凜花ちゃん
「迷惑かけちゃってごめんなさいね」
すこし落ち込んだ様子で、佐山は向かいの席でちびちびカフェラテを飲んでいる。
あれから保健教諭が帰ってきたので任せ、昼休みに覗きに行ってみると、すっかり顔色もましになっていた。だが、一応帰りまで休んでいるのが良いという保健教諭の言葉で放課後になってから佐山を連れ出したというわけだ。
「別に迷惑なんかじゃねーって」
斗真が若干ムスッとしながら答える。さっきから佐山は謝罪の言葉ばかりで、なんだか調子が狂う。斗真も最初こそはにこやかに答えていたが、いい加減苛立ってきたようだ。
「佐山。別に俺たちは迷惑だな、だなんて思って助けたわけじゃないぞ。謝られるよりも、感謝してくれたほうが嬉しい」
最初こそ俺はこのカップルに任せようと思っていたが、このままじゃ埒が明かないな、と、口を挟む。
それを聞いた佐山はすこし嬉しそうな顔をして、「ありがとう」と呟いた。
「そう。俺たちはその言葉が聞きたかったんだ!」
斗真はさっきまでのムスッとした表情をぱっと明るくして、ニコニコしながらそう言った。その表情の変化に佐山はすこしあっけにとられたような顔になった後、恥ずかしそうに、「ありがとう」と、もう一度言った。その態度は、すこし、「凜花ちゃん」と呼んでいた頃の面影を感じる。
「そうだ。凜花って、俺たちが運んでいたときのこと覚えてるか?」
「ええ。覚えてるわよ。なんかあの話し方、昔を思い出したわ」
すこし懐かしむように佐山は目を細めた。
俺たちが佐山を連れ出したのは、別にただカフェに来たかったからというわけではない。さっきした、本当に大丈夫かの確認、それに、もう一つの理由があった。
「そのことなんだけど、その口調の罰ゲーム、終わらないか?」
斗真が改まったようにそう言うと、佐山は「罰ゲーム?」とすこし考え、しばらく顎に手を当てた後、ようやく思い出したか「ああ!」と声を上げた。自分の口調が変わった原因を忘れてた……?
「そう言えば、この口調になったのって、確か中学の時の罰ゲームだったわね。……というか今更?」
佐山は怪訝な顔でこちらを見る。1年以上放置されていて、なんで今さら、と思うのは当然だろう。
「それは……ほら。なあ、斗真」
「そうだな……あれだよ」
それを聞かれると、俺たちは弱い。なんと言っても、この口調にしたのは「大人っぽいから」そして、今になって戻してほしい理由が、「戻したほうが可愛いから」。なんて身勝手なんだ、というような理由だ。これがバレれば、さすがの佐山も怒ってしまうかもしれない。
「正直にいってみなさい。もしかしたら叶えてあげられるかも」
その言葉に、俺は斗真と顔を見合わせる。
佐山はあまり怒っている様子はない。穏やかだ。変に機嫌が悪いときに言うのよりは今のほうが良いかもしれない。
そんなアイコンタクトをしてみれば、真剣に、斗真は首を縦に振る。俺が言うよりは、彼氏の斗真が言うのが良いと思ったからだ。
「正直に言う。あの前の凜花、かわいかった!」
「はあ」
「だから、戻してほしい」
そこまで聞いた佐山は呆れたような顔を俺たちに向ける。冷たい笑みだが、その中にはからかうような楽しそうな笑顔も見え隠れしていた。
「はあ、もしかして、あなた達馬鹿なのね?……まあ良いわ。ちなみにだけど、さっきのかわいかったってやつ、和人も一緒なの?」
ちょっとにやにやしながらおれの方を覗き込むようにそう聞いてくる。俺が首を縦にふると、佐山は「ふーん」と言ってから、口を開いた。
「じゃあ、条件は和人も私の呼び方を戻すことね。そしたら、口調も戻すわ」
「え、その呼び方って、凜花ちゃんってやつか」
ええ、と首肯し、「佐山って呼び方、少し距離感じて好きじゃないのよ」なんて笑っている。斗真を見ると、喜びながらも不思議そうな顔で、「というか、まずなんで呼び方変えたんだ?」と考えている。
俺が佐山の呼び方を変えたのは、佐山が口調を変えた後だった。立ち振舞が、「ちゃん」という感じではなくなっていたからである。つまり、佐山が口調を治せば、別にこの呼び方で呼ぶ必要はないのだが、高校生にまでなって、「ちゃん」というのは、なんとなく気恥ずかしい。
そう言えば、「別にそんなことないぜ?うちのクラスにもいるだろ。女子全員をちゃん付けして呼んでるやつ」と斗真が言う。
逃げ道がなくなった俺は、佐山のきらきらした目線にさらされる。断りづらい……!まあ断り必要もないんだけど。
「り、凜花ちゃん」
「ん、なあに?」
そう呼ぶと、凜花ちゃんは昔の調子で俺に返事を返してきた。
それを見ていた斗真は「おお、この感じ、懐かしいぜ!」とはしゃぎだす。
「何はしゃいでんの?斗真」
総隣家が斗真に言えば、斗真は感激したように胸の前にガッツポーズする。
「この時を待ってたんだ!前の俺たちに収まるこの瞬間を!なんだかんだ俺たち、ってこれだよな!」
元気よく、威勢よく、そう断言する斗真。
それを見て、俺たちは同意を示した。確かに、この口調の凜花ちゃんは可愛いが、それよりも、安心感が強い。
「ああ、あるべきとこに戻ってきたんだな」という安心感だ。
「よっし!今日は俺たち元通り記念だ!豪遊するぞ!」
斗真が音頭を取る。喫茶店でのささやかな豪遊。それが、中学の時の俺たちのお祝いだった。
中学の時から、呼び方話し方でほんの少し空いていた穴を埋め、また親友三人揃ったのだ。少しは喜ぶのが筋だ。と、上がっていく口角をそのままに、いちゃついている斗真と凜花ちゃんを眺めた。
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