第4章 敵を知る①
――半日前。
馬鹿な王子が
それなのに、陛下とアホ王子と
何が起きたか分からなかった。
「兄上……ティツィアーノ様が、出て行かれました……」
そう入り口で説明する真っ青なウォルアンの後ろで、
彼女の着てきたであろう服はクローゼットにかけられたままで、鏡台のメイク道具も置きっぱなしだった。
「なぜ……?」
頭が機能を停止し、なぜ彼女が出ていったのか答えを
「お、お兄様……。私がいけないの。お兄様を取られると思って『
自分の発言がもたらした事実にショックを
「……それで、彼女は何て言って、出て行ったんだ……?」
「『愛する方とお幸せになって下さい。私も、愛する人の
そうウォルアンの言った言葉に思わず
「『私も愛する人の為に』? 『お互い幸せに』? つまり、彼女は他の愛する男の
自分に
頭に血が上る中、隣で
「まさか、あの野ザル、まだ俺様の事を……?」
そう言ったクズ王子の
「さっさと城に帰して、頭の中を
無礼じゃないかと
あんなクズに彼女が
それでも……自分が知ることのない二人の十年間に彼女の情はあのゴミが手に入れていたのだろうか。
いや、婚約破棄の件では、未練のかけらも感じないほどの
むしろ、クズすぎて他の男に惹かれてもおかしくない。となると、彼女の
後ろに
「今すぐ彼女を追いかけろ。私は
「……ハッ」
短く返事をしたセルシオに翼馬の用意は任せ、彼女が出て行った開けっぱなしの窓を見た。
彼女を必ず取り戻すと心に決め、屋敷に急いだのだった。
―― だが、その彼女がなぜここに!?
「どういうことだ!?なぜ彼女が我が家のメイド服を着て屋敷にいるんだ!!」
アンノとリタと名乗った二人を下がらせた後、
結婚式を取りやめると式場を去った彼女が
長かった
焦がれて、焦がれた彼女が手の届く
「どうもこうも、こちらが
「え!? あの方ティツィアーノ様なんですか? ご
ウォルアンが
「お兄様……、あの……ごめんなさい」
目を真っ赤にして、泣き
「リリアン、もういいから」
そう
自分のせいでティツィアーノが結婚を止めて、出ていったと思っているのだから。
「何はともあれ、彼女の動向を
そうアーレンドに言うと、「
「
そう言うと、「承知しました」と全員が部屋を出て行った後、ドアの外から「ティツィアーノ様も
*****
なぜ、公爵様自ら侍女
この広大な
の会話が聞こえていた私は『誤解』だなんて思っていない。
バレる前にお屋敷を出ようと思い、お
そうしてなぜかティツィアーノ
「この庭園は、ティツィアーノ嬢は気にいるかな?」
神の作りたもうた最高
「え……ええ。とても
あまりの眩しさに目がチカチカしながらも返事をした。
誰? 氷の公爵なんて言った人は……。
誰? 女性の扱いがぞんざいだなんて言った人間は。
侍女如きを親切
変な
そんな事を考えながら歩いていると、横でホッと
「……そうか。彼女は香りの強い花が苦手だと聞いていたけど、私にはあまり良く分からなくて、庭師と相談しながら選んだんだ。正直花なんて興味も無かったから、しばらく
「公爵様自ら植えるお花を選ばれたのですか?」
私ですら庭に植えている花なんてあまり気にしない。
「私が選んだよ。彼女と庭を散策するときに花を知らないと会話にならないだろう?」
すんません。私では会話についていけないと思います。
そう心で彼にツッコミながらも、私の為に庭園を整えてくれたことに疑問を覚えた。
いくら結婚を円満に見せるためとは言え、シルヴィアは何も言わなかったのだろうか。
表向きは
彼の為に
結婚式から
「他に見ておきたいところはあるかな?」
ぼんやりと考え事をしていると、公爵様に聞かれた。
「アンノも、私も騎士団の訓練場を見てみたいです」
横を歩くリタが言った。
