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倉部が勤務するノーザンヒルズ地質学研究所はアメリカ北部のミネソタ州の田舎町の片隅に建てられていた。車を駐車場に停めると、なだらかな傾斜の屋根を構えたチョコレート色の建物が出迎えてくれる。
「おはよう」
研究室に入った倉部はパソコンに向かっていた
「おはようございます」
けれど彼女の方は彼を見ることもなくモニタに向かったまま、淡々と挨拶を返した。
自分の席に就き、倉部はメールのチェックから始める。学生時代から、もっと言えば小学校、保育園の頃から、どうにも人間関係というものが苦手だった。特に日本人的な“和”という、あやふやな人間関係の構築を求められるのが理解できず、友人というものもいなかった。
そんな倉部の興味が人間や生き物ではなく、化石や鉱物といったものに向いたのも、ごくごく自然な成り行きだろう。しかも近所には露出した地層があり、毎日アンモナイトの欠片を見つけることが出来た。それらは幼少期の倉部にとって宝物で、今でも実家のダンボール箱にはぎっしりと掘り起こされたアンモナイトたちが息を殺していることだろう。
「クラベ、見たまえよ」
大きな声と共に隣に現れたジョセフは、手にしたニュースペーパーを広げ、そこに書かれていた小さな記事を指差して楽しそうに笑う。
「オレたちの研究にまた新しい出資だ。ただ化石見つけて地味に展示してるだけじゃ、こうはいかないもんな」
「化石も立派な研究成果だよ。ただ、注目されているというのは、悪くない」
「オレたちは運が良いよ。なあ、サワムラ。君もそう思うだろう?」
音がしそうなほど彼女の白衣の肩を叩くが、沢村綾は「ええ」と冷たく答え、眼鏡の奥の目を少しだけ歪めた。
「ジョセフ。そういうスキンシップはよせと注意しただろう? 彼女も困っているよ」
「どうしてだい? 楽しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば泣けばいい。日本人はもっと自分の感情を言葉にした方がいいよ」
理解はなかなか得られないな、と嘆息し、倉部はメールの処理を続ける。
運が良い――か。
日本の大学生活が肌に合わず、休学してカナダに留学をした。もう十年も前の話だ。けれど日本を離れたところで人付き合いが苦手なことには変わりなく、逆に様々な国の留学生たちがいたことで日本人にはない特有のコミュニケーションを求められた。
そんな倉部を唯一癒やしてくれたのがフィールドワークと称した散歩だ。近くの河原には露出した地層があり、子ども時代、無心でアンモナイトを掘り続けた情熱を思い出させてくれた。
あの日は数日雨が降り続き、地面が
あの時すぐに鑑定に出さなかったのは、やはり誰かに成果を掠め取られるという恐怖心があったからだろう。それとも自分の手柄にしたいという功名心か。
ともかく、倉部は自分が研究者の立場となってから、改めて謎のガラス片とそれが見つかった地層の年代を測定し、幾つもの結果が八億年前のものであることを示していた。八億年前といえば地球に隕石群が降り注いだ可能性が指摘されている頃だ。地球上では大きな変動があり、海洋の深い部分までが凍りついてしまったとされる『スノーボールアース』と呼ばれた極寒の氷河期が訪れた。
クライオジェニアンとは「氷」を意味するクリオスと「誕生」を意味するジェネシスからなる造語である。
「ところでクラベ。我々が保持している遺物の文字の解析だが、やはり君が
つまりは何者かによって意図的に何らかのサイン、あるいは文字が刻まれたということだ。
と、パソコンを睨んでいた沢村綾が立ち上がる。
「提案があるのですが、書かれている文字の解析にAIを用いてはいかがでしょうか」
確か履歴書には情報科学について詳しいとあった。
「常々思っていたのですが、未だに人が見てああだこうだと議論をしているのは何ともその、時代遅れです。今はどの分野もコンピュータ・サイエンスの恩恵を受け、データを元に進めるのが一般的で、このままでは他の研究チームに大きく遅れを取ってもおかしくないと、私は思いますが」
「ああ、確かに沢村君の言う通りだろう。けどね、地質学というのは元々データを重要視して発達してきた分野で、そこに僅かな閃き、直感というエッセンスが大事になるんだ。だから今活気があるAIを活用しようという気持ちは理解出来る。でもね」
「分かりました」
彼女は倉部の言葉を遮ると、部屋を出ていってしまった。
倉部はその様子にジョセフと顔を見合わせ、お互いにオーバーなくらい大きく両手を開いて苦笑した。
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