第6章 母の願い②
「貴様……、婚約時から散々ティツィをコケにしてきた挙げ句、どの口が! どの口が再婚約!? 大事な娘を散々傷付けた挙げ句、公衆の面前で婚約破棄をし、くだらぬ自尊心を満たしたカスが……」
まさに
「さ、サササルヴィ……。ぶぶぶぶ……無礼な」
母の
投げ飛ばされたアントニオ王子は意外に無傷だ。胸元のブローチが
いくつか身につけているアクセサリーは国の技術の
これをつけていなければ重傷……いや、
もはや母を前にして護衛騎士など無用のものだった。
母の後ろから
高さ二メートル、半径三メートル程度の
母のことを熟知している
母は、右手に異常に強力な魔力を込めながらアントニオ王子を
「可愛い、可愛いティツィが……今まで貴様の為にしてきた事を
か……可愛い、可愛い? 大事な娘?
信じられない言葉が思いもよらない人の口から発せられるとこんなにも思考が停止するものなのだろうか……。
青ざめて母を見つめるアントニオ王子ははたと防御
「父上! ご覧になりましたか!? お聞きになりましたか!? サリエ゠サルヴィリオが私に暴力に暴言を! 不敬罪でこの者を
そう言って父親を見るアントニオ王子は折角美形に生まれた顔を醜く歪め、立場は逆転とばかりに母を見るも、その言葉に陛下が小首を
「……へ?」
アントニオ王子の目は落ちそうなほど大きく見開かれ、口はだらしなく開いている。
「余は、
いや、だからこそどう考えてもお宅の息子さんでしょうよ。と、全員が陛下を見る。
「と、いうわけで。王子を
そう言って、そばに控える陛下の護衛騎士に向かって、
「この王子の名を騙る不届き者を引っ
そう指示を出すと、彼らはアントニオ王子を連れて行った。
殿下は、見えなくなるまで、「俺様は本物の王子だ!」とか、「無礼者、全員
そんな様子を、貴方が本物ということくらい全員分かっていてこの判断ですよ、と誰もが白けた目で見ていた。
その陛下は母の視線をものともせず
「おい? まだ奴との話は終わっておらんが? このクソジ……」
「サリエ! 落ち着きなさい!」
「母上! 落ち着いて下さい!」
陛下ににじり寄る母を父トルニアと、弟のオスカーが
「止めるな、トルニア! オスカー! そもそもコイツがティツィをバカ息子の
コ……コイツ?
陛下をコイツ呼ばわりする母に青ざめながらも、陛下は動じる事なく相変わらず飄々としている。
「確かに言ったが、ティツィアーノ嬢の意思を尊重すると言ったであろう? そなたも反対しなかったではないか」
「まさか、あんなボンクラ王子の嫁になりたいなどと言う訳ないと思ったんだ。何度あのガキをシメに行こうかと思ったか」
え? ええ? 内々に決まっていた事でなく私に意見する余地があったの?
「実際王宮に乗り込んで来たではないか」
「はっ。無駄に
お前が隠しただろう? という目で陛下を睨みつける。
「なんにせよ、あやつの
飄々とした顔から
「そなたも娘ときちんと話さねばならんことがあるんじゃないか?」
母を見ると、グッと
陛下は結局そのままアントニオ王子を連れて王都へと帰り、私を
レグルス公爵家の使用人が部屋に入ることはなく、リタがいれば十分なので不要だと断った。
私もサルヴィリオ家から
誰も言葉を発する事のできないままリタがお茶を
──『向き合え』
あの時のレイの言葉が頭に響く。声が、出るだろうか……。
「ぁ……っ、ぁの……。母……」
「すまなかった」
小さすぎる私の言葉に
何が起きたのか分からなすぎて、母の下げられたツムジに一点集中してしまう。
「お前に、他に好きな男がいると思わなかった。ティツィが昔から好きだったレグルス公爵との結婚でお前は幸せになれると思っていたんだ」
ぶっ込みよったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
伯爵家の人間が……、側近の騎士団もいる中言っちゃったよ!
文字通りカッチン……と固まってしまう。
「な……なん。好きじゃ……」
確かに! 好きになったかもしれないけど、当初は憧れだったし! 昔っていつからのことを指してます!?
てか、どこ情報!? 誰!? テト!? リタ!?
「そのようだな。私はルキシオンの情報に
「いえ、サリエ様。ティツィアーノ様は公爵様に思いを寄せていらっしゃいましたよ」
ルキシオン! お前かぁぁぁぁ!
しれっと
「ティツィアーノ様の
ねぇ? なんの公開
なんでそんな涼しい顔して
そこに真面目にうんうんと
もう顔を真っ赤にして魚のように口をパクパクさせるしか出来ない。
「当初は恐らく憧れの騎士という存在だったかもしれませんが、ご本人の気づかれぬ内に恋に変わられたのではないかと」
もう止めて、これ以上
そして彼の横に控える騎士達も一緒に頷くの止めてくれる?
