脳筋美少女は戦うようです
「…………ッ」
ヌシの方も同様なのだろうか。
あるいは自分の拳をこんな少女に防がれた衝撃に打ちひしがれていたのか。
拳を突き出し、受け止められた姿勢のままで固まっていた。
しかし、それは時間にしてほんの数秒程度のことだっただろう。
すぐにも動き出し、追撃の準備に入ることはクレムにでも予想できたが。
「――――しっ!」
そうはならなかった。
それよりも先に、少女の方が動いたからであった。
大きく呼吸すると共に、少女は大戦斧で受け止めていたヌシの拳を跳ね上げた。
力任せにその大戦斧を動かすことで、弾くようにして。
ありえない。少女の美しさに魅入られていたクレムが再び驚愕へ引き戻される。
そもそも、どう見ても華奢の少女の体格でありながらヌシの拳を受け止めてみせたのもありえないのだ。
なのに、さらにそれを力任せに、なんとも無造作に跳ね上げるだなんて。
一体どんな怪力だ。こんな細身のどこにそんな異常な膂力が備わっているというのか。
「…………ッ」
拳を弾かれたヌシが、その勢いで大きく後ろに一歩退いた。
体勢を崩している。
追撃するには絶好の機会であった。
これまでの行動から推測するに、どうやらこの少女はヌシと戦うつもりでこの場に乱入してきたようだ。
だから、当然そうするものだとクレムは思った。
ヌシの方もそう思ったのだろう、慌てて体勢を戻そうとする動きからは大きな焦りが感じられた。戦いの最中にこの隙は致命的だ。
――いや、というよりも。
そうやってチラリとヌシの状態を窺ったことでクレムは気づく。
ヌシの様子がどうもおかしい。
体勢を崩されて焦っているだけではないような狼狽えぶりである。
そう、それはまるで目の前の少女に恐怖し、怯えているかの如く――そんな雰囲気がヌシから一瞬立ち上っているように見えた。
なので、クレムはその不可解さに思わず怪訝な顔となる。
だが、その顔を向ける対象はすぐに別のものへと移った。
「――――!?」
驚くべきことに、少女は追撃を行わなかった。
いや、行う素振りすら見せていない。
しかも、その代わりに自らの武器である大戦斧をひょいっと傍らへ放り捨てた。わざわざ自分から丸腰になったのだ。
何故、いきなりそんなことを。クレムの表情が怪訝を通り越して再び驚愕に歪む。
少女の行動はまったく理解不能なものだった。
ヌシもクレムと同じことを思ったのだろう、驚きで固まっている。
「――――」
そんなヌシへ向けて、少女はさらにとんでもない行動に出た。
片手を前へ突き出し、手招いたのだ。無言で、クイクイと。
悠然と、何であれば優雅さすら漂うような仁王立ちのまま、まったく涼しげな表情を崩さずに。
それはなんともあからさまな、まさしく〝挑発〟であった。
ただ一言「かかってこい」とだけ、その
「~~~~~~~~ッッ!!」
こんな少女にそこまでされては流石にヌシも黙っていられなかったのだろう。
プライドが傷つけられ、先ほどまでの不可解な怯えは即座にそれ以上の怒りによって塗り潰されたらしい。
その挑発を受けたヌシはまず思いっきり少女へ向けて吼えかかってきた。
「――ひぃっ!」
その咆哮はもちろん少女の後ろにいるクレムにまでぶつかってくる。
空気がビリビリと震え、鼓膜が破れるのではないかと思う程の音量。
クレムは小さく悲鳴を上げ、慌てて耳を塞いだ。
それは恐らく威嚇と牽制を目的としていたのだろう。
途轍もない咆声を真正面からぶつけることで相手を怯ませようとした。
だが、その狙い通りの状態に陥ったのはクレムだけであったらしい。
少女の方は微塵も怯むことなく、真っ直ぐ立ったままヌシを睨みつけていた。
「~~~~ッッ!!」
しかし、だからと言ってヌシの方もそれで退くわけがない。
咆哮を終えると即座に拳を振りかぶり、再びの殴打を繰り出してきた。
