第2章 裏切りを知る



「おじょうさま。晴れの日に相応ふさわしい天気でよかったですね」


 新婦のひかしつで、私のえやメイクをしてくれているリタがとてもうれしそうに言った。


こうしゃく様の贈ってくださったドレスもアクセサリーも本当にてきで、ちがいなくお嬢様のためだけに作られたものですね」


 ドレスのしゅうがらに合わせたティアラに、イヤリングにネックレス。

 用意された香りの弱いトルコ桔梗ききょうのブーケは全て公爵様が用意して下さったと聞き、細やかな気配りに彼のやさしさを感じ、心が日向ひなたにいるようなやわらかい温かさに包まれる。


「本当に愛されていますね。慣れないかんきょうは大変だから、公爵家にとつぐのにサルヴィリオ家のじょいっしょに連れて来ていいとまでおっしゃって下さるなんて。護衛けん侍女で同行するむねは伝えてありますから、……これからもお嬢様のおそばにいられて嬉しいです」

「私も嬉しいわ。不安に思うことがない訳ではないけれど、リタがいてくれたら本当に心強いもの」


 そう言うとリタが目になみだめながらそっとヴェールをかぶせてくれた。


「……お嬢様なら幸せになれますよ。これまで……たくさん、たくさん努力されたから、アントニオ王子とのこんやくはきっと神様からのプレゼントですよ」


 いっぱく置いて、思わず笑ってしまう。


「最高のプレゼントだわ」


 そう言いながら声に出して笑ったけれど、目に涙がにじんでいたのはきっとヴェールで見えなかっただろう。


「そう言えば、こくりゅうけんはご実家に置いてきて良かったんですか? サリエ様がお嬢様にと用意された剣なのに……」


 あんなに立派な剣なのだ。後をぐオスカーが使うべきだ。


いのよ。サルヴィリオを出て行く私が持って行くより、オスカーが団長に就任した時に使うべきだわ」


 そう言うと、リタは小さく「そうですか」と言った直後、「で、耳を押さえて何をしてるんですか?」とたずねてきた。


「……二つとなりの控え室に、公爵様がもどたみたいで……」

「あぁ……。耳が良すぎるのも大変ですね。良いじゃないですか、控え室の会話くらい聞いちゃえば」

「やめてよ。ぬすきじゃない」

「しようがないじゃないですか。聞こえてしまうんですから」

「しかもアントニオ王子もいるのよ」

「うっわ……。天国かごくか分かりませんね」


 リタはそう心底不快そうな表情を前面に出して言った。

 その時、ドアの前で足音が止まったかと思うと、ノック音がして、意識がそちらに向かった。


「はい」

「リリアン=レグルスと、ウォルアン=レグルスです。ごあいさつさせて頂いてもよろしいですか?」


 リリアン様とウォルアン様といえば公爵様の十歳のふたていまいだ。

 あわてて立ち上がり、「どうぞ」と言って入室をうながした。


「初めまして、リリアン=レグルス様、ウォルアン=レグルス様。ティツィアーノ=サルヴィリオと申します。ヴェールをかけたままでのご挨拶をお許しください」


 セットされた長いヴェールを下げたまま挨拶をした。


「僕らの方こそ、おいそがしい時間にうかがって申し訳ありません。僕がウォルアンで、こちらが妹のリリアンです。式が終わったらすぐにハネムーンに向かわれると聞いて、早めのご挨拶をと思って来てしまいました」


 ヴェールしに聞こえる少年の声はおだやかで、優しい。

 うすの向こうに見える二人は顔立ちはよく似ているが、表情は対照的だ。

 ウォルアン様は穏やかにほほんでいるけれど、リリアン様は口を真一文字に結んでいる。

 そのリリアン様が花のつぼみのようなれいくちびる動かした。


「……貴方あなた、まさか自分がお兄様の一番だなんてかんちがいしていないわよね?」

「……え?」


 思いがけない言葉に自分の体が固まった。

 じわりと足先から登ってくる不快な何かが全身にわたるのに時間はからなかった。


「リリアン!? 何を言うんだ!?」


 おどろいたようにウォルアン様が彼女をたしなめるが、リリアン様は気にする様子もない。


「お兄様には貴方なんかよりもっと、ずっと大事にしている人がいるっていうことよ。勘違いしないように先に教えてあげるべきだと思って」


 思わぬ発言にこんわくすると同時に、ろうから「レグルス公爵様、国王陛下がいらっしゃいました」という言葉が聞こえ、二つ隣にあるしんろうの控え室の会話が私の耳をせんりょうする。