「そうか……。お前達の報告は昔から
その言葉に開いた口が
「『達』……? 『昔から』……?」
自分の
「はい。ティツィアーノ様がお生まれになってからずっと、貴方の情報収集は伯爵家に仕える人間の最優先
さらっと言うルキシオンの顔を、穴が開くんじゃないかというほど見つめてしまう。
「そう。お嬢のことが
可愛くて可愛くてどうしようもない? 私を見る
そんなはずは無い。私はここの言語を理解出来ていないのではないかと思う。
「わ……私は……。母上に……
一心に母を見つめるも、ぼやけてはっきり見えない。
視力にだけは自信があるのに、見た事のない呆然とした母の表情はぼやけたせいでそう見えているのだろうか。
「おおおおおおおい! ティツィの目から涙が! 誰か! 誰か止めろ!」
そう慌てふためく母の声がする。
そういえば母の前で泣いたことなどあっただろうか。情けない姿を見せてはいけないと。母のように常に強くあろうと。言いたいことも、傷ついたことも隠して。黙って。
……
「私は……身体強化もルキシオンのように
そう言うと、慌てふためいていた母がぴたりと動きを止めた。
「ティツィ……お前を期待はずれだとか、
そう言う母の瞳は見たこともないほど
「でもっ……一度も、抱きしめてもらったことなんて……ないっ」
まるで子どもが抱っこしてほしいと
そう口にした私を母は真っ青な顔で見つめた。
今日は人生で初めて、こんなに母の表情が変わるのを見た。いつも、……いつも眉間に皺を寄せた顔しか私は見た事がない。
「ティツィ……」
そう言って私に向けられた両腕が、私に届く事なく、宙でぴたりと止まり、
「サリエ、もう隠すのは無理だよ」
静かに言う父の言葉に、母は宙に
「あの事は絶対に……っ!」
「サリエ。ティツィは君に愛されたいと、抱きしめてほしいとずっと苦しんで来た。私たちがどんなに君がティツィを愛していると、大事に思っていると伝えたところで今のままではティツィはそれを感じる事は出来ない。……君が苦しいのも分かるけれど……、ティツィも、そんな二人を見る我々も苦しいよ……」
母はハッとして父を見る。
「君と向き合う事を決めたティツィに、君は応える義務がある。そうだろう? 北の勇者。何者も恐れず立ち向かう君が、
「トルニア……」
母は、ゆっくりと向かいのソファに座り、こちらをじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「お前を産んだ時は一日
「……抱きしめたら?」
急に口を閉じた母に先を
「お、お前を殺しかけた」
「……え?」
「可愛かったんだ! 可愛くて可愛くて! ゆっくり抱きしめたつもりだったんだ! そうしたら、ほほほほ骨が……!」
涙を流しながら青ざめる母はガタガタと、震えている。
「サリエが、お前を抱きしめた瞬間、周囲から悲鳴が上がり、呼んでいた神官全員で
震える母を
「え?」
「それからサリエはお前に
母を見ると頭を
「でも、私を見る時いつも眉間に皺を寄せて……」
「それは、
言いづらそうに、母は言葉を続ける。
「お前が幸せになれるよう、お前が何を求めているのか、常に情報を集めた。王太子妃になると言えば、あんなポンコツ王子が嫌いでも、妃教育の
そう言葉がだんだんと小さくなる母の続きを父が引き
「ただサリエが心配していただけなんだよ。私は過保護だと言ったんだ。でもサリエはお前の為だけに単身黒竜を
母に疎まれていると思っていた全てが、思い込みと、悲観的な考えに染まっていた自分が招いたものだと気づく。
『あんな王子と結婚したくない』『就任式に来てほしい』『私も
『抱きしめてほしい』
言葉にすればよかった。もっと早く向き合えばよかった。あんなに時間はあったのに。
「大事だからこそ、お前のために出来ることは何でもしたかった。でもお前はいつも私と会うのを苦手そうにしていたから、話は手短にしたし、私の自己満足でした事だから、言う必要は無いと思っていた。お前が生まれた時の事も……これ以上私を怖がって欲しくなくて……。お前に嫌われたくなくて誰にも言うなと緘口令を敷いていた」
ぱたりぱたりと落ちていく涙を止められない。
「母上……。身体強化はルキシオンのように
「うん?」
突然話題が変わったことに母が俯いていた顔を上げる。
「今なら、抱き……しめ……て、っくれ……ますか?」
一番母に言いたかったことなのに、上手く言葉に出来ない。
「お嬢はルキシオン副団長みたいな完璧な身体強化を目指してますが、十分というか、かなり上等な身体強化ですよ。目指すものが完璧すぎるのが問題だと思います」
テトが横から口を
「む……。そ、そうか。ティツィ……お前を抱きしめていいか?」
そう言って母が私のそばにゆっくりと来た。
「はい」
立ち上がり、今できる身体強化魔法を最大限に使う。
ふわりと優しく包み込まれて初めて胸いっぱいに母の匂いに満たされる。
「く……苦しくないか?」
「全然」
「も、もう少し力を込めても?」
そう聞いてくる母の声が震えている。
「はい」
自分の頭二つ分は大きい母を下から見上げると、少し苦しいくらい抱きしめられる。
「ティツィ、ティツィ。……私の可愛いティツィ。……あんなにか弱かったお前が……。あんなに小さかったお前はこんなに大きくなっていたんだな」
心が震える。
ずっと欲しかったものは手を伸ばせば手に出来たものだ。
勇気がなく、逃げ回っていた私の背中を優しく押してくれたレイに『ありがとう』とたくさん伝えよう。
彼を思うと、満たされていた心がより一層温かくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます