第41話 求愛を飛び越えて
教会に着いた斬蔵がドアを開けると、エレナの言った通り祭壇の前でセレスが神に祈りを捧げていた。ここ数日のところ一緒に神に祈ってはいたが、祈っているセレスの姿を後ろから見るのは初めてだった。祭壇の後ろのステンドグラスから仄かに差し込む光に包まれたセレスの姿は美しく、正直なところ信仰心など丸っきり持ち合わせてはいない斬蔵から見ても神々しくさえ思えた。
「セレス」
その美しさに声をかけるのも憚られた斬蔵だったが、見惚れている訳にもいかず思い切って声をかけるとセレスは振り向いた。
「あっ、ザンゾーさん。エレナに稽古を付けてあげるんじゃ無かったんですか?」
予想外の斬蔵の登場に祈りを中断してセレスが歩み寄ると、ステンドグラスから差し込む光が強まり、まるでセレスから後光が差しているかの様に見えた。
「どうしてココに? あっ、そうか。早く日ノ本へ帰れる様にザンゾーさんもお祈りしに来たんですね」
これからもの凄い事を言われるとは知らず柔らかい口調で言うセレス。斬蔵は自分の国、忍者の里の仲間達の顔が思い浮かんだが、それを振り切る様に大きく頭を振った。
――あれからもう何日も経つんだ。みんな俺が任務に失敗して死んだと思ってるさ――
斬蔵はゴクリと生唾を飲み込んだ。これから一世一代の言葉を、忍者である以上、下手すれば一生言う事が無かったかもしれない言葉を言うのだ。もしかしたら今までのどんな任務よりも緊張しているかもしれない。
「セレス、俺の妻になってくれ」
「えっ……?」
斬蔵の言葉にエレナの動きが止まった。救世主と慕っている相手から愛の告白をすっ飛ばして求婚の言葉をかけられたのだから無理も無いだろう。からかわれているのではないかとセレスは斬蔵の顔を見たが、斬蔵の目は真剣そのもの。セレスをからかっているとは思えない。
「どうして私なんかを?」
顔を赤くしながらセレスが尋ねたが、斬蔵は「エレナに責任を取る様に言われた」などと言えはしない。
「俺がセレスを嫁に欲しいと思うのに理由が必要か?」
何となく格好良い事を言っている様にも思えるが、実のところは言い訳が思いつかなかったので、強引に押し通しただけだ。だが、小細工無しのストレートな言葉がセレスの心にクリティカルヒットした。だが、セレスには一つ気にかかる事が有った。それは結婚するにあたってはっきりさせておかなければならない問題だ。セレスはおずおずと斬蔵に言った。
「でもザンゾーさん、日ノ本に帰りたいんじゃ……?」
この言葉は効いた。火の妙な術を使う男にもう一度挑みたいという思いが斬蔵の頭を掠めた。しかし斬蔵はそんな考えを振り払い、セレスに告げた。
「もう良いんだ。俺はセレスとココで暮らすって決めたんだからよ」
穏やかな目をして言う斬蔵にセレスは肩を震わせた。
セレスが一方的に救世主扱いしたのにも関わらず命懸けで戦ってくれて、しかもセレスの安全を常に気遣ってくれていた斬蔵。そんな男が自分の過去を振り切り、セレスと未来を生きようと決意したのだ。セレスに斬蔵の申し出を断る理由など有る訳が無い。
「はい。不束者ですが、よろしくお願いします」
頬を赤く染めて頭を下げるセレスを斬蔵はしっかりと抱き締めた。セレスは幸せそうに斬蔵の胸に顔を填めていたが、思い出した様に顔を上げて言った。
「ただ、一つだけお願いが。私が一人前の聖職者になるまで待っていただけますか?」
「ああ、構わないぜ。頑張って立派な聖職者になってくんな」
斬蔵がセレスの願いを快諾して頷くと、セレスが斬蔵を見上げて目を閉じた。もちろんキスを待つ仕草だが、そういう意味だとは知らない斬蔵がどうすれば良いのか解らずに動けずにいると、悲しそうにセレスが目を開けた。
