第7章 正体を知る①


 ──「……シルヴィアか……」


 ソファに座り直した後、けっこんしきでのけいを話したところ、母は難しい顔をして言った。


「ご存じですか?」

「知っている」


 あまり、社交界に関心の無い母ですら知っている『シルヴィア』とはどれほどの美女なのだろうか。


「知っていることを私が教えるのは簡単だが……。これから同じような問題が起きた時、いつもこうやってげるのか? お前の言う将来のこいびとと同じ問題が起きた時、全て戦わずに逃げるのか?」

「今戦う準備をしているところです」

「そうだな……。少し見ない間にれいになったよ。今までも十分わいかったが、しょうだけじゃない、女らしさが出ていると思うよ」

「はい! 姉上とっても綺麗です」


 母の言葉をあとしするようにオスカーがめてくれた。うれしいけれど……。


「ありがとう、でも身内の欲目よ」

「またそうやって自分の価値を下げて、逃げていくのか?」


 かんはつれずに言われた言葉にまる。


「お前のゴールはあるのか? 自信の持てる見た目とは何だ? お前の想像するシルヴィアと同じ容姿になれば良いのか? もっと根本的なことだろう?」


 その通りだ。みんな褒めてくれる。それでも元こんやく者に言われ続けた、投げつけられた言葉が頭からはなれない。


「じ……自分は! ティツィアーノ様に好きだと言われたら天にものぼる気持ちです!」


 母の後方でルキシオンの横にひかえていたとつぜん言い、そのしゅんかん母のうらけんが彼の鳩尾みぞおちちょくげきした。


「お前にはやらん」


 いっしゅんびた騎士をあわてて支えた騎士が私を見つめる。


「……ティツィアーノ様。貴方あなたあこがれて、こいする騎士は多いです。見た目だけじゃないりょくがたくさんある貴方は我々のほこりとまんです。無礼にも、貴方が殿でんとの婚約をされたと聞いてしゅくはいをあげた騎士が何人いたか分かりません」


 思いもしない彼らの言葉に目を見開く。


「そうですよ。サリエ様がこわくて、言葉にも行動にも移せないけばかりですが」


 そこにルキシオンがうなずきながら言った。


「向き合え」


 母のその言葉にハッとする。

 レイと同じ言葉だ。


「それでもお前の価値が分からない男はゴミ以下だ。捨ててしまえ」


 それもまた同じ言葉。笑ってしまった。


「ここでしている事も私たちは口を出さないから気が済むまでやったらいい。お前の帰って来る場所はあるんだからな」


 父が、やさしく笑いながらティツィと呼ぶ。


「サルヴィリオ騎士団のみんな、お前の事が大好きだよ。だれでも喜んでよめもらってくれる。お前の選びたい放題だ」

「私に勝ったら嫁にやってもいい」


 そこにすかさず母が言った言葉に「勝てる人いませんよ」と笑ってしまった。


 ──例のもの問題で数日ここにたいざいすると言うので、サルヴィリオ家の一行を客室に案内してもらうようレグルス家のメイドにお願いした。

 わたろうを歩きながら、ルキシオンに気になっていたことを聞きたくて声をかけた。


「ねぇ、ルキシオン。私の事うらんでない?」

「はい?」


 だん真面目な顔をしたルキシオンがポカンとけ顔をして言った。


「私ずっと思ってたんだけど、母上の指示で私の副官になったでしょう? 今までは私がたよりないから貴方が第一騎士団に残ったと思ったんだけど、きっと……母なりに心配してくれたんでしょうね。だけど貴方はずっと母のもとで戦いたかったんじゃないかと思って」