「レオン、とうとうねんの納め時だな。お前はずっとシルヴィア一筋だと思っていたよ」


 何度も耳にした、……聞き間違えることのない国王陛下の声。


「陛下、彼女と私の関係はけっこんしても変わりません。彼女もティツィアーノじょう上手うまくやってくれますよ」

「しかしシルヴィアのわく的な体つきはいつ見てもため息がこぼれるな……。あのような女王の風格を持った存在も中々いない。つややかなくろかみなびかせて、そこにいるだけで余ですらあっとうされ、心うばわれる。余にもシルヴィアのような存在がいれば……とたびたび思うよ」

「彼女は僕のですから。ゆずりませんよ」

「分かっておる。お前達の間に割って入れる者などおらんよ。先のもの退治でもかつやくしていたそうじゃないか」

「ええ。その戦いでシルヴィアはつかれが出たようで、今はりょうよう中です。彼女が私の支えです」


 ざわりざわりと、足元から不快なものがげてくる。


うらやましい限りよのう。アントニオもそう思わんか」

「そうですね。それより僕は公爵がティツィアーノを落としてくれたおかげで、一安心しているところですよ。公爵、僕が渡してやった彼女の情報は役に立っただろう? 彼女の好みからしゅまで、僕と彼女の長い婚約時代で集められた情報だからね。従兄弟いとこである君が国境を守るへんきょうはくこんいんを結べば王家も国もあんたいだよ」


 二週間前に私に婚約破棄をたたきつけてきたクズ王子がはずむようなドヤ声で何か言っている。

 元婚約者が口にしたのする内容に、くすしかなかった。


「……そうですね。全てアントニオ王子、貴方のおかげです。彼女と結婚することで、国も安泰につながると思っていますよ」


 低い、バリトンの……甘い声が、私の心を叩きつぶした。

 これほどまでに自分の能力をこうかいしたことはない。なぜこのタイミングで感覚強化をしてしまったのか。

 ……最初からおかしいと思っていたのだ。

 彼のような地位も、めいも、容姿も、としての実力もそなえた人が、会ったこともない私にきゅうこんしてくるなんて……。

 彼を知ってからこの十年、意識をしなくても、彼のうわさばなしは耳に入ってきた。

 最強の竜種を退治したとか、軍の改革、五十年前に奪われた南部のだっかん、他国の皇女と結婚話が持ち上がっているとか……。

 そんな話を耳にしながら、いつかアントニオ王子の横に立つ時、彼に立派な王太子と認めてもらえるよう、ほこってもらえるように……国を、彼らを守れる人間になると決めた。

 結局はアントニオ王子との婚約はたんしたけれど……。

 婚約破棄をきつけられた時、こんなのと結婚せずに済んで良かったという思いと、母をらくたんさせたという後悔、そして彼の目に留まることなくな十年を過ごしたという思いだった。

 だからこそ、公爵に求婚された時、私なんかで良いのかという複雑な思いと、嬉しいという気持ちでい上がった。

 けれど、……彼はこいびとがいながらも国の為に私に結婚を申し込んだのだ。

 貴族で政略結婚は当たり前だ。それなら初めからそう言ってくれれば良いのに。


『政略結婚などではなく、お嬢様の意思決定に委ねたい――』


 そんな言葉はいらない。

 甘い言葉も、手紙も、おくものも、初めからいらない。

 初めから期待なんかしないのに。

 鏡に映る自分を見てかわいた笑いが溢れた。

 しょせんざるかざったところでと笑いものになる前で良かった。

 何を調子に乗っていたんだろうか。

 彼のプレゼントも、手紙も、気配りも所詮国の為でしかなかったのだ。

 母にも認めてもらえず、婚約者から女らしさもない野ザルと言われ、新しい婚約者にはすでに心をめる人がいる。

 私の人生は何なのか、新しい生活もこんな気持ちで過ごしていかなければいけないのか。

 まだ、アントニオ王子との結婚には自分にできる目標があった。はくしゃく家では騎士団長としてやるべきことがあった。でも、このまま結婚したら?