「ザンゾーさん?」
キスを拒まれたとでも思ったのだろう。だが、セレスが目を開けた事によって斬蔵にチャンスが訪れた。
「すまねぇ。俺はずっと忍者の世界に居たからな。女の子の扱いってモンが解んねぇんだ」
正直に言う斬蔵に、セレスが照れ臭そうに微笑んだ。
「私だって男の人の事なんて解らないけど……」
セレスが背伸びをして斬蔵にキスをしようとした時、斬蔵は背後に人の気配を感じた。
「誰だ!?」
斬蔵がセレスを背に守る様に振り返ると、教会のドアのところから見慣れた顔が二つ現れた。
「さっすがザンゾーさん、私達の気配を感じるなんて、さすがは救世主様ってトコね」
「だから言ったでしょ、覗き見なんて良く無いって」
バツが悪そうな顔で苦笑いを浮かべながら言うエレナとそれを諌めるジル。セレスはとんでもないところを見られてしまったと顔を真っ赤にして斬蔵の背中に身を隠した。
「やっぱお前等かよ。まあ、どうせそんな事だろうとは思ってたけどな」
呆れた顔で言う斬蔵と真っ赤な顔のセレスにエレナは悪びれる事も無く、それどころか満面の笑顔で言った。
「ご婚約おめでとうございます! 式には呼んで下さいね!」
「バカな事言ってないで行くわよ。二人の邪魔しちゃ悪いでしょ」
ジルに引きずられる様にエレナは出て行き、教会はまた斬蔵とセレスの二人きりとなった。
「まったくエレナにも困ったモンだな」
溜息を吐きながら言う斬蔵にセレスが不安そうに尋ねた。
「ザンゾーさん、もしかしたらエレナに何か言われたんですか?」
くどい様だが、『エレナにセレスの裸を見た責任を取れ』などと言われたとは口が裂けても言う訳にはいかない。斬蔵は少し考えた後、言葉を濁す様に言った。
「そうだな、恥ずかしながらエレナにちょっと言われちまったよ」
斬蔵の言葉を聞いたセレスは少し悲しくなり、俯いてしまった。その口振りから斬蔵がセレスに求婚したのは斬蔵の意志では無く、エレナに何か言われたからだと思ったのだ。だが、そんな少し悲しそうなセレスに斬蔵はきっぱりと言い切った。
「そんな顔すんなよ。確かにエレナから言われちまったってのもあるけど、お前を嫁にするって決めたのは俺なんだからよ」
セレスが顔を上げると、目の前に斬蔵の顔があった。いつもは怖いものなど無い様な目をしている斬蔵が、不安そうにセレスの目を見つめながら尋ねた。
「それじゃ不満か?」
セレスは大きく首を横に振り、嬉しそうに微笑むと、また目を閉じた。一度目の失敗で学習したのだろう、今回はご丁寧にも唇を突き出している。
――これって、口吸いってヤツか! そうか、セレスは口吸いを求めているんだ――
さっきは不覚にも気付いてやれなかったが、こうあからさまに唇を突き出されれば色恋沙汰に円の無い世界で生きてきた斬蔵でもセレスの想いが理解出来た様だ。
斬蔵は初めてのキスに緊張しながらも、やはり初めての経験で緊張しているセレスに顔を近付け、二人の唇は重なった。
どれぐらいの間、斬蔵とセレスは唇を合わせていただろうか。唇を離した二人の間を一筋の糸が繋ぎ、そして切れて落ちた。それに気付いたセレスが恥ずかしそうに言った。
「もう一生一緒ですよ。何しろ神様の前でキスしちゃったんですからね」
「もちろんだ。お前は俺の嫁になるんだからな」
斬蔵はセレスの言葉に応えて力強く抱き締めると、セレスも斬蔵の身体に手を回した。
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