第5章 太陽のタッセル①


 ──『最悪だ』

 別室で私服に着替えリリアン様にメイクをしてもらいながらも、さっきの言葉が頭からはなれなかった。

 やっぱりけっこんしきを挙げなくてよかった。

 リリアン様の見立てで色々とドレスを持ってきてくれたが、服に負けるんじゃないかと思いながら試着したドレスは思いのほか似合っていた。……と思った自分がずかしい。

 もう、……それはもう、ものすごく恥ずかしい。

 あの結婚式の日もかざてた自分がみじめだったのをこの数日で忘れていた。

 彼にはれいで、洗練されたこいびとがいるのに、辺境から出て来た田舎いなかものが彼の目にどう映るかなんて分かりきっていたのに。


「……ンノ? アンノ?」


 リタが心配そうに顔をのぞき込んでいた。

 思わずハッとして、顔を上げると、リリアン様も私にしょうをしながらも、まゆじりを下げて心配そうな顔をしている。


「あ……、ごめんなさい。どれもてきなドレスでれてしまって……」


 そう言うと、リリアン様はほっとしたように、がおで「お姉様に似合いそうな小物も持ってきますね。お兄様はお金に糸目はつけないって言ってましたし」とスタッフやメイドの女性達と部屋を出ていった。


「リタ、私こんなにすすめられてもどうしたらいいか分からないわ。リリアン様にも悪いし……」


 そうだ、ここに残るつもりも、結婚するつもりもないのにこうしゃく家になお金を使わせる訳にはいかない。

 公爵家にはドレスを数着こうにゅうしたところでなんの痛手にもならないかもしれないけど、私がつらい。

 買ったドレスはだれも着ないまま処分される。

 誰か着てくれるならまだいけれど、処分されるドレスはまるで私の心が処分されるようで……。


「何言ってるんですか。目的のお店に予約無しで来られたんですよ。綺麗になっておじょうさまをぞんざいにあつかってきた男達にひとあわかせてやるんでしょう? しかも先日のかくからリリアン様を守ったお礼にここのはらいは全て公爵家持ちですからね。この際利用できるものは利用しましょう。どうせ普段着が服のお嬢様一人ではこういった事はどうしたら良いかも分からないんですから」


 ざっくりと図星を指され、ようしゃなく傷口に塩をり込んでくるリタに反論できるわけもなく、「そ……そうね。そのためにここに来たんだものね」とうなれるのがせいいっぱいだった。


「お姉様。こういうタイプはいかがですか?」


 いまさらながらお姉様呼びはデフォルトなのねー。と思いながらいた先には、二、三着のドレスとくつや小物をかかえたメイドともどってきたリリアン様がいた。


「わぁ。どれも素敵なデザインですね」


 そうだ、目的は自分を変えること。なりたい自分になるためにここに来たのだ。


「そうなんです。わいくて迷っちゃって……。お姉様のお好みを教えて下さい」

「好みというか、私は……」


 そもそも、まだ『シルヴィア』に会っていない。でも、私も……シルヴィアのような女性に……。


「た……ため息の出るようなわく的な体つきに、女王の風格を持ち、そこにいるだけで他をあっとうするような女性になりたいです!!」


 思わずそう言ってしまうと、ちんもくが広がる。

 あぁ……。目線が痛い!

 以前陛下が言っていた『シルヴィア』をそのまま言うと、リタからはあわれみをめた視線を向けられる。そしてリリアン様はキョトンとした視線から一転、コロコロと笑い始めた。


