第6章 母の願い②


「貴様……、婚約時から散々ティツィをコケにしてきた挙げ句、どの口が! どの口が再婚約!? 大事な娘を散々傷付けた挙げ句、公衆の面前で婚約破棄をし、くだらぬ自尊心を満たしたカスが……」


 まさにおにの形相で激怒する母をぼうぜんと見ることしか出来ない。


「さ、サササルヴィ……。ぶぶぶぶ……無礼な」


 母のあつに全身ガタガタとふるえるアントニオ王子は見苦しい以外言葉が見つからない。

 投げ飛ばされたアントニオ王子は意外に無傷だ。胸元のブローチがあわく光っているので、恐らくぼうぎょ魔法をほどこしたせきが発動したのだろう。

 いくつか身につけているアクセサリーは国の技術のすいを集め、魔法を施した魔石だ。

 これをつけていなければ重傷……いや、そくだったのではないだろうか……。

 もはや母を前にして護衛騎士など無用のものだった。

 母の後ろからあわてて走ってきた副官のルキシオンが私たちを取り囲むように防御結界を張る。

 高さ二メートル、半径三メートル程度のかべで、強度重視のためてんじょうは無いが、その分壁が厚い。上空に魔力が逃げても屋敷や使用人にがいは無いだろう。

 母のことを熟知している流石さすがのルキシオンの判断に感服する。

 母は、右手に異常に強力な魔力を込めながらアントニオ王子をほのぐらい目で見た。


「可愛い、可愛いティツィが……今まで貴様の為にしてきた事をいまだにその腐った脳みそは理解できておらんのだな。使い物にならない腐ったものなど捨ててしまえ。いや、私がはい処分にしてやろう。大事な娘へのおろかなこうだいしょうは貴様の命でつぐなえ」


 か……可愛い、可愛い? 大事な娘?

 信じられない言葉が思いもよらない人の口から発せられるとこんなにも思考が停止するものなのだろうか……。

 青ざめて母を見つめるアントニオ王子ははたと防御へき内の後方にいた父親である国王陛下を視界にとらえ、あんの表情を見せる。


「父上! ご覧になりましたか!? お聞きになりましたか!? サリエ゠サルヴィリオが私に暴力に暴言を! 不敬罪でこの者をしょばつして下さい……!」


 そう言って父親を見るアントニオ王子は折角美形に生まれた顔を醜く歪め、立場は逆転とばかりに母を見るも、その言葉に陛下が小首をかしげ、「はて? お前は誰かな?」と言い放った。


「……へ?」


 アントニオ王子の目は落ちそうなほど大きく見開かれ、口はだらしなく開いている。


「余は、むすであるアントニオに婚約破棄によるめいばんかいしたければ今回の魔物の件で別に調べることを指示しておる。それすらも投げ出すような愚かな息子などおらん」


 いや、だからこそどう考えてもお宅の息子さんでしょうよ。と、全員が陛下を見る。


「と、いうわけで。王子をかたり、屋敷に入り込み、ティツィアーノじょうの髪を摑み乱暴にあつかった其方そちをサリエ殿がしん者としてめるのは当然であろう。が、せっしょうはいかん。殺生は」


 そう言って、そばに控える陛下の護衛騎士に向かって、


「この王子の名を騙る不届き者を引っらえ、王城に連れて帰り、取り調べよ」


 そう指示を出すと、彼らはアントニオ王子を連れて行った。

 殿下は、見えなくなるまで、「俺様は本物の王子だ!」とか、「無礼者、全員ろう送りだ」とか、大声でな抵抗を続けていた。

 そんな様子を、貴方が本物ということくらい全員分かっていてこの判断ですよ、と誰もが白けた目で見ていた。

 おんな殺気を感じ母を見ると、ものすごい形相で陛下を睨んでいて、思わず一歩後ずさってしまう。

 その陛下は母の視線をものともせずひょうひょうとした顔でアントニオ王子の連れて行かれた先を見ている。


「おい? まだ奴との話は終わっておらんが? このクソジ……」

「サリエ! 落ち着きなさい!」

「母上! 落ち着いて下さい!」


 陛下ににじり寄る母を父トルニアと、弟のオスカーがいさめる。


「止めるな、トルニア! オスカー! そもそもコイツがティツィをバカ息子のよめに欲しいと言ったからこの子はしなくてもいい苦労をする羽目になったんだ!」


 コ……コイツ?

