仲間を集めるようです

 自分でそう命じた手前というのもあるのか、シュリヒテは上階にある浴室を貸してくれた。自ら浴槽に湯まで張ってくれた。

 親切心、というよりはあまりの薄汚れぶりを見咎めてのことだろう。


 カティ自身にもその自覚はあった。

 山籠もり中は定期的に水浴びをしてある程度の清潔さを保つようにはしていた。

 だが、根がそう潔癖でもないカティの大雑把な性格。それと、山の獣と大差ない野性的な山籠もり生活の中ではその清潔さも最低限度にならざるを得なかった。

 一応、山から下りる前に最後の水浴びもしてきたはずなのだが……それでもシュリヒテがここまでしてくれる程とは。獣のような山籠もり生活の中でまとわりついた汚れは相当なものなのだろう。

 シュリヒテは「洗い湯が透明になるまで出てくるな」と強く言い含めてきながら、カティを浴室へ放り込んだ。


 渋々カティもその言葉に従い、丁寧に体と髪を洗わざるを得なかった。

 実際お湯は体から落ちた土やら泥やら様々な汚れのせいですぐに濁り、何回も取り替えないと透明を保てるまでにならなかった。


 しかし、シュリヒテの気遣い(というより命令)と、丁寧な洗浄の甲斐あってか、湯から上がったカティは見違えるような状態となっていた。


 ボロボロに荒れくすんでいた金色の長い髪は絹糸のような滑らかさと精製された黄金のような輝きを取り戻した。

 長い間伸ばし放題だった髪を今はとりあえずポニーテールに結わえている。一見するとまるで神獣の尻尾のように思える艶やかさとボリュームである。

 日焼けやまとわりついた汚れやらで黒ずんでいた肌も白磁のような色と質感に戻った。

 世界で最も美しいその顔も、今の状態ならばさらに美しさ十割り増しであった。


 とはいえ、そんなあらゆる人間が心奪われそうに麗しく清らかな美少女は今、何ともだらけた姿勢で茶を啜っているのだが。


「汚れを落としたら本当に見違えたな……外見だけは」


 久々に見たその容姿と行動のあまりのギャップ。

 それに目眩でも起こしているような様子で、シュリヒテはそうこぼす。


「湯を浴びて、久しぶりに人間の生活ってやつを思い出せたよ。礼を言う、ありがとよ」


 湯上がりの余韻に浸っているのか、ぼんやり夢見心地な表情でカティはそう返す。

 瞳はなんだかとろんとしており、そのまますやりと寝てしまいそうですらある。


「おい、寝るなよ。まだ日も高いし、お前から教えてくれと言ってきた話をするんだろうが」


 その様子を見て眉根を寄せると、釘を刺すようにシュリヒテはそう言ってきた。


「わーってるよぉ。……それで、どういう話なんだ?」


 ふわぁと大あくびをしつつカティもそう返す。

 あまりにもはしたないそんな大あくびも、美少女の顔が恐ろしく愛らしい仕草に変換してしまうのだから困りものである。


「…………」


 それを見て無言で嘆息するシュリヒテ。何だかやりきれないといった感じである。

 しかし、とにもかくにも気を取り直して、おもむろに語り始めた。


「……ここ最近のテイサハでは、とある魔術師の存在が話題になっている。それも、主に冒険者達の間でな。そして――」


 ――その魔術師は『災厄』と呼ばれている。


 それを聞いたカティは興味深そうに目を細める。


「そりゃまた、ずいぶんと物騒な名前だな」

「本名じゃなく、勝手についた通り名らしいがな。しかし、その通り名に相応しい、恐るべき威力と規模の攻撃魔術を自在に操るんだと」

「全部伝聞じゃねえか。直接見たことはねえのか?」

「残念ながらないね。情報だけは集めてても、俺だって山籠もり中のお前と大差ない閉じた生活を送ってるからな。まあ、それでも珍しく災厄という魔術師については俺自身も興味があるから接触を図ってもいいとは思っているんだが……難しいだろうな」


 何でだよ。カティが表情だけで疑問を表すと、シュリヒテは応じるように話を続けていく。


「まだ誰も、姿。災厄はここ最近、どこからかこの街へと流れてきた。冒険者として、らしい。その証拠に、災厄はこの周辺――ルアトの辺境地域の強大な魔物を次々と討伐している。いずれも高額の討伐賞金がかけられた、手強い手合いばかりだ。それによって一気にこの街で名を上げることになったわけだ。災厄という通り名もその過程でつけられたんだろう」

「だったら、尚更どうしてだよ。魔物の引き渡しや討伐賞金の受け取りで絶対に本人がギルドに現れるはずだろ? なのに、誰も姿を見たことがない?」

「引き渡しも賞金の受け取りも、災厄とパーティーを組んでいるという男の冒険者二人が全部行っているんだよ。本人はギルドに現れるどころか、この街のどこにいるのかも謎だ。誰もその姿を知らないんだから、探しようもない。本人が名乗り出ない限り、このままずっとその正体は不明のままだろうな」


 パーティーを組んでいる男達の方から辿ろうにもそちらも警戒心が強く、中々尻尾を掴ませないらしい。


「……確かに、そりゃ面白い話だ。オレも興味を引かれる。勧誘できるなら是非とも声をかけてえところだよ。だが、本人に会うことが出来ねえんじゃなぁ……」

「災厄と組んでいる男達ごと囲い込むって手もあるが、どうやらそっちの方は冒険者としてはてんで大したことはないらしい。見るだけでわかるレベルだと。柄も悪いし、品も腕もない、ほとんどゴロツキと大差ないようだ。討伐賞金のおこぼれのおかげか、やたらと羽振りはいいみたいだが」

