攫われるようです
深酒をした時特有の浅い眠りから覚めた時、サークは目を開けているのに視界が真っ暗なままであることに気づいた。
少しだけぼんやりしていた頭がそれを認識した瞬間、一気に覚醒する。
「――――ッ!?」
慌てて起き上がろうとして、次は手足が動かないことに気づいた。
感覚はある。だが動かない。
どちらも縛られているらしいことがすぐにわかった。
「~~~~っ!」
最後に思いっきり声を出そうとするも、口も猿ぐつわで塞がれていて無理だった。
つまり、サークは今完全に身動きを封じられているらしい。
何者かの手によって。
わけがわからなかった。一体何故自分がこんな目に合っているのか。
心当たりがまったくなかったが、とにかくこのまま黙って拘束されたままというわけにもいかない。
サークは不自由な可動範囲の中、必死に全身を
それで拘束が緩まないものかと期待してのことだった。
「お~い、気づいて暴れだしたけど、どうする?」
「あ~……まあ自分が今どうなってんのか教えてやりゃ、大人しくなんだろ」
サークがそうしていると、不意にそんな会話が聞こえてきた。
男同士の声。
それを聞いて、驚きと共にサークは一旦暴れるのをやめる。
すると、真っ暗だった視界に淡い光が戻ってきた。
今まで頭の上からずた袋か何かを被せられていて、それが外されたらしい。
まだ光に目が慣れてはいないものの、サークは急いで周囲を確認する。
ランタンの淡い光。高速で後ろに流れていく真っ暗な夜の景色。ガタガタと振動し続けている床。
どうやら自分は今、簡素な馬車の荷台に乗っているらしい。
目の前には男が一人。どう見てもカタギではない風体。
奥にいる、馬車を操る御者の男も似たような感じであった。
「ハイ、注目」
男が不意にそう言った。
思わずサークは言われたとおりに視線を向けてしまう。
「ダメだよ~? お嬢ちゃんみたいな年齢の子があんなに酒かっ食らって酔っぱらったりしちゃ。あれ見た時ぁ流石に俺達もぎょっとしたね。そんで、一番ダメなのが酔い潰れて路上で寝ちゃってたこと。そのせいでこうして悪い大人達に
男は淡々とそう告げてきた。
「ということで、お嬢ちゃんは明日の朝か昼には知らない街で、知らない大人に奴隷としてお買い上げされちゃいます。でも、お嬢ちゃんはとても可愛いから、いい買い手がつくと思うよ。まあ、それまではこの馬車の上でその覚悟を固めておいてね」
それを聞いて、サークは驚きに目をかっ開く。
目の前の男が一体何を言っているのか。理解できるのに飲み込めない。
売り飛ばされる? 自分が? 奴隷として? 可愛いからいい買い手がつく?
あり得ない。自分にそんな価値はない。
労働力としてならともかく、そんなつもりでもなさそうだ。
だが、一方で冷静に現状を受け入れ、把握しているサークの中の理性的な部分――それが男の言葉の意味するところを正確に読み取り、サークに強制的な理解を促してくる。
自分はもう以前のようなゴツゴツとした力自慢の男じゃない。
こうして簡単に誘拐されて、拘束を力任せに解くことも出来ないような〝女の子〟だ。
そして、そんな女の子には奴隷としての需要があるらしい。
だからこそ今、この悪漢共に自分は攫われ、売り飛ばされようとしている。
知らない街で、知らない誰かに買われることになる。
「…………ッ」
そこまでを理解してしまい、サークは青ざめる。
一気に血の気が引く感覚。身体も凍り付いたようになる。
信じられない。信じたくない。自分が今やそんな扱いをされる人間であることを。
絶望と嫌悪が腹の中で渦を巻き、吐き気がこみあげてくる。
それを懸命にこらえながら、サークは呆然と男を見る。
怯えたような顔つきになって。
「以上、説明終わり。わかった? 自分の現状と、暴れても無駄だってこと。……まあ、その顔だと大丈夫なようだけど」
男はそんなサークの表情を見て、もう抵抗しないだろうと判断したらしい。
「よし、じゃあ、これ以上暴れたり大声出したりしないと約束できるなら拘束も解いてやる。どこにも逃げ場はないしな。朝まで仲良く旅を楽しもうぜ」
下卑た笑みを浮かべながら、男がそう言ってきた。
サークはそれにゆっくりと頷きだけを返す。
抵抗の意志がないことを示すように静かな動作で。
その返事に満足したらしい男が、懐から小ぶりのナイフを取り出した。
サークの方へ近寄ってきて、まずは足を縛っている布を切るつもりらしい。
荒い息づかいと共に、サークの細い足をベタベタ撫で回しながらナイフで布を切っていく。
サークは相変わらず吐き気をこらながらも、大人しくそれを受け入れる。
「へへっ、じゃあ次は手――」
足の拘束が無事に切り解けたところで、男が顔を上げた。
「だっ――!?」
その瞬間、サークは自由になった足で思いっきり男の下顎を蹴り上げた。
全身全霊、今この身体で出せる全力でもって。
ここまで決死の覚悟で攻撃を繰り出したことは今まで生きてきた中で数度もない。
しかし、その本気も当然だろう。
何せ自分の色々な尊厳が踏みにじられるかどうかの瀬戸際である。
そんな覚悟が何とか通じたのか、細身の少女が繰り出した蹴りにも関わらず男の身体は大きくぐらついた。