そう。私たちは『シルヴィア』が見たいのだ。
戦場で……いや、公私共に彼を支えるという、
「あぁ。君たちは元々騎士団に所属していたティツィアーノ嬢の護衛侍女だったね。……確かに騎士団と
そう言って案内された訓練場は多くの騎士たちが訓練をしていた。
数名の女性騎士も訓練をしていたが、その中に
「今騎士団の半数が南海域の
そう言って訓練している騎士達に紹介してもらった。
果たしてシルヴィアは南海域か非番か……。チラリとリタとアイコンタクトを取ったところで目の前に
「……え?」
黒い
「手合わせをお願いしても?」
あまりの予想外の申し出に返事につまる。
「私如きが公爵様にお手合わせをして頂くのは……。
魔力を『赤ランク』ではなく、『弱い』と表現した自分がみっともなく、何を隠す必要があるのかと自問自答してしまう。
「リタも言っていたが君は
そう言われたら断ることも、サルヴィリオ家の騎士達の為に手を
黙って差し出された剣を手に取った。
「リタは、
「
あっさり了承したリタは周りの騎士達と共に私と公爵様の
「
そう言って彼は剣を抜いた。
アントニオ王子と婚約破棄したとき、
いつか彼と手合わせしたいと思った。
彼と結婚する事が決まった時、まさに今のこの
身体強化と同時に剣に魔力を通す。
そうして震える手を
*****
「っ……。ハッ……。ハッ……」
と小さく言いながら顔を真っ赤にした。
その反応があまりに可愛くて、思わず一歩近づくと、彼女はびくりと一歩下がった。
なぜ下がる!?
そう思ったところでポンとセルシオが
「閣下。アンノ
なぜか意味深長にセルシオがそう言うと、「あ、いえ。私は大丈夫です。むしろ拝見させて頂きたいです!」と彼女は先ほどの
……まさか……。彼女の目的は……セルシオ……?
「そうですか? ……あまりご無理は……」
「全く無理なんてしてません。セルシオ副団長殿の模擬戦が拝見できるなんて……!!」
そう言って今日イチの
ギョッとした顔をするセルシオが私の意図を
「公爵様、予定通り模擬戦をしても問題ないですか?」
くるりと体を反転し、不安そうに
「もちろんだ。ではリタ、『思う存分』やってくれ」
そう言って彼女に模擬剣を
模擬戦後、興奮冷めやらぬまま公爵様達と早めの夕食を取った。
公爵様と
その後、公爵様自ら案内された部屋は文句のつけようのない部屋だった。
私に割り当てられた部屋は『花嫁』が過ごしやすいよう実際部屋で過ごして整えてほしいと言われ、『ティツィアーノ』に用意された部屋に案内された。
「どうかな? ティツィアーノ嬢は気に入ってくれるかな?」
入り口のドアにもたれかかりながら本来花嫁にと用意された部屋の中央に立つ私に公爵様が
――イケメンはドアにもたれかかるだけで色気がダダ漏れるものなのね……。
そんな事を思いながらも部屋の細部まで気を配られた家具やリネン、全てが上品で、落ち着く内装にため息が漏れそうになる。
奥に見える
自分の部屋より
日当たりはいいし、大きな窓から見える公爵家の庭は先ほど案内された場所で、とても綺麗に花が
部屋の色も白とグリーンで
「……はい。お嬢様はとても気に入られると思います」
そう答えると、隣にいたリタも「
「それは良かった。彼女が他に
優しい目でこちらを見る公爵様に落ち着かない気持ちになり、慌てて目を
「スイートリリー?」
見覚えのありすぎる
あの花は北部に位置するサルヴィリオ領の一部でしか咲かない花だ。
香りの強く無いそれは、サルヴィリオ家の屋敷の中でも
「あぁ。故郷の花でもあれば少しは彼女の
「え?」
「以前、一度だけサルヴィリオ領を
「それは……本当にお喜びになるかと……」
彼の
なぜ、そんな物を用意したのか。
