第9話 女湯に現れたのは救世主?

 聖マリウス学園の寮の浴場は広く、十人は同時に入れるだろう。だが、みんなは既に入浴を済ませたらしく、そこは二人の貸切状態だった。セレスはかけ湯をして身体に付いた埃を落とし、次に髪を洗った。隣ではエレナがゴシゴシと石鹸で身体を洗っている。せっかく広い浴場が貸切状態なのだからもっと広く使えば良いのにという気がしないでも無いが、それだけこの二人は仲が良いという事だろう。


 髪と身体を洗い終えた二人は並んで湯船に浸かった。いつもならエレナの大きな胸を羨んで口を尖らせるセレスだが、今日は大人しく目を閉じ、両手の指を胸の前で組んでいる。そう、湯に浸かりながらも祈りを続けているのだった。


「セレス、こんなに一生懸命……神様、いつもはちゃんとお祈りなんてしないけど、今日ばっかりはお願いします。セレスの願いを……聖なる泉に救世主を……」


 セレスの行動に心を打たれたエレナが心の中で念じた時だった。ザバっという水音と共に水飛沫を上げてセレスの前に一人の男が姿を現した。しかし目を閉じて祈っているセレスはその水音をエレナが立ち上がって立てた音だとぐらいにしか思っていない様で、男の出現に全く気付いていない。エレナは何が起こったのか理解出来ずにいたが少なくとも女の子二人が風呂に入っているところに男が現れたのだ、当然の様に悲鳴を上げた。


「きゃあぁぁぁぁっ!」


 その悲鳴を聞いて目を開けたセレスの前には忍者装束に身を包んだ男が刀を腰に差し、そして刀をもう一本の左手に握って立っていた。

 忍者装束などセレスもエレナも初めて見る代物だ。と言うかレイクフォレストには忍者自体が存在しない。言ってみれば単に奇妙な格好をした大男が目の前に現れたのだ。セレスはエレナと同様に悲鳴を上げるかと思われたが、セレスは物怖じせず冷静な声で男に尋ねた。


「貴方が救世主様なのですか?」


 男は何が何だか解らないといった顔をしていたが、目の前に裸の女の子が居るのだ、思わず凝視してしまったのは無理も無い事だろう。そして照れ臭そうに頬をボリボリ掻きながらセレスに尋ね返した。


「あの、嬢ちゃん……妙な事を尋ねるが、ココはいったいドコなんだ?」


 突然女子寮の浴場に現れた男の言葉を信じるのはどうかとは思うが、少なくともセレスの目には男が嘘を吐いていたり、その場凌ぎの言い逃れをしている様には見えなかった。


「ここはレイクフォレストの聖マリウス学園。聖職者になる為の修行の場です」


 セレスが身体を隠そうともせず落ち着いて答えると、男は驚いた顔で言った。


「れいくふぉれすと? なんだそりゃ、聞いた事無ぇな」


 この男はレイクフォレストに居ながらも、この国の名前を知らないと言う。だが、言葉は通じる様だ。意外と大人しく話をする男と物怖じせず冷静に話すセレスを見たエレナは「すぐにセレスに危害が及ぶ事は無いだろう」と判断して大急ぎで浴場から飛び出すとタオルを自分の身体に巻いて再び浴場に戻り、セレスにタオルを投げて渡した。


「おっと、こりゃ失礼。どうやらココは風呂場の様だな。おかしいな、俺は池に飛び込んだ筈なんだが、あの池はこんなトコに繋がってたってのか? まったくエロ神主も居たもんだぜ」


 エレナから投げられたタオルで身体を隠すセレスに向かって斬蔵が目を片手で覆いながら言うが、もちろん神社の池が風呂に繋がっている訳など無い。


「貴方、何者なの?」


 男にエレナが尋ねると、男は相手が少女だと思って舐めてかかったのだろう、素直に名乗った後、怪訝そうな顔でブツブツと呟いた。


「俺か? 加藤斬蔵ってんだ。それにしても話が全く見えねぇ。レイクフォレスト? ソイツはこの国の名前か? 聖職者? 坊さんとか神主みてぇなもんか……?」


 その時、浴場の扉がガラっと開いた。斬蔵が目を遣ると、そこには大勢の聖マリウス学園の学園生達、つまり女の子の集団がそれぞれ手に棒や箒を持ち、今にも襲いかからんばかりの勢いで睨みを効かせている。おそらくエレナの悲鳴を聞きつけて駆けつけたのだろう。


「アイツが変質者ね!」


「気を付けて、武器を持ってるわ」


「この人数でかかれば何とかなるわよ!」


 ジルを先頭に、物騒な事を言いながら浴場に踏み込もうとする女の子達をセレスが止めた。


「待って! この人は変質者なんかじゃ無いわ!」


 セレスの言葉に一番驚いたのはエレナだった。


「セレス、何言ってるの? 女の子がお風呂に入ってるところにいきなり乱入するなんて、変質者以外の何者でも無いじゃない!」


 言われてみれば確かにそうだ。この状況では斬蔵は変質者扱いされても仕方が無い。しかしセレスは冷静に言った。


「だって、私とエレナがお風呂に入った時には誰も居なかったのよ。こんな大きな人が隠れてたら気付かない訳無いじゃない」


 確かにそうだ。セレスとエレナは並んで湯船に浸かっていたのだ。こんな大男が突然目の前に現れるまで気付かないなんて普通考えられない。まあ、斬蔵は忍者なのだからその気になれば可能かもしれないが……

 それはさておき、エレナの頭にセレスが考え付きそうな事が思い浮かび、まさかね……と思いながらも声に出して言ってみた。


「セレスの祈りが神様に通じて、救世主が現れたって事?」


「うん……よくわからないけど、そうとしか考えられないじゃない?」


 エレナの言葉にセレスは控えめに頷いた。何の前触れも無く、突然降って湧いた様に現れた男だ。普段ならともかく、今のセレスならば神様が遣わしたと思ってしまうのも無理はあるまい。いや、そう信じたいのだろう。そう思ったエレナが黙り込んでしまうと、二人の話を黙って聞いていた斬蔵が静かに口を挟んだ。


「嬢ちゃん達、とりあえず話はそれぐらいにして、服着てくれねぇか、目のやり場に困っちまうからよ。んで、場所移して話の続きをしようや」


 この斬蔵と言う男、存外紳士的な事を言う。それを聞いたセレスとエレナは自分達がタオル一枚なのを思い出して顔を赤らめると、そそくさと湯船から出て脱衣場で身体を拭き、大急ぎで服装を整えた。頃合を見計らった様に斬蔵も脱衣場へと顔を出し、頼む様に言った。


「悪いんだけどよ、俺にも何か着る物貸してくんねぇかな?」


 全身ずぶ濡れのままで、くしゃみを一つした斬蔵だが、聖マリウス学園は前述の通り女子校だ。斬蔵が着れるサイズの服など望むべくも無い。とりあえず大きめのタオルを借りて腰に巻き、肩に羽織って濡れた忍者装束を絞り、干して乾くのを待つしか無かった。



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