第4話 萌え乱舞

 白崎しろさき先輩に案内され、裏庭花壇から正門を目指して歩く。


 入学式の日に気が付いていたが、正門から校舎へと続く歩道の両脇にある花壇に、そう多くはないもののチューリップにパンジー、アネモネといった春の花たちが色鮮やかに咲き誇っていた。


【萌え~】

「なんといっても正門だからね、ここの花壇は我が校の顔といっても過言じゃない。だから、ここだけは最優先で去年の冬からずっと、卒業前の先輩たちに手を借りながら整備していたのさ。ほぉら、とくとご覧あれ!」

「はぁ、春のお花のパステルカラーは本当に綺麗ですねえ」

【萌えぇ】


 鈴木さんがうっとりと長いため息を零す。


「そうだろうそうだろう。先輩たちの残した寄せ植えのこだわりが随所に見られる配置になっているはずさ!」

【萌えー!】


 癖なのだろうか、腰に手を当てて白崎先輩がこれでもかと不遜に胸を張って仰け反る。


 先ほどもそうだったが、不遜な物言いとは正反対に白崎先輩の胸元はとても慎ましい。ちょっとやそっと仰け反らせたところで、まるで主張の足らないなだらかな胸元はどこまでもフラットでちっとも目立たない。


【……も、萌え~】


 いやいや、どこに不躾な眼差しを向けているのだ俺は!

 いま見るべきは花壇の花たちだ。いまだ蕾の先輩の胸部ではない。


【萌え~、萌え~】


 ちなみに先ほどからやたらと萌え萌え叫んでいるのは、植物たちが芽吹く時や咲かせた花が最盛期を迎えた時に発する声だ。

 様々な花が季節を問わず花を咲かせるが、やはり日本の気候的にも春の花壇でとりわけよくある光景だ。


【も、萌えっ!】


 何か主張があってこちらに話しかけてきているわけではないので、ぜんぜん気にする必要はない。よくはわからないが叫ばずにはいられないらしい。魂の叫びみたいなものなのだろうと勝手に解釈している。


「さて、それでは次は前庭に向かおうか」

 白崎先輩に促され正門花壇を後にする。


 移動してみてわかったことだが、俺にしか聞こえない植物たちの萌え萌え大合唱が高らかに響いていたのは、控え目に言って正門花壇だけだった。


 つまり、綺麗に整備されて管理が行き届いている花壇はここしかなかった。


 たどり着いた前庭には、それほど大きくはない桜の木と松の木が植えられて一見きちんと整備されているように見えた。


「ここは職員玄関前だから庭木の手入れは業者が入っているのだよ」

 なるほど、専門の手が入っているのであれば綺麗に整備されているのは当然だ。


「そして、この辺りがガーデニング部が管理する花壇だよ」

 その庭木たちの足元に離れ小島のように点在する、赤レンガを組んで囲まれた花壇を白崎先輩が指差し示す。


 花壇と教えてくれはしたものの、辛うじて雑草の処理がされているだけで花の苗などはまったく植え付けられておらず、端的に言って手付かずの状態だった。


「……花壇、ですか」

「さて、今度は中庭に向かうとしよう」


 俺の呟きをきっぱりと聞き流した先輩に連れられ中庭へと進むと、ベンチなどの据えられた中庭全体の敷地を取り囲むように花壇が広がっていた。

 そして、ものの見事に手入れはされていなかった。ここも辛うじて雑草の処理だけがされているようだった。


 見渡す限り地面が剥き出しになっているだけの花壇だったが、そんな中の一部分だけ土が盛り上げられてうねが作られている場所があった。


 明らかにそのわずかな区画だけが畑のように整えられており変に目立って見えている。


「あの、白崎先輩。あそこだけ整えられている畝は何なんですか?」

「……あれは、気まぐれなモグラのイタズラなのだよ」

「もっと上手に嘘つけないんですか……?」

 俺の質問にわかりやすすぎるほど顔をしかめて白崎先輩が適当なことを宣う。


「……あれは、生前に畑を耕しきれなかった怨霊が――」

「え、まだ続けるんですか!? 一回で諦めてくださいよ……」

 それまでの不遜な物言いから打って変わって歯切れ悪く唇をむにゅむにゅさせながら、やはり適当なことを並べようとする。


 本気で誤魔化す気があるのか疑わしいが、よっぽど説明したくないようなことでもあるのだろうか?


