影響
入学式と言えば午前で終わり、なんて思っている人が多いかもしれないが、この学校は普通に午後まである。(まあ授業というわけではないし、普段よりも短い時間なのだが)
そのため、在校生も午後まで授業だ。俺はさっき生徒会の仕事でサボれたため、終わった頃には既にホームルーム中だった。
担任の遠野先生の迷惑を避けるため、皆が過剰に注意を向けない程度に、それでいて先生には俺が入ってきたことが入ってきたことが分かるように、教室に入った。
「おお、高町、おつかれ」
それなのに、この遠野先生はよお……!ありがたいけれども!ありがたいけれども、それ、本当に一旦話を中断してまで言うことでしたか?周囲からもめっちゃ目向けられてるじゃん!
「そうだ、高町。ホームルームが終わったら職員室に来てくれるか?」
「は、はい。わかりました……」
超変に目立ってるよ!あんまり目立ちたくないんだけどなあ……
「お疲れだな!」
若干笑みを浮かべながら、煽るような口調で、新しい学年でも同クラスで、後ろの席になった斗真が話しかけてくる。
うっせ、と言って頭をぽん、と叩いて、前を向けば、無言で遠野先生が見つめてきていた。
「す、すいません」
遠野先生に呼ばれた通り、俺はホームルーム後、職員室に向かった。
職員室は極めて静かで、コンコン、というノックの音もとても大きく響いて聞こえる。所々からコーヒーの様な香りが漂っており、教室とは違い、「大人の場所」である感じがして落ち着かない。
要件を近くの先生に伝えると、待っているといい。と言われたため、中に入らせてもらい、遠野先生の机の近くに立った。
「ああ、すまん。もう来てたか。済まない、待っただろう」
「ぜんぜん大丈夫です。特に長い間待ってたわけではないですから」
遠野先生は、50歳程の先生だ。ダンディ、というのが初見の感想だったが、始業式の日話を聞くと、それは見た目だけではなく、内面もであることがわかった。
この先生は落ち着いている。冷静で、声を荒げることはない。ただ、言って聞かせるのだ。そして、その言うことにも、とんでもない説得力で話すのである。話すのも、聞くのも上手。俺が大人になったら、こんな人になりたいと思うほどだ。
「まあ、そんな長い話はするつもりはないさ。ただ、新入生たちの話でもと思ってな。高町、妹が入ったんだろ?新しく」
「はい。ひまりという妹が」
「我が校の学力推薦入試でトップの成績だ。それに今日話す機会があったが、なかなかいい子じゃあないか。きっときちんと行けば、大学も相当なところに行けるだろうし、もしかしたら世紀の発見でもしてくるのかもしれないと思うくらいにはびっくりしたよ」
ひまりは大物になりそうだ、というのは、多くの人から言われているところである。ひまりにあるのは学力だけではない。人柄、好奇心、人のことを楽しんで聞ける能力。そういったのが、人一倍あるのだ。
「俺の自慢の妹ですから」
「ははは!そうか。それは良いな。兄弟仲は良いんだろう?その様子じゃあ」
「そうですね。自信があります」
それは良いことだ、と、遠野先生は微笑を浮かべながら言う。
「まあ、高町の妹については置いておいて、総代とも仲がいいらしいな」
「ああ、咲ちゃんは、ひまりの友達で……」
「ん?そうか?彼女、あんまり高町の話ばかりするものだから、付き合っているのかと思っていたが……」
「いえいえ、そういうわけでは。きっと咲ちゃんも兄を見るような感じで見てくれているでしょうし」
「……まあ、そうだな」
そして遠野先生は缶コーヒーを取り出し、一口口に含んだ。
「ああ、済まない。すぐ終わると言っておきながら、そこそこな時間話してしまっていたな。まあ、言っておきたいのは、妹と総代、どっちも相当お前に懐いてるみたいだから、失望させないように少し頑張れよって言ってやりたかったんだ」