「それなのに、そいつらは〝恐るべき魔術師〟である災厄と唯一組むことを許されている……奇妙な話だな」


 カティは首を傾げつつも、シュリヒテへ探るような視線を向ける。


「それで? 誰も姿を見たこともない、会うことも出来ない魔術師の話をしただけで終わりか?」

「いいや。実は災厄に関してもう一つ、新しい情報を仕入れていてな」


 シュリヒテはにやりと笑いつつ、それを話し始める。


「その災厄と組んでいる男達が最近酒場で気分良く豪遊していた時に、こんなことを豪語していたらしい。『俺達の次の標的はバルトファングだ』、と」

「――――っ」


 それを聞いたカティは思わず驚きで息を飲む。


 バルトファング。

 ルアトの辺境地域に広がる森林地帯に棲息する、巨大な狼である。

 しかし、ただの狼ではない。その森林地帯に棲息している数多の獣や魔物達の頂点に立つのがこのバルトファングと呼ばれる個体なのである。


 通常の狼の数十倍もあるその巨体はもはや獣ではなく怪物そのもの。

 強さの方も言うまでもなくその怪物としての巨躯に見合ったものである。

 この数十年、誰にも倒されることなく森の王として君臨し続けている。

 腕試しや賞金目的、名を上げるために挑みかかってきた冒険者達も全て完膚なきまでに返り討ちにして。


 故にその討伐賞金も鰻登り。強さも賞金もテイサハの街周辺、辺境地域の中では五本の指に入るだろう。

 オーガエイプのヌシに匹敵するか、あるいはその上を行くかもしれない、未だ人間が手出し出来ない怪物。

 それがバルトファングであった。


 そんな〝怪物狼〟を災厄は次の標的としているというのだから、確かに驚くのも無理はない。

 だが、カティが驚いている理由はそれだけではなかった。

 何故ならば――。


「馬鹿野郎! バルトファングはオレもこの後ぶっ倒しにいこうと思ってた相手だぞ!?」


 まさかの標的被りであった。


「……あのバルトファングを?」

「あのバルトファングをだよ!」

「一応聞きたいんだが、なんのために?」

「腕試しと、冒険者としての実績のためだろ!」


 何だか呆れているような様子で尋ねてくるシュリヒテに、カティはきっぱりそう答える。

 それを聞き終えたシュリヒテはもう何度目かわからないしかめっ面をしていたが、やがて再び気を取り直したのかこう言ってくる。


「だったら、むしろ都合はいいんじゃないか? バルトファングを追っていれば、そこには高確率で災厄本人も現れるだろう。お目にかかれるチャンスってわけだ。バルトファングがまだ災厄に倒されていなければの話だが」

「――っ! そうか、なるほど!」


 カティは大いに納得した様子で手をポンと打ち合わせる。


「まあ、なんて馬鹿な手は、思いついても普通誰もやろうとはしないだろうがな。災厄が相手にする標的の危険度を考えると、あまりにもリスクが大きすぎる。災厄に会うためという目的にまったく釣り合わない」


 シュリヒテはそう言いつつも、「だが」と続けて、


「今のお前さんであればそれはリスクになり得ないんじゃないかと思っての提案だったんだが……まさか、そう言うまでもなくバルトファング自体をお前が討伐しにいくつもりだったとはな」


 呆れているのか感心しているのか。両方が混ざり合ったような様子でシュリヒテはそう言った。


「ああ、これはまさしく〝運命の巡り合わせ〟ってやつかもしれねえぜ。オレに〝災厄を自分の仲間に迎え入れろ〟という、な」


 言いながら、カティはふっふっふと、可愛らしくも不敵な笑みをこぼす。

 しかし、すぐにハッと何かに気づいた顔になり、


「って、そんなこと言ってる場合じゃねえな! 時間がねえんだった! すぐにでも追いかけねえと、災厄に先を越されちまうかもしれねえ!」


 パーティーメンバーの候補である前にまず競争相手だった。

 そう叫びつつ、カティは勢いよく立ち上がり、その場で軽く駆け足を始める。


「悪い、シュリヒテ! そういうことだから、オレはもう出発するぞ! 色々置いていくから、後は全部任せた! 近々また来る!」


 それからシュリヒテに向かって一方的に、捲し立てるようにそう言うと、カティは一目散に駆け出していった。

 猛然と、恐るべきスピードで。


「…………っ」


 何を言う暇もないその勢いにただただシュリヒテは呆然となるしかないようだった。

 そのまま一人ぽつんと取り残される。


「うぉっ!?」


 と、そこへ再びとんでもない速度でカティが戻ってきた。

 工房の出入り口から、顔だけ覗かせて。

 驚きのあまり間抜けな声を出すシュリヒテに、カティはにっこりと笑いかける。愛くるしい少女の笑顔で。


「ああ、それとシュリヒテ。いい情報ありがとよ、助かったぜ。戻ってくるまでにまたいいの仕入れといてくれ、頼む」


 それだけ言い残すと、カティは今度こそ駆け出していった。


「……ったく……了解だよ、お転婆娘が」


 その背を見送って溜息を吐くと、残されたシュリヒテはそう呟いた。

 そこに精一杯の皮肉を込めるようにして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る