学舎の響を止めるな!

忌川遊

学舎の響を止めるな!

「我が校の朝会、とりわけ壮行会などでは相も変わらない雄々しい声の応援歌が響く」と言いたいところだが、この学校15年目の教員である加藤にとって、それは前と比べると物足りないものであった。この応援歌の声が小さくなっていくのは心配だ。いつの日か、彼らは「応援する」という心意気すらも失ってしまうのではないか?もっとも「生徒主体」という考えに基づけば、この原因は彼らにあるが…


やや遡ること二日前の朝七時半、初夏の穏やかな陽光に包まれた職員室で五月蝿く電話が鳴り響いた。

「もしもし」

高校名を続けようとしたその声を遮り、男の怒鳴り声が耳に飛び込んでくる。

「おい!昨日のあれはなんなんだ!朝っぱらの八時くらいから何やら声が聞こえてきたぞ!お陰でこっちは寝てらんねぇんだよ!」

「はい、申し訳ございませんでした」

「…あの声は一体なんなんだ?」

「はい…我が校が月に一度行う集会での校歌斉唱のことではないかと思われるのですが…」

「だからしょうがないとでも言うのか?こっちはその所為で起こされてんだよ!あとな、コロナはどうなんだよ?コロナ対策はどうなっているんだ?!」

――まだコロナのことなんて…

思わず舌打ちしそうになったが、それはどうにか喉の奥に留めた。

「…わが校にも教育活動というものがございまして」

「ああ?!とりあえず朝は静かにするんだ。前にも言ったけどな、近隣住民も迷惑してんだよ」

ガチャ、

「せっかくの良い朝なのに」

思わず呟いた。

「コロナのことまで言うんじゃねえよ…」

また小さく呟いた。

――全く本当に煩わしい。あと、皆迷惑してるって言ってるけど、あんた以外から電話が掛かってきたことはねぇよ。


「あーあやだやだ。報告なんて」

ノックをし部屋のドアを開ける。

「失礼します」

その部屋の空調は抜群で、教室の何倍も綺麗で、部屋としては満点だが、その居心地はものすごく悪い。

「おはようございます。どうされたのですか?」

「おはようございます。あの、今朝住民の方から苦情の電話がありまして…昨日の校歌の声がうるさいと。生徒の発する声、つまり発声てすね。それがうるさいと。なんでこんなにうるさいんだ、この発声は尋常じゃない。うるさい発声尋常じゃない。略しまして…」

「そのくらいにしてください。発声発声うるさいです」

加藤は思わずスイッチが入ってしまった。

「はい…すみません」

「分かりました。しっかり謝りましたか?」

「はい」

「反論とかしてませんよね?」

「はい」

「言われたのはそれだけですか?」

「あと…コロナ対策は大丈夫なのか?と」

「ふむ、確かに一理あります。コロナはまだ終わっていませんからね」

――いやいやそれは…

「何度も言いますが、反論など一切無用ですからね。とにかく誠心誠意謝る。これに尽きます」

――自己保身が。

「いいですね」

「ね」で彼の目がギラリと光った。

――全くそっちの心持ちは強いんだから。

「失礼しました」

重いドアを開けて部屋を出た。


――そう。つまりそういうこと。皆気にしすぎなんだ。コロナのことまで口出ししてくるなんて、一体いつの話なんだか。それに、それを平然と受け入れる方も受け入れる方だよ。…地域住民「様」じゃねえんだよ。少しは対等な立場に立てないのか。「生徒の主体性」を守るにはあんたの「器の広さ」っていうのが必要なんだよ。分かる?


またある日、部活の大会の壮行会をやったときのことだ。いつも通り、激励の言葉を述べた後「最後に一言」と彼は続けた。

「この前、地域の方から「朝の校歌の声がうるさい」それに「コロナ対策は万全なのか?」とのをご指摘を頂きました。私自身、複雑な思いです。しかしですね、教育活動というものは、地域の方々の協力無しには成り立ちません。理性あり、能力のある君たちが、そうしたことを踏まえつつ、この学校の伝統を引き継いでいく。君達なら、期待にきたえてくれると信じています。期待しています。頑張ってください」

相変わらず、〆の一言は変わらない。

――「期待にきたえる」ねぇ。…なーにが伝統を引き継ぐだよ。じゃあ校歌の声は小さくしろ、そして伝統は守れ。とでも言うのか?生徒の意見を聞きもしない。自分の意見は変えない。そんなやつが……あれ、今俺の方睨んだ?え?なんで?


