脳筋戦士は世界一の美少女になってしまったので

一山幾羅

脳筋美少女登場のようです

 女冒険者のクレムは鬱蒼と木々に囲まれた山道を全速力で駆けていた。

 荒い呼吸と共に、必死の形相で。

 まるで何か恐ろしい化け物から逃げているかのように――いや、も何もそのまんまの状況なのだが。


 一体どうしてこんなことに。


 息切れ寸前、脳に十分な酸素も回らない状態だが、それでもクレムはそのことについて繰り返し考えてしまう。


 クレムは冒険者だ。職業は斥候スカウト

 キャリアはそれなりに長いが、冒険者としてのランクはそこそこ。

 モンスターの討伐やダンジョンの攻略などで華々しい活躍をしているタイプではない。むしろ、どちらかというと戦闘は不得手だ。

 野山や森の探索および素材採集などの依頼をこなすことで堅実に生計を立てていた。


 そして、今回はそんな能力を買われて冒険者ギルド公式オフィシャルの調査隊に抜擢された。

 調査隊の任務は『鬼猿山に棲息する生物が異常に減少している原因』を調べること。


 どうもここ最近、鬼猿山という山に棲む生き物――獣も魔物モンスターも全ての数が減少しているらしい。

 どこかに隠れているとかではなく、本当にただ数が少なくなっているのだと。

 そのせいで山から糧を得ている周辺の村人や猟師も困り果てている。山での探索と魔物討伐が仕事の一つでもある冒険者も他人事ではない。


 なので、冒険者ギルドが直々に調査隊を結成して原因の究明に乗り出すことにした。

 クレムはギルドからの依頼オファーを受ける形でそれに同行していた。


 比較的、危険は少ない仕事のはずだった。

 調査隊はメンバーの大半がクレムのような山の探索に長けた斥候スカウトで構成されていた。主な目的は調査なのだからそれも当然だろう。

 護衛に腕利きの冒険者が数名同行してはいたが、それでも調査隊の戦闘能力は決して高くない。

 だから、今回の調査では山の奥の方――危険な魔物の生息域までは踏み込まない。まだ比較的安全な中腹辺りまでしか調査は行われないはずだった。


 事実、そのとおりに調査隊も行動していた。

 山の生き物達は本当に不可解な減少をしているらしく、滅多に魔物とも遭遇しないので普段より楽で安全ですらあった。

 そのはずだったのに。


 どこで歯車が狂ったのだろうか。

 今、とてもそんな任務の途中とは思えない緊迫した様子でクレムは一心不乱に走っている。走って、逃げている。

 

 一体、何から?


 無論、その歯車が狂った原因からだ。

 その原因が果たしてどういったものなのか――それについて考えるまでもなく、ちょうど向こうの方から追いついてくれた。


「――――っ!?」


 ガサッガサッと背後で木々が大きく揺れる音がしたかと思うと、クレムの頭上がいきなりサッと翳った。

 何だと思う間もなくその翳りは走るクレムよりも早く行く先へと流れていく。

 そして、あれよという間に前方にその翳りを生み出した正体が現れた。

 

 いや、正しくは

 

 巨大な何かがクレムの頭上を飛び越えて、その進行方向へと先んじて着地したのであった。


「――――」


 同時に、轟音が響いて大地が揺れた。

 小さめの地震と勘違いしそうな程の衝撃に驚き、クレムは急ブレーキで止まる。


 というよりは、コケた。

 あるいは腰を抜かしたと言った方が正しいかもしれない。

 眼前、数メートル先に突如降ってきたそいつの姿に驚き、恐れ慄くあまりに。


「あっ、あ、ぁ……!」


 尻餅をついた姿勢で呻くような声をこぼしながら、クレムは〝それ〟を見上げる。


 そいつは、巨大な猿の魔物だった。


 オーガエイプ。この鬼猿山を住処とするモンスターである。

 発達した体躯とそれに見合った膂力を誇る、見た目どおりの力自慢。だが、同時に猿という生き物特有の俊敏さと器用さも兼ね備えている。

 そんな特徴から、単純シンプルに強敵と評価されるモンスターであった。

 普通の人間どころか並の冒険者でもまず歯が立たない。熟練の冒険者達がパーティーを組んでようやく対処できるとされていた。それですら一匹だけを想定したものであり、多数相手の場合は即時撤退が推奨されている。