いやですわ、お姉様ったら! きたえられて均整の取れた体つきはこれ以上無いほどわく的。更にそこにいらっしゃるだけで誰もがひれす程の存在感。それに──」


 つらつらと何の補正がかっているのか分からない程たたえ始めたリリアン様に、なんと反応していいか混乱していたその時、店の外から悲鳴が上がった。


「きゃぁぁぁぁぁぁああ! ものよ!!」

「わあぁぁ! こっちにくるぞ!!」

げろ!」


 外から聞こえる悲鳴は一人分だけではない。その中にまぎれてけものかくの声も聞こえる。


「そんなはずないわ! レグルス領に魔物なんてほとんど出ないのに……」


 声の先を見つめ、ポツリとリリアン様がつぶやいた。

 それもそうだろう。

 魔物は国境沿いのの森にほとんどが生息していて、サルヴィリオ領か、モンテーノ領、南であれば海域沿いで退治されるのがほとんどだ。

 まれにそれらの領をえて出てくるのは飛行タイプの魔物で、それでもほとんどが王都に着く前にとうばつされている。

 しかもこのけものしゅうは、高いりょくを持つサーベルタイガーだ。あり得ない。


「リリアン様たちは建物から出ないでください!」


 そう出口に向かって走りながら、リタと共に店の外に出た。

 護衛としてけんを帯刀することを公爵様に許されているので、ももかくしてあるたんけんを構え、勢いよくドアを開けた。

 そのしゅんかん、視界に飛び込んできたのは氷けにされたサーベルタイガーと、その前に立っている公爵様だった。

 彼の三倍はあるであろうそれは、完全に息絶えており、周りの市民もおどろいたようにこうちょくし、一心に彼を見つめている。


「第一部隊は、サーベルタイガーを運べ。第二部隊はにんの手当てをしろ」


 彼がそう指示を出すと、固まっていた騎士達も、ハッと自分の立場を思い出したのか、敬礼をして作業を始めた。

 それと同時に市民から公爵様へのかんせいが上がった。

 その様子にあっけに取られていると、右後方からかすかに、声が聞こえた。


「ッチ。失敗か」


 振り向くと、こっそりと裏路地に入っていく男が見えた。


「リタ! リリアン様の護衛に戻ってて」


 そう伝えて、男の消えた裏路地に向かって走り出した。

 その走り出した方向は、さきほどの魔物のにおいがくなっていく。

『失敗』? まさか誰かがここに魔物を放った? でもあんな魔物をなずけるなんて簡単ではないし、強力な魔物から取れるせきは高価だ。それをやすやすあきらめてまで何をしたかったのだろうか?

 男の消えて行った裏路地に着いた時には人影は無かったが、そこに残る魔物の臭いにまゆひそめる。

 その時、ふと慣れたにおいと気配がした。


「お〜じょう〜。見〜つ〜け〜た〜」


 背後から聞こえた今にものろわんと言いたそうなその声の主は、振り向くと頰をらせていた。


「あ……あぁ。テト……」


 明らかにげんな彼の様子に思わず一歩引いてしまう。


「あんた、何してんすか? 結婚式もあんな形でほっぽらかして! レグルス公爵領まで捜しに来て正解でした」


 今にも食べられそうな勢いで言われ、思わずたじろぐ。


「俺がどんだけはくしゃく家のみんなにおこられたか!! そばづかえのくせに何をしてんだと騎士団の連中まで俺をフルボッコですよ! 俺は男でひかしつに入れなかったから、指示された場所でみんなと待機してたのに!! アホ王子まで毎日伯爵家に来てまだ見つからないのかっておおさわぎしてくんすよ! 俺の王位けいしょう権がとか言ってますけど、知らんつーの! そもそも怒られるならリタ……!」

