殴り合いが決着するようです
とは大仰に言うものの、その実態はなんのこっちゃない。
単に、
ただし、その拳は
世界で最も美しい少女の外見――その内側でひたすら野放図に成長、発達し続けた肉体。
もはや人間としての枷を外れた強靱さへ到達したその身を、拳を、打ち込むのである。ぶつけるのである。
それも、これまた人の限界を突破した馬鹿力でもって。
さらに、その攻撃の真価とはそれだけではない。
枷が外れているのはカティの肉体ばかりではなく、その〝精神〟もまた同様であった。
普通の人間であれば、攻撃の際にはある程度の加減をしてしまうものだ。
その反動によっては自身まで負傷しかねないからである。相手を攻撃するために自分まで傷つけるような人間は普通いない。
だから、通常人間の意識は自分が振るう力に制限をかける。
自分の肉体が耐えきれないほどの力。たとえそれを発揮できるとしても、精神が思い止まらせる。
しかし、カティはもはやその制限すらも取っ払う。
その肉体が出せる、まさしく全力全開、全身全霊の身体能力。
それを一切の躊躇なく、全て余すことなくその拳撃につぎ込んだ。
結晶鎧竜の鱗に入ったヒビ。そこへめがけて振り下ろされたのは、そんな一撃であった。
それこそがこの『
果たして、その結果は――。
「――――――――」
凄まじい打撃音が響き渡る。金属同士が思いっきり衝突したような音。少なくとも拳による殴打で鳴るものだとは到底思えない音が。
そこから一瞬の静寂を挟んで、次に澄んだ破砕音が聞こえてきた。
その音の出所は、結晶鎧竜の体であった。
全身を覆っていた、半透明の結晶鱗。それが、割れていく。砕けていく。
カティが殴りつけた部分を起点として拡がったヒビ――それが高速で全身を伝い巡り、結晶鱗は砕けた。一気に、破裂するようにして。
細かな破片と化した鱗がボロボロと、地面へ剥がれ落ちていく。美しく、幻想的に光を乱反射させながら。誰もが思わず魅入ってしまいそうになる光景だった。
いや、そうでなくともそれを見ている
素手の拳による一撃で、結晶鎧竜の鱗が見事に砕かれてしまった。
そんな、まるで奇跡のような光景を目の当たりにしたせいで。
ただし、その奇跡を起こした代償というものも確実に存在していた。
「――――ッ」
結晶鎧竜の鱗に打ち込んだ拳。カティは顔をしかめながらそれを引き戻した。
現れたその腕は、〝凄惨〟としか言いようのない有様であった。
指から掌から手首から前腕から肘から二の腕に至るまで――あらゆる骨が複雑に、てんで明後日の方向へと折れ曲がっている。中には肉を突き出て白い突起を覗かせてすらいる。
骨を包む肉に至っては言葉にするのも躊躇われる状態。腕全体が裂け、剥がれ、噴き出た血に塗れている。
思わず目を背けたくなるような惨状であった。普通の人間であれば間違いなくその腕は二度と使い物にならないだろう。
カティの祝福による驚異の自己回復能力――それをもってしても完全回復させるには時間がかかっているらしい。しばらく元に戻りそうな気配がない。
それほどの度を越した損傷、というよりも損壊。
奇跡の代償とはそれであった。
腕一本の犠牲。カティの体質であればいずれは元に戻るはずだが、少なくともこの戦闘中には無理そうである。
そうだと言うのに――。
「…………っ!!」
肝心の結晶鎧竜は、驚くべきことに未だ健在であった。
いや、それでもやはり目に見えて弱っている。鱗を砕かれたダメージは確実に結晶鎧竜を追い詰めている。
しかし、まだ死んではいない。鱗を粉々に砕かれはしたが、言ってしまえばまだそれだけだ。
竜として並外れたその巨体はまだ動く。まだ戦闘能力を失っていない。防御力は格段に落ちてしまったが、ここから仕切り直すことは十分可能であろう。
加えて、戦意も失っていない。殴られた衝撃が尾を引き、その動きも鈍ってはいる。しかし、放っておけばいずれ回復されてしまう。向こうもそれを狙い、ここからはなるべく戦いを引き延ばそうとしてくるはず。