 彼が常に戦場でつけているタッセルは私が小さいころから変わらない。彼の理想の騎士は母だ。

 しばらく考え込んだ後、彼が私にこっそり耳打ちをした。


「私は実はリタが好きなんです」

「えぇっ! ……っむぐ」


 あまりのおどろきに大きな声が出そうになった私の口をルキシオンがふさぐ。


「っちょ。大きな声を出さないでくださいよ」


 思いもよらない告白にこちらが赤面してしまう。


「ごめん……。あまりにビックリして」

「リタが好きだから、貴方の副官として第一騎士団に残留希望を出したんです。貴方のそばには基本常にリタがいますからね。おそらくサリエ様もお気づきですよ」

「……え。ごめん。本当に分からなかった」

「貴方にいろこい事はハードルが高いと思っていますから、気づかれると思っていません」


 悪戯いたずらっぽい顔をして言う彼に思わず後ろからりを入れてしまう。

 けられたであろうそれを甘んじて受けながら彼は笑った。


「それに一度られています。じょうだんだと思われたようですね」

「え!?」


 すでおもいを伝えていたとは思いもしなかったし、リタと二人の関係に変化を感じたことは無かった。


「まあ、一度断られたぐらいではあきらめませんけどね」


 そう言う彼はなんだか楽しそうだ。


「……レグルス家にいっしょに連れて来ちゃってごめんね……?」


 私がこうしゃくと結婚したらそのままここに残っていたはずだ。

 ルキシオンの気持ちを知っていたら連れてこなかったかもしれない。


いんですよ。リタの幸せは貴方のそばに居ることだ。彼女の最優先こうは常に貴方ですから。それに、恋に障害はつきものでしょう?」


 そうゆうを見せる彼の目は相変わらず悪戯っぽさがにじんでいる。


「なんだか大人な反応でムカつく……」

「大人ですから。それに妹のように思っている貴方の側に彼女がいてくれたら私も安心です」


 物心ついた頃からルキシオンは騎士団にいた。見習いから護衛係になり、最年少で副団長にまで登りつめた彼の努力も、才能もずっと見ている。私を騎士としてここまで育ててくれたのは彼で、兄のように常に優しく、厳しく私を守ってくれていた。


「二人がうまくいってくれたら嬉しいな……」

「ティツィアーノ様が幸せになったら、次は私がリタを幸せにします」

「え、なにその自信。一回フラれてるクセに」

「それくらい彼女が好きという事ですよ。他の誰にもゆずるつもりはありません」


 だから貴方もがんって──。そう言って子どもをあやすように彼がポンポンと頭をでた。


「……ありがとう」


 その優しさに思わずなみだが滲んだ。


「ちょっと! レオン様! そこのかべこぶしをめり込ませないでくださいよ!」


 横でセルシオが慌てた声で言ってきた。

 彼女が母親と話せるように、外出に見せかけて部屋を出て、中庭の渡り廊下が見えるしきの二階から様子を見ていた。

 馬鹿従兄弟いとこが出てきたのは予想外だったが、私が飛び出す前にサリエ゠サルヴィリオが鬼のぎょうそうで部屋から飛び出してきた。

 サリエ殿どのにアントニオがいちげきをもらい、連れて行かれた後、彼女たちはしつ室にもどり、それからしばらくして出てきた。

 部屋の中の会話は聞こえなかったが、出てきた時の彼女はとても晴れやかな表情だった。

 彼女のとらわれていたかげはらえたのだろう。

 昨日、母親の話をした時の彼女のうれえたふんは遠目からでも感じることはなかった。

 そんな彼女を見て、気付かぬうちにきんちょうしていた体がほっとゆるみ、あんのため息がれた。

 が。が、しかし。

 彼女は廊下を歩きながら副団長のルキシオンに話しかけたかと思うと、あの男は彼女に顔を近づけ、愛くるしい耳元で何かをささやいた。


「あの男……。彼女が赤面するほどの何を言ったと言うんだ……」

「ちょちょっ! 壁壁! レオン様、壁こわれてますから! 落ち着いて! 落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか? 見ろ! 今度はじゃれあい始めたぞ」