「ふむー……、なんというか、わかりやすく言えばあそこの畑はだねえ、――って、おや?」

 意を決したように口を開いて、それでもやはり逡巡しながら畝の方を見やって何かを見つける。

 すると見る見るうちに幼い美人さんな顔をしかめて、

「むうぅぅ……、陽和ひよりのやつぅ……!」

 憎たらしそうに唇と尖らせて大きな歩幅でずんずん畝に向かって歩き始める。


 ぽかんとやり取りを見つめていた鈴木さんと後を追ってみると、その畝の側にしゃがみ込んで移植ごてを手に作業をしている女子の姿があった。


「おい、陽和! どういうことなんだこれはっ!」

「……ん? あら、華蓮かれんじゃない。あたしの菜園に何か用かしら?」

「いつからここが陽和の菜園になったんだ! ほら、ここっ! このラインからはみ出すなって言っただろう!」

「そっちがぜんぜん手を付けないから、あたしの菜園に雑草が侵食してくるのよ。文句があるなら管理くらいきちんとやりなさいよ」

「前庭の次にやるつもりなんだ! 手が足らないんだから仕方ないだろう!」

「手が足らないのはお互い様でしょう? ……そうね、もう一列ほど畝を増やしたいから、なんだったらそのちっとも手を付けてない花壇もらってあげてもいいわよ?」

「なんだとこの強欲め! 冗談は乳だけにしろっ!」

「なんですって!?」


 あれだけ不遜な物言いで余裕ぶっていた白崎先輩が、畝で作業をしていた女子に立ちはだかり豹変したように文句を叩き付けて口論となる。


 あっという間に剣呑な雰囲気となり、浴びせられる罵声に立ち上がって応戦しはじめた陽和と呼ばれている女子は、白崎先輩と同じジャージを着ておりどうやら二年生のようだった。


「なんでもかんでも欲張ってデカくしようとする恥知らずめ! 親の乳が見てみたいわ!」

「うっさいのよ! って、見るのは親の顔にしときなさいよ!?」

「その穢れたデカ乳遺伝子以外にどう興味を持てと言うんだ? バカなのか?」

「穢れてないわよ! あと、遺伝じゃないから見たって無駄よ!」

「遺伝じゃないだと!? ……豊胸手術なのか? 高校生でそんな裏技にすがるなんて、やっぱりバカだろう?」

「違うから!? 天然に決まってんでしょ!」


 ゆるくウェーブのかかった髪をお団子にまとめて、まるで土仕事に似つかわしくない綺麗な顔立ちを歪めて睨み付ける。


 腰に手を当てて女子としてはすらりと高い身長で白崎先輩を見下ろすその姿は、デカ乳と罵倒されるに相応しいほど目を引くサイズだ。

 ジャージの上着をこれでもかと押し上げるその大きな膨らみは、見た目が小学生みたいな白崎先輩と向かい合っているせいで余計に強調されて見えてしまう。いや、そうでなくともどう見ても標準を大きく超えた立派なサイズだ。


 ……いやいや、また俺は不躾な視線で何を見つめているのだ!

 標準より大きいからといって無遠慮にまじまじと見つめて良い理由にはならない。


「ふっふーん! 天然だのと自慢げに乳膨らませてられるのも今のうちだけだぞ! なんとうちには新入部員が入ったんだからな!」

「膨らませてるわけじゃないわよ! って新入部員っ!?」

「あ、さかえ先輩、昨日ぶりですねー!」

 俺が心の中で自らを戒めていると、白崎先輩が思い出したように大仰な身振りで鈴木さんを指し示す。


 すると鈴木さんは、陽和と呼ばれていた胸の大きな先輩とすでに顔見知りの様子で事も無げににっこりと笑顔を浮かべて挨拶してみせる。


「んええっ!? あ、彩子あやこくん、陽和と知り合いだったのかいっ!?」

「彩子ちゃん……、あなた本当にガーデニング部に行っちゃったのっ!?」

 双方ともに予想外だったのだろう、二人の先輩が揃って信じられないと言わんばかりの表情で鈴木さんを仰ぎ見る。


「わたし昨日、よくわからなくって園芸部の見学に行ったんです。そうしたら榮先輩から園芸部は野菜を育てる部活でお花は育てない、お花はガーデニング部が育ててるって聞かされたんです。それでそのまますぐにガーデニング部に入ることにしました! いやぁ榮先輩、親切に教えていただいてありがとうございましたー!」