シルヴィアの存在を知らずにあのまま結婚式を挙げ、あの庭を、この部屋を見たならばどれだけ
それでもいつかは『彼女』の存在を知り、傷つくことは分かっている。
それならばいっそ心を
私のことなど気にしてくれなくてよかった。
優しくされればされる程、あなたの心は私のものじゃないことを思い出し傷つく。
「アンノ?」
黙った私を不思議に思ったのか、公爵様が優しく声をかける。
「あ、いえ。公爵様自らお部屋にご案内いただきありがとうございました。あとはリタと
そう言うと、公爵様は「ゆっくり荷解きをするといい」と言って部屋を出て行こうとしたところ、思い出したようにこちらを振り返った。
「ああ、それから奥の寝室に私の部屋に
「「はい!?」」
思わずリタと私の声が重なると、彼はその声に驚いた表情を見せる。
「あ、いや。ドアがあるが、内側から
「……あ、かしこまりました」
まさかの
恋人のいる公爵様の隣の部屋を用意されているとは思わなかったし、しかも続き部屋だなんて想像すらしなかった。
部屋を出て行った公爵様の足音が隣の部屋で止まり、ドアを開けて入っていく。
「お嬢様……大丈夫ですか?」
リタと部屋に二人きりになると、
「だ、大丈夫よ! 内鍵もあるんだし、大丈夫、大丈夫。大丈夫じゃない事なんて無くない?」
「いや、既に大丈夫連呼しすぎて
隣の部屋の物音がカタン、パタン。カチャカチャと、引き出しを開ける音や、物書きの音。クローゼットの
「……大変ですね。聞こえるって」
恐らくリタには聞こえないであろうソレに、固まる私を見てリタが言った。
「……今日、部屋
「嫌です。お嬢様が
その夜、ドア
空は満天の星に、まんまるの月が浮かんでいる。
「今日は満月だったのね」
そう呟きながら景色を
さすが公爵家といったところで、目の前に広がる見事な庭園の奥に小さな森が見え、更に屋敷からずいぶん離れたところに今日行った騎士団の訓練場が見えた。そのさらに奥に
すぐ横に広がる草原は馬たちを走らせるのに十分すぎるほどの広さがある。
「手合わせ……すごかったな」
公爵様との模擬戦を思い出し、思わずそう口に出した。
斬り込んでも、斬り込んでも彼は息ひとつ乱さず、汗すらかいていなかった。
こちらは不意に受ける彼の剣をいなすのに
それでも彼の綺麗な
模擬戦の事を思い出しながらぼんやり景色を眺めていると、厩舎の側で小さな
「あれは……リリアン様とウォルアン様?」
こんな
そう不思議に思っていると、彼らから少し離れたところに一人のメイドの姿を認めた。
その手には小さな銀の
それが指し示すことはただ一つ。暗殺以外の何物でもない。
公爵家の警備兵に
部屋に用意された果物の横に置かれた果物ナイフを取ると同時に、リタの部屋側の壁を一定のリズムで叩き合図を送る。
ココンコン……『
着地と同時に
「何事ですか?」
「リリアン様とウォルアン様が
「承知しました」
私もリタも身体強化をして最速で厩舎を目指す。
「きゃああぁぁぁ!! 」
もう少しで厩舎というところで耳を
厩舎の窓から見えたのはメイドと
「リタ! このまま窓から
そう指示を出すと、二人で厩舎の中に飛び込んだ。
「なっ……!!」
今にも
口元を不快に
「ぐっ……」
「お二人共、大丈夫ですか?」
そう言いながらリリアン様とウォルアン様に聞くが、血の臭いだけでなく覚えがある毒物の臭いにぞわりと足元から不安が
「ウ……ウォルが……。私を庇って……」
真っ青になったリリアン様がウォルアン様の腹部を穴が開くほど見つめている。
その視線の先の白いシャツには血が
「リタ、回復魔法をお願い。恐らくヒコの毒だから……止血だけでも」
「はい」
侍女に向き直りながら、近くにあった藁すきの
「そんな木の棒で、侍女如きが私とやろうっていうの?」
手に持った
公爵