「ごめん。その話、後でいい?」


 長いクレームになりそうだと思いながら話をぶったった。


「……は〜〜い〜〜?」


 いかりの苦情を止められ、さらなる怒りにふるえるテトは行き場のない手を戦慄わななかせる。


「さっきの魔物さわぎ、見た?」


 そう言うと、いっしゅんでテトは真顔になった。


「もちろんです。騒ぎがあったからそこに行ったんです。そのじゅうのいる真ん前の店から出てきたお嬢を見つけて追いかけてきたんすから」

「そのサーベルタイガーの臭いのする男がこの裏路地に入って行ったの」

「こんなところに魔物が出ること自体不自然っすから、あやしさまんさいですね」

「ええ。とりあえず臭いを辿たどるから……」

りょうかい


 そう返事したテトと私は気配を消した。それと同時に、


「……お嬢、化粧してます?」

「……今それ必要?」


 あまりのきんちょう感のなさに思わずイラッとする。


「いや、あまりの怒りでわかんなかったんすけど、めずらしいなと気になって」

だまってて」

「……サーセン」


 分からなかったということは、化粧をしてもしなくてもいっしょだということだろう。その言葉に余計イラッとする。

 裏路地に入り、一歩一歩進むたびに、魔物の臭いも濃くなる。

 できれば一人でたいしたくないやっかいな魔物の臭いだ。

 じっとりと、暑さから来るのではないあせをかいているのが分かる。


「……お嬢?」


 私の緊張を感じ取ったのか、テトが心配そうに声を掛けてきた。


「この臭いは……おそらく、フェンリルがいると思う」

「……それは。……帰りません?」


 思わずテトの足のすねり上げる。


「だっ……。じょうだんじゃなくて! 騎士団連れてこないと何も出来ずやられるのがオチっすよ。フェンリルって、つうの騎士団、一個隊でも手に余りますよ」


 分かっている。でも、もう少し情報を集めないと、どう動けばいいのか判断が出来ない。


「とりあえずリタにれんらくを取ってきて。場所と、現状。公爵家のリリアン様の護衛けんじょをしているからすぐ分かるわ」

「……あんたら、マジで何してんすか」


 死んだような目で私を見るテトに、いいから行け。と目で言うと、「後でちゃんと聞きますからね」と言って大通りに向かって行った。

 もう少し、臭いを辿ろうと足をした瞬間、ポンとかたたたかれた。

 気配を全く感じなかった上に、足音も、においもしなかった。

 あまりに驚いて、退き、スカートの下の短剣をき、構えた。


「失礼。アンノ殿どの。驚かせましたか?」


 冷気をまとったような、少し怒りをふくんだ声でそう言った男性は、何となく見覚えがあるような人物だった。


「え……ええと。貴方あなたは」


 今彼はティツィアーノではなくアンノと呼んだ。つまりここに来てから私を知った人間だ。


「私は、レグルス公爵家の騎士団の者で、公爵様の指示でこちらに来ました。ちょうほう員ですので、騎士服は着ておりません」


 そう言った彼は、レグルス騎士団のもんの入ったブローチを提示した。

 茶色いかみに、青色のひとみ。どこにでもいそうな顔立ちをしているが、どこかで会ったことがあるような彼は、右手に銀の指輪をしており、服装はいっぱん市民に見える服を着ている。

 静かな怒りをたたえた瞳は、逃げることを、目をらすことを許さない強さがあった。

 その視線は全身の落ち着きを失わせるような、全身の血が騒ぐような感覚を引き起こさせた。


「……先程一緒にいた男は誰ですか……?」


 彼の視線で固まっていた私は一瞬誰のことか分からなかった。


「男……?」


 ハッとして、疑われているのだと気づく。それもそうだ。魔物騒ぎが起きてすぐその場を離れたのだから、疑われてもしようがない。


「彼はサルヴィリオ伯爵家の騎士団員で一緒にティツィアーノ様に仕えていたものです。お嬢様を捜しにレグルス公爵領まで来たそうで、私を見つけて声を掛けられたんです」


 私をじっと見つめる瞳は本当かどうか考えているようだが、信じきれていないのが分かる。


「……それで、彼はどこに?」


 落ち着かない!

 じっと見つめられたその目に、何かがザワザワと心の中を動き回っているようで、この感覚が何なのか覚えがあるような無いような、そんなもどかしさがさらにざわつきを強める。


「彼のふたの妹のリタに先程の魔物に関係ありそうなしん者の情報を伝えにいくようにたのみましたので、リリアン様や公爵様のところにいると思います」

「そうですか……」


 難しい顔をして彼は私の言葉のしんぴょう性をきわめているのだろうが、今そこに時間をかけているひまはない。


「あの、先程の魔物に関係ありそうな男がおそらくこの先にいると思うのですが、行ってもいいですか?」


 強い魔物を連れて行動するのは難しいかもしれないが、早くしないと逃げられてしまう。


「分かりました、私も同行しましょう」


 そう言って彼は私の後ろをついて来た。

 恐らく彼は信用していい。

 あの時、もし私を殺そうと思ったら簡単に殺せていたはずだ。

 その時、足音が聞こえ、あわてて彼を手で制す。


「誰か来ます」


 小さくそう彼に告げると、彼は私の腹部を支え、体を後ろのかべに引っ張った。

 その瞬間いんぺいほうの壁が目の前に張られる。

 つまり外部から存在を見えなくする魔法だ。

 その隠蔽魔法は、うすく、薄く……まるでシャボンのまくのような薄さだった。

 ──信じられない。

 隠蔽魔法はいわゆる結界魔法であり、高等魔法でもあるが、それなりに魔法が使えるものであれば魔力のゆがみを感じ、察知される上に、結界の壁が厚ければ厚いほど感知されやすく、薄ければ薄いほど良い。

 けれど、より強大な魔力と、せんさいな魔力操作が求められる。彼はちがいなく金ランクの魔力の持ち主だ。


「──サルヴィリオの──」


 目の前の隠蔽魔法に持って行かれていた意識が、その単語が聞こえた瞬間、全てそちらに引き戻される。


「今回は失敗しましたが、サルヴィリオ家のこんせきは残しています。フェンリルも、折り合いを見て放ちます」


 恐らく先程裏路地に入って行った男であろう人物が、ちょうはつの一つ結びの男にそう言った。

 サルヴィリオ家の痕跡?