 微塵も悪びれる様子もなく、まあ部活の選択は個人の自由なのだから悪びれる必要などないのだが、それにしたって清々しいほどの笑顔で鈴木さんが言ってのけた。


 そのはつらつとした態度からは、この剣呑な状況を理解している様子はうかがえない。

 ただ、鈴木さんに限った話ではなく、現状では俺にも先輩二人が何をいがみ合っているのかさっぱりわからない。


「はははははっ! どうだ野菜まるかじり部め、秒で部員を失った気分は!」

「野菜まるかじり部ってなによ!? う、うし、うし……」

「んー? 牛がどうしたってー? 牛らしくンモーッと鳴いてみろ――」

「あの白崎先輩、こちらの先輩は?」


 いつ問い掛けようかずっとタイミングを推し量っていたのだが、再び無益な言い争いが始まりそうだったので意を決して俺が声をかけると、

「――っ!? き、きゃああぁぁああぁぁっ!? ――あぅっ!」


 言い争いを遮った俺に視線を寄越した胸の大きな先輩が、断末魔のような金切り声をあげながら咄嗟に後退り、そのままの勢いで畝につまづいて尻餅をついてしまう。


 ついさっきも小柄な先輩の似たような光景を目の当たりにしたばかりだったが、不意に俺の顔を見ると尻餅をつかないと気が済まないのだろうか……。


「……か、かかっ、華蓮っ、アンタついにこんなその筋の荒くれ者を連れてきたの!? 最低限の分別くらいはついてると思ってたのに、あたしに嫌がらせするためにここまでする気!? 信じらんないっ!!」

 尻餅をついたままよたよたと生まれたての子鹿が必死に立ち上がろうとするみたいに、震える脚でお尻を引き摺ってジリジリと距離を取る。


 その筋の荒くれ者か、また一つ俺の見た目を形容する語録が増えたな。どんどんバラエティに富んでくるが当然ながらまったく嬉しくはない。


「ああ……、じつに不愉快極まりないが一応、紹介しておこう。このデカ乳は榮陽和、私と同じクラスで我がガーデニング部の天敵である園芸部の部長だ。いや、野菜食い散らかし部だったかな? まあどっちでもいい、別に覚える必要はないよ。見ての通り、乳がデカいだけで取り立てて特徴のないつまらない女だよ。陽和――、ああ間違えた、このデカ乳のことは、幻の奇乳種、Hカップの乳魔人、搾りたて牛女の妖怪、まあ適当に呼んでやってくれたまえ」

「ちょっと!? 黙って聞いてればアンタ自分が貧乳だからってひがんでんじゃないわよ!!」

「騒々しいぞ、さっさと乳搾り体験の牛舎に帰れ」


 さも興味なさそうに悪意たっぷりに榮陽和先輩の紹介をする。しかし、よくもまあここまで剥き出しの毒を吐き続けられるな。感心して瞬きを忘れてしまいそうになる。


「アンタこそランドセル背負って集団下校してなさいよっ!」

「黙れっ! 事あるごとに視界に入り込んでぶるんぶるん揺らしやがって! じつに忌々しいっ! ――くらえっ、ボタニカルクローッ!!」

「にゃああぁぁああぁぁああぁぁっ!?」


 懸命に言い返しながら立ち上がろうとしていた榮先輩の胸を、指が埋まり込むくらい力一杯に握り締める。


 ボタニカルクローなどとそれらしい必殺技のように叫んでいたが、要するに純粋な乳の鷲掴みだった。

 あまりの不意打ちに榮先輩が怒った猫みたいな叫び声を上げ、再び尻餅をついた隙に白崎先輩は全速力で逃走してしまう。

 それはもう、スプリンター並の綺麗なフォームで走り去ってしまった。


「あっ、待ってください先輩! それでは榮先輩、失礼します!」

 律儀にぺこりとお辞儀をして鈴木さんが後を追って駆け出していく。


 何だったんだいったい……? 突然の出来事すぎて呆気にとられて立ち尽くしてしまう。

 本気でケンカをしているようには見えなかったが、やっていることは完全に小さな子供のケンカでしかなかった。


「あ、あの大丈夫ですか……?」

「――ひっ!?」

 心ばかりの手助けと思い、そっと手を差し伸べる。


 だが、白崎先輩に鷲掴みにされた胸を両手で隠しながら榮先輩はビクッと身を縮ませて半泣き顔で俺を見上げてくる。


 うん、まあ、その反応でも仕方ないか……。

 ここで俺の手を取れるくらいならそもそも尻餅ついてたりしないはずだ。


「俺、一年の鮫島って言います。あの、その筋の荒くれ者とか、そういったのじゃぜんぜんないので安心してください。それじゃあ」

 なるべく穏やかに勘違いを訂正し、ぺこりと頭を下げて早々に立ち去ることにする。


 いつまでもここに居続けても余計に怯えさせるだけだからだ。

 一応、まだ案内の途中なのだ。急いで逃走した白崎先輩に追いつかなければ。


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