「これで突き飛ばされた人間の言うセリフじゃないわね」
そう言って彼女に柄の先端を向けた。
リタの回復魔法はあくまで傷に対するもので、病気や毒物に対してはなんの効果も無い。
早々に中和
メイドがこちらに向かってきた瞬間、目の前が白い何かに
「っ……!?」
その白い何かが公爵様のシャツだと気づいたのは一拍遅れてからだった。
全く気配を感じなかった。
「アンノ、
「あ、ありません」
バリトンの優しい声が耳を
「下がっていろ」
「はい……」
そう言って手に持った剣を振るうと、
「やっと追いついた! って……何が……」
そう言ってセルシオさんと数名の騎士が入り口から入ってくる。
「セルシオ、このメイドを
そう彼に指示を出した公爵様を横目にウォルアン様に向き直した。
真っ青になり、浅い呼吸を繰り返すウォルアン様を不安そうにリリアン様が見つめている。
「公爵様、ウォルアン様はヒコの毒の
「ヒコの毒……?」
ヒコの毒は
「公爵! ヒコの毒なんかじゃないわよ。その女こそ治療法を
騎士達に押さえ込まれたメイドがそう叫ぶが、公爵様は冷ややかにメイドを
「ヒコの毒の治療を行え。短剣も一緒に持っていって成分も同時に調べろ」
「ハッ」
何も言わず信じてくれた彼に驚きつつも、ずっと泣いているリリアン様に「お怪我はありませんか」と声をかけると、彼女は首を横に振って、小さく「大丈夫」と呟いた。
「リリアンとウォルアンはなぜ厩舎に?」
公爵様にそう尋ねられると彼女はびくりと肩を震わせた。
決して
「か……髪飾りを……捜しに」
「髪飾り?」
「……兄様に。お誕生日にもらったものだから。今日、帰りに乗った馬車に落ちてるんじゃないかって心配になって。……なくなったらどうしようって」
公爵様がチラリとセルシオさん達に視線をやると、彼らは
「こちらですか?」
すぐに一人の騎士が、小さな
そう言って彼女に差し出すと、それを手に取り、小さく「ありがとう」と呟いた。
「見つかって良かったな」
公爵様がリリアン様の目線まで自分の目線を下げて彼女に言った。
彼はそんなものの為にとは言わない。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私の
しゃくり上げながら泣く彼女の側に
「リリアン様。大丈夫です。ヒコの毒はすぐに対処すれば
安心させるように笑顔で言いながら彼女の顔を覗き込んだ。
目の前でウォルアン様が血を流すのを
「今だけいっぱい泣いたら、後は笑顔でいて下さい。貴方が笑顔でいることがきっとウォルアン様の何よりの願いですよ」
そう言って彼女の涙を親指で優しく
まだ十歳の小さな少年が体を張って助けた妹だ。
二人ともどんなに
「どんな敵が来ても私が貴方を……貴方とウォルアン様を守りますから」
そう言って強く
「お……お姉様……っ!」
……ん?
「……あぁ、また女の子たらしこんで……」
そうため息と共にリタが溢した一言を聞き逃せず、私にガッチリしがみつくリリアン様を落ち着かせようと声をかける。
「リリ……」
「アンノ、リタ。今回の件は本当にありがとう。それで、……厚かましいのは承知で
そう心配そうにリリアン様を見つめながら言う彼に誰が『ノー』と言えるだろうか。
しかも狙われたのはまだ十歳の少女だ。
「畏まりました。リリアン様の
そう言って頭を下げると、
「なので、君たちにも護衛の騎士を付けよう」
……なぜ私たち?
「それでは、
「君たちは伯爵家から預かった客人と言っても過言ではない。ティツィアーノ嬢が見つかった時、万が一にも君たちに何かあっては困るからね」
そう言って私の手を取り、
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