第6章 母の願い①
「こんにちは。レイ」
店内はある程度
「こんにちは、ティツィアーノ様」
にこやかに
「……ねぇ、これから
席に着きながらそう言うと、彼が少し
「これからよろしくね、レイ」
そう言うと、彼はさっきより
その言い方になぜか胸がドキリと
「ところで、例のお店にはどうやって行くか分かる?」
「
そう言って彼が
彼の開いたページには店の見取り図が
「昨日の今日で良くここまで調べられたわね」
「僕の他にも諜報員はいるからね」
確かに、諜報員が一名という事はないだろうし、自領だからこそできる事だろう。
店を出て、案内された『陽炎亭』の店内は、開店したばかりだと言うのにすでに賑わっており、空いたテーブルは二つしか無かった。
その時見覚えのある男達が視界に入った。
カウンターに座る男達はあの裏路地にいた男二人だ。
レイも気づいたようだが、不用意に近づくのは
「レイ、あの奥の席に行きましょう」
そう言って、男達から一番
「何か聞こえる?」
「特に会話はしていないみたい」
彼らはただ食事をしに来ただけのようで、私たちの注文したものが来る
「まぁ、今日は現場の確認に来ただけだし、彼らが誰かと落ち合うのは来週と言っていたから。とりあえず食事をして帰ろうか」
なんだか
「ティツィ、案内したいところがあるんだけど、
食事が終わった後、レイに連れて行かれたのは街が一望できる
街の明かりがキラキラと
「
「街を
確かに、あの裏路地と陽炎亭とのおおよその距離や、大きな建物、彼らの
「それと別件で伝えておきたいことがあって」
彼は言いにくそうに口を開いた。
「明日サルヴィリオ
「母も……?」
来るのだろうか?
「お父君も弟君も来るそうだ」
みんなで来るということはやっぱりテトが伝えたのだろうか?
会いたくない。
自分の役割を投げ出した私をどんな目で見るだろうか。
「……ティツィ?」
思わず自分を守るように
「母には会いたくなくて……」
「……サリエ
心配というよりも、もしそうなら意外だという顔で聞いた。
「いえ。……言葉で強要した訳ではないけれど……。母をがっかりさせたくなくて……。期待に応えたくて。……誰かに必要とされたくて」
思わず
言い訳だ。ただ、母の期待に応えたかった。それ以前に誰かに認めて欲しかった。必要として欲しかった。
こうして私は
「私は、母を
「……サリエ殿がそう
「口にはしないけど、表情や態度で分かるわ。小さい頃からずっとそうだもの。……あぁ、でも王子との
あれが初めて言葉にされたものだと思う。いつもはがっかりした目線とため息だった。
「それは、アントニオ王子に期待していないという意味では……」
いつかも聞いたセリフだ。
「みんなそうやって
「サリエ殿に向き合ってみては? 何がきっかけで変わるか分からないよ。でも動かないと何も変わらない」
ここには自分を変えにきた。
自分の心にあった母との向き合い方を置いてきぼりにしたまま。
このまま見た目が変わっても私自身は何一つ変わらない。
レイは優しくこちらを見つめたまま、
「自分を変えられるのは自分だけだよ」
あぁ……この言葉が自分に返ってくる日が来るなんて。
「自分が変わりたいと思わなければ変われない。他人が言っても」
人に言った言葉は自分に返ってくる。
あの日、アントニオ王子に言った言葉だ。
母と向き合わなくては、ずっと母という
「……私、ここに自分を変えたくて来たの」
「え?」
レイの目が大きく見開かれ、何事にも動じそうにない彼を驚かせたようで気分が良くなる。
「前の婚約者……アントニオ王子に『野ザルのよう』だとか、『色気のかけらもない乱暴者』ってよく言われていたの。でもそれを気にしたことは無くて、自分を女として
「……ティツィは綺麗だ」
レイは、イラッとしたような
あまりの
「ふふ……。ありがとう。でも自分が一番よく分かっている。
レイは何か言いたそうに……でも
「……それでいいと思ってたのよ。
「あの人……?」
ピクリと反応したかと思うとレイの雰囲気が変わった。
「そう、太陽のタッセルの人よ」
レイが所属するレグルス騎士団の公爵様だなんて言えない。
「アントニオ王子と婚約破棄した時、自分の好きな事をしようと思ったの。もう王太子
「サリエ殿の意思のまま結婚を
そう冷ややかに言った彼の言葉に思わずまた乾いた笑いがこぼれた。
そうだけどそうじゃない。最終的に自分の意思で彼に承諾の手紙を送った。断れない結婚だという思いはもちろんあったけど、憧れの人からの求婚に
彼の
憧れがいつ
好きな人に好きになってもらいたい。でも女らしさのかけらもないことなんて自分が一番分かってる。
思いを伝えることから逃げ、ただ、手紙には結婚の承諾だけを記した。
『お前はずっとシルヴィア一筋だと思っていたよ』
あの日、その言葉を聞いて感じたことは、『あぁ、やっぱりね』だ。
綺麗になりたい。こちらを向いて欲しい。
少しでも、貴方の心のどこかに引っかかっていたい。
そう思いながら妻になっても、誰か他の女性といるところを見るのが辛い。それがアントニオ王子ならきっとなんとも思わない。
言い訳に言い訳を重ね、向き合うこともなく逃げたくせに、それでも何か彼との
急に黙った私を心配したのか、彼の雰囲気が変わった。
「ティツィ……。サリエ殿に向き合ってみてはどうかな。それでダメなら君が彼女に見切りをつければ良い。君が努力する価値のない相手だと。君は自分を
彼の言葉に思わず目を見開いた。
母に対してそんな事、考えたことも無かった。
