第4章 敵を知る①



 ――半日前。

 こいがれた彼女を自分のものにできるとかれていた。

 馬鹿な王子がこんやくをしてくれたおかげで、望むことすら許されなかった彼女からけっこんりょうしょうする手紙が届いた時は、これほど生きてきて良かったと思った事は無かった。

 それなのに、陛下とアホ王子としんろうひかしつにいると、ドアからノック音がし、式が始まるのかと浮かれて立ち上がったところに冷水を浴びせられた。

 何が起きたか分からなかった。


「兄上……ティツィアーノ様が、出て行かれました……」


 そう入り口で説明する真っ青なウォルアンの後ろで、さらに青くなったリリアンがいた。

 あわてて彼女のいた新婦の控え室に向かうと、本当にもぬけのからだった。

 彼女の着てきたであろう服はクローゼットにかけられたままで、鏡台のメイク道具も置きっぱなしだった。


「なぜ……?」


 頭が機能を停止し、なぜ彼女が出ていったのか答えをはじせなかった。


「お、お兄様……。私がいけないの。お兄様を取られると思って『貴方あなたはお兄様の一番じゃない』って。……私の事もお兄様は大切にしているって言いたかったの」


 だん気の強いリリアンが泣く事などほとんど見た事がない。

 自分の発言がもたらした事実にショックをかくせず真っ青になって泣いている。


「……それで、彼女は何て言って、出て行ったんだ……?」

「『愛する方とお幸せになって下さい。私も、愛する人のために人生を歩みます』と。それから、『おたがい幸せになりましょう』とも……」


 そうウォルアンの言った言葉に思わずこぶしかべたたきつけた。

 となりの部屋が丸見えになるほどに壁はくずれたが、気にもしていられなかった。


「『私も愛する人の為に』? 『お互い幸せに』? つまり、彼女は他の愛する男のもとへ行ったという事か……」


 自分にこいびとがいるとかんちがいされただけなら、まだ取り返しがつくものの、彼女にはすでに心から愛している相手がいたという事だ。

 頭に血が上る中、隣でかいきわまりない声が聞こえた。


「まさか、あの野ザル、まだ俺様の事を……?」


 そう言ったクズ王子のむなぐらを思わずつかみ、このへいに投げつけた。


「さっさと城に帰して、頭の中をきゅうてい医にさせろ」


 無礼じゃないかとわめき散らす王子の事は無視をして、すぐに退室させる。

 あんなクズに彼女がかれるとは思わない。

 それでも……自分が知ることのない二人の十年間に彼女の情はあのゴミが手に入れていたのだろうか。

 いや、婚約破棄の件では、未練のかけらも感じないほどのあつかいだったと聞いている。

 むしろ、クズすぎて他の男に惹かれてもおかしくない。となると、彼女のおもい人はサルヴィリオ家の団のだれかだろうか。まだ、彼女をもどすことはできるだろうか。

 後ろにひかえる副官のセルシオに指示を出す。


「今すぐ彼女を追いかけろ。私はよくで上から捜……。いや、体制を整えるためいったんしきに戻る! ……それから、彼女の言う『愛する人』を何がなんでも探せ」

「……ハッ」


 短く返事をしたセルシオに翼馬の用意は任せ、彼女が出て行った開けっぱなしの窓を見た。

 彼女を必ず取り戻すと心に決め、屋敷に急いだのだった。


 ―― だが、その彼女がなぜここに!?


