再逢

「アザミ、先生っ……」

 シオンの頭にあった、ありえないはずの着想が、現実になった。

 今ではあの日の出来事を、何一つ欠けることなく思い出すことが出来る。忘れていた、かの青年の顔すらも。

 なぜならここに、

 十年前にシオンを救った美しい青年。その彼は今、シオンの目の前にいる。

 あの既視感の正体が、ようやくわかった。

「なぜ、君がここにいる……」

 アザミは、信じられないものを見るような顔をしていた。

「先生……あたしのこと、覚えていますか」

 思い切って、シオンはそう尋ねた。忘れられていないことを祈りながら。

「ああ……覚えている。だが、なぜここに……?」

「この子を、助けに来たんです」

 シオンはまだ震えている少女の背中にそっと手を添える。「十年前のあたしと、同じ目に遭ってほしくなかったから……」

「そうか……。高い志を持っているんだな」

 アザミは、呟くよう小さくに言った。

「え?」

「いや──とりあえず、その子を連れてここを出ろ。俺は、警察にこいつを届ける」

 アザミは後ろ手を縛られ、昏倒して床に転がる男を見やる。

 ──連続少女誘拐事件の犯人にして、素性のしれぬ謎多き男。

 こけた頬にくぼんだ目。骨と皮しかないのではと疑うほど痩せた体軀。

 この男は、一体何の目的があって少女を攫っているのだろうか。

「じゃあ、出ようか。立てる?」

「うん……」

 シオンは少女の手を取り、建物の外へ出た。

 サイレンの音が聞こえる。アザミが呼んでいたのだろう。

「名前、聞いても良い?」

「──しおん」

「え?」

「わたしのなまえは、しおん」

 驚いた。まさか自分と同じ名前とは。同じ人間による誘拐の被害者であることも共通している。何かの因果だろうか。

「おねえちゃんは?」

「あっ。あたしもシオンていうの」

「わたしとおなじなまえだ」

 しおんは少し嬉しそうにした。

「うん! よろしくね」

 シオンはにっこりと笑った。

 緊張が少しほぐれてきたようだ。良かった。

「なんできてくれたの?」

「なんでかな……。よくわからないけど、とにかく助けなきゃって思ったの。まあ、実際にしおんちゃんを助けたのはあの人だけど」

「シオンは、あのおとこのひとしってるの?」

「知ってる、というか、昔、助けてもらったの。しおんちゃんと全く同じように、あたしも、あのガイコツみたいな男に攫われかけて──すごく……怖かった」

 あの男の顔を思い出すだけで、足が竦む。

 だが、もうじき彼はアザミによって警察に預けられ、この事件は落着するはずだ。

 しおんと路地を出ると、ちょうどパトカーがこちらへ向かってくるのが見えた。住宅街の中を、サイレンを鳴らしながら徐行している。

「しおんちゃんは、警察の人がお家まで送り届けてくれるから、もう大丈夫だよ。あとでいろいろ質問されると思うけど、正直にそのまま答えればいいからね」

「うん……ありがとう――ねえ、シオン」

「なあに?」

「また……あえるかな」

「え?」

「わたし、またシオンとあのおにいさんにあいたい。あえるよね……?」

 ――会える。きっと会える。なぜなら、シオンがそうだったからだ。

「しおんちゃんが、いつまでもあの人のことを、そしてあたしのことを忘れないでいてくれたら、きっとまた会えるよ」

「うん……! ぜったいにわすれない!」

 しおんは、今までシオンが見た中で一番嬉しそうな顔を見せた。

 その後は巡査がやってきてしおんを車の中に保護し、アザミが拘束した男の身柄を引き渡したところで収拾がついた。

 後日、犯人逮捕の協力者であり事件の関係者でもあるシオンらの事情聴取が行われるそうなので、その日程を打ち合わせると二人は帰宅を許可された。




 夕日が傾き、世界が緋色に染まる時間帯。

 シオンとアザミは、しおんの誘拐現場である公園のブランコに座っていた。――年甲斐もなく。

「――先生は、一体何者なんですか。聞きたいことがたくさんあります。なぜあの場にいて、なぜ十年前にはあたしを助けてくれて、この十年間は何をしていたのか。突然あたしの学校にやってきたのはどうしてなんですか」

「ハッハッハ。まあそうなるだろうな。だが、俺もお前に聞きたいことがある」

 笑っていたアザミの目がスッと細められ、刃の如く鋭くなった。「──なぜひとりで来た」

「え……」

「なぜ警察も呼ばず、お前の身体ひとつであの廃ビルまで来た? もしも俺があの場にいなかったら、お前はどうするつもりだったんだ? 死んでいたかもしれないんだぞ」

「だ、だって……それはっ……」

 ──警察を呼べば変に犯人を刺激してあの子の命が余計危なくなると思ったからで、ひとりで来たのは巻き添えを避けるためだ。

 だがそれが言葉にならない。彼から発せられる静かながら強い非難に戸惑い、そして確かにその通りだと納得している自分がいるせいだ。

「……俺が十年前に救ったその命を、無下にするな。もっと自分を大切にしろ──シオン」

「すみません……」

 ぐうの音も出ない。全くもって彼の言う通りである。この命は、シオンひとりだけのものではない。

 ──自分を大切に、か……

 そういえば、あの日以来何となく死を身近に感じていたのかもしれない。死ぬことが、あまり怖くなかったのかもしれない。死はいつもシオンの傍を付きまとい、時に現れては隠れる雲のような存在だったのだ。

「だが、自分を犠牲にしてまであの少女を救おうとしたその正義感は認めるし、お前の気持ちはよくわかる。大方、警察を呼べば犯人を刺激することになり、人を連れてくれば犠牲が出るかもしれない。それを恐れたんだろう?」

「は、はい……そうです」

 心中を当てられシオンは少し驚いた。

「俺が何者か、と訊いたな。では十年前の約束を果たすとしよう。俺は──探偵だ」

 


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