第42話 夢幻の如くなり?

 月日が流れてセレス達は聖マリウス学園を無事卒業し、聖職者のタマゴから駆け出しの聖職者へとなった。斬蔵はと言えばセレスと結婚するという事で聖マリウス学園の臨時職員から正式な職員に昇格させてもらい、すっかりレイクフォレストに馴染んでいた。幸いにも斬蔵が気にしていた『レイクフォレストに未曾有の危機が迫っている』というのは杞憂に終わった。


 そして平和な日々を過ごし、セレスとの愛を育んでいるいるうちに斬蔵の心に変化が現れていた。血生臭い忍者の世界から解き放たれ、平和な日々を送るにつれ「こんな暮らしも悪くないな」とまで思う様になっていたのだ。ただ、鍛錬だけは欠かさなかった。平和な日々が続いても闇牙を抜かない日は無かったが、それはあくまで鍛錬の為。斬蔵の身体が返り血に染まる事はクリムゾンフレイムとの戦い以降一度も無かった。


 ある日、鍛錬を終えた斬蔵が掃除ついでに一風呂浴びようと、この時間は誰も居ないであろう聖マリウス学園の寮の浴場に行くと、女の子の鼻歌が聞こえてきた。

間違い無い、セレスの歌声だ。卒業して聖職者となったセレスがこんな時間になぜ? と思いつつ斬蔵が脱衣場に入るが、セレスが脱いだ衣服は無い。不思議に思った斬蔵が浴室を覗くとセレスが鼻歌を歌いながら洗い場の掃除をしているのが見えた。


「セレス、何やってんだ?」


 斬蔵の声にセレスが振り向いた。


「あっ、ザンゾーさん、お疲れ様。もうすぐお掃除終わるから、少し待って下さいね」

 本来浴室の掃除は学園の職員(雑用係とも言う)の斬蔵の仕事で、セレスは聖職者として教会にお祈りをしに来たついでに斬蔵の仕事を手伝おうと思ったらしい。


「そんな事しなくって良いのによ」

 言いながらも嬉しそうな斬蔵は洗い場へと入り、既に掃除の終わっていた湯船にお湯を張った。


「そうだ、良かったらセレスも入ってけよ」


 まるで自分の家の風呂みたいに言う斬蔵に苦笑しながらも、セレスは含羞んで言った。


「……じゃあ、一緒に入ります?」


 セレスが駆け出しの聖職者だという事で結婚こそまだしていないし、一緒に住んでもいないが、二人の気持ちは決まっている。とは言えセレスの予想外な大胆な言葉に斬蔵が驚いて動きを止めると、セレスは斬蔵の手を引っ張って洗い場から脱衣場へと出た。


「私、身体を清めておきますからザンゾーさんは後から入ってきて下さいね」


 斬蔵の後ろに回って服を脱ぎ、震える声で言ったセレスはタオルで身体を隠しながら洗い場へとまた戻った。かけ湯をしているのだろう、お湯の音が響いた。

 その音を聞きながら斬蔵は服を脱ごうとした時、ふと思い付いた。今、自分が身に着けているのは忍者装束、最近は鍛錬の時ぐらいにしか着なくなった斬蔵の正装だ。しかもついさっきまで鍛錬していたので愛刀の闇牙も手元に有る。この姿のままで浴槽に現れれば二人の出会いの場面が再現出来るのではないかと。

 斬蔵は驚くセレスの顔を想像して口元に笑みを浮かべると、セレスが湯船に入る気配を窺った。


 暫くして、セレスがお湯に浸かった気配を察知した斬蔵は素早く行動に出た。斬蔵の速さをもってすれば瞬時にして脱衣場から浴槽に飛び込む事など容易いこと。次の瞬間にはザバっという水音と共に水飛沫を上げてセレスの前に斬蔵は姿を現した。突然の事にキョトンとした顔でリアクションを取れないでいるセレスに斬蔵は優しく笑いかけた。


「こんな感じだったよな、俺達の出会いって」


 しみじみと言う斬蔵に、セレスはクスっと笑って答えた。


「そうですね、救世主様」


 セレスの言葉を聞いて斬蔵はニヤリと笑い返した。だが、その笑顔は異様な感覚に打ち消された。足元の湯がどんどん温くなってきて、遂には冷たい水の様に感じられたのだ。

 そして目の前が真っ白になったと思えば目の前からセレスの姿が消え、見覚えのある男の顔が笑っていた。


「良い夢は見れたかな?」


 斬蔵の前にあった男の顔、それは平和な日々の中でも忘れる事の出来なかった『火の妙な術を使う男』の顔だった。


「何で手前ぇがこんな所に居るんだ?」


「池にちょっとした仕掛けをさせてもらっていてね。お前が過ごした酒池肉林の日々は一炊の夢。ほんのひと時の夢幻に過ぎん」


 男が嘲笑う様に言い、斬蔵が辺りを見回すと、そこは聖マリウス学園の寮の浴場では無かった。そう、斬蔵が飛び込んだ神社の池だ。


 男は斬蔵が刀を一本しか持っていない事に気付くと恨めしそうに言った。


「何だ、仕方無いなあ。せっかく奪った刀を落っことしてしまったのか? 池の底を探さなければならないじゃないか。まったく面倒をかけてくれおるわ」


 斬蔵は男の言葉に違和感を持っていた。確かにラザと義兄弟の契を交わして酒を飲んだし、セレスやエレナ、ジルにフローラと女の子は登場した。だがしかし、決して『酒池肉林』などとは言える状況では無かった。それに何と言っても夢だったら盛大にイフリートをぶっ倒しても良さそうなものを、美味しいところをエレナに持っていかれて救世主になり損ねたのだ。怪訝そうな顔の斬蔵に、男はやれやれといった顔で言った。


「おや、儂が見せてやった夢はお気に召さんかったと見えるな。では、どんな夢がお好みだったかの?」


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