 そんなオーガエイプだが、その棲息域は主にこの山の奥に限定されるはずだった。

 非常に凶暴な魔物で、縄張りに踏み込んだ者には容赦なく獰猛に襲いかかってくる。

 反面、滅多に縄張りを出て山を下ってくることはなく、とにかく棲息域に近づきさえしなければ襲われる危険性は少なかった。


 そのはずのモンスターが今、クレムの目の前に立ちはだかっている。

 おまけに、そのオーガエイプは普通ではなかった。


 人間より一回りは大きいのがオーガエイプの平均サイズだが、明らかにそれよりも更にデカい。

 いや、デカいなんてもんじゃない、

 なんせ、クレムが尻餅をつきながら見上げてなおその全長が視界に入りきらない。

 軽く二階建ての建造物くらいはありそうだった。どう考えても異常だ。


 恐らくだが――。

 クレムはパニックで崩壊寸前の精神をどうにか正常に保つためなのか、敢えて脳内で冷静な思考を続ける。


 このオーガエイプはオーガエイプのオサ的な存在。種の頂点に位置する異常変異個体――いわゆる〝ヌシ〟なのではないだろうか。

 過去にそれを見かけたという目撃例はいくつもギルドに報告されている。

 中には討伐に挑戦したパーティーもいたとも聞くが、今のところ達成された報告も、ついでに帰還報告も皆無だ。

 存在は確認されていても、数十年は誰にも倒されていない。

 自分に挑みかかってくる相手を全て返り討ちにしてきた大ボス中の大ボス。


 いや、だけど、それが何故いま私の目の前に。


 しかも、こいつはどうやら完全にクレムだけに狙いを定めているらしい。

 だからこそ、執拗に自分を追いかけてきたのだろう――調査の途中で調査隊が突然こいつと出くわしてしまったあの場から。

 クレムは意味のないことではあるとわかりつつも、自分達の行動には何の落ち度もなかったはずだと思い返す。


 調査隊はその時、本来であればオーガエイプが降りてくるはずもない山の中腹辺りを調査していた。

 それに、姿を見せなくなった生き物の中にはなんとオーガエイプも含まれていたのだ。

 そんな危険な魔物すら減少しているらしい異常事態。故に、遭遇する危険性など万に一つもないと高を括っていた。


 そうだというのに、通常の個体どころかよりにもよってこんなヌシと、出くわすはずのない場所で出くわすだなんて。

 どうやらこの山は今、クレム達の予想を遥かに超えたとんでもない異変の真っ只中にあるらしい。


 ――などと、その時は悠長に思ってもいられなかった。

 正直、その後のことはよく覚えていない。

 まず数瞬の硬直の後で全員が一斉に、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げ出した。逃げずに立ち向かってどうにかなる相手でないことは子供でもわかる。

 誰かが統率を取るような暇もなかった。というよりも、この場合全員が散り散りに逃げた方が最も生存確率も上昇する。誰かが貧乏くじを引くことで、その分他が逃げ延びる可能性が高くなるからだ。


 とはいえ、どうやら今回その貧乏くじを引いてしまったのはクレムだったようだが。

 あるいは、幸運にも可能性もあるけれど。


 調査隊の他の人間達がどうなったのか、クレムにはわからない。

 逃げ出した時の記憶も曖昧なら、果たして誰がどちらへ逃げたのか、誰が真っ先に襲われたのかも曖昧だ。

 確かなのは、同じ方向へ一緒に逃げてきた者はいないということと、今は自分の他にこの不運を引き受けてくれる者もいないということだった。


「…………ッ」


 見上げる先のオーガエイプのヌシは、明らかにクレムを睨みつけてきていた。

 完全にクレムへ狙いを定めてきている。

 おまけに、怒っているのか何なのかは知らないが、一目でそれとわかる興奮状態。

 どう楽観的に考えてもこのまま穏便に見逃してくれそうにはなかった。


 対するクレムもこれ以上逃げられそうにはない。

 というか、まず立ち上がれそうになかった。完全に腰が抜けてしまっていた。

 全身は間近に迫る死への恐怖で小刻みに震え、まるで言うことを聞きそうにない。

 唯一の例外は恐慌寸前でどうにか踏みとどまってフル回転している頭だが、この状況ではそんなもの何の役にも立ちはしない。


 率直に言って、絶体絶命の危機であった。しかも、明らかに回避不能の。


 もう終わりだ。どうしようもない。

 クレムも遂にはそう諦めるしかなかった。

 自分はここで死ぬ。

 これまでなるべく危険な依頼を避けて、安全かつ慎ましやかに生きてきたというのに。まだ結婚もしていないのに。

 原因不明の理不尽に巻き込まれて、何の抵抗も出来ないまま死ぬ。


 嫌だとは思う。嫌だと思いっきり叫びたいくらいだ。

 しかし、それすら出来そうもないくらい体には力が入らない。


 何より、間に合わない。


 何故なら、もうオーガエイプのヌシが目の前で拳を振りかぶっている。

 自分の体よりも巨大なそれが、あと数秒たらずでこちらへ向かって振り抜かれる。

 そして、クレムという存在はその殴打によってバラバラに吹き飛んで終わってしまうだろう。

 どうしようもなくリアルにそれが予感できた。できたからといって対処の仕様もないが。


 そんな死の間際に限界まで引き延ばされた感覚の中で、ゆっくりとヌシの拳がこちらへ動き出したのを見た。見てしまった。恐怖で弛緩しきったクレムの身体はもはや反射的に目を閉じることすら出来そうにない。