「フン」と鼻で小馬鹿にしたように笑った長髪の男は口元を歪めて言った。


「『やつら』にわたされたサルヴィリオ家が魔物討伐に使う際の特別仕様の縄を魔物につけたままであれば、まずそちらにわくの目が向けられるからな。レグルス家とサルヴィリオ家。この国の二本の守りの要がなかたがいしてくれれば、この国も落としやすい」


 その言葉に目を見開く。


「そういえば公爵家に入れたメイドはどうでした?」

「連絡がねえからメイドは失敗したんだろうよ。レオン゠レグルスは無理でも、公爵家の誰か一人でも死ねば混乱を生めると思ったんだがな。とりあえずまた来週の夜、『陽炎かげろうてい』で指示するってよ」

「じゃぁ、それまで遊んでおきますか」


 彼らはそう言いながら笑って来た方と反対側の奥の建物の中に入って行った。

 を覚えるような話の内容に思わず飛び出したくなったが、恐らく彼らはほんのしただ。

 彼らから得られる情報は恐らくあまりない。トカゲのしっを切られるように、彼らも何かあれば切り捨てられるだろう。

 今彼らに何かあれば逆に大物をのがすかもしれない。


「アンノ殿。戻りましょう」


 今の今まで彼に密着していた事に気づき、慌てて離れる。


「すごいですね……。隠蔽魔法」


 消えた結界魔法に思わずしょうさんがこぼれた。


「ありがとうございます。貴方にめてもらえるなんて。練習したがありました」

「え?」


 まるで昔会った事があるかのような口ぶりだ。


「あ、いえ。リリアン様の護衛にばってきされるような方に褒めていただけるなんてという意味です」


 彼も自分の言葉に不自然さを感じたのだろう。

 とってつけたような言葉だ。

 ──どこかで?

 その時、自分の中で持て余していた引っ掛かりが、とつぜんはずれ、はっと息をんだ。


「貴方。私のういじんの時にいた……」


 初めて私に騎士の忠誠をくれた、その人だ。

 あの後、騎士団に彼の姿を探そうにもはっきりと顔も思い出せず、なんて不義理な人間だと自分を責めたのを覚えている。


「え?」


 今度は彼が驚いた番だった。


「私のことを……覚えていらっしゃるんですか?」

「もちろんよ。あの後サルヴィリオ家の騎士団をめてレグルス公爵家に来たのね……。いえ。むしろ初めからレグルス公爵家の騎士の方だったのかしら」


 こんなにも魔力も、じゅつも一級品なのだ。うちの一兵卒なわけが無い。


「……そうですね。実はレグルス公爵様から新しいサルヴィリオ家の騎士団長がどんな人物なのか……、その……」

「国境を守る騎士団長として問題がないか見てこいってことね」


 彼が言葉をにごしたのでその後を引き取った。

 なんとも言えない顔をした彼がおかしくて、思わず笑ってしまった。


「それで、私はきゅうだい点はもらえたのかしら」

「え、はい。それはもう。安心してお任せできると……!」


 自信満々の笑顔でそう言う彼の言葉に思わず目を見開いてしまう。

 あぁ。少しは公爵様に認めて貰えていたのだろうか。


「アンノ殿?」


 固まった私に彼が心配そうに声をかけた。

 その時はっとして彼を見る。

 彼は私がティツィアーノだと知っている。アンノではなくティツィアーノだと。

 思わず足が一歩後ろに下がると、彼がはっとしたように手をばしてうでつかんだ。


「誰にも言いません。貴方の事を!」


 摑まれた腕は振りはらえない強さではない。


「何か目的があったのでしょう? 理由を無理に聞こうとは思いません。貴方の思うようにしてください」


 彼の声は本当にそう思っているように聞こえる。


「私が公爵家に何かするとは思わないの?」

「思いませんよ。もし何かしようと思うなら毒物を持ち込んだメイドのことも放っておいたでしょう。私は貴方を信じています。……忠誠をちかったあの日から」


 そう言って向けられた目はどこまでもやさしく、私の心を落ち着かせるものだった。


「……あれから何年も会っていないけど、……」


 他に忠誠を誓える人がいなかったのかと聞くのはとてもごうまんな気がする。

 忠誠を誓ってくれた人を軽く扱っているようで、その先を続けられなかった。


「ティツィアーノ様。私は貴方に忠誠を誓ったにもかかわらず貴方の前から姿を消しました。信じていただけないかも知れませんが、あの時の思いはいろせる事なく、私の心にあります。貴方の存在が自分をもっと強く、……貴方に追いつけるよう、けんさんする原動力となっているのです」


