熱中症


 体育祭の準備が始まって、もう数日経つ。うちのクラスは、実行委員のうち、運動部の井上を中心として練習を行っていた。

 俺はと言えば、特にいつもと変わらない日々を過ごしていた。強いて言うなら、授業の中から体育祭の準備にあてられる時間が増えたりしたことくらいだろうか。


「どんなもんだろな。今年の体育祭」


 斗真が弁当を食いながら俺に話しかける。「別に大したことないんじゃないか?例年通りだろ」と言ってやると、「そうかあ」と、若干上の空気味に返答する。

 いつも元気に話してきたり絡んでくるのに、今日はどうしたのだろうか。弁当はきっちり運動部の大きさを、簡単に食べている。目線もちらちら佐山の方を向いている。しかし、どうもなんかいつもと違う違和感があった。


「なんかあったか?なんか上の空だな」

「ん、ああ、何かな。なんか変な予感がするんだ。まあでも、練習も結構うまくいってるし、正直考えすぎかもしれない」


 そう言いつつも、まだすこし上の空気味に飯を食べている。考えすぎだろうと自分で言うなら良いが、そのアホ面を見ていると、どうもなにか気にかかった。



 ●●●



 外での練習も増え、だんだん暖かくなってきた気温と直射日光に当たりながら、ただ走る。

 さっき教室でアナウンスされたが、まだ5月だってのに、既に30度を超え、熱中症の危険もある状態だという。水筒を適宜飲むよう指示されているが、帰宅部の生徒の中には水筒を持ってきていない者も多く、給水器は、多くの人でごった返している。

 今はリレーの練習をしているのだが、斗真はさっきの昼休みからずっとなんだかボケっとしており、なんだか遠目から見てもなんだか心配である。「熱中症には気をつけろよ」といってやれば、「大丈夫だよ。お前こそ心配だな」なんて軽口を返してきたので、体調の方は心配することはなさそうだが。


「おーい!ほら!」


 そして、他にもぼーっとしている奴がいた。佐山だ。さっきまである程度の元気さがあったのだが、俺が走って来て、次走の佐山にバトンを渡す前くらいから、あまり意識がはっきりしているように見えなかった。今も、声をかけてはじめてもう俺が直ぐ側に来ていることに気がついたようだ。


「あ!ごめんなさい!」


 佐山は急いでバトンを俺の手から取り、走り出した。

 一瞬こちらを向いた時、顔が真っ青になっていた。それなのに大量に汗をかいて、それでいてバトンを受け渡すときに一瞬触れた手は、一瞬であってもはっきり分かるくらい熱かった。


「ナイスラン!いい走りだったぜ!」

 

 井上がハイタッチで俺をねぎらう。だが俺はありがとう、と適当に返した後、すぐに斗真を呼んだ。


「斗真。佐山のとこに行ってやってくれ。俺はいろいろ持ってくる」

「ああ。わかった。頼んだぞ」


 俺から聞いて最初驚いたような顔をした斗真は、すぐに気を取り直し、その言葉の後、すぐに走り去って行った。今バトンを渡した佐山が、膝をつくように倒れ込むのが見えたので、井上に説明し、すぐに保健室へ向かった。

 保健室には先生がおり、熱中症らしき症状の生徒がいる、という話をすると、用意されていた熱中症対応セットを渡され、これで対応した後、すぐに保健室に連れてくるように言われた。先生も受け入れ体制を整えてくれるとのことだ。

 すぐにグラウンドに戻ると、本来は体育祭の練習に関与しないはずの遠野先生も出てきていた。


「遠野先生。佐山は俺と斗真で保健室連れて行くので、後の対応よろしくおねがいします」


 わかった、と先生が言い、一旦中止を宣言する。俺はすぐに佐山と斗真の側に行く。

 佐山は息も荒く、かなり疲れているのか、ぐったりとしていた。その側には、汗を拭きながら「大丈夫か?凜花」と声をかけている斗真がいた。


「ほら。経口補水液とか、新しいタオルとかが入ってる」

「ありがとう。和人。俺だけだったらできなかった」


 セットの籠ごと寝転んでいる佐山の隣に置く。「自分で飲めるか?」と聞けば、「無理」とのことだったので、ペットポトルを斗真に渡す。斗真はすぐに口を開かせ、すこしずつ流し入れる。飲み込む音はするので、飲めているだろう。