「もう、本当にストーキングやめません? あんた本当に逃げられますよ?」


 段々とぞんざいな物言いになるセルシオの言動も気にかけてはいられない。やはり彼女の思い人はルキシオンでちがいなさそうだ。

 あんなに幸せそうに、優しくほほむ彼女のがおに心がにごっていく。

 その笑顔をこちらに向けてほしい。

 綺麗になりたい? それを他の男が見るのは許せない。

 彼女が母親と向き合うのが怖かったのが理解できる。

 必ず彼女を手に入れると思っていたが、あの笑顔を向けてくれるだろうか。

 他の男を想う彼女に、心がしいとうて、きょぜつされたら正気でいられるだろうか。

 一度は手に入れられたと思っていた彼女が、この手からすりけていくのをだまって見ていられるだろうか……。いっその事……。


「……っは……。正気のではないな……」


 れ狂う感情とドス黒い想像が頭をかすめ、かわいた笑いがこぼれた。


 自室に戻り、リトリアーノ国の動向や魔物の密輸についての報告書に目を通していると、開けていたベランダの窓からとなりのベランダが開く音がした。

 思わずそちらに足を運び、「アンノ?」と声をかける。


「公爵様……」


 驚いたようにこちらを見つめる彼女の横顔にゆうが差し、今にも消えてしまいそうなはかなさを覚える。


「サルヴィリオ騎士団のみんなと話す時間を作れたようだが、なつかしい顔には会えたか?」

「はい。はくしゃく家のみなさまもお元気そうで……。騎士団のみんなも変わりなかったです」


 そう言って嬉しそうな顔で微笑む彼女ののうには一体誰がいるのかとむねの奥から暗い感情がげる。


「……ティツィアーノじょうの話は出た?」


 そうたずねると、彼女はわずかに反応するが、「まだ見つからないそうです」とした。

 まだしばらくは正体を明かす気は無さそうだと思いながら、「そうか」と返事をする。


「あのっ……。公爵様はなぜティツィアーノ様にきゅうこんなさったのですか!?」


 本人にそう問われ、思わず「なぜ……とは?」と聞き返してしまう。

 散々送った手紙でも、自分の想いは伝えたはずだ。


「だって、……公爵家に相応ふさわしいりょくの強い女性や、美しく綺麗な女性はたくさんいるのに……」


 そう言った彼女の言葉に思わず息をむ。


「そうだね……君の言うような女性はたくさんいるけれど、私はティツィアーノ嬢しか欲しくない。彼女は誰よりも努力することの才能を持ち、誰よりも他人にうことの出来る人だと思っている」


 そう言うと彼女は少し驚いたようにこちらを見つめた。


「先日……彼女が押し付けられた国境警備のモンテーノ領のひんこんの村で、しをしたそうだ。自領のたみですら見捨てる領主もいる中、自領でもない領民に炊き出しをするなんて簡単にできる事ではない。自分達の騎士団のしょくりょうから出しているのだから。それに彼女は魔力が弱いとはいえそれを補うだけの努力をしてきたはずだ。でなければ国境警備の騎士団を任されるはずがない。そんな彼女以上の女性にこの先出会えるとはとうてい思えないね」


 だから君をここからがすつもりなどない。そう心で付け加える。


「……そう……ですか」


 と彼女はうつむいた。


「そうだよ」


 だから早く諦めて、ティツィと名乗って欲しい。そうして一刻も早くこのうでの中に閉じ込めてしまいたい。

 俯いた彼女が「……ふぅ」と息をいてこちらを見上げたが、彼女の表情は逆光で分からなかった。


「公爵様、私は今からレイのところに行かないといけないので……もし、今夜お時間があったらここでもう一度会えますか? お話ししたいことがあるんです」


 予想しなかったその言葉に、いっぱくおくれた後「では、……また後で」と返事をした。

 彼女の話はティツィアーノとして『他に愛する人がいる』という話か。それとも──……。

 彼女が部屋に戻ったのを見届けて自室に戻り、『レイ』になるべく銀の指輪をめた。

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