災厄の真実のようです その3

「…………っ!?」


 カサリ、と。スタルカの横の茂みを何かが踏む音が響いた。

 まさか、新手の魔物。一瞬でそう警戒しつつ、スタルカは慌てて音の方向に向く。


 だが、そこにいたのはスタルカが危惧していたような敵ではなかった。

 そうなれそうもないくらいにちっぽけな、スタルカが両腕で抱ける大きさの野ウサギ。

 それが茂みをかき分けて、その姿を現していた。

 巣穴に籠もっていたおかげで先程の範囲攻撃を回避出来たのだろうか。

 そして、何事かと驚いて飛び出してきたのか。


 そんなことを考えて、なんだか拍子抜けするスタルカ。張り詰めていたものが一瞬緩む。

 それがマズかった。

 戦いの最中で一瞬とはいえ、決してそれを緩ませるべきではなかった。

 敵は虎視眈々と、その〝隙〟をこそ狙っていたのだから。弱ったふりをし、油断を誘おうとしてまで。


「――――っ!?」


 スタルカが野ウサギに意識を逸らして気を抜いた瞬間、地に伏していたはずのバルトファングが即座に起き上がった。


 その気配を鋭敏に察知して、スタルカもまたそちらへ向き直る。

 視線の先、バルトファングは起き上がると同時にその巨大な前足を振り上げていた。それでスタルカを叩き潰す算段らしい。

 回避は不可能なタイミング。


 そう思われたが、先ほどの雷のダメージはやはり相当なものだったようだ。

 痛みか痺れか、身体がまだ思うように動かないらしいバルトファングの攻撃が少し遅れた。


「――――っ」


 そのおかげで、スタルカはすんでのところで攻撃を回避することが出来た。

 思いっきり横に跳び、振り下ろされた前足を避ける。跳んだ勢いのままに何回か地面を転がると、即座に片膝をついた姿勢で起き上がる。同時に片腕を突き出して能力発動の準備。


 こういう、〝戦闘のための動き〟についても施設である程度の訓練を受けさせられていた。それをこれまで踏んできた場数――実戦でさらに磨いてきた。

 見た目や年齢からは想像もつかないほど、スタルカは戦いに慣れている。生き抜くためにはそうならざるを得なかった。

 故に、判断も早い。多少の動揺はあるものの、努めて冷静に魔術を発動させようとした。今度こそとどめを刺すために。


 しかし、そこではたと気づいた。気づいてしまった。

 今、自分が能力を発動させたら、あの野ウサギはどうなる?