それに対して、なおもカティが優勢であるとは言い難いだろう。
大戦斧は粉々に砕けて失われた。残った武器の拳も似たようなものだ。
鱗を砕いたまではいい。しかし、またしても決め手を欠いてしまった状況。
ここからが正念場だというのに。誰もが再びの口惜しさともどかしさを感じそうになる。
しかし、同時にそれは重ねての〝失念〟を意味していた。
結晶鎧竜も含めた、カティ以外の全員が勝手に決めつけてしまっていた。
カティに武器がもう残されていないと。
馬鹿を言うな。
損壊した腕から伝わる激痛。それをやせ我慢しつつ、カティは無理矢理に顔を歪ませる。不敵な笑みへと。
息も絶え絶えに回復を図ろうとしている結晶鎧竜。故に動きは鈍く、カティはいまだ振り落とされることなくその頭部に立ち続けている。
そのまま、再度振りかぶった。剥き出しになった結晶鎧竜の地肌を見下ろしながら。
一体、何を? 決まっている。
「……まだ、
美しくも残虐な笑顔でそう言うと、大きく息を吸う。
『
「――――ッッ」
二発目のそれを、放つ。
「――――――――」
それを見ていた全員が、またもや呆気に取られるしかなかった。
もう一度周囲に響き渡る、金属同士を思いっきりぶつけたような打撃音。
それが聞こえると同時に、逆側の拳を打ち込まれた結晶鎧竜の頭部が、あっけなく
ペシャンコに。まるで何か巨大な物体に踏み潰されでもしたように。
地面に押しつけられるようにして、その頭部が平たく伸び拡がっている。まさしく、パン生地を平らに伸ばしたかの如くに。
まるで現実味のないやられ様であった。巨大な竜の頭部が、あんな風に変形するだなんて。
それも人間の拳による殴打によって。
遅れて、結晶鎧竜の全身――手足から尾に至るまでが一瞬、ピンと突っ張った。
そのすぐ後に、山のような巨体が倒れ伏す。全身のあらゆる力を失ったように。
地響きと土煙を立てながらその身体はぐったりと横たわり、ピクリとも動かなくなった。
絶命。そう判断してもいいのか。いや、そう判断するしかないだろう。
結晶鎧竜は死んだ。倒れた。やられた。
頭を思いっきりぶん殴られ、ペシャンコに潰されたことで。
しばらく、周囲の全てが静まり返る。カティの荒い呼吸音だけがその中で響いていた。
カティはペッタンコになった結晶鎧竜の頭部――そのど真ん中に佇んでいた。
無事である。生きている。当然だ。
ただし、
しばらく使い物になりそうにない両腕。激闘を物語る、汗と泥と血にまみれた風体。肩で息をする、疲労の極地に達した肉体。
ただ、それでもカティは立っている。竜は倒れて動かず、立っているのは少女の方だ。
完全決着。竜と少女のガチンコの殴り合い、その軍配は少女の方に上がった。
「ハァ~……!」
それをようやく確認し、確信してから、カティは大きく息を吐いた。
喜びか、安堵か、満足か、それとも疲労のあまりか。
恐らくその全部が複雑に混ざったものだろう、そんな吐息。
なんにせよ、くたびれた。出し尽くした。勝ち鬨をあげる気分にもなれないくらいに。
……とはいえ。カティは黙ったままでぼんやりと考える。
一言くらいは何か言うべきだろうか。
勝ち誇るべきか。勝利の喜びに打ち震えるべきか。
しかし、まあ――。
その美しい顔にふっと微笑を浮かべながら、カティは思う。
今は、そこまで大袈裟なものはいらないだろう。
そう思い、カティが視線を向ける先――そこには、大急ぎでこちらへ駆け寄ってくる二人の仲間の姿があった。
とりあえずこの場は、あの二人と喜び合えればそれでいい。
自分達の勝利だと。
全員で掴み取った成功だと。
安堵のあまりか、ぽろぽろと涙を流しているらしい、泣き虫の妹。
あの子に、胸を張ってそう伝えてあげられる。
今のところは、それで十分満足だ。
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