 陛下をコイツ呼ばわりする母に青ざめながらも、陛下は動じる事なく相変わらず飄々としている。


「確かに言ったが、ティツィアーノ嬢の意思を尊重すると言ったであろう? そなたも反対しなかったではないか」

「まさか、あんなボンクラ王子の嫁になりたいなどと言う訳ないと思ったんだ。何度あのガキをシメに行こうかと思ったか」


 え? ええ? 内々に決まっていた事でなく私に意見する余地があったの?


「実際王宮に乗り込んで来たではないか」

「はっ。無駄にかんがいいのか、のらりくらり隠れていたようだがな」


 お前が隠しただろう? という目で陛下を睨みつける。


「なんにせよ、あやつのしょぐうはもう決まっておる。こちらに任せてもらおう。……バカ息子と話さねばならんことが山ほどあるんじゃ……」


 飄々とした顔からあきらめの表情になった陛下の声は段々と小さくなっていった。


「そなたも娘ときちんと話さねばならんことがあるんじゃないか?」


 母を見ると、グッとあごを引きいっしゅん固まりゆっくりとこちらを見た。その目はもんの色がく、私の胸を苦しいほどにけた。


 陛下は結局そのままアントニオ王子を連れて王都へと帰り、私をふくむサルヴィリオ家の人間は執務室に戻った。その中にはしれっとテトとリタもいた。

 レグルス公爵家の使用人が部屋に入ることはなく、リタがいれば十分なので不要だと断った。

 私もサルヴィリオ家からけんされていることになっているので、この部屋にいることを不審がる公爵家の使用人はもちろんいない。

 誰も言葉を発する事のできないままリタがお茶をきゅうする音だけが室内にひびわたる。

 ──『向き合え』

 あの時のレイの言葉が頭に響く。声が、出るだろうか……。


「ぁ……っ、ぁの……。母……」

「すまなかった」


 小さすぎる私の言葉にかぶせるように母が頭を下げながら言った。

 何が起きたのか分からなすぎて、母の下げられたツムジに一点集中してしまう。


「お前に、他に好きな男がいると思わなかった。ティツィが昔から好きだったレグルス公爵との結婚でお前は幸せになれると思っていたんだ」


 ぶっ込みよったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 伯爵家の人間が……、側近の騎士団もいる中言っちゃったよ!

 文字通りカッチン……と固まってしまう。


「な……なん。好きじゃ……」


 確かに! 好きになったかもしれないけど、当初は憧れだったし! 昔っていつからのことを指してます!?

 てか、どこ情報!? 誰!? テト!? リタ!?


「そのようだな。私はルキシオンの情報におどらされたようだ」

「いえ、サリエ様。ティツィアーノ様は公爵様に思いを寄せていらっしゃいましたよ」


 ルキシオン! お前かぁぁぁぁ!

 しれっとすずしい顔をして、やわらかな茶色の髪に、真剣さを宿した濃いブルーの瞳の私の元副官を睨みつける。


「ティツィアーノ様のけんすじはレグルス公爵のそれをなぞるような動きであると、彼と戦をした事のある私なら分かります。彼の動きはいっちょういっせきでできるものではなく、ティツィアーノ様が何度も王宮でぬすみ見しては、反復練習をし、習得されたものでしょう」


 ねぇ? なんの公開しょけいなの!? ねぇ!?

 なんでそんな涼しい顔してちょうプライベートなことをばくする!?

 そこに真面目にうんうんとうなずいている父と弟も理解できないんだけど!?

 もう顔を真っ赤にして魚のように口をパクパクさせるしか出来ない。


「当初は恐らく憧れの騎士という存在だったかもしれませんが、ご本人の気づかれぬ内に恋に変わられたのではないかと」


 もう止めて、これ以上しゃべらないでくれるかな?

 そして彼の横に控える騎士達も一緒に頷くの止めてくれる?