「どういうことだ!?なぜ彼女が我が家のメイド服を着て屋敷にいるんだ!!」


 アンノとリタと名乗った二人を下がらせた後、しつ室に防音結界を張った上で|叫《さけ んだ。

 結婚式を取りやめると式場を去った彼女がこうしゃく家のげんかんホールで……どうしてメイドの格好をしてしつのアーレンドの後ろで頭を下げていたのか……。

 長かったかみは短くなり、下ろされたまえがみに理知的な額は隠されていた。

 焦がれて、焦がれた彼女が手の届くきょにいる。


「どうもこうも、こちらがうかがいたいものです。なぜはなよめとなられる方が、『奥様のじょとして来ました』と言って来られたのか……。何をやらかしたんですか?」

「え!? あの方ティツィアーノ様なんですか? ごあいさつに伺った時はヴェールをかぶっていらしたし……。全然分かりませんでした」


 ウォルアンがおどろき、リリアンも目を丸くしている。


「お兄様……、あの……ごめんなさい」


 目を真っ赤にして、泣きらした妹がふるえながら言った。


「リリアン、もういいから」


 そうなぐさめても妹はまない。

 自分のせいでティツィアーノが結婚を止めて、出ていったと思っているのだから。


「何はともあれ、彼女の動向をさぐれ。警備も二倍に増やして彼女をここから出すな。……彼女の部屋はティツィアーノが使う予定だった部屋に案内出来るよう準備をしておけ」


 そうアーレンドに言うと、「こわっ!」とセルシオが小さく本音をこぼす。


だまれ。その方が警備もしやすいし、私の目が届きやすい」


 そう言うと、「承知しました」と全員が部屋を出て行った後、ドアの外から「ティツィアーノ様も可哀想かわいそうに」とセルシオが言った言葉をのがさなかった。



*****



 なぜ、公爵様自ら侍女ごときの私たちに屋敷の案内をしているのか……。

 この広大なしきには大きな池や森があり、小さな領地と言っても過言では無いだろう。

 さきほど案内された客間で出されたお茶を飲んでいると、アーレンドさんが来て、『ティツィアーノ様がゆく不明になられましたが、見つかりだいこのお屋敷におむかえする予定なので、このままお屋敷にいてください』と言われた。しっそう理由も『リリアン様がティツィアーノ様にもちを焼いて、誤解を招く事を言ってしまった』と説明されたが、新郎控え室

の会話が聞こえていた私は『誤解』だなんて思っていない。

 バレる前にお屋敷を出ようと思い、おじょうさまを捜しに行きますと提言するも、公爵家とはくしゃく家が総力を挙げて捜しているのでだいじょうだとやんわりときゃっされた。

 そうしてなぜかティツィアーノじょうが戻るまでに屋敷をあくしておいて欲しいと公爵様おん自ら案内して下さっている……。


「この庭園は、ティツィアーノ嬢は気にいるかな?」


 神の作りたもうた最高けっさくは、目がつぶれるほどのまぶしさを放ちながらほほみかけてくる。


「え……ええ。とてもてきな庭園です、お嬢様はお喜びになると思います」


 あまりの眩しさに目がチカチカしながらも返事をした。

 誰? 氷の公爵なんて言った人は……。

 誰? 女性の扱いがぞんざいだなんて言った人間は。

 侍女如きを親切ていねいにエスコートしてらっしゃいますが……。

 変なうわさはフラれた人のいやがらせか、モテない男性じんひがみか……。

 そんな事を考えながら歩いていると、横でホッといきれる音が聞こえた。


「……そうか。彼女は香りの強い花が苦手だと聞いていたけど、私にはあまり良く分からなくて、庭師と相談しながら選んだんだ。正直花なんて興味も無かったから、しばらくかんにらめっこしていたよ」

「公爵様自ら植えるお花を選ばれたのですか?」


 私ですら庭に植えている花なんてあまり気にしない。れいだなと思うけれど、知ってる花の名前なんてほとんど無い。


「私が選んだよ。彼女と庭を散策するときに花を知らないと会話にならないだろう?」


 すんません。私では会話についていけないと思います。

 そう心で彼にツッコミながらも、私の為に庭園を整えてくれたことに疑問を覚えた。

 いくら結婚を円満に見せるためとは言え、シルヴィアは何も言わなかったのだろうか。

 表向きはふう円満に見せかけて、彼女はかげの存在として過ごすのだろうか?

 彼の為にしのぶ恋を選ぶのだろうか……。

 結婚式からげ出したとはいえ、二人の間に割り込んだのは私だ……。いや、割り込まされたのか……。


「他に見ておきたいところはあるかな?」


 ぼんやりと考え事をしていると、公爵様に聞かれた。


「アンノも、私も騎士団の訓練場を見てみたいです」


 横を歩くリタが言った。

 そう。私たちは『シルヴィア』が見たいのだ。

 戦場で……いや、公私共に彼を支えるという、ぼうの女性騎士を。


「あぁ。君たちは元々騎士団に所属していたティツィアーノ嬢の護衛侍女だったね。……確かに騎士団とれんけいを取る事もあるだろうから顔合わせもねてしょうかいしておこう」