少女へ向けて再度振り抜かれる巨大な拳。
ヌシも今度は本気を出してきたのだろう、その拳の速度は先ほどよりもさらに上がっているように思われた。
当たればもちろんひとたまりもない。
今度は少女が盾に出来る物を持っていない分、それはさらに確実であった。
なので、当然その拳は避けるより他ない。
だというのに、少女はその場でまったく微動だにしないままであった。
何故だ。実はクレムのように先ほどの咆哮で怯んでしまっていたのか。
――否、そうではない。
その証拠に、少女はゆったりと動き始めた。
しかし、その動きは回避のためのそれではない。
むしろ真逆――少女はその場で構えたのだ。
両腕を大きく広げ、自分に向かってくるものを待ち構える姿勢を取っていた。
それはあたかも飛びついてくる愛犬を抱き止めるかの如く、何とも自然で落ち着いた動きであった。
だが、今この少女が受け止めようとしているのはそんな可愛らしいものではない。
自分の体躯を優に上回る大きさの拳である。
絶対に無理だ。誰もが今度こそ直撃を受けてバラバラに吹き飛ぶ少女の姿しか思い浮かべられなかったことだろう。
しかし――。
「…………ッッ!?」
直撃したヌシの拳は、振り抜かれることなく止まっていた。
確かに少女の身体に当たっている。それなのに、少女は吹き飛ばされてはいなかった。
拳の勢いによって多少後ろに押されたらしい形跡はあるものの、少女はその殴打を受けてなおしっかりと立っていた。
またしても受け止めたのだ。しかも、今度は己の身体一つで。
ありえない。
これまでよりも輪をかけて異常なその事実に、クレムも、今まさに少女と戦っている最中のヌシまでもが唖然となる。唖然としたまま凍り付く。
けれど、さらに驚くべきはこの先であった。
いや、ヌシにとっては〝警戒すべきは〟と言う方が正しかっただろう。
少女は拳をただ受け止めただけではないと、ヌシはすぐにでも気づくべきだった。
「――――」
そう。
少女は全身で受け止め、同時に〝掴んで〟いたのだ。ヌシのその拳を、がっちりと。
拳を引くことが出来ない。
ヌシがそう気づくよりも早く、少女は次の行動に移っていた。
いや、違う。それは〝攻撃〟であった。
「――っ、あぁ!」
少女はそうして全身で掴んでいたヌシの拳を力任せに捻った。
その怪力で思いっきり回転させた。
本来回らないはずの方向へと、容赦なく。
「~~~~ッッ!?」
ゴキゴキと耳障りな鈍い音がして、ヌシの腕が肘を基点にねじ折れた。
激痛のあまりなのだろう、たまらずヌシが声にならない悲鳴を上げる。
そこで少女もあっさりと掴んでいた拳を放した。
ヌシが急いで拳を引くも、その肘から先は折れたせいで力が伝わらないのかプラプラとぶら下がって揺れるばかりであった。
ヌシは呻きながらその折れた箇所を無事な方の手で押さえる。
そうして小刻みに震え出す。痛みと衝撃でそれしか出来ないのだろう。
その悲痛な様子はクレムが思わず目を背けてしまう程であった。
しかし、少女の方はそれにまったく構う素振りもない。
ヌシと少女の戦いの最中であることを思えばそれも当然だろう。
むしろ、さらに追撃を浴びせるべき状況だった。
事実、少女もそうするつもりだったのだろう。
しかし、だというのに少女の動きは実にゆったりとしたものであった。
まさしく悠長に、先ほど放り投げた大戦斧へ手を伸ばしていた。
「――よっ」
そして、なんともあっさりとそれを片手で持ち上げた。
刃だけで自分の身の丈程もある大斧を、まるで細い木の枝でも拾うように軽々と。
これにはクレムも思いっきり目を丸くするしかなかった。
ヌシの方も一瞬痛みを忘れたように同様の反応をしていた。
そんな風にその場の全員の度肝を抜きながら、少女はしっかりと掴んで持ち上げた大戦斧を今度は後ろへと大きく振りかぶった。