「そうか……。お前達の報告は昔からいっかんしていたからな……」


 その言葉に開いた口がふさがらない。


「『達』……? 『昔から』……?」


 自分のあずかり知らぬところで起きているであろう内容に、復唱するしか出来ていない自分はバカではないかと思う。


「はい。ティツィアーノ様がお生まれになってからずっと、貴方の情報収集は伯爵家に仕える人間の最優先こうとサリエ様に命じられておりましたから」


 さらっと言うルキシオンの顔を、穴が開くんじゃないかというほど見つめてしまう。


「そう。お嬢のことがわいくて可愛くてどうしようもないサリエ様は、ありとあらゆるものを使ってずっとお嬢のストーキング状態ってことですよ。もちろん外部に……、お嬢にも知られないようにかんこう令がかれていますけどね」


 可愛くて可愛くてどうしようもない? 私を見るたびけんしわを寄せていた母が?

 そんなはずは無い。私はここの言語を理解出来ていないのではないかと思う。


「わ……私は……。母上に……うとま……いえ、きらわれているのだとばかり」


 まばたきをすることすら忘れた視界は、滲んでくる。

 一心に母を見つめるも、ぼやけてはっきり見えない。

 視力にだけは自信があるのに、見た事のない呆然とした母の表情はぼやけたせいでそう見えているのだろうか。


「おおおおおおおい! ティツィの目から涙が! 誰か! 誰か止めろ!」


 そう慌てふためく母の声がする。

 そういえば母の前で泣いたことなどあっただろうか。情けない姿を見せてはいけないと。母のように常に強くあろうと。言いたいことも、傷ついたことも隠して。黙って。

 ……ちがう。ただ逃げていただけだ。


「私は……身体強化もルキシオンのように上手うまく出来ないし、魔力も弱い。どんなに頑張っても母上の期待に応えられない。……ずっとずっと……貴方に認められたかった……」


 そう言うと、慌てふためいていた母がぴたりと動きを止めた。


「ティツィ……お前を期待はずれだとか、そこないだとか思ったことは一度もない。いつだって、まんで私の誇りの娘だ。愛してる。愛しているよ」


 そう言う母の瞳は見たこともないほどどうようし、揺らめいている。


「でもっ……一度も、抱きしめてもらったことなんて……ないっ」


 まるで子どもが抱っこしてほしいとをこねるようにみっともなく、明確な愛情を示してほしいと言う自分が情けなくなってくるが、堪えきれない感情が溢れ出す。

 そう口にした私を母は真っ青な顔で見つめた。

 今日は人生で初めて、こんなに母の表情が変わるのを見た。いつも、……いつも眉間に皺を寄せた顔しか私は見た事がない。


「ティツィ……」


 そう言って私に向けられた両腕が、私に届く事なく、宙でぴたりと止まり、かすかに震えている。


「サリエ、もう隠すのは無理だよ」


 静かに言う父の言葉に、母は宙にいた腕を下ろし、りょうわきこぶしを握りしめた。


「あの事は絶対に……っ!」

「サリエ。ティツィは君に愛されたいと、抱きしめてほしいとずっと苦しんで来た。私たちがどんなに君がティツィを愛していると、大事に思っていると伝えたところで今のままではティツィはそれを感じる事は出来ない。……君が苦しいのも分かるけれど……、ティツィも、そんな二人を見る我々も苦しいよ……」


 母はハッとして父を見る。


「君と向き合う事を決めたティツィに、君は応える義務がある。そうだろう? 北の勇者。何者も恐れず立ち向かう君が、ゆいいつ逃げてきた事に向き合う時だよ」

「トルニア……」


 母は、ゆっくりと向かいのソファに座り、こちらをじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「お前を産んだ時は一日じんつうに苦しめられた。そうして苦しんだ末生まれたお前を助産師が私の下に連れてきて抱かせれくれた。……お前のぬくもりに、私もこの子の立派な母親になれるよう頑張ろうと思ったよ。そうしてお前を抱きしめたら……」