 そう言って案内された訓練場は多くの騎士たちが訓練をしていた。

 数名の女性騎士も訓練をしていたが、その中にくろかみの女性は居なかった。


「今騎士団の半数が南海域のものとうばつに行っているし、非番の者もいるから、彼らには後日改めて紹介しよう」


 そう言って訓練している騎士達に紹介してもらった。

 果たしてシルヴィアは南海域か非番か……。チラリとリタとアイコンタクトを取ったところで目の前にけんを差し出された。


「……え?」


 黒いさやに入った剣を差し出したのは公爵様で……。


「手合わせをお願いしても?」


 あまりの予想外の申し出に返事につまる。


「私如きが公爵様にお手合わせをして頂くのは……。りょくも弱いですし……」


 魔力を『赤ランク』ではなく、『弱い』と表現した自分がみっともなく、何を隠す必要があるのかと自問自答してしまう。


「リタも言っていたが君はうでが立つと聞いている。サルヴィリオ家の騎士の実力を……私の花嫁の護衛にふさわしいかこの目でかくにんしたい」


 そう言われたら断ることも、サルヴィリオ家の騎士達の為に手をいて戦う事も出来ない。

 黙って差し出された剣を手に取った。


「リタは、のちほどそこにいる副団長のセルシオと手合わせを願えるかな」

かしこまりました」


 あっさり了承したリタは周りの騎士達と共に私と公爵様のじゃにならないよう距離を取った。


剣だからえんりょなく打ち込んでくれて構わない」


 そう言って彼は剣を抜いた。

 アントニオ王子と婚約破棄したとき、あこがれのレグルス公爵家の騎士団に入りたいと思った。

 いつか彼と手合わせしたいと思った。

 彼と結婚する事が決まった時、まさに今のこのしゅんかんを想像した。

 身体強化と同時に剣に魔力を通す。

 そうして震える手をすように「参ります……」とつぶやき、一歩をみ出した。



*****



「っ……。ハッ……。ハッ……」


 と小さく言いながら顔を真っ赤にした。

 その反応があまりに可愛くて、思わず一歩近づくと、彼女はびくりと一歩下がった。

 なぜ下がる!?

 そう思ったところでポンとセルシオがかたを叩いた。


「閣下。アンノ殿どのはおつかれのようですので、私とリタの手合わせは後日にしてお部屋にご案内しましょう」


 なぜか意味深長にセルシオがそう言うと、「あ、いえ。私は大丈夫です。むしろ拝見させて頂きたいです!」と彼女は先ほどのどうよううそのように目をキラキラとさせて言った。

 ……まさか……。彼女の目的は……セルシオ……?