 戦場でも、私生活でも彼を支える『シルヴィア』がいるのに、私の居場所はどこにも無い。

 夫にすらかえりみてもらえない妻として、ただ子どもを産んで生きていくの? そもそも子どもを産める関係になれるのかすら疑問だ。

 彼の気持ちが私にないならいっそ……―――― 。


「――……アーノ嬢? ティツィアーノ嬢?」


 ウォルアン様の声でハッと我に返る。


「あの、妹が大変失礼なことを言い、申し訳ありません」


 慌てたように頭を下げるウォルアン様だが、きっとシルヴィアという兄の恋人の事は知っているのだろう。

 リリアン様はうでを組み、「本当のことを言って何が悪いの」とほおふくらましている。

 彼女はシルヴィアという人をしたっているのかもしれない。美しく、女王然とした女性に比べ、婚約者にすら魅力が無いと言われた私では不満があるのも当然だろう。リリアン様には感謝すべきだ。今後の自分の身のり方が決まった。

 そうして、リリアン様の前にかたひざを突き、騎士の礼をると、彼女は一歩後ずさった。


「な、……何よ!?」

「リリアン様。ご助言ありがとうございます。おっしゃる通り、私には過ぎた方です。どうぞ、レオン=レグルス公爵閣下に『愛する方とお幸せになって下さい。私も、……愛する人の為に人生を歩みます』とお伝えください」

「え!?」


 ―― あ、『愛する人』の前に『いつか』をつけ忘れたけど、まぁ結果は同じだしどうでもいいか……。

 そう思いながら、驚くリリアン様の手を取り、「貴方の勇気あるご助言に感謝いたします」そう言ってこうにキスをした。


「お嬢様!?」

「結婚は取りやめよ、リタ。出るわよ」


 そう言って窓を全開にする。


「はい!? 何をおっしゃっているんですか!?」

「ティツィアーノ嬢!?」


 ウォルアン様がきょうがくの声を上げる。


「ウォルアン様、公爵様に、『おたがい幸せになりましょう』とお伝えください」


 そう言って慌ててついてきたリタと二階の窓から飛び降りた。


「お嬢様!! どういう事ですか!?」


 リタがきゅうしゃに繫いであった自身のよくに飛び乗りながら悲鳴のような声で言った。


「公爵様には他に昔から愛する『シルヴィア』という方がいらっしゃるのよ。それを、バカ王子が婚約破棄したからいやいや彼におはちが回って来たけれど、公爵様は今後も彼女との関係を続けるつもりだそうよ」


 先ほど聞こえた内容を説明しながら、私もリタの隣に繫いであった翼馬に飛び乗ると同時に、視界をさえぎるヴェールを外した。

 私より顔色を悪くしてリタが信じられないとつぶやく。


「だから言ったじゃない。うわさの彼と手紙の内容があまりに掛けはなれているって。……きっとだれかに書かせていたのよ。アントニオ王子が大々的に婚約破棄を言い渡した手前、次の婚約は円満であると見せる必要があったんでしょうね。私の意志で婚約したという必要がね……。私は結婚式からした手前もう家に戻るつもりはないけれど、リタはサルヴィリオ領に帰るといいわ。テトも待ってるしね」


「……私はお嬢様のそばにいますよ。ずっと」


 と優しいひとみで言った。


「で、これからどうするんですか?」

「とりあえず、レグルスていにメイドとして行くわ」

「……は?」

「レグルス邸で働くのよ」

「……は? あれ、げんちょうかな?」

「『シルヴィア』を見に行くわ」

「……何の為に?」

「国王陛下にすら『わく的な体』『心奪われる』とまで言わしめた女性よ。しかも公爵様を戦場で支えるほどのうでまえだとか。……このまま引き下がったりしないわ」

「そんなことする必要あります?」

「あるわ。元婚約者に『野ザル』と言われ、求婚された相手には魅惑的な恋人。……綺麗になって、過去の男達に後悔させてやるのよ!」

「え、伯爵家出たら見せつける事もできないんじゃ……」


 ちょうぜつ死んだ目で呟きこちらを見るリタにイラッとする。


「敵を知らなければ勝負にならないわ。情報を集めるの。今回は勝ち目がないと逃げたけど、戦う準備をするのよ!!」

いくさじゃないですよ……。ここで兵法書の内容なんて持ち出さないで下さいよ」

「いいえ、これは戦いよ。私をコケにした男たちにひとあわかせて、素敵な男性と幸せになるのを見せつけてやるのよ!! 私を野猿あつかいしたことを後悔させてやるんだから!」

「えー……」


 あきれをとおした目をしつつも、リタは言う。


「それに、レグルス公爵領には『必ずなりたい自分になれる』という美容の専門店があるのよ。確か『レアリゼ』というお店だったかしら。最近王都の女性たちもそこに行って美しくなって帰ってくるそうよ」