それはまるで攻撃というよりも、投擲の予備動作のようで――。
「っ、とぉ――!」
事実、そのとおりであった。
少女は振りかぶった大戦斧をまさしく思いっきりぶん投げた。
固まっているヌシの頭部へめがけて、大戦斧が一直線にかっ飛んでいく。
独楽のように回転しながら、恐ろしい速度で。
「――――ッ!?」
それを見たヌシの方もいつまでも驚きに固まってばかりもいられない。
あのサイズの大戦斧の投擲、しかもこの勢い。急所へ直撃すればただでは済まないだろう。
即座にそう判断したらしい。急いで体勢を立て直し、攻撃に対処してみせた。
あわやその眉間へと到達する寸前に、無事な方の手でどうにか大戦斧を弾いたのだ。
やはり、負傷はしていても恐るべき強者。そう思わせられる切り替えぶりであった。
いつの間にか、その目には再び闘志が宿っている。
勝敗はまだ決していない、ここからでも十分仕切り直してくるだろう。そんな予感すら抱かせてくる。
だからこそなのか、ヌシは大戦斧を弾いた後もすぐさま次の攻撃に備える動きを見せた。
油断のない警戒と共に、少女がこの後どんな行動に出るのか見極めようとしたのだろう。
そのために、大戦斧への対処で一瞬外れた視線を少女の方へと戻してきた。
「――――」
しかし、さっきまで少女がいたはずの場所にもうその姿はなかった。
「――――!?」
どこへ消えたのか。
ヌシは急いで周囲を見回し、その姿を捉えようとしている。
だが、見つけられることはないだろう。
クレムはそのヌシの動きを眺めながらぼんやりとそう思う。
あんなもの、誰が見つけられるというのだ。
直にその瞬間を見ていた自分ですら全てを捉えられなかったのに。
そんなクレムが見上げる先には、ヌシに弾かれて宙を舞う大戦斧があった。
弾かれた後の軌道は、大きな放物線を描いてヌシの背後へとゆるやかに落ちていこうとするもの。
そして、その軌道の先にあるのは大戦斧だけではなかった。
クレムだけは〝それ〟が何であるのか――いや、〝誰〟であるのかに気づいていた。
何故なら、クレムはそこに至るまでの全てを目撃していたのだから。
まず、大戦斧をヌシへと投げつけた直後に少女がその場から消え去った。
――いや、違う。
少女は目で追えないくらいの凄まじい速度で跳んでいったのだ。自分達の横にある木立の方へと。
そして、その木立の中の木々を跳び伝っている――折れるんじゃないかと思う程の勢いで木々が踏みしめられていく音と揺れによってクレムはようやくそれに気づけた。
それは恐らくヌシの横を迂回しながら高速でその背後へと向かう動き。
さらに、木々を跳び伝うのは、ただの背後ではなく、その頭上を目指すためで――。
「――――!」
最後の木を蹴って大きく跳び上がった少女が目標地点へと到達した。
クレムの目でもそれがどうにか捉えられた。
それは、落ちていく大戦斧とちょうど交わる場所。
少女が恐らくその狙いどおりに、がっちりと大戦斧を空中で掴んだ。
「…………ッ!?」
その瞬間に、ヌシもようやく己の背後に何かを感じ取ったのだろうか。
すぐさま後ろへ振り向く動きを開始した。恐らくその自分の直感へ反射的に従って。
その時ヌシが感じ取ったのは少女の放つ殺気のようなものであったのかもしれない。
少女は大戦斧を掴むと、空中で器用に身を捻り、それを振りかぶっていた。
そのまま落ちていく、ヌシへとめがけて。感じ取ったのはその気配だったのか。
あるいはそれは、もしかしたら己の背後に迫る濃密な死の予感であったのだろうか。
巨体が振り返りきるのとほぼ同時に、斧を振りかぶったまま落下していく少女とヌシが交差した。
ヌシの顔の真横を、少女は物理法則に従って通り過ぎる。構えた斧を鋭く振り抜きながら。
クレムはそんな一連の流れをただぼんやりと眺め続けていた。夢でも見ているかのような感覚で。