「そうですか? ……あまりご無理は……」

「全く無理なんてしてません。セルシオ副団長殿の模擬戦が拝見できるなんて……!!」


 そう言って今日イチのがおをセルシオに向ける彼女の背後から思わず自分の副官を睨みつける。

 ギョッとした顔をするセルシオが私の意図をみ取ったのか、左右に首をり、『チガウチガウ』と全力で否定してくる。


「公爵様、予定通り模擬戦をしても問題ないですか?」


 くるりと体を反転し、不安そうにうわづかいで聞いてくる彼女に一体誰が『否』と言えようか……。


「もちろんだ。ではリタ、『思う存分』やってくれ」


 そう言って彼女に模擬剣をわたした。

 模擬戦後、興奮冷めやらぬまま公爵様達と早めの夕食を取った。

 公爵様といっしょなどおそおおいと進言するも、騎士団のみなで『こんしん会』と言われれば何も反論など出来なかった。

 その後、公爵様自ら案内された部屋は文句のつけようのない部屋だった。

 私に割り当てられた部屋は『花嫁』が過ごしやすいよう実際部屋で過ごして整えてほしいと言われ、『ティツィアーノ』に用意された部屋に案内された。


「どうかな? ティツィアーノ嬢は気に入ってくれるかな?」


 入り口のドアにもたれかかりながら本来花嫁にと用意された部屋の中央に立つ私に公爵様がたずねた。

 ――イケメンはドアにもたれかかるだけで色気がダダ漏れるものなのね……。

 そんな事を思いながらも部屋の細部まで気を配られた家具やリネン、全てが上品で、落ち着く内装にため息が漏れそうになる。

 奥に見えるしんしつからのぞくベッドも遠目に見ただけで最高級の品質だと分かる。

 自分の部屋よりここさそう。

 日当たりはいいし、大きな窓から見える公爵家の庭は先ほど案内された場所で、とても綺麗に花がほこっている。

 部屋の色も白とグリーンでやさしいふんを作り、置かれた家具もウォールナットの優しい色合いが空間を引き立てている。


「……はい。お嬢様はとても気に入られると思います」


 そう答えると、隣にいたリタも「しゅど真ん中ですね」と私にだけ聞こえるように呟いた。


「それは良かった。彼女が他にしそうな物があれば遠慮なく言ってくれ」


 優しい目でこちらを見る公爵様に落ち着かない気持ちになり、慌てて目をらすとびんが視界に入った。


「スイートリリー?」


 見覚えのありすぎるあわいピンクの花に思わず声が漏れる。

 あの花は北部に位置するサルヴィリオ領の一部でしか咲かない花だ。

 香りの強く無いそれは、サルヴィリオ家の屋敷の中でもたくさんかざられている。


「あぁ。故郷の花でもあれば少しは彼女のいやしになるかと思ったんだ。生まれてからずっと過ごした土地をはなれるのはさびしいかと思って」

「え?」

「以前、一度だけサルヴィリオ領をおとずれた際にスイートリリーの花畑を見たんだ。街は活気にあふれて、自然も豊かで美しかった。あの、の森に面した領地とは思えないほど美しい土地だった」

「それは……本当にお喜びになるかと……」


 彼のこころづかいになみだが出そうになるのを必死にこらえる。

 なぜ、そんな物を用意したのか。

 シルヴィアの存在を知らずにあのまま結婚式を挙げ、あの庭を、この部屋を見たならばどれだけうれしかっただろうか。

 それでもいつかは『彼女』の存在を知り、傷つくことは分かっている。

 それならばいっそ心をらさないでほしかった。

 私のことなど気にしてくれなくてよかった。

 優しくされればされる程、あなたの心は私のものじゃないことを思い出し傷つく。


「アンノ?」


 黙った私を不思議に思ったのか、公爵様が優しく声をかける。


「あ、いえ。公爵様自らお部屋にご案内いただきありがとうございました。あとはリタとほどきをしたいと思います」


 そう言うと、公爵様は「ゆっくり荷解きをするといい」と言って部屋を出て行こうとしたところ、思い出したようにこちらを振り返った。


「ああ、それから奥の寝室に私の部屋につながるドアが……」

「「はい!?」」


 思わずリタと私の声が重なると、彼はその声に驚いた表情を見せる。


「あ、いや。ドアがあるが、内側からかぎがかけられるから心配しなくていいと……」

「……あ、かしこまりました」


 まさかのりんしつにそれしか反応が出なかった。

 恋人のいる公爵様の隣の部屋を用意されているとは思わなかったし、しかも続き部屋だなんて想像すらしなかった。

 部屋を出て行った公爵様の足音が隣の部屋で止まり、ドアを開けて入っていく。


「お嬢様……大丈夫ですか?」


 リタと部屋に二人きりになると、あわれんだ視線がさる。


「だ、大丈夫よ! 内鍵もあるんだし、大丈夫、大丈夫。大丈夫じゃない事なんて無くない?」

「いや、既に大丈夫連呼しすぎてこわれてますよ」


 隣の部屋の物音がカタン、パタン。カチャカチャと、引き出しを開ける音や、物書きの音。クローゼットのきぬれの音まで聞きたく無いのに、耳がそちらに集中してしまう。


「……大変ですね。聞こえるって」


 恐らくリタには聞こえないであろうソレに、固まる私を見てリタが言った。


「……今日、部屋こうかんしない?」

「嫌です。お嬢様がおもしろいから割り当てられた部屋でます」


 はくじょうな侍女は真面目な顔をしながら、それでも楽しそうなひとみで主人の願いをすげなく断った。

 その夜、ドアしに聞こえるベッドの音や、がえりを打つ音。シーツの衣擦れの音が耳から離れずけない中、心を落ち着かせようと窓を開けた。

 空は満天の星に、まんまるの月が浮かんでいる。


「今日は満月だったのね」


 そう呟きながら景色をながめる。

 さすが公爵家といったところで、目の前に広がる見事な庭園の奥に小さな森が見え、更に屋敷からずいぶん離れたところに今日行った騎士団の訓練場が見えた。そのさらに奥にきゅうしゃがあり、馬車置き場がへいせつされている。