「ごめん。迷惑かけちゃって……」


 いつもと違うように、佐山が口を開く。その様子は、高校生活でよく聞く口調ではない。

 出会った頃の、まだ佐山の体が弱かった頃を思い出すようだった。


「凜花。運ぶからな」


 斗真はそれに気づいたのか、気づいていないのか、表情を変えず、佐山を抱っこして、運び出した。


 保健室には既にベッドが準備されており、いつでも寝かせることが出来るような状況になっていた。保健の先生は連絡のためか出ていたので、斗真はゆっくりベッドの上に佐山を置いた。

 佐山はゆっくりベッドの上に寝転がる。それだけでもかなりきつそうであったので、さっき使ったタオルを洗い、絞って、頭に載せた。


「ありがとう。和人くん」


 にこり、と、最近良く見せていたからかうような笑みではなく、心から、純粋な笑みで、言葉を発する。


「あ、ああ。凜花ちゃんが大丈夫で良かった」


 つい、昔のような呼び方をしてしまうほどの、強烈な懐かしさを覚える。


「凜花。……大丈夫か?」


 その言葉に、佐山はゆっくりと首を縦に振る。

 実際、その顔は嘘をついているような感じではなく、さっきよりはましになったのだろう、と、安心を覚える。


「ねえ、すこし寝ていいかな」

「良いんじゃないか。なあ斗真」

「そうだな。ゆっくり休もう」


 経口補水液を今度は自分で飲んで、「じゃあ、おやすみ」といって、すぐに眠ってしまう。すうすうと、健やかな寝息までたてている。


「なあ。あの佐山、なんか懐かしくないか?」

「あ、ああ。前回見たのは、確か風邪であいつが参ってた時だな」

「そんなことがあったのか」

「ああ。お前にはうつしてしまうと申し訳ないって言って、呼んでなかったからな。俺だって押しかけたから会えたも同然だからな」


 なんでも、去年の冬に風邪をこじらせて、休んでいた時期に、一度見舞いに行ったらしい。俺は電話で来ないでくれと言われて行っていなかったが、それを無視して行った所、風邪でまいった佐山が、あの状態だったそうだ。


「中学の時思い出すな」


 佐山は今こそ身長もあり、髪を伸ばして美人という出で立ちだが、中学まではどちらかと言うと咲ちゃんのような体格にメガネをした、可愛らしい方だった。

 その時は、今のような喋り方ではなく、そのまま素の喋り方をしてきていた。今の喋り方は、実は素ではなく、口調を意識して変えているのだ。そのきっかけは俺たちなのだけど……


「なあ。そろそろ、あの罰ゲーム、終わりの宣言しない?」

「ああ。俺もそれが良い気がする」


 二人で顔を見合わせて言う。

 そう。あの口調は中学生の時悪ふざけの罰ゲームで斗真が、「じゃ、凜花はちょっと口調を変える!どんな感じかは任せる!」といったっきり続いている、罰ゲームだったのだ。

 その次の日から佐山は口調を変え、その頃には佐山も今のように身長も伸び、美人、というようになっていたので、特に似合ってるしな、と罰ゲームの終わりを宣言していなかった結果、いつ終わればいいかわからなくなり、今の今までだらだら続いていたのだ。


「なんかさ、あっちの口調のほうが、やっぱ佐山……というか、凜花ちゃん感あるよな」

「まあそうだな。凜花の素はあっちだからな」

「それに、あっちのほうがかわいいしな」

「ああ。俺もそう思う。まあ、どちらにせよ好きなことには変わりないんだけどな」


 見せつけてくれるなあ。まあ、たしかに斗真と佐山はとてつもないお似合いのカップルだと思う。

 斗真は眠っている佐山の頬を撫で、「まあ、そんなにひどい状態じゃなくって安心した」溢した。その声には慈愛に心が籠もっていた。


 

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