第1章 婚約破棄と新しい婚約者②
*****
――帰宅した際、母は国境警備でおらず、父のいる
婚約破棄を伝えないといけないが、気が重くなる。
「父上、ただいま帰りました。……報告したいことがありまして……」
「あぁ、ティツィおかえり。君の婚約が決まったよ」
……ん?
「あ、……えーと。父上、決まったのは婚約破棄で……」
「うん、だから次の婚約者が決まったんだよ」
父が、ニコニコ顔で言いながら、二通の手紙を机の上に並べる。
「レグルス
レグルス公爵家は、現王の妹が
「王家からは君
国の守りの要とは言え、業務的に関わる事の無かったレグルス家がなぜ……?
エリデンブルク王国は王都を中心に各領地があり、サルヴィリオ家は王都から
レグルス公爵は王都の真横に領地を構えているが、現当主が王国騎士団の団長を兼任しているため、各領地で対応出来ない問題が起これば出向いている。
当然最強の母がいるサルヴィリオ領に彼が出向くような案件は無かった。
「……この婚約は決定
「……
父も昔母と戦場を共にしていたそうだが、
「……母上は、何と……?」
「サリエは、この結婚なら満足いくと言っていたよ」
母が
「……分かりました。自室に戻りましたら、頂いたお手紙を拝見させていただきます。それから、モンテーノ領の国境警備ですが……」
「あぁ。それならもう引き
「そうですか、……この
「良いよ。……王子からの指示とはいえ、ティツィもいい経験になっただろう?」
意味深長に言う父は先日渡したモンテーノの現状報告書のことを指しているんだろう。
「そちらは、処理して帰るようモンテーノにいる兵士たちに話しているから、心配ないよ」
そう言って父は二通の手紙を私に渡した。
「それより、手紙を読んできてごらん」
「はい」
複雑な気持ちで、王家とレグルス家の印が押された手紙を持って自室に戻った。
「開けないんですか? お
テトの双子の妹で私の侍女のリタが言った。
私の机の上には二通の手紙が
「開けるわよ。開けるけど……」
「そうだよお嬢ー。さっさと開けちゃいましょうよー」
ワクワクしているテトを無視して二通の手紙を見つめる。
とりあえず精神的ダメージの弱そうな王家の印の押された手紙をペーパーナイフで開けると、差出人はアントニオ王子からだった。
『
ブッと思わず
「え、どうしたんですか?」
テトは私の横に立ち、手紙を
「えーと、何々……。『愛しのティツィアーノ。先日の誕生日パーティーでの婚約破棄についてはちょっとしたサプライズだったんだ。君のその美しい茶色の髪も瞳も僕としてはとても好感を持っている。剣を振り回す姿も、騎士のようでかっこいいと思う。サルヴィリオ騎士団の横暴についてもモンテーノ男爵の勘違いだったそうだ。まったく、そそっかしいのも
テトが読み上げた内容に
「どうしてあんなにポンコツなのかしら……。人を野猿扱いしておいて……。第二王子が優秀なのが救いね……。そもそもなぜあんなのを誰も教育しないの……!?」
私!? 私が
「ツッコミどころ
ゲラゲラと笑い転げるテトを怒りたいがまったくその通りすぎてぐうの音も出ない。
紙とペンを取り、ささっと返事を書く。
「リタ、これをアントニオ殿下宛てに送っておいて」
そう言って手紙を渡すと、リタが内容を見て固まった。
「……お嬢様。最高です」
そうして親指をグッと力強く立てた。
その横ではまたしても私の返事を勝手に見たテトが「お嬢、
「さて……」
そう言ってもう一通の手紙に視線を落とす。
この手紙に押してある
それこそ毎日と言って良いほどだ。見間違うはずのない
一人でゆっくり読ませてほしいと二人を部屋から出すと、一度深呼吸をして、震える手でペーパーナイフをとり、封を切った。
こんなに手紙を
中から手紙を取り出すと、そこには綺麗な、それでいて力強い文字が並んでいた。
差出人はレオン=レグルス公爵。
『
先日、アントニオ殿下との婚約を破棄されたと
まだ婚約破棄から日も
以前、お嬢様のご勇姿を拝見する幸運に
しかし、アントニオ殿下と婚約されていることは存じ上げており、この気持ちを伝えることは不可能と思っておりましたが、婚約を破棄されたと伺い、急いでこのような手紙を差し上げたところです。―― 』
三枚に
アントニオ殿下からはもらったことのない……というか、誰にももらったことのない手紙の内容に思わず赤面してしまう。
そして最後に、『この度の
心落ち着くまでゆっくり考えて返事をしてほしいと書いてあった。
思わず頭を机にゴンとぶつけて、痛みで現実に戻ろうとするが、
そっ……と勝手に開けられたドアの
「お嬢ー!!