そのままバランスを崩して後ろへ倒れ込む。
「――――っ」
それを確認した瞬間、サークは弾かれたように立ち上がり、男に背を向けて駆け出す。
そのまま一切の躊躇なく馬車の後方から地面へと飛び降りた。
走行中の馬車から、足は自由とはいえ未だに手は縛られたままで。
いくら何でも正気ではない。
その辺は身体が変化しても精神は元のままだったことが幸いした。これまで戦士として何度も死線を潜り抜けてきた度胸は伊達ではない。
しかし、心はよくても体はそうはいかない。
「ぎっ――っつぅ……!?」
馬車が走っていた慣性分の勢いを、今の身体ではこらえられなかった。
着地したもののバランスを崩して倒れ、地面を跳ねるように転がる。
手が縛られているせいでろくな受け身も取れずに。
何回か地面に叩きつけられた後で、ようやく止まった。
しばらく呼吸すらままならず、サークは地面に倒れ込んだまま呻く。全身を襲う激痛に。
だが、このままずっと倒れて震えているわけにはいかない。
逃げなければ。一刻も早く、出来るだけ遠くへ。
どうにか動けそうな程度まで痛みが収まると、サークはよろよろと立ち上がって走り出す。
幸い、サークがそうしていた時間、男達も馬車を急停止させるのに手間取っていたらしい。
動き出したのはほぼ同じタイミングか、サークの方が多少早かった。
さらに重ねて幸いなことに、飛び降りた場所は両側を森に囲まれた道だった。
森の奥深くへ逃げ隠れることが出来れば、追いつかれて捕まる危険性は格段に減るだろう。
このまま無事に逃げ延びられる。その可能性はゼロではない。
だから、サークは必死で走って森の奥へと逃げ込んでいく。
手が使えないせいで上手く走れないながらも、懸命に足を動かす。
「――待ちやがれぇ!! このクソガキぁ!!」
そうしていると、背後からそんな怒鳴り声が飛んできた。
自分を追いかけてきている男達がすでにそう遠くない距離にいる。声の大きさからサークはそれを悟る。
子供と大人の歩幅の差のせいか。それとも身体能力か、体力の差か。
いずれにせよ、このままではどんどん距離が詰まり、追いつかれてしまう。
「~~~~っ」
そう気づいたサークは、なおさら一心不乱に駆ける。そのことに全ての意識を集中させる。
待ちやがれ、だと。冗談じゃない。
捕まったら、奴隷として売り飛ばされる。
それは恐らく単なる奴隷じゃない。
今の少女としての身体に見合った、おぞましい扱いのものとして。
男の精神のままではその光景を上手く想像することは出来ない。
だが、とてつもない嫌悪と忌避感が心の底から湧き上がってくることだけは確かだった。
そもそも、この分では売り飛ばされる前にあの男達によって酷い目に合わされることもわかりきっていた。
殴られ、痛めつけられるだけならまだいい。
この身体じゃ、恐らくそれ以上のことをされる。
ちらとそれが頭を
そんなことされてたまるか。
サークは心折れそうな絶望と恐怖に耐えながら、必死に足を動かし続ける。
「オイ、だから待てやぁ! お前のためを思って言ってんだぞ嬢ちゃん! この辺はなァ――」
「ひぃっ――」
男のそんな怒鳴り声はさらに双方の距離が詰まっていることを知らせてきた。
小さい悲鳴が思わず口から漏れてしまう。
もう向こうからは完全に自分の背中が見えているのだろう。
自分も振り返ってどれくらい相手が迫ってきているのか確認したい。
だが、サークはその欲求に耐える。それを確認する時間すら致命的だろう。
息が上がる。呼吸が苦しい。それでも、止まるわけにはいかない。
こんな身体になって、冒険者としての、戦士としての未来を絶たれてしまった。
それどころか、今やこの先ずっと誰かの慰み者となって生き続ける――そんな羽目に陥りかけている。
そんなのは死んでもゴメンだった。
いや、それならいっそ死んだ方がマシだ。
「――――」
一瞬でも、そんなことを思ってしまったのがいけなかったのだろうか。
それとも、走ることだけに集中しすぎて前をよく見ていなかったのがいけなかったのか。
それとも、結局は運がなかったのか。
いずれにせよ、原因はその全てにあるのだろう。
動かし続けていたサークの足が、突如として空を切った。
それに伴い、身体のバランスも崩れる。
まさか、ここでコケたのか。サークは即座にそう考えて絶望に包まれる。
だが、事態は普通にコケるよりもさらに最悪のものであった。
一瞬宙に浮く身体。何故かスローになる時間感覚。
その中で、サークは自分の身に何が起こったのかに気づいた。
走っていた先に地面がない。
その代わり、くるりと身体ごと下へ回転する視界の先――そこに、とんでもない激流が流れ込んでいく滝壺が小さく見えた。
そんな、大滝の側の断崖絶壁。
森の中に突如として出現したそこへ、サークは全速力で走ってきた。
そして、その勢いのまま飛び込む形になってしまった。
それに気づいて止まる余裕もなく。
「あああぁぁ――――」
自分の身がそんな状況にあることを悟った瞬間、急速に時間感覚が元に戻った。
間抜けな悲鳴を上げながら、サークは為す術もなく断崖を落下していく。
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