 すぐ横に広がる草原は馬たちを走らせるのに十分すぎるほどの広さがある。


「手合わせ……すごかったな」


 公爵様との模擬戦を思い出し、思わずそう口に出した。

 斬り込んでも、斬り込んでも彼は息ひとつ乱さず、汗すらかいていなかった。

 こちらは不意に受ける彼の剣をいなすのにせいいっぱいだったと言うのに。

 それでも彼の綺麗なけんを間近で見られて気分がこうようしたのはちがいない。

 模擬戦の事を思い出しながらぼんやり景色を眺めていると、厩舎の側で小さなかげが二つ動いたのが見えた。


「あれは……リリアン様とウォルアン様?」


 こんなけに侍女も連れずに二人で何をしているのだろうか。

 そう不思議に思っていると、彼らから少し離れたところに一人のメイドの姿を認めた。

 その手には小さな銀のたんけんを持っている。しかも抜き身の剣だ。

 それが指し示すことはただ一つ。暗殺以外の何物でもない。

 公爵家の警備兵にれんらくしている時間など無い。

 部屋に用意された果物の横に置かれた果物ナイフを取ると同時に、リタの部屋側の壁を一定のリズムで叩き合図を送る。

 ココンコン……『きんきゅう事態』。そうしてリタのココン……という返事の合図を聞きながら二階の部屋から飛び降りた。

 着地と同時にいっぱくおくれてリタも降りてくる。


「何事ですか?」

「リリアン様とウォルアン様がねらわれてる。リタ、万が一の時は回復ほうを使えるように魔力を温存していて」

「承知しました」


 私もリタも身体強化をして最速で厩舎を目指す。


「きゃああぁぁぁ!! 」


 もう少しで厩舎というところで耳をつんざくようなリリアン様の悲鳴が聞こえたと同時に血のにおいがした。

 厩舎の窓から見えたのはメイドとたいするウォルアン様で、リリアン様をかばうように立っている。


「リタ! このまま窓からとつにゅう!」


 そう指示を出すと、二人で厩舎の中に飛び込んだ。


「なっ……!!」


 今にもおそかろうとしていたメイドの短剣を果物ナイフで防ぐも、ナイフは簡単に折れた。

 口元を不快にゆがめたメイドの足元をはらい、彼女がバランスを崩したところで近くに落ちていたわらすきで彼女を後方の壁に叩きつけた。


「ぐっ……」


 うめきながら彼女はこちらを睨みつける。


「お二人共、大丈夫ですか?」


 そう言いながらリリアン様とウォルアン様に聞くが、血の臭いだけでなく覚えがある毒物の臭いにぞわりと足元から不安ががってくる。


「ウ……ウォルが……。私を庇って……」


 真っ青になったリリアン様がウォルアン様の腹部を穴が開くほど見つめている。

 その視線の先の白いシャツには血がにじんでいた。


「リタ、回復魔法をお願い。恐らくヒコの毒だから……止血だけでも」

「はい」


 侍女に向き直りながら、近くにあった藁すきのせんたんを足で押さえつけ、そこだけを折った。


「そんな木の棒で、侍女如きが私とやろうっていうの?」


 手に持ったの部分を冷ややかに見ながら彼女が口元を歪めた。

 公爵ていで暗殺をたくらむ程だ。彼女の腕は相当だろう。


「これで突き飛ばされた人間の言うセリフじゃないわね」


 そう言って彼女に柄の先端を向けた。

 リタの回復魔法はあくまで傷に対するもので、病気や毒物に対してはなんの効果も無い。

 早々に中和ざいを彼にとうしなくては……。

 メイドがこちらに向かってきた瞬間、目の前が白い何かにふさがれた。


「っ……!?」


 その白い何かが公爵様のシャツだと気づいたのは一拍遅れてからだった。

 全く気配を感じなかった。


「アンノ、は?」

「あ、ありません」

 

 バリトンの優しい声が耳をせんりょうし、一瞬胸が大きくねる。


「下がっていろ」

「はい……」


 そう言って手に持った剣を振るうと、いちげきでメイドを地にせさせた。


「やっと追いついた! って……何が……」


 そう言ってセルシオさんと数名の騎士が入り口から入ってくる。


「セルシオ、このメイドをばくして情報を聞き出せ」


 そう彼に指示を出した公爵様を横目にウォルアン様に向き直した。

 真っ青になり、浅い呼吸を繰り返すウォルアン様を不安そうにリリアン様が見つめている。


「公爵様、ウォルアン様はヒコの毒のられた短剣で刺されています。さっきゅうに処置をお願いします!」

「ヒコの毒……?」


 ヒコの毒はいっぱんに暗殺で使われるものでなく、逆に一般的な毒に使われるりょう薬によってしょうじょうを悪化させる毒だ。初期の段階で処置を間違えればおくれになってしまう。