『自分を高めるための存在』その言葉にむなもとにあるタッセルを入れたふくろにぎりしめる。


「研鑽する原動力……私にもそう思える方がいるので、わかります」

「……それは……?」


 握りしめた私の手元を見つめた彼が言った。


「『太陽のタッセル』……です」


 そう言った瞬間彼から発せられるふんが一気に変わった。

 忠誠を誓った対象が流行はやりに乗って『太陽のタッセル』を持っているなど、うわついていると思ったのだろうか。


「これは私が八つの時に作ったもので……」


 そう言って袋から取り出そうとして──……止めた。


「え!?」

「え?」


 思わぬ彼の反応に驚く。


「いや、今見せてくれる雰囲気でしたよね!?」

「え、あ〜……。しゅうが苦手なのでお見せするほどのものでは……」


 ははは……とかわいた笑いがこぼれるが、このタッセルはレグルス公爵家の刺繡がしてあり、一目で公爵様をおもって作ったタッセルだと分かる。

 それをレグルス騎士団の諜報員にバレるのはなんとも恥ずかしい。

 それに、当時刺繡した際に、もんを一目見たテトが、『ギリ四本足の何かです』と笑っていたのが深いトラウマになっていて、ただただ恥ずかしいの一言にきる。


「貴方の刺繡ならどんなものでも見たいです」


 そういう彼の圧ははんなく重く、……こわい。

 いや、そんなカツアゲしている雰囲気で言われても。

 今にも、『オラオラ、出せよ。持ってんだろ?』って声が聞こえそうだ。


「そんな事より、早く戻って公爵様に報告しましょう!」

「いえ、そのタッセルは『そんな事』ではありませんよ」

です!」

「大事です!」


 ええええ──!? どうでも良くない?

 さっき『理由を無理に聞こうとは思いません』って言った人とは思えないくらい、圧が重いんですけど! まさかのタッセルしゅうしゅう家とか!?

 ジリジリと間合いをめてくる彼にこんわくが止まらない。明らかに私よりも強いし、簡単に逃げられると思えない。


「アンノ!」

「お姉様!」


 その時後方から天の助けが来た。

 振り向いた先に……あぁ、二人が天使に見える。いや、本当に二人とも普段から美少女なんだけど、今は後光が差している。


「リリアン様! リタ!」


 これでタッセル問題から解放されると思い、彼の方を振り向いた。

 ──けれど、目の前に彼の姿は無かった。


「アンノ、一人で無茶をしてはダメじゃないですか! テトから聞いて慌てましたよ!」

「そうですわ、お姉様。私もお店の外に出たら怪しい人物を一人で追いかけたと聞いて、とても心配しました!」


 リリアン様は真っ青な顔をして、本当に心配してくれたんだと心が温かくなった。


「申し訳ありません。あのような事に関わる人間を放置などできなくて……。ご心配おかけしました」


 そうリリアン様に謝り、リタの方を向いた。


「……で、リタ? どうしてこんなところにリリアン様を連れてきたの?」


 不審者を追いかけてきた先に、守るべき彼女を連れてくるってどういうこと?

 普段のリタらしくないじょうきょう判断に、眉を顰めて聞いた。


「リリアン様は実質アンノの側にいる方が安全だと判断しましたから」


 ──その方がお嬢様は無茶をしないでしょう?

 そんな声が聞こえ、はぁ、とため息をつくしかなかった。


「とりあえず公爵様のもとに報告しに戻りましょう」

「それが、……アンノが不審者を追った後、公爵様は公爵ていに戻って調査をすると言って後の事をセルシオ副官に任せて戻られたので、……我々も戻りましょう」


 なぜだかリタが考え込むように言った。何か思うところがあるようだ。


「そう……では帰ってからね」


 そう二人をうながしながら、先程彼が消えた裏路地を振り返った。

 ───レグルス騎士団なら、またすぐ会えるかな……。

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