第2話 俺は顔が怖い
クラス委員の藤井さんの挙動不審な態度はもっともなのだ。
なにしろ、自分で言うのもなんだし、自分自身でもはっきりと自覚せざるを得ないほど、俺は顔が怖いのだ。
凶悪指名手配犯の顔写真が並べられたポスターの中に俺の写真が混ざっていても、一切の違和感を抱かせないレベルの強面だった。
表情を強張らせて震えを必死に堪えながら話しかけてきた藤井さんの態度は、これまでの人生で幾度となく繰り返されており、むしろすでに慣れきっていた。
親父譲りの強面のせいで、まだ小さな子供時代からだいたいいつもこんな感じなのだ。
――全ての事の発端は、小学校に上がってすぐの頃だった。
当時の俺はまだ幼さというオブラートに保護されており、今ほど強烈な強面ではなかった。
「ねえ!
「うん、いいよ!」
学校で仲良くなった当時の友達と、そんな他愛もない子供らしい約束を交わして俺の自宅に遊びに来ることになった。
しかしそれが悲劇の始まりで、その日たまたま非番だった親父と顔を合わせてしまうこととなったのだ。
俺の顔面を構成する遺伝子の大本たる親父の強面と来たら、それはもう凶悪というより他なく真正面から対峙しようものなら意識が飛んでしまうほどなのだ。
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁ――――――!!」
玄関先で出迎えてくれた親父と顔を合わせるなり、絹を裂くような悲鳴を上げた友達は痙攣と見紛うほどガクガクと震えて失禁してしまった。
這々の体で泣き喚きながら逃げ出していった友達の口に戸を立てることなど出来るはずもなく、翌日には噂に背びれ尾ひれがデコレーションされ『鮫島尊くんの父親は極道』と知れ渡ることとなった。
親父のその見た目のせいで隣近所の人たちでさえも誰一人として噂を疑う者は現れず、あれよあれよと波紋のように勘違いが広まってしまった。
「尊、人を恨んではいけないぞ。恨みつらみが争いを生むんだ」
払拭できない勘違いが広がりきった後の親父の言葉だったが、今にして思えばどの口で言っているんだという話だ。しかし、達観したその口調には理由があった。
親父の仕事は当然ながら極道などではなく、何を隠そう立派な警察官なのだ。しかも、よりにもよって暴力団担当刑事だった。
いわば対極に位置する職種であるにもかかわらず、その風貌から担当地域の暴力団関係者からさえ恐れられているなんてまことしやかに囁かれているらしい。朱に交われば赤くなるとはよく言ったものだ。
そんな親父がたまたま非番の日に、たまたま息子が友達を連れてきたものだから、たまたま気を利かせて玄関先に顔を出して笑顔を浮かべたせいで、誰にとっても災難でしかない結果となってしまったのだ。負の連鎖とはじつに恐ろしい。
そんな疑う要素のない噂が広まり、誤解を解くチャンスさえ与えられないまま距離を取られ、いわゆる「鮫島くんと遊んじゃいけません!」的な流れとなってしまうのにたいして時間など必要ではなかった。
そうなってしまっては年端もいかない子供には打つ手などあるはずがない。
誤解だ、勘違いだと弁解すればするほどおかしく歪曲されてしまうことを中学生になる頃には身を以て学んでいたので、俺はもう申し開きを諦めることにした。
なにしろ歳を重ねるごとに親父の若い頃にどんどん似ていく自分の容姿を否応なく突き付けられるのだ。諦める以外の選択肢がどこにあるというのだ。
結果、当然ながら俺は友達が少なかった。歳を重ねるごとに俺の周りからは人が離れていき、今となってはほぼいないといっても過言ではない。
それでも幼かった頃の俺は寂しさなんてものをそれほど感じることはなかった。
なぜなら、俺のことを見た目で判断せず、中にはまるで意に介さず一方的に話しかけてくるような相手がたくさんいたからだ。
【どうしたどうした浮かない顔して? おいらの綿毛でも飛ばして遊んで行きやがれ】
ひとり下校する帰り道、アスファルトのひび割れの隙間に根を張ったセイヨウタンポポが綿毛を付けて風に揺れている。
――そう、俺は植物の声が聞こえ、会話が出来るのだ。
きっとクラス委員になった藤井さんは今日一日ずっと、いつ俺にくじ引きの結果を伝えればいいのか落ち着かない様子で怯えながら過ごしていたのだろう。たぶん、生きた心地がしなかったはずだ。俺は何もしていないのだが申し訳なくて仕方ない。
それでも決死の覚悟で、最終的に半泣きになってはいたが、俺が環境委員になったことを伝えてきたのだ。その勇気たるや並大抵のものじゃない。
その勇気に報いるためにも、もう集合時間はかなり過ぎてしまっているが、とにかく急いで裏庭花壇前に向かわなければ。
たどり着いた裏庭花壇前に少ないながらも人だかりを見つけた。きっとあそこだろう、近付いてみるとジャージ姿の女子をぐるりと囲んで何事か話が進んでいるようだった。
「というわけで、ここまでが環境委員の仕事になるのだよ。それから――」
「すいません、遅れました」
「ひぃぃっ!?」
ジャージ姿の女子を囲む輪の後ろから顔だけ覗かせて開口一番に謝罪を述べる。
すると、委員活動の説明をしていたらしいジャージ女子と視線が交わった途端、短い悲鳴を上げて仰け反ったと同時に足をもつれさせて尻餅をついてしまった。
それを見ておもむろに振り返ってきた他の環境委員たちが俺の姿を見るなり、サーッと波が引いていくように一斉に後退って距離を取る。
「うわあっ! え、な、なにっ!?」
「え、ここって環境委員会でしょ? なんであんな悪そうな人がいるの!?」
「やめろっ、聞こえるぞ……。鮫島だ。噂で聞いたことある、暴力団組長の息子らしい……」
「ええ……、不良なんてレベルじゃないじゃん、ガチじゃん……」
俺から十分に距離を取って怪訝な表情を隠そうともせず、ひそひそ耳打ちをはじめるが丸聞こえだ。俺が本当に噂通りの暴力団組長の息子だったらどうするつもりなんだろう?