──ティツィに、母親に逆らえず結婚を承諾したのかと聞くと彼女は押し黙った。
あのうんざり王子から解放され、太陽のタッセルの騎士のもとに行こうとした矢先、絶対的な母親に
いつもキラキラと輝いている彼女の目は今、不安げに
自分の知るサリエ゠サルヴィリオ伯爵
何より
「そうね……。向き合ってみるわ。今向き合わなければきっと一生向き合う勇気なんて持てない。……ありがとう、レイ」
そう言った彼女の瞳は先ほどとは
その瞳と、彼女の言葉に胸が大きく跳ねる。
「君の努力は尊敬されるべきだ。
そう言うと、彼女の瞳が大きく揺らぎ、見開かれた瞳は
「ありがとう。レイは『あの人』に似ているわ……」
そう言って、彼女は
「太陽のタッセルの……?」
「そう。全体的な雰囲気とか、話し方とか。今の言葉も……」
「へぇ……」
今彼女が見ている人間は茶色の
サルヴィリオ騎士団の副官、ルキシオンと同じ髪色に瞳の色。
彼女の
「彼には昔からずっと好きな人がいて……。その人はとても綺麗で
「だからなりたい自分になりたくて、レグルス領へ?」
副団長の思い人がどんな女性か知らないが、ティツィほど魅力的な人間はいない。
「そんな男に見切りをつけて、他に君を見てくれる人にしたら?」
声に
副団長に思い人がいたのが救いだろう。そうでなければ、人知れず彼を消していたかも知れない。
すると彼女は「当たって
その言葉と、
明日、伯爵家と共に副団長の『彼』も来るのだろうか……。
*****
レイの言う通り、サルヴィリオ家が公爵家に魔物の事件について
昨日帰宅してリタに母が来るので話をすると言うと、朝早くからリタがリリアン様から教えてもらったという私に似合う最新のメイクをして、「これで完全武装です。お
手は込んでいるが、色味などを
二階の窓から父や母、弟に続き数人の騎士が案内されるのを見ていると、その後ろから王家の馬車もやって来た。
国の守りである二領を
こっそり裏庭
こうなったら、公爵家の人たちにバレないように会うにはギリギリの距離から母が出てくるのを待つしかない。
そうして必ず通るであろう庭園の中
しばらく
客人を置いてどこに行くんだろうか? 急ぎの調査にでもいくのだろうか?
不思議に思いながら様子を窺うも、その後は誰も出てこない。
自分の心音がドクドクと聞こえ、足もすくんでいるが、このチャンスを
母はいつ出てくるのかとあまりに集中しすぎたのか、
覚えのある不快な
「おい、そこの女。公爵の
なぜ、アントニオ王子がここに!?
先ほどの王家の馬車には乗っていなかったはずなのに!
「ん? なんだ貴様、自国の王太子も分からんのか? 俺はこの国の王位
ドヤー!! と書かれていてもおかしくない顔面をぶん
彼の後方に三人の護衛騎士もいるが、主人の横暴を止めるそぶりのない彼らは、ただただ王子に付き従うだけだ。
「ここの
つまり恐らく案内されたであろう別室から勝手に出てきて
「もちろん存じ上げております。アントニオ゠エリデンブルク王子殿下。今公爵様はお
「当然だ。公爵に会うのがメインじゃない。俺の王位継承権のことで父上に至急聞きたいことがあったんだ」
いや、王宮で聞けよ。
思わず心でそうツッコんでしまう。
そりゃぁ、誰も執務室に案内しないはずだ。なんで継承権のことなんて重要な事人ん
「左様でございますか。公爵様の執務室には、陛下もサルヴィリオ家の
待った方がいいと話を続けようとした私の言葉を彼はぶった
「そうか。ではその部屋に行って、俺が来たからと言ってサルヴィリオ家の連中は部屋から出せ。陛下と二人で話がしたいから
と、まさに世界の中心は俺様だという揺るぎない自信に不快感がマックスまで上がる。
というか、アントニオ王子は私の家族が苦手で、俺様王子の癖に、母には絶対に近寄ろうともしない。だから自分では追い出す自信がないから私に言ったのだろう。
「皆様、重大なお話をされていらっしゃるので、お話を終えられるまでお待ち頂くのがよろしいかと思います」
「……っき、貴様。メイドの分際で俺を誰だと思っている!」
彼の魔力がゆらりと揺れるのが分かる。王宮では誰も彼に逆らわない。すぐ感情的になって権力と暴力に
王家の人間は総じて魔力が強いけれども彼は自身の魔力のコントロールや、
単調な大きな魔力の
「メイドの分際で俺様に意見するとは……死にたいのか?」
冷めた思いで彼の言葉を聞いていた。
こちらから彼を押さえ込むのは得策ではない。
「……ん? 貴様、どこかで見たことが……」
「ティツィアーノではないか!」
彼の表情が
「なんだ貴様、ここにいる事にも驚いたが、色気付いているのか? 化粧なんぞしよって」
ぎくりとした
「なんだ? 愛する男の下へ行ったと聞いていたが、俺様がここに来るのを待っていたのか? そんなに恋しかったか?」
「そうかそうか、それならもう一度婚約をしようではないか。レグルス公爵より、俺様の方が若くカッコイイから忘れられなかったんだろう? 俺が継承権を失うくらいなら第二
やっぱり私との婚約破棄で継承権を失ったようだ。何が王位継承権第一位だ。思わず小さな笑いが
「どうせ、公爵に
勝ち誇った顔で彼が言った瞬間、後方でドアの開く音が聞こえ、何かがすごい勢いでこちらに向かってきた。
「こんの、クズ王子があぁぁぁ! ウチの娘になにしょるんならぁぁぁぁああああ!」
そう言って勢いよくアントニオ王子の顔面を摑み、後方に投げ飛ばしたのは、
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