最終話 一緒に風呂にはいりたい ~大団円~

 斬蔵は男の問いかけには答えず、黙って闇牙を抜いた。すると、その瞬間周囲には霧が立ち込め、闇牙の切っ先からは水が迸った。それで斬蔵は確信した。自分がレイクフォレストで過ごした時間は夢では無いのだと。するとそれまで余裕綽々の顔で喋っていた男が表情を強張らせ、驚愕の声を上げた。


「抜けば玉散る氷の刃……その刀、魔剣と呼ばれるムラサメか? 貴様、そんな物をどこで手に入れた?」


 男が驚き、慌てふためく様を見て、斬蔵はニヤリと笑った。そして闇牙を振りかざすと、一足飛びで男に斬りかかった。


「ムラサメ? バカ言え、コイツは闇牙。俺の愛刀だ!」


 叫ぶと同時に袈裟がけに斬り付ける斬蔵の手に確かな手応えがあった。驚きのあまり狼狽えてしまった男は斬蔵の最速の剣を避ける事が出来なかったのだ。


「哀れなモンだぜ。お前が守ってた刀こそが魔剣ムラサメだったって事、知らなかったみたいだな」


 血に塗れて倒れた男を見下ろしながら呟いた斬蔵が闇牙をひと振りして男の血を払うまでも無く、刀身から湧き出た水が男の血を洗い流し、闇牙は元の鈍い輝きを取り戻していた。


「さて、これで心残りは無くなった。これでセレスと楽しい新婚生活を……」


 ほくそ笑んだ斬蔵だったが、ここに来て恐ろしい問題に気付いた。


「どうやったらレイクフォレストに帰れるんだ?」


 斬蔵はレイクフォレストに『帰る』と言った。そう、斬蔵の心は完全にレイクフォレストでの生活にあったのだ。しかし今となってはレイクフォレストに戻る術など無い。


「あーあ、セレスのヤツ、泣いてないだろうな……」


 斬蔵の心が痛んだ。結婚の約束をした男が突然姿を晦ましたのだ。しかもこれから初めて一緒に風呂に入ろうという時に。その悲しみは筆舌に尽くし難いだろう。


 途方に暮れかけた斬蔵だったが、大きく頭を振って自分を鼓舞させるかの様に叫んだ。


「セレスは泣いてなんかいねぇ! 俺が帰って来る様に神様に祈ってるに違い無ぇ!」


 斬蔵は腹を決めた。あの男は『池に仕掛けをした』と言っていたが知った事か、レイクフォレストへ、セレスの元へ帰る事が出来る可能性が少しでも有るのならそれに賭けるしか無い。斬蔵は頭から池に飛び込んだ。あの男が降らせる炎を纏った岩石から逃れた時の様に。


 池に飛び込んではみたものの、斬蔵に出来る事はセレスが神に祈っていると信じて潜り続けるより他には無い。水遁の術に使う竹筒を持って来なかった斬蔵が息の続く限り潜り続け、そろそろ限界だという時、池の水の温度が上がった様な気がした。


 ザバっという水音と共に水飛沫を上げて立ち上がった斬蔵の前に、目を閉じ胸の前で両手の指を組んで祈るセレスの姿があった。もちろん斬蔵が姿を消した時の姿、つまり裸のままで。