――はぁ……、なんだよ。昼休みに「呼び出し」って。

加藤は自分の担任の教室に向かって歩いていた。

――昼休みの教室の騒がしさが十五年前となんら変わらないのは、ある意味良いことかもしれない。以前のまま残っているものは、こういうところだけな気がしてならない。教室の前まで来た。中に入るにも、古い扉は引っ掛かり、若干開けずらい。

「…中平、ちょっと来て」

楽しそうに話していた中平は驚いたように立ち上がった。――全く気の毒でしょうがない。


またこんな居心地の悪い部屋で、自分と中平が今から何を言われるのか、全く予想がつかなかった。ただ、目の前の彼はかなり殺気だっているのだ。

「なぜこの前、近隣の方からコロナに関するご指摘を頂いたにも関わらず、今朝の壮行会をマスクなしで行ったのですか?」

――え?いやいや、それ言うか?普通

「何よりも大切なのは、コロナ対策です!」

中平もあまりに予想外のことに愕然としていた。


20分、30分と時間が経ち昼休みが終わる頃、中平は教室に帰ってきた。

「中平どうしたの?」

「…あり得ねぇよ」

――ホントにあり得ない。マジであり得ない。

それは加藤も中平も、それを聞いた仲間達も同じ思いだ。


――どうしてあれが許されないのか?!いつも通り壮行会を行うことが出来ない。今までやっていたことが出来ない。大きな舞台に行く者を、気持ちを込めた大いなる応援で送り出すことこそ、わが校の伝統なのだ。それをとやかく言うだなんて…。


授業の時間になってもクラスはまだざわついていた。勿論、さっきの昼休みの件のことだ。

「いやさー、マジで有り得なくない」

「んー…なんかねぇかな」

「…伝えたいな。校歌応援歌の良さ」

「え?」

「この本当の良さが分かってもらえれば、考え方を変えてくれるんじゃないかと思うんだよね」

――中平、良いこと言うじゃねぇか。

「じゃあさ、校歌応援指導に参加させるとか」

「うははは。出来たら面白いけどな」

「いや普通にさ、あれやればもう校歌応援歌歌に愛着湧いてしょうがなくなるって!絶対!」

この男、大川は時々本当に突拍子のないことを言い出す。

――いや、でもな…ありだな。校歌応援歌指導はこの学校の一員になるのに欠かせない。

加藤は少し笑いが堪えられなかった。生徒達がその顔に気が付いた。

「先生…どうしたんだろう」

それでもやはり、加藤は笑いを堪えることが出来なかった。



秋が過ぎ去り、冬を越え、新な春を迎えた。三年生は無事卒業し、彼は移動せずに学校に残った。学期が始まると同時に行われる一大イベント。「校歌応援歌指導」

――この日をどんなに待ちわびたことか。


加藤はその様子をちらりと見に来る彼の姿を見つけた。

「あ、探しましたよ。ささ、早くグラウンドへ」

「は?あなたは一体何を言っているんですか?」

「…実は今回の指導には教職員も参加しようということになりまして」

「いやいやいやいや。何でですか?これは生徒達の行事です。我々が立ち入るところではない!」

「いや、確かにその通りなのですが…。我々教員もこの学校の一員である以上、一度やってみたらどうか。ということになりまして、OB以外は皆参加してるんです」

「それはですね!教師としての威厳に関わります!だから生徒から呼び捨てされるんだ!」

「その生徒達は直しましたし、今の生徒は大丈夫です。ささ、皆さん行っていますよ。ささ、この前応援歌の名前を間違えたことですし」

「んんー、しかし……。ん?うわー、なんだなんだ?!離せ!何をするんだー……」

………あっという間に二時間が過ぎた。二時間後の生徒達、いやこの学校の一員達の顔は実に晴れやかだ。これで彼らも、真にこの学校の一員だ。これがどんなに効果があることか、これから分かっていくことだろう。

「まあそれにしても、本当はこの行事は生徒だけでやるものです。なんたって、生徒主体に反してしまいますから」

加藤は小さく呟いた。


二ヶ月後の集会。

「今まで、日本中の学校はこの状況下、様々な事情が取り巻く中であらゆる制約を受けてきました。これからは以前の伝統を復活させるべく、学校行事、教育活動等を積極的に行っていきます。我が校が他の学校の先駆けとなっていくのです。この学校の教育活動を止めない!君達なら出来ます。期待しています、頑張ってください!」

心なしか、彼の姿が以前よりもはるか大きく見えた。

そして伝統の校歌が大きく鳴り響く。


――前の代はこの状況下、様々な制約を受けてきた。しかし、これからはこの学校本来の伝統ある校歌、応援歌を響かせていくだろう。





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