「公爵! ヒコの毒なんかじゃないわよ。その女こそ治療法をかくらんしようと噓を言ってるに決まってるわ」


 騎士達に押さえ込まれたメイドがそう叫ぶが、公爵様は冷ややかにメイドをいちべつして連行させる。


「ヒコの毒の治療を行え。短剣も一緒に持っていって成分も同時に調べろ」

「ハッ」


 何も言わず信じてくれた彼に驚きつつも、ずっと泣いているリリアン様に「お怪我はありませんか」と声をかけると、彼女は首を横に振って、小さく「大丈夫」と呟いた。


「リリアンとウォルアンはなぜ厩舎に?」


 公爵様にそう尋ねられると彼女はびくりと肩を震わせた。

 決してあつ的ではない言い方でも、じょうきょうが状況だけに彼女はうつむいて言った。


「か……髪飾りを……捜しに」

「髪飾り?」

「……兄様に。お誕生日にもらったものだから。今日、帰りに乗った馬車に落ちてるんじゃないかって心配になって。……なくなったらどうしようって」


 公爵様がチラリとセルシオさん達に視線をやると、彼らはうなずいて奥の馬車小屋に入って行った。


「こちらですか?」


 すぐに一人の騎士が、小さなしんじゅのあしらわれたすずらんの髪飾りを手に戻ってきた。

 そう言って彼女に差し出すと、それを手に取り、小さく「ありがとう」と呟いた。


「見つかって良かったな」


 公爵様がリリアン様の目線まで自分の目線を下げて彼女に言った。

 彼はそんなものの為にとは言わない。


「ごめんなさい。ごめんなさい。私のわがままのせいでウォルに怪我を……。死んじゃっ……た……らどうしっ。嫌だ。ウォル……ウォル」


 しゃくり上げながら泣く彼女の側にひざまずき、背中をでた。


「リリアン様。大丈夫です。ヒコの毒はすぐに対処すればこうしょうも残りません。処置を間違えなければ二、三日でウォルアン様はお元気になりますよ。髪飾りも、見つかって良かったですね。貴方に怪我が無くて、みんな安心しています」


 安心させるように笑顔で言いながら彼女の顔を覗き込んだ。

 目の前でウォルアン様が血を流すのをたりするのはどんなに恐ろしかった事だろうか。


「今だけいっぱい泣いたら、後は笑顔でいて下さい。貴方が笑顔でいることがきっとウォルアン様の何よりの願いですよ」


 そう言って彼女の涙を親指で優しくぬぐう。

 まだ十歳の小さな少年が体を張って助けた妹だ。

 二人ともどんなにこわかった事だろうかと考えただけで胸がけられる。


「どんな敵が来ても私が貴方を……貴方とウォルアン様を守りますから」


 そう言って強くきしめると、リリアン様は私の体を抱きしめ返した。


「お……お姉様……っ!」


 ……ん?


「……あぁ、また女の子たらしこんで……」


 そうため息と共にリタが溢した一言を聞き逃せず、私にガッチリしがみつくリリアン様を落ち着かせようと声をかける。


「リリ……」

「アンノ、リタ。今回の件は本当にありがとう。それで、……厚かましいのは承知でたのみたいのだが、ティツィアーノ嬢が見つかるまででいいので、リリアンの護衛けん侍女として働いてくれないか? もちろん手当は出す。最近リリアンの身辺に不安を覚えていたから護衛をつけなければと思っていたんだが、リリアンが無骨な騎士の護衛は嫌だというので、君たちが側にいてくれたら心強い。かくが先ほどのメイドだけとは限らないしな……」


 そう心配そうにリリアン様を見つめながら言う彼に誰が『ノー』と言えるだろうか。

 しかも狙われたのはまだ十歳の少女だ。


「畏まりました。リリアン様のおんに傷ひとつつけさせません」


 そう言って頭を下げると、あやうく心臓が止まりそうなほどの微笑みを浮かべて「ありがとう」と彼が言った。


「なので、君たちにも護衛の騎士を付けよう」


 ……なぜ私たち?


「それでは、つうの護衛をつけるのと変わらないのでは? それに我々に護衛は……」

「君たちは伯爵家から預かった客人と言っても過言ではない。ティツィアーノ嬢が見つかった時、万が一にも君たちに何かあっては困るからね」


 そう言って私の手を取り、こうに羽のようなキスを落とす。そうして向けられた、後光が差すほどの……を言わさぬ笑顔に、私たちの返事は「応」しか無かった。

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