 斬蔵が自分の国で火の妙な術を使う男とやりあっている間ずっと祈り続けていたのだろう、セレスの身体は汗ばみ、顔は赤く火照っている。

目を開いたセレスは今にも泣き出しそうな顔で斬蔵の顔を見つめ、震える声で言った。


「貴方が救世主様なのですか?」


 セレスが斬蔵に初めてかけた言葉だ。それを聞いた斬蔵は首を横に振って優しく答えた。


「いや、そんな上等なモンじゃ無ぇ。俺はお前と一緒になりたいだけの、ただの男だ」


 するとセレスは涙を流しながら斬蔵の胸に飛び込んだ。


「ザンゾーさん、いきなり消えちゃったから、私目の前が真っ暗になっちゃったんですよ!」


「すまねえ、待たせちまったか? まあ、俺もびっくりしたけどな。でも、もう大丈夫だ。やり残した事を済ませてきたからな」


 泣きじゃくるセレスをなだめる様に斬蔵が謝ると、セレスは目を閉じて唇を突き出した。それに応えて斬蔵が唇を合わせた。

 長いキスが終わり、唇が離れるとセレスは斬蔵を愛おしそうに見つめた。


「ザンゾーさんがいなくなっちゃって、私の世界は闇に包まれました。でも、こうして戻って来てくれて、その闇を払ってくれました。だからザンゾーさんはやっぱり救世主様です。私だけのね」


「任せとけ、これからはずっとセレスを守ってやるからな」


 涙を拭きながら言うセレスの頭に斬蔵が優しく手を置いた。するとセレスは含羞んだ笑顔で答えた。


「守ってくれるのは嬉しいんですけど、やっぱり守られる必要の無い、平和で穏やかな暮らしが良いですね」


 斬蔵はセレスの言葉を聞き、レイクフォレストに来る前の自分の生活を思い出した。忍術の修行に明け暮れ、任務の度に白刃の下に身を晒す血生臭い日々。そんな世界が当たり前だと思っていた斬蔵だったが、クリムゾンフレイムとの戦いが終わってからレイクフォレストで暮らすここ数年は、生まれて初めて身も心も安らぐ日々だった。


「ああ、そうだな。任務の為とは言え、俺は数え切れないぐらいの人を斬った。これからは闇牙を振るうのは鍛錬の時だけであって欲しいモンだ」


 遠い目をして言う斬蔵にセレスが微笑みかけた。


「覚えてますか? 私、ザンゾーさんの昔の話を聞いた時にいいましたよね、『神様はきっと許して下さいますよ。ザンゾーさんが多くの人を殺めてしまった事を』って」


 セレスが言うと斬蔵はあの時と同じ様にニヤリと口元に笑みを浮かべた。だが、口から出た言葉はまるで違うものだった。


「いや、別に良いよ、神様が許してくれなくても。セレスが許してくれるのならな」


 不謹慎とも思える斬蔵の神をも恐れぬ発言にセレスが頬っぺたを膨らませると、斬蔵は慌てて態度をころっと変えた。


「いや、セレスに出会えたのも神様のおかげだもんな。神様に感謝しなきゃだな、うん」


 そんな斬蔵にセレスがプッと吹き出し、斬蔵も一緒になって豪快に笑った。二人きりの浴場に響く笑い声が収まった時、斬蔵は残念そうな顔でポツリと呟いた。


「そう言えば、セレスはその救世主様の妻になる訳だが、一つだけ残念な事があるな」


 思いもかけない言葉にセレスの顔が曇った。『残念な事』とは? セレスには一つ思い当たる事があった。それはセレス自身が気にしている胸が小さいという事。もしかしたら斬蔵は胸が大きい女の子が好きなのだろうかと不安げな顔で見つめるセレスに斬蔵はニカっと笑って言った。


「一緒に風呂に入れ無ぇ。また俺が日ノ本に戻っちまうかも知んねぇからな」


「大丈夫ですよ。その時はまた神様にお祈りしますから」


 セレスが微笑んで答えると斬蔵の目付きが変わった。


「ソレって、俺と一緒に風呂に入りたいってコトか?」


 確かにそういう風に取れない事も無い。ニヤニヤした目で言う斬蔵にセレスの顔が真っ赤になった。


「もう! 知りません!」


 プイっと背を向けたセレスを斬蔵はしっかりと抱き締めた。

                                       


                                     了

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レイクフォレスト戦記 ~聖なる泉に現れる筈の救世主が実際現れたのは女子寮のお風呂で、しかもその救世主というのが忍者だった件~ すて @steppenwolf

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