「先輩っ、大丈夫ですか? しっかりしてください!」
ほんの一瞬で物々しい雰囲気が影を落としてしまった中、そんな様子などまるで気にしていないみたいに、分厚い眼鏡をかけた女子生徒が尻餅をついたジャージ女子に駆け寄って手を差し伸べていた。
先輩と声をかけられていたからジャージ女子は上級生なのだろうが、どこからどう見ても小学生くらいにしか見えない小柄な容姿だった。ほんのりと茶色がかった髪をゆるく二つ結びにしているあたりも幼さに拍車をかけているように見える。
まあ、悪人面を携えたどの口で人の容姿を語るのかという話になってしまうのでこれ以上はやめておこう。
「あ、ああ……、すまないね彩子くん。ちょっと驚いてしまってね」
眼鏡女子の手を借りてよろよろと立ち上がった先輩がお尻の土を払う。
「じゃあ先輩、続きをどうぞ!」
大きな分厚い眼鏡をキラリと輝かせて先輩に話の続きを促したその女子は、一瞬の躊躇いも怯える様子も見せずスタスタと俺の方へと歩いてきて、あろうことか真隣に肩を並べて連れ添うように先輩へと向き直った。
「え、あの子、大丈夫なの……?」
「あんな近付いたりしたら八つ裂きにされるんじゃ……」
「み、みみ、見てよあの冷め切った目、人をいたぶり慣れている目よっ」
俺から距離を取った他の委員たちが、眼鏡女子の身を案じてコソコソと視線を寄越してくる。ちなみに、いたぶり慣れている目なんてはずがなく、俺は俺で状況が掴みきれずに立ち尽くして真顔になっているだけだ。
どうにも落ち着かずにチラリと真隣に並んだ眼鏡女子を盗み見ると、
「――ひぃっ! ほ、ほらっ、睨んでるよ! 絶対やばいよあの子……!」
「お、おい、あんまり見るなって、こっちまで巻き添えを食うぞ……!」
ただならぬ不穏な空気がさざめき立って広がる。
当然ながら睨んでいるつもりなんてないのだが、もはや否定するのも面倒臭い。
しかし、チラリと見て気が付いたがよく見たらこの眼鏡の子は同じクラスの女子だった。
各委員はクラスごとに二名ずつ選ばれることになっている。特に取り決めがあるわけではないらしいが、だいたい男女一人ずつ選ばれるのが恒例なのだ。つまり、ここにいるということは俺と同じ女子の環境委員なのだろう。
それはそうとしてこの眼鏡女子は、他の環境委員たちの俺に対する反応を全く気にする様子もなく俺の隣に並んできた。指示があったのかどうかはわからないが、各クラスの二名ずつが並んでいるように見えるのでそうしただけかもしれない。
それにしても、これだけ周りがざわついているにもかかわらず俺の容姿を気にする素振りさえ見せない。努めて気にしないようにしているわけでも、歯を食いしばって我慢している様子でさえない。
改めて気付かれないようにチラリと、横目でこっそり眼鏡女子を盗み見る。
肩の触れるかどうかくらいの濃い栗色の髪の毛先を、おそらく癖っ毛なのだろう奔放にうねらせて内へ外へと跳ねさせている。しかしそれ以上に特徴的なのが、やはりその分厚く大きい眼鏡だ。
おしゃれ感からは対極に位置するような黒縁の丸眼鏡は、機能性のみを重視するサイズ感とデザインゆえに表情まではうかがい知ることが出来なかった。
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