「……抱きしめたら?」


 急に口を閉じた母に先をうながす。


「お、お前を殺しかけた」

「……え?」

「可愛かったんだ! 可愛くて可愛くて! ゆっくり抱きしめたつもりだったんだ! そうしたら、ほほほほ骨が……!」


 涙を流しながら青ざめる母はガタガタと、震えている。


「サリエが、お前を抱きしめた瞬間、周囲から悲鳴が上がり、呼んでいた神官全員で魔法をお前に施して一命を取り留めたんだよ」


 震える母をなだめるように、母の背中をさすりながら父が言った。


「え?」

「それからサリエはお前にさわるのが怖くて、れられなくなったんだ」


 母を見ると頭をかかえ、小さくなっている。


「でも、私を見る時いつも眉間に皺を寄せて……」

「それは、まんしていたんだ! 抱きしめたくなるから! でも、またお前を傷つけたらどうする!? 次は助からないかもしれない! 抱きしめたいのに抱きしめるのが怖い! 今まで怖いものなどなかったのに! お前が私の唯一の弱点となった……」


 言いづらそうに、母は言葉を続ける。


「お前が幸せになれるよう、お前が何を求めているのか、常に情報を集めた。王太子妃になると言えば、あんなポンコツ王子が嫌いでも、妃教育のかんきょうを最高のものにし、サルヴィリオ家の長子として騎士団の団長を目指していると聞けば、こくりゅうからかくを取り剣を打たせた。ただ、最強と言われる剣を持たせたのは決してティツィの能力をあなどっている訳ではない。ただ……私が……」


 そう言葉がだんだんと小さくなる母の続きを父が引きぐ。


「ただサリエが心配していただけなんだよ。私は過保護だと言ったんだ。でもサリエはお前の為だけに単身黒竜をたおすと言ってさっさと行ってしまって。倒したは良いが、黒竜から取った魔石でお前の剣を作ってから帰ると聞かなくて……。そのせいでお前の団長就任式に間に合わなかった」


 母に疎まれていると思っていた全てが、思い込みと、悲観的な考えに染まっていた自分が招いたものだと気づく。

『あんな王子と結婚したくない』『就任式に来てほしい』『私もけいをしてほしい』

『抱きしめてほしい』

 言葉にすればよかった。もっと早く向き合えばよかった。あんなに時間はあったのに。


「大事だからこそ、お前のために出来ることは何でもしたかった。でもお前はいつも私と会うのを苦手そうにしていたから、話は手短にしたし、私の自己満足でした事だから、言う必要は無いと思っていた。お前が生まれた時の事も……これ以上私を怖がって欲しくなくて……。お前に嫌われたくなくて誰にも言うなと緘口令を敷いていた」


 ぱたりぱたりと落ちていく涙を止められない。


「母上……。身体強化はルキシオンのようにかんぺきでは無いですが……」

「うん?」


 突然話題が変わったことに母が俯いていた顔を上げる。


「今なら、抱き……しめ……て、っくれ……ますか?」


 一番母に言いたかったことなのに、上手く言葉に出来ない。

 のどは詰まり、今きっと鼻水も垂れてみっともない顔だろう。


「お嬢はルキシオン副団長みたいな完璧な身体強化を目指してますが、十分というか、かなり上等な身体強化ですよ。目指すものが完璧すぎるのが問題だと思います」


 テトが横から口をはさむと、周りの騎士達もうんうんと頷いている。


「む……。そ、そうか。ティツィ……お前を抱きしめていいか?」


 そう言って母が私のそばにゆっくりと来た。


「はい」


 立ち上がり、今できる身体強化魔法を最大限に使う。

 ばされた両手は震えているけれど、止まることはない。

 ふわりと優しく包み込まれて初めて胸いっぱいに母の匂いに満たされる。


「く……苦しくないか?」

「全然」

「も、もう少し力を込めても?」


 そう聞いてくる母の声が震えている。


「はい」


 自分の頭二つ分は大きい母を下から見上げると、少し苦しいくらい抱きしめられる。


「ティツィ、ティツィ。……私の可愛いティツィ。……あんなにか弱かったお前が……。あんなに小さかったお前はこんなに大きくなっていたんだな」


 心が震える。

 ずっと欲しかったものは手を伸ばせば手に出来たものだ。

 勇気がなく、逃げ回っていた私の背中を優しく押してくれたレイに『ありがとう』とたくさん伝えよう。

 彼を思うと、満たされていた心がより一層温かくなった。

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