 だから、自分に直撃するその時まで、それが迫ってくる光景を見続けることになるのだろう。重ねて最悪だ。


 そう思った、その時であった。

 そんな、絶望しか映らないはずの視界のど真ん中――クレムの目の前に突然何かがドサッと落ちてきたのは。


「――――っ!?」


 落ちてきた? いや、違う。

 それはのだ。

 何故ならば、その〝何か〟はしっかりと二本の足で立っていた。


 人間だ。

 それは人間だと、クレムは少し遅れて認識する。

 まさかこの状況で人間が落ちてくる――いや、クレムとヌシの間に割って入ってくるだなんて誰が思うだろうか。認識が遅れるのも当然だろう。

 そんな、あまりにも非現実的な出来事に対する驚愕の中で、クレムはその人間の姿をどうにか捉えていく。


 ぼさぼさでくすんではいるが、それでもなお優美さを感じさせる長い金髪。

 汚れてボロボロもいいところだがどうやら女物らしいと推測できる衣服。

 華奢という言葉がまず浮かぶような未発達な体躯。

 クレムに見えるそんな後ろ姿から、この人間が女性――しかもまだ少女と言うべき年齢の女の子であることが判明した。


 しかし、そんな少女が何故、今この場に割って入ってきたのか。

 それについてはわかりようがなかった。

 だって、元々そんな時間の余裕などないのだから。

 クレムがどうにかそんな認識を進めている間にもヌシの拳は高速でこちらへ向かって迫ってきている最中なのだ。

 むしろ、割って入ってきた人間が少女であると認識できただけでも上出来だろう。


 いや、待て。

 そんな刹那の終わり際に、もう一つだけクレムは気づけた。

 その少女がどうやら何かを構えているらしいということに。

 腰を少し落とし、足を踏ん張って、少女は自分の正面に何かを向けている。

 そうして、待ち構えている。


 一体何を――ということについては、考えるまでもなかった。

 時間切れと共に、その答えが判明したからだ。


「――――」


 耳をつんざくような轟音が響いて、空気がビリビリと震える。

 振り抜かれたオーガエイプのヌシの拳が遂に直撃して、割って入ってきた謎の少女諸共クレムの身体がバラバラに吹き飛ばされ――。


「――――ッ!?」


 ――てはいなかった。

 クレムは健在だった。しかも、信じ難いことにまったくの無傷のままで。


 その上、さらに信じ難いことが目の前で起こっていた。


 突如として上空から降り立ち、ヌシの殴打の軌道に割って入ってきた少女――彼女もまた同じく健在だった。

 何かを構えた姿勢のままで、変わらずにそこに立っていた。


 いや、そうではない。

 少女は受け止めていた。


 クレムもそこでようやく何が起こっているのかをハッキリ認識する。

 少女が自分の正面に構えていたのは、戦斧だった。それも、並のサイズではない。

 その刃だけで少女の身の丈ほどもある両刃の大戦斧――それを盾のように構えて、受け止めたのだ。

 少女の体躯と何十倍の差があるのか考えるのも馬鹿らしくなるほど巨大なオーガエイプのヌシによる殴打を。

 少女はそれに殴り飛ばされるようなこともなくしっかりと受け止め、完璧に防いでいた。


「…………」


 しかも、だ。

 それでいながら少女はなんともあっさりとした、事も無げな様子であった。

 全力を振り絞っている気配は微塵もない。どこまでも涼しげで、何であれば冷たさすら感じさせるその横顔。


「――――っ!?」


 そこで、クレムは少女について新たな事実に気づく。

 それは、ちらりとこちらからも見えた少女の顔が途轍もなく〝美しい〟ということだった。

 その美しさをどう表現するべきか、言葉を絞り出そうとしても出てこない程の。

 とにかく、この世のものとは思えない美貌の少女であった。

 風体は不気味なほど薄汚れてズタボロであるというのに、その程度ではまるで色褪せない圧倒的な美少女ぶり。

 クレムは思わず今の状況も忘れてそれにうっとりと見蕩れてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る