 偶然にも、スタルカが回避のために跳んだ方向は野ウサギのいた方であった。

 スタルカが一瞬だけ、チラリと視線を向ける。

 すると、野ウサギはバルトファングに怯え竦んでいるせいか、その場で固まったままであった。逃げ出すことも出来ないらしい。

 だったら、今度こそ運良く逃れるなんてことは出来ないだろう。スタルカがこのまま魔術を使えば、間違いなく野ウサギも巻き込まれて死ぬ。


「…………っ」


 構うものか。スタルカはそう自分に言い聞かせるように思うと、野ウサギから視線を外す。

 もはや一刻の猶予もない。今攻撃しなければ自分がやられる。

 もう一度あのバルトファングの攻撃を避ける自信はない。あんな野ウサギなんかに構っている余裕はない。


 これまでだって、標的以外の他の生き物を自分の魔術に散々巻き込んできた。

 それを何とも思ってこなかった。自分が生きるためには仕方ないんだと割り切って。

 痛む心も、全部胸の底に押し隠して。そんなこと、今更、何とも――。


「……あぁっ!」


 しかし、気づけばスタルカは構えを解いて駆け出していた。

 野ウサギの方へと。


「行きなさい! どこか、ここから遠くへ! 早く!」


 駆けながら、言葉も通じないのにスタルカは大声でそう野ウサギへ叫ぶ。

 野ウサギはその声を聞いてスタルカの方を向くが、相変わらず固まったままで逃げ出す様子はない。

 野ウサギの前まで到着すると、スタルカは大きく手を払ったり足を踏み鳴らしたりして野ウサギをどこかへ追い払おうとする。


「ああもう! どうして言うこと聞いてくれないの!?」


 しかし、必死で脅かそうとするスタルカを見上げたまま野ウサギは動こうとしない。

 思わずスタルカは腹を立て、苛ついた声を上げる。

 一瞬、自分が今どんな状況にいるのかも忘れて。


「はっ――!?」


 当たり前だが、スタルカがそんなことをしている間にバルトファングの方も体勢を立て直していた。

 さらに、いつの間にかスタルカの背後に迫り、再びその前足を振り上げていた。

 それを察知したスタルカは、瞬時に決断する。どうしようもない。


「くっ――」


 スタルカはすぐさま前方へ向かって飛び込んだ。野ウサギへ向かって飛びかかるような形。

 そして野ウサギをがっちり捕まえると抱き寄せ、勢いのままに一緒に地面を転がる。


 一か八かの判断だったが、上手くいったらしい。

 再びバルトファングの振り下ろしをそれで避けることが出来た。まだまだ向こうの動きも本調子ではないらしく、それも幸いしたか。

 地面を転がったことで、少しだけバルトファングから距離を取ることも出来た。


 だが、所詮気休め程度のものでしかない。

 またすぐにでもバルトファングは距離を詰め、こちらに攻撃してくるだろう。

 それまでに、自分は――。スタルカは考える。その猶予でするべきことを。


「……っ! わかったでしょう、お願いだから早くどこかへ行って……!」


 スタルカは身を捻ってバルトファングに背を向けると、胸に抱いた野ウサギを先に逃がそうとする。

 野ウサギが自分にも怯えて逃げ出してくれるように叱りつけるが、もはや懇願するような声でもあった。


 しかし、野ウサギは従おうとしない。

 腕の中でブルブルと震え、スタルカを見上げてくるばかりだった。まるで、縋るような瞳で。


「どうして……!? あなたがいたら邪魔なの……! 私といたって、あなたは助からないの……! 私はあなたを巻き込むことしか出来ないのに……!」


 もうほとんど泣きそうな声でそう言いながら、スタルカは野ウサギを自分から引き剥がそうとする。

 しかし、出来ない。無理矢理にそうすることが。どうしても力が入らない。


「どうして……!」


 スタルカの声は、もはや野ウサギではなく自分への問いかけであった。


 どうして自分は今更、こんなちっぽけな野ウサギなんかを見捨てることが出来ないのか。

 自分が生き残るために、切り捨ててしまうことが出来ないのか。

 自分の命の危機だというのに。そうしなければ自分が死んでしまうというのに。どうして。

 どうして、こんな風にを、振り払ってしまうことが――。


「あっ……」


 そこでスタルカは唐突に気づいた。


 この野ウサギが自分と同じであることに。

 一人で逃げ出す勇気がなくて、自信もなくて。

 だから、自分を助けてくれそうな誰かにすり寄ることしか出来ない。


 それが間違った選択だとどこかでわかっているはずなのに。

 それなのに、他の正しい選択へ向かうことが出来ない。

 臆病だから。不安だから。だから、誰かに寄りかかる方を選び続けてしまう。


 それが、私だ。そして、今のこの野ウサギもそうなんだ。

 私と同じ。だからこそ、自分はこの野ウサギを見捨てることが出来ない。

 そうされる辛さを何度も味わってきたから。

 自分と同じ存在に、今度は自分がそれをするということがどうしても出来なかった。


 しかし、スタルカは同時に悟る。

 結局、そんな風に誰かに寄りかかっているだけでは、間違った選択に縋り続けるだけでは、いずれ惨めに死ぬしかないのだと。

 致命的な状況にあることに気づけないままで。

 自分の足で逃げ出すべきだったということがわからないまま。

 この野ウサギのように。

 そして何より、今の自分のように。


「…………」


 そう悟り、スタルカは背後へと視線を向ける。

 そこにはもうバルトファングが目前まで迫ってきていて、それどころかすでにその前足を思いっきり振り上げていた。

 今度こそ、避けられない。間に合わない。


「…………っ!」


 だったら、せめて。


 その前足が振り下ろされるまでの一瞬の間に、スタルカは反射的に行動する。

 腕の中の野ウサギをぎゅっと胸に抱き寄せ、バルトファングに背を向けることで庇おうとする。己の身体を盾にして。

 自分が死ぬとしても、せめてこの野ウサギだけは助かるように。

 自分と野ウサギが同じなのだったら――きっと、誰かにそうして欲しいだろうから。


 そう思いながら、スタルカはすぐにでも自身に襲い来るだろう衝撃と痛みに備えて身を固くし、ぎゅっと目をつぶった。


「…………!?」


 しかし、いつまで経ってもそれはやって来なかった。


 スタルカがそれを待ちかまえていたのは数十秒程度だったが、いくらなんでもあの絶望的な状況でここまで攻撃が飛んでこないというのはおかしい。

 そう不審に思い、スタルカは閉じていた目を開くと、再び恐る恐る背後を向く。一体どうなっているのかを確認するために。


 そこにはまず、誰かの背中があった。

 同時に目に入るのは、絹糸のようになめらかで光り輝く金色の髪。

 ボリュームのあるそれを一房にまとめた髪型は、まるで神獣の尻尾のようだ。


 しかし、一瞬やたらと大きく見えた背中だったが、どうもその体格はどちらかと言えばほっそりしているようだった。髪と合わさると、まるで少女のようなシルエットだ。


 そんな何者かが、振り向いたすぐ先に立っていた。

 まるで、スタルカとバルトファングの間に割って入ってきたように。

 そして、スタルカの盾となって庇うかのように。


 いや、それはまるでも何も実際そのとおりの状況のようであった。

 何故ならその何者かは、振り下ろされたバルトファングの前足を自分の片手で受け止めている。しかも、まったく力んでいる気配のない軽々とした様子で。


 その状況に、バルトファングすらも戸惑っているようであった。

 もちろん、それに遅れてスタルカの方も困惑するしかない。


 一体この人は誰なのか。どうしてこんなところにいるのか。なぜ急に割り込んできたのか。

 スタルカの頭に次々と浮かんでくるそんな疑問の答えを今この場で知っているのは、目の前に立つその人だけだろう。


 一瞬、唖然とするあまりに時が止まった。そんな錯覚を起こしそうな状況の中で、それを切り裂くようにその何者かが口を開いた。

 この場にまったくそぐわない、小鳥が歌うように美しい声で。


「よう。一つ尋ねたいんだが、お嬢ちゃん。『災厄』って呼ばれてる魔術師、知らねえか?」

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