少女は無事に、美しく着地する。
振り抜いた大斧を再び担ぎ直した姿勢で、ズンという重い音を響かせて。
「――――」
それを追いかけるかのように、ヌシの胴体からズレ落ちた首がその背後に降ってきた。
さらにしばらくして、首を失ったことにようやく気づいたように胴体の方も地響きを立てて倒れ伏した。
自分の背後でそんなグロテスクな光景が繰り広げられているのにも構わず、少女はなんとも平然としていた。
大戦斧を担いだまま、堂々と立っている。後ろを振り返ろうとすらしない。
これで決着がついたことを確信しているかのように。
事実、そのとおりでもあった。
オーガエイプのヌシは討たれた。
美しくも謎だらけの少女によって、巨大な斧でその首を刎ねられて。
ひたすら腰を抜かしたままで、クレムはその戦いの一部始終を見届けてしまった。
だというのに、目の前のこの光景が現実だとはとても信じられなかった。
その確認のために自分の頬をつねることもためらわれた。
もしもこれが現実だとしたら悪夢よりもなお恐ろしいものであるからだった。
あどけない少女にしか見えない何者かが人間離れした怪力でもってオーガエイプのヌシを圧倒し、遂には無傷で討ち取ってしまうだなんて。
その上、そんなオーガエイプのヌシを遥かに凌駕する強さを持った、果たしてまったく正体不明の少女(?)が今も目の前に突っ立っているのだ。
相変わらず腰が抜けたままで逃げ出せそうもないクレムを、なんだか醒めた目で見下ろしてきながら。
その表情からは何を考えているのかまったく読み取れそうにない。
果たしてオーガエイプと同じくこちらに敵意を持っているのか。
それとも結果的に窮地から救ってもらったことを思うと案外友好的であるのか。
それを見極めるためには、とにかくにも口にしてみるしかない。
いつまでも呆然としてないで、勇気を出して問いかけるしかない。
その、根本的にして究極的な疑問を――。
「お、お嬢さん……あなた、一体、な、何者なの……?」
クレムは恐る恐るそう問いかけた。
少なくとも言葉が通じる存在であることを祈って。
「……お――」
それを聞いた少女は、まず口を動かして何かを答えようとはしてくれた。言葉は通じるらしい。
「――――っ」
しかし、何故か口にしかけた言葉を急に途切れさせ、目を伏せてしまった。
なんとも切なげで、悲しそうに――そう見えてしまう雰囲気を一瞬立ち上らせて。
そして、こちらへ背を向けてしまった。それ以上の問答を拒絶するかのように。
「…………」
そうとあっては、クレムもそれ以上何も尋ねられなかった。
なんだか気まずい沈黙がその場に漂う。
クレムは黙り込んだまま少女の背を見つめて、思う。
さっきは一体何を口にしようとしたのだろう、この少女は。
あんなにも悲しげな様子で、この女の子は何を――。
☆★
何を言おうとしてんだ、自分は。
背を向けた少女は心の中でそう己を責める。
そんなこと今この場で、こんな奴に言ったところで何になる。
信じてもらえるはずがないだろう。頭がおかしいと思われるだけだ。
「――――」
それなのに、まだどうしても反射的に否定しようとしてしまう。
今の自分自身を完全には受け入れられていない。
というより、いつまで経っても慣れないと言うべきなのか。慣れる日が来るとも思えないが。
そんなことを考えながら、少女――カティ・サークは大きな溜息を吐く。
まったく憂鬱な気分だった。
そして、そんな自分への慰めに、先ほど口走ろうとした言葉を心の中で吐き出してみる。
「……オレは、〝お嬢さん〟じゃねえ」
そうなんだ、オレは。
「オレは、〝男〟なんだよ……!!」
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