「初恋じゃない!!」
思わず近くにあった万年筆を投げつけると、腹の立つことにひょいとキャッチされた。
入室許可なんて出していないのに、
「え? レオン=レグルス公爵と言えば王国騎士団とレグルス騎士団の、団長を兼任するあの人ですよね? 初恋の人じゃなかったですか? だって、『太陽のタッセル』を……」
「初恋じゃなくて……、憧れの騎士よ……」
十年前、王宮にアントニオ王子との顔合わせに行った際、たまたま騎士団の訓練場の横を通った時に彼の剣を振るう姿に心ひかれた。
当時、彼は団長ではなかったけれど、一目見た
『自分もあんなふうになりたい』そう感じた瞬間だった。
でも、その時彼の顔をはっきりと覚えていなくて、ただただ
その後訓練中の事故が相次ぎ、剣を使っての訓練は
それからは私の特有の能力を使って、王宮に行く度、遠目に訓練場が視界に入る
兜を
剣が風を切る音が他と違う。その音は耳から離れなかった。
昔から、騎士達の間ではマントを留める為のタッセルの
エリデンブルクで昔から伝わる神話に登場する神の一柱、『太陽神タッセル』。幸運と
タッセルに刺繍された家紋は共に戦い、そうなるべく道標を照らす太陽のような存在という意味が
当時の私も大の苦手な刺繍を頑張って作ったものがある。もちろんレグルス家の家紋を刺繍して。
ただ、それをつけるのは
それから、七年の月日が経ち、国王陛下に私の騎士団長就任の報告に行った日。アントニオ王子に
「我が婚約者が団長に就任した報告に来るそうなんだ。つまらん
ノックしようと上げていた手を思わず下ろした。
自慢話じゃなく、どの領地も自領の騎士団長に就任したら挨拶に来るのが慣例ですけど。
模擬戦も、負けたら
そう内心暴言を
「実力で王国騎士団の団長になった君とは大違いだよ。レグルス公爵」
数人の笑い声が聞こえた中、その名前に足が止まる。まるで足が氷で固められたようだ。
誰に笑われても構わない。
特に、程度の低い婚約者に言われたところで傷つきもしない。それでも、その名前を聞いた
泣きたくなった。
確かにサルヴィリオ家は長子が団長を務める。母に
足りない魔力も、
「殿下。魔力も力もないのなら貴方の婚約者様は相当な努力をされたのでしょう。国境の警備を
その言葉に部屋から聞こえた笑い声が
その言葉に固まっていた体の
「公爵、何を言っているんだ。あの女は野猿だぞ? 才能のかけらもないくせに剣を振るのが好きなだけだ。才能が無いなら女らしく少しでも飾り立てればいいものを。そうだ、公爵。今ここにいる彼らは王国騎士団に入りたいそうなんだが君の
ないかな?
「あの誇り高いサリエ=サルヴィリオ
母は私に団長を譲ると言った時もいつもと同じ、
その後、隊で行われた団長就任式には
仕事と分かっていても、あの時の
母の真意がどうかは分からないけれど、母を知り、私を知らない人が私の努力を認めてくれた。
それが尊敬している人なら心が震えてもしようがないだろう。
胸にある太陽のタッセルを握りしめた。
震える手で、強く、強く握りしめた。
「では、私は書類を届けに来ただけですのでこれで失礼します」
公爵様がそう言うと、足音がドアの方に近づいてきたので思わずその場を離れた。
あの時、
「―― ……で、婚約は決定事項ですか」
テトの言葉にハッと現実に戻された。
「そうね、手紙には私の意思決定に任せたいと書いてあったけど……そもそもこれ……本当にレグルス公爵様が書かれたのかしら……」
「「はい?」」
テトとリタが声を
「テトは公爵様の
「
「夢見る少女じゃない!!」
思わず近くにあったペーパーナイフを投げつけるとひょいと
「でもお嬢様、ヘボ王子より良いと思いますよ」
容赦ないリタが言った。
「いや、そうじゃなくて、この手紙の内容が『氷の公爵』様が書いたとは思えない内容なのよ……」
私が知っているのは彼の剣の
人物像は
書いてある内容に、噂で聞く彼らしさを感じないのも不自然だ。
「……何にしても、お母様が賛成なら断れないわ」
「えー、嫌なら嫌って言えば良いじゃないですか。
「……どうかしら……」
その時ノック音がし、
「レグルス公爵からの手紙は読んだか?」
サロンで、サルヴィリオ第二騎士団の副団長と、その副官が彼女の
母は胸下まで伸びた長い髪を下ろし、自分の執務机の書類を片付けながら言った。
私の後ろにはテトが控えており、母と会う時は必ず父や騎士など誰かがいて、二人きりで会うことなど無く親子らしさは感じられない。
「はい、
「返事は早めに出すように。結婚式も早々
「はい」
やはり決定事項なのだ。
「……あの……。母上」
間違いなく知っているだろうけれど、自分の口から言わなくてはと勇気を振り
「なんだ?」
「この度の、アントニオ殿下との婚約破棄ですが、申し訳ありませんでした」
そう言うと、母は眉間に皺を刻み、この上なく
「初めから期待していない」
その言葉に体が
母の
初めから期待されていないなら、この十年はなんだったのだろうか……。
「話は以上か? オスカーの訓練に行ってくる」
そう言って立ち上がった母の身長は私の頭二つ分ぐらい高く、切れ長の目元は不機嫌さも相まって威圧感が大きい。
本来は母がサルヴィリオの第一騎士団団長であったが、その職務を私に譲り、母は第二騎士団の団長へと降りた。
いつか
申し出た時期に第二騎士団の担当区域で魔物の中でも最強と言われる竜種が数頭出没したことが大きな理由だ。母が出向くのがベストということもあり、タイミングが良かったというのが本当のところだろう。
私が第一騎士団の団長とは言っても、このサルヴィリオ騎士団最強と
あり、その次席は第一騎士団の副団長であるルキシオンだ。
母が、普通騎士団一個隊で仕留めるのがやっとと言われる黒竜を、一人で
……私は母に
母に抱きしめてもらった
そんな思いを抱えながら、部屋を出て行く母に「行ってらっしゃいませ」と言うしかなかった。
「……お嬢。念のため言っときますけど、サリエ様が期待していないって言ったのはアントニオ殿下にだと思いますよ?」
母の出ていったドアを見つめる私にテトがフォローしてくれるが、何も答えられなかった。
母はいつも私と会う時眉間に皺を寄せ、何かを
父は「サリエはいつもティツィをとても大事に思っているよ」と言ってくれるが、抱きしめられた記憶すらない私は父なりの気遣いと分かっている。
勉強しても、訓練しても、
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