「えぇ? 新手のじゃないですか? そもそもお嬢様が美容や流行について知っていること自体が……」


 彼の求婚が始まってから色々レグルス公爵領について調べていた時、ぐうぜん知ったのだ。

 最近女性がレグルス領で美しくなって帰ってくると。

 貴族のれいじょうの間でも話題だそうで、そこに行った令嬢は帰ってくるなりそく結婚相手が見つかるともっぱらの噂だそうだ。


「いいじゃない。行ってみる価値はあるわよ。交易もさかんだからリタの言う通り美味おいしいものもいっぱいあるわよ!」

「なんか方向性間違ってません?」

 そう言ったリタの言葉に聞こえないフリをして、「何か言った?」と聞き返した。


「……あぁ、もう好きにしてください。で、どうするんですか?」

「とりあえず公爵様は結婚式が終わったら、ハネムーンの前に一度南部の魔物対策の急ぎの用を済ませるはずだったでしょう? 南部に行けば往復だけでも一週間は帰ってこないわ。その間だけ、私が結婚した際一緒に連れていくはずだったメイドとしてもぐり込むの。どうせ公爵様が帰ったら出て行かないといけないんだから、シルヴィアについて調べたらさっさと引きげて、そのお店に行くのよ」

「うまくいきますかね……。お嬢様はしつの方とお会いしていますよね?」

「うまくいかすのよ」


 そう言って後ろに束ねていたかみをバッサリと持っていたたんけんで切った。


「お嬢様!?」

「人はね、ちがう環境で、違うふんで会えば中々分からないものよ。服装もかみがたも変えてしまえば一度見た程度の人間なんてそうそうわかるもんじゃ無いわ。あなたはリタのままで、私は……ティー……いいえ、アンノと名乗るわ」


 団長として大人っぽく見せようと出していた額も、長い髪も、ショートカットにして、まえがみを作ればずいぶん幼く見えることだろう。


「分かりました」


 リタは顔をゆがめてため息と共にしぶしぶりょうしょうした。


「それからリタ、公爵邸から事前にもらっていたメイド服があるわよね。予備ももらってるんでしょう? 私にもそれを貸して」


 そう言ってリタの翼馬にくくりつけられていた荷物を指差すと、「……はい」と、あきらめたような遠い目をして言った。


 ――「ここの結界はすごいわね……」


 レグルス公爵家のメイド服にえ、しきに向かうと、近づくだけでもわかる結界の強力さに思わずリタに言った。


「そうですね。一度入ったらこっそりけ出すということは難しそうですね。……行きますか?」

「もちろんよ。いまさら帰らないわ」


 そう言って、公爵家の正門の前に立った。

 門番にサルヴィリオ家から来たと伝えると、すんなりと応接室に通され、執事のアーレンドさんが対応した。

 目があったしゅんかん彼の視線にどことなく不安を感じたが、彼はにこりと微笑む。


「ようこそ、お越し下さいました。我が主人からティツィアーノ様が連れて来られる侍女の方々をていちょうにおもてなしするよう指示を頂いております。今からお屋敷のご案内を致します」


 そう言って、調理場から、客間、せんたく室まで案内をしてくれた。

 その時、メイドの一人が足早にやって来て、「だん様のお戻りです」とアーレンドさんに伝えた。

 ――早すぎる! そう思いながらも私もリタも顔に出すようなおろかなはしない。

 ―― だいじょう。彼は私を見たことはないし、手紙も誰かが代理で書いていたものだ。

 髪も切った。令嬢の格好もしていないし、騎士服も着ていない。手はれ、日に焼けたはだからは貴族らしさは感じない。

 ―― 令嬢らしさのかけらなんて無い。


「では、お二人も旦那様のおむかえに参りましょう」


 そういざなわれ、アーレンドさんの後ろについて行った。

 大きなげんかんホールの正面で、アーレンドさんの後ろに付き待機していると、じゅうこうな玄関からリリアン様とウォルアン様の前を進み、入ってきた人はまぎれもなくレオン=レグルス公爵だろう。

 艶やかな黒い髪に、ダークブルーの瞳。

 そこに立っているだけでざわりとした色気と、相手をひざまずかせる高位貴族の雰囲気がただよっている。

 整った顔立ちに女性がさわぐのも分かる。

 彼こそが間違いなく公爵様だ。

 ダークブルーの瞳はほのぐらいかりをまとっているようで、周りにいる人間が真っ青な顔をして一定のきょを置いている。

 はなよめに逃げられたことが彼のプライドを傷つけたのだろうか。

 私にしばられることなく、愛する『シルヴィア』との時間ができたのを喜んでも良いものなのに。

 本来ならもう結婚式を終え、二人で南部に向かっている予定だった。

 今日の朝まで自分の新しい生活に胸をおどらせていたと言うのに、……半日でこうも世界が暗く感じるものだろうか。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 アーレンドさんの挨拶と同時に私もリタも彼のそれにならって頭を下げた。

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