変な笑い方をして見せた。
あまりに想定外の反応を目の当たりにして狼狽えてしまう。
こんな風に嘘偽りなく無邪気な笑顔を最後に向けられたのはいつだったろう。俺に向けられる笑顔は、だいたい恐怖に引き攣った愛想笑いか、死を覚悟したような諦めの微笑みがほとんどなのだ。
だから、眩しい陽射しみたいな屈託のない笑顔を向けられて、居心地悪く戸惑ってしまうくらい仕方ないだろう。
「
俺と鈴木さんのやり取りをハラハラした様子で眺めていたジャージの先輩が、忍び足でスルスルと近付いてきて鈴木さんに耳打ちして確認する。
「え? 大丈夫ですよー。もう、なに言ってるんですか先輩ー!」
「そ、そうかい? なんというか彼一人だけ劇画調みたいな見た目で驚いてしまってね……」
「なんですかそれ? なにか変なんですかー?」
「いや、噛みつかないならいいんだ。……こほん。さっきはあまりに突然で圧倒されてしまいすまなかったね。私は二年の
安全確認を終え、不遜に胸を反らして先輩が高らかに自己紹介をしてくれた。
ちなみに『あねさん』なんて呼び方が慣れている高校生はそうはいない。……いないと思いたい。
やはり俺の見た目で大きな誤解をしているようだが、そのわりに物怖じしない尊大な口調はなかなか肝が据わっているようだ。あと言うまでもないが噛みついたりはしない。
「2組の
「ああ。よろしくしてくれたまえ鮫島くん。それで環境委員の話だったね? まあ、集まってもらっておいてこう言ってしまうのもアレなのだけれど、たいした話はしてないのだよ」
はははっと困り眉で乾いた笑いを浮かべながら、白崎先輩が環境委員の仕事について掻い摘まんで説明してくれた。
要するに、先ほども言っていたが各クラスごとに割り振られた花壇の管理と校内の環境整備、つまるところ清掃作業だ。もはやそれに尽きるのだ。そして、その面倒臭すぎる活動内容ゆえに大半の生徒から嫌がられる委員活動の筆頭なのだ。
「そうだ、さっきも言ったけれど私はガーデニング部の部長も兼ねていてね。そのガーデニング部に彩子くんが昨日入部してくれたばかりなんだ」
「はーい、ガーデニング部1号です!」
すぐさま鈴木さんがピシッと頭の横に手をかざして敬礼して見せる。
「もし良かったら彩子くんへの部活動案内も兼ねて、校内の花壇の様子を見て回りながら話しても構わないかい?」
白崎先輩の提案に鈴木さんが敬礼したまま返事を促すように仰ぎ見てくる。
「はい、わかりました」
「よーし、じゃあ歩きながら話そうじゃないか。鮫島くん、両手に花だねえ? 一生分の運を使い果たしちゃったんじゃないかい? このこのー」
ついさっき俺の顔を見て尻餅をついたとは思えない順応力の高さで、愛想笑いを浮かべるしかない俺の脇腹を白崎先輩が肘でついてくる。
両手に花なんて自ら豪語してしまうくらいには、白崎先輩は確かに美人だった。ただ見た目が完全に小学生、下手をすると小学三年生くらいに見えてしまうだけだ。小学三年生の中では群を抜いて美人さんで間違いない。
もう片方の花、鈴木さんは分厚い眼鏡に遮られて顔はよくわからない。あちらこちらに跳ねる癖っ毛をひょこひょこ踊らせながら俺の隣を歩いている。
この見た目ゆえに、こんな女子に挟まれて歩くなんて状況は生まれて初めてだ。
もしかすると本当に一生分の運を使い果たしてしまったのかもしれない。
いろいろな意味で緊張の色を滲ませながら足取りが重くなってしまうのだった。
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