そう言って遠野先生はまだ暖かいコーヒーを取り出し、俺に手渡した。缶の外装にブラック、と書いてある。
「先生、これは?」
「やるよ。それ飲んだら、気持ちはもう大人だろ?」
「はあ」
「お前は十分大人びてるさ。人をよく見れるし、気が使える。でも、俺が求めてるのはそこじゃないんだ。お前には自信がないように見える。……幸せにしたいもんができたときに、幸せにしてやれる甲斐性を身に着けてほしいんだ」
ま、今じゃないんだ。おいおいでいい。という。遠野先生は、机の上に置かれた家族写真を愛おしそうに見つめる。
「俺の家族だ。良いだろ?……俺も最初は自信がなかった。ただ奥さんと一緒にいるうちに、ああ、この人を幸せにしたい、って思ったんだ。そこからはもう早かったな」
柔らかな笑みを崩さず、遠野先生はまた俺に向き直る。
「人っていうもんは、誰かに影響されたら、すぐに変わっちまうもんだ。あの二人もきっと、お前に影響を少なからず受けている。……そして、その影響ってのは、案外関係性にも現れてくる。それを受け入れるか、受け入れないかは自由だが……」
先生は思いっきり笑って、
「若いうちに出来ることはやっとけ。これからきっとお前はいろんな出来事がある。それに、いろんな関係もあるだろ。でも、それもきっと、回り回って自分のためになるもんだ。楽しめよ。少年。」
こんなおじさんの説教なんてつまらなかったろう。済まないな、と言ってくる遠野先生に、最後に質問を投げかける。
「どうして、そんなに気にかけてくれるんですか?」
「お前が、俺と重なるからだ」
そう言って、先生は今度こそ机のパソコンに目を向けた。
「あ、先輩。遅いですよ!」
外に出ると、咲ちゃんが待っていた。
「ああ、咲ちゃん。待っててくれたのか?結構時間あったろうに」
「本当ですよ!ひまりちゃんなんて、もう帰っちゃったんですから!」
咲ちゃんは怒ったように見せかけ、本当はそんなに怒っていない顔で、俺の手を取って歩き出した。
「ごめんごめん」
「ごめんで済めば警察いりません!きちんと今日一緒に帰ってくれたら許します!」
ふふーん、と得意げな表情をする咲ちゃん。どうだ、一本取られたろう、と言わんばかりの顔に、思わず笑いがこみ上げる。
「かわいいなあ」
「か、かわいいって、私がですか!?ふ、ふん!今日の私はそんな見え見えのお世辞に引っかかりませんからね!」
「いや、本当だよ」
顔をプイッとそらしているはずが、嬉しそうな様子が隠せていない様子である。そんなところもかわいい。
「な、なんですか。今日の先輩、ちょっとおかしいですよ」
頬を赤くしながら、一歩距離を取る。一歩詰めてやると、反対側にまた一歩距離を取られる。
「こら。そっちは車道側で危ないでしょ」
「こ、ここでお母さんみたいな……!はあ、わかりましたよ」
そう言って咲ちゃんは元の位置に収まる。
「……なんか、まだ本格的に会うようになって、まだあんま経っていないんだよな」
「そうですね。三ヶ月ちょっとですか」
「の割に、俺たち随分仲良くなったよな」
「はい。でもそれは先輩のおかげですよ?」
「え?」
思わず立ち止まって聞き返してしまう。
「先輩が私に勉強を教えてくれたから、親身になってくれたから、優しく接してくれたから、今の私があるんです。……先輩への思い入れなら、咲ちゃんと戦えるくらい溜まったと思いますよ!」
むん、力を込めたようなポーズをして、私じゃ様になりませんね、と言っている目の前の咲ちゃんは、俺に影響されて今の自分があると言った。
じゃあ俺は?
遠野先生は、その影響は、関係性にも現れることもあると言った。じゃあ俺たちも、いずれその関係性が変わる時が来るのだろうか。
そんな事を考えながら横を向けば、楽しそうな笑顔